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【DVDも】JIN-仁-で801 玖【痴デジも】 - 暇つぶし2ch201:風と木の名無しさん
10/03/23 10:00:47 1oZ/K2eJ0
>>198
見つけてきたよー

192 :風と木の名無しさん [sage] :2007/09/01(土) 20:35:56 ID:MNmNlzzV0
河合卓(かわい すぐる)(明治20年(1887年)- 昭和19年(1944年))
詩人・作家・評論家。
本名、朝川藤次郎。東京都八王子生まれ。
大蔵省官僚であった父・栄太郎の次男として生まれる。
中等科時代には明治時代の学習院の風習に習い、多くの上級生から言い寄られたという。
休み時間に八人の上級生が彼を奪い合い乱闘を起こすも、彼本人は全く気づかず、
悠々とアナトール・フランスを読みふけっていたという逸話が残されている。
高等科時代には、「先輩たちは俺の方を見て「河合卓、河合卓」って呼んでくるが、
河合って奴ぁそんなに俺に似てるのか」と問いかけ、同級生を唖然とさせた。
後にこれを筆名として用いることになる。
東大仏文科に在学中、詩誌「人生、終ワタ」に参加。叙情的な作風で、一躍注目を集める。
26歳の頃、師事していた内藤水平より、
「森蘭丸は、織田信長に愛されたからこそ名を残した。私と仲良くしておいて損はないよ」
というわけのわからない理屈で関係を迫られ、嫌になって実家に逃げ帰る。
弟・孝三郎は内藤の元に殴りこみに行き、裁判沙汰にまで発展した。
数年間の欧州外遊ののち、妻・マチ子と出会い、結婚。父、兄はむせび泣いたという。
その後、友人らとともに文芸誌を発行。評論、翻訳なども手がけるようになり、後進の育成にも力を注いだ。
終戦の前年、戦死した息子の遺品の中から手記を発見。数日後、睡眠薬を大量に服用して死亡。
享年57歳であった。


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