モララーのビデオ棚in801板56at 801
モララーのビデオ棚in801板56 - 暇つぶし2ch400:歩くような速さで 2/6
10/03/18 17:40:03 /sBn5cNt0
 その場に駆けつけたときには既に、目的の半分は果たされていた。
 遠くに、先ほど聞いた悲鳴の主と思われる女性の姿、近くに、よろめき駆けてくる、フルフェイスのヘルメット。
 そして、そのちょうど中間に、倒れたバイクと、バッグを抱えて転がった、男の姿があった。
「ちょ、お兄さん、そいつ止めて! 引ったくり! 引ったくり!」
「言われなくても、見りゃ判るっての」
 男の叫びに呟きながら、両手をいっぱいまで広げ、フルフェイスの進路を塞ぐ。
 狭い路地である。相手は一瞬、こちらを避けるか迷ったようだが、すぐに方針を強行突破に切り換え、一気に速度を上げた。
 恐らく自分が、見た目に甘い、優男だからでもあったろう。しかし生憎、神部健は、そういう理由で軽視されるのが、何より嫌いな男であった。
「はいはい、ストーップ。さもないと、」
 続きを待たずに殴りかかってきた腕を躱して、引っ掴む。そのまま、突進の勢いを逆手にとって反転すると、神部はアスファルトを踏みしめて、一気に相手を背負い投げた。
 ずだん!と大きな音をさせ、フルフェイスが地面に落ちる。したたか背中を打った体が、呻きを漏らして、痙攣した。
「……こういうことになっちゃうよ、と」
 もう遅いけど。と付け足しながら、男の体を引っくり返し、背中を膝で押さえつける。更に両腕を捻り上げると、流石に男も観念したのか、ヘルメットの頭を落として、くたびれた声で毒づいた。
「だいじょぶ? 怪我ない? あ、落ち着いたら、中、調べてね。盗られたもんない?」
 転がっていた男にも、どうやら大事はないようだ。バッグを女性に渡しながら、気遣う言葉をかけている。
 間もなく、事態に気が付いた誰かが通報したのだろう、サイレンを鳴らして近づいてくるパトカーが傍に停まるまで、神部は引ったくりの両腕を固定しながら、待っていた。

401:歩くような速さで 3/6
10/03/18 17:40:32 /sBn5cNt0
 そして、加害者と被害者を、それぞれに合った対応で預かってくれる人間の手に、よろしく頼んで渡したところで。
「ありがとうございましたっ!」
 と、たいそう大きな仕草で頭を下げると、今回の功労者の一人は、まるで子供のように笑った。
「お兄さんが来てくれなかったら、危うく逃がしちゃうところだったよ。バイクを倒すまでは上手くやったんだけど、歳かねえ」
「たいしたもんですよ。走ってるバイクに横から突進したんでしょ?」
「やー、丈夫だけが取り柄だから」
 開けっぴろげな男らしい。
 見た目は、神部と同年輩か、もう少し上というところだろう。カーキのフライトジャケットを着て、髪は短く刈り込まれている。赤銅色と言ってもいいほどよく陽に焼けた肌をして、くるくると動く表情は、いかにも健康的だった。
「しっかし、お兄さん、強いねえ! いや、止めてーとは言ったものの、……あ、気を悪くしないでね? 正直、吹っ飛ばされちゃうんじゃ、って」
「慣れてるんです」
「と、言うと」
「本職なんで」
「……やくざ屋さん?」
 その発想はなかった。
「刑事さん」
「ああ!」
 一気に合点がいった様子で、男は、ぽんと手を打った。
「いや、その、ごめんね、言っちゃ何だけど、」
「ホストか何かと思ってましたか」
「よく言われますか」
「よく言われます」
 しかも本日は非番である。普段からさほど堅苦しい格好はしない神部だが、オフともなれば、オンよりまして、カジュアルな服装をする。
「やー、最近の警察は、イケメン揃えてんだなあ」
 腕を組み、うんうんと頷く男は、フォローしているつもりらしい。鼻で笑うべきところだが、不思議と、そういう気にならないのは、まるであくどさを感じさせない、男の笑顔のせいだろうか。

