08/02/18 03:42:54 Ipl3OuMh
>>161
神との合一は、つねに不敬・異端という非難に晒されながらも、信仰というものの重大なテーマとして
常に存在し続けてきた。そしてそれが「性的交流」として表されるケースは少なくない。
巫女が神の妻と見なされるというのも勿論その一つだし、原始仏教においては性的機能が万全で、
しかもまだピークを迎えていない者が出家として望ましいとされた。そのエネルギーを修行に
活用するためだ。のちにはエロを通して悟りに至るいわゆるタントラが生まれ、セクースを行法に取り入れた。
チベット密教などもそうした思想の流れを汲んでいる。
そこまでは行かなくとも「観音様とセクースしたお」「聖母マリアさまのオパーイ飲んだお」といった逸話が
多くの修行者の体験談として出ている。異界に触れることと、人間の生命に根ざしたエロの力の脈動
つまりフロイトが言うところのリビドーとはかなり密接なのかもしれない。
まぁそんな御託は正直どうでもいいんで>>162とっとと絵を献上しろと