08/08/07 15:41:59 +FzAKq63
江戸時代初期は(死体処理してたエタ・ヒニン以外は)医者でも内臓の位置とか分かってなかったんだよ
(当時の医学ってのは鍼・灸・漢方薬とかで外科手術とか殆どはしなかった)
そこに蘭学が入ってきて杉田玄白らがエタ・ヒニンのとこに赴いて死体解剖して蘭学が本当に正しいのか調べて解体新書を出版したわけ。
(ちなみに処女膜ってのは解体新書で初めて命名された)
んでも解体新書を読む人なんて医者ってよりは蘭学者が中心だったから町医者とかを含めた一般の人らはまだまだ内臓とか良く分かってなかった。
ってか子宮は出産の時に目視できるし解剖学なんて崇高なもの必要なくね?