402:歩くような速さで 4/6
10/03/18 17:40:58 /sBn5cNt0
「ともかく、ありがと。イケメンの上に腕っ節も強いなんて、警察の、いや、日本の、もとい、世界の未来は明るいなー!」
 ばしりと平手で打たれた背中は、それ相応に痛んだが、やはり文句を言ってやるという気持ちは、不思議と起こらない。むしろ何となく浮かれた気分になって、神部は微かに笑った。それを見とめたらしい男が、自身も目尻に皺を作る。
「実はさ、俺も、」
「いた! 馨ちゃん!」
 口を開いた男の言葉は、しかし女性の、辺りに凛と響いた声に阻まれた。見れば、男と同年輩の、颯爽とした女性が一人、低めのヒールを鳴らしながら、早足でこちらに近づいてくる。
「よ」
「よ、じゃない! ちょっと目を離すと、すぐどっか行っちゃうんだから! 一時帰国って言ったって、とんぼ返りなんだから、そんなに余裕はないんだよ!」
「あ、これ、三輪子。俺の、コレね。コレ」
「誰がどれか! さっさと来たまえ! 挨拶に行かなきゃならないとこ、まだまだいっぱいあるんでしょ!」
「わーかってるって、行きます、行きます! じゃ、元気でね、お兄さん」
「お世話さまでした!」
「はあ。こちらこそ」
 嵐のような二人である。
 何が何だか解らないまま、見送る形になった神部に、恋人に腕を引かれて、というより、引きずられながら歩く男は、首だけ捻って振り向くと、大きな声で、こう言った。
「あと、よろしくね!」
 何の「あと」だか、やはり、さっぱり解らない。ただ、何となく右手を上げると、神部は軽く、左右に振った。男が、笑顔で応じるように、ぶんぶんと大きく腕を振る。
「前向け前ー!」
「いて、痛えって、お前! 解った、前向く! 前見ます!」
 騒ぐ男も、その恋人も、以降は、一度も振り向かなかった。二人の背中が角を曲がって、完全に視界から消えるまで、神部はしばらくその場に立って、綻んだ口許を掻いていた。

403:歩くような速さで 5/6
10/03/18 17:41:20 /sBn5cNt0
 そして、翌日。
「ご機嫌ですね、椙下さん」
「そう見えますか」
 職場に着くと、名札を返し、神部はボトルの蓋を開けた。
「実は昨日、友人と、久方ぶりに会いましてね」
「ご友人」
「意外そうですね。僕に友人は似合いませんか」
「いぃえぇ?」
「そう言う君の方こそ、ご機嫌のように見えますが」
「ご機嫌、というか、……いや、昨日、変な男に会いまして」
「ほう」
「何ですかね、こう、無理やり気分を、上に引っ張っちゃうような」
「いますね、そういう人」
「いますよねえ」
「僕は嫌いじゃないですが」
 穏やかな笑みを浮かべた口に、椙下がカップを押し当てる。
「僕も嫌いじゃないですよ」
 その様子を眺めながら、神部も、炭酸水を含んだ。

404:歩くような速さで 6/6
10/03/18 17:41:55 /sBn5cNt0
 ____________
 | __________  |
 | |                | |
 | | □ STOP.       | |
 | |                | |           ∧_∧ (公式で)やられる前にやれ!と思った
 | |                | |     ピッ   (・∀・ )
 | |                | |       ◇⊂    ) __
 |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |       ||―┌ ┌ _)_||  |
 |  °°   ∞   ≡ ≡   |       || (_(__)  ||   |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

405:風と木の名無しさん
10/03/18 18:00:05 v7RXXs8j0
>>399
目から汁が出た
有り難う有り難う愛してる

406:風と木の名無しさん
10/03/18 19:22:32 LAsp7EUPO
>>399
有り難う!
缶と彼のやり取りが、映像で再生されました
ぽかぽかする読後感に浸って、良い気持ちです
本当に有り難う

407:風と木の名無しさん
10/03/18 20:58:41 YijyazHvO
>>399
私にはあの二人が出会ったらウキョさん争奪戦くらいしか思い付かなかった。
なんという暖かいお話。
ほんとそうだ、瓶ってそういう男だ。缶ってそういう男だ。
ウキョさんも幸せそうですごく嬉しい。
なんだか読んでて幸せな気持ちでいっぱいになりました。
どうもありがとうございました。

408:板缶1/3
10/03/18 22:58:32 481GIjeN0
il 板缶です。il続いてしまってすみません。
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!


 彼と庁内ですれ違うことは、よくあることだ。職場が同じなのだから当たり前だけれど。
 いつもは、軽く会釈をしながらすれ違うだけ。そうしようと決めたわけではないけれど、そういうものだろう。
 だから、少なからず驚いた。
 すれ違いざま、誰もいない廊下。俺の手をむんずと掴んだ彼の空いた手が、非常階段への扉を開けた。

「ちょっと、伊民さん?」
 広い背中をからかうように声をかけても、彼は何も言わなかった。かんかん、と非常階段を上がる高い靴音。諦めて、腕を引かれるままにした。どうせ暇なんだ、俺の仕事は。
 階段を上った先には、喫煙スペースにもなっている場所がある。昼を少しまわったところで、人影はなかった。
 晴れていたけれど、コートを着ていない体には三月の空気は少しだけ寒くて、襟をかきあわせた。
「どうしたんです?」
 俺の問いに、伊民さんは無言で煙草に火をつけた。深く吐き出された息とともに、紫煙が立ちのぼる。この気だるそうな顔が、俺はけっこう好きだったりする。
「昨日、どこ行ってた?」
 今朝、二日酔いの頭痛で目を覚ましたとき、携帯の電源を落としたままだったことを思い出した。
 たったひとりの部屋。昨晩の記憶ははっきりと残っていた。それこそ、痛みのためではなく頭を抱えたくなるほどに。
「あー、古い知人と飲んでました。すみません、携帯切ったままだったのすっかり忘れていて」
「そうか」
 ふう、と息をつく。ならいい、と肩をすくめた仕草に、唐突に気づく。


409:板缶2/3
10/03/18 23:00:09 481GIjeN0
「伊民さん、ひょっとして昨日、家に帰ってないでしょ?」
 ぴく、と肩がゆれる。その背中を包んでいる背広もネクタイも、昨日と同じものだ。
 近寄り、襟に触れる。伊民さんはなにもせずに、ただされるがままだ。
「シャツは違いますよね?」
「長丁場になることもあるからな。それくらいはロッカーにあるさ」
 小さいため息のあと、俺の腕を包んだ手があった。
 かさついているけれど、大きくて温かい手。ぐっと引きよせられた瞬間、体を包み込む体温を、ずっと近くに感じた。
 背中に回された手。躊躇うようにかすかに触れた唇に、噛み付くようにして応えてやる。
「……どうしたんです?」
 広い胸板に染み付いた、煙草の香り。その中に確かに感じる彼のにおいに、ふっと目を閉じて触れる。
 答えが返ってくるとは思っていなかった。それでも、よかった。
「心配だった」
 だから、頭の上でぼそっと彼が呟いた言葉を聞いたときは、本当に驚いた。
「え?」
「お前さんが、」
 背中を抱く腕に力がこもる。表情は見えないし、その声もいつもと変わらないけれど。
 確かに、感じる。いつもと違う、彼の思いを。
「帰る場所がない、なんて言うから」
 そうだ、彼は聞いていたのだ。あの取調べ室での騒ぎを。
「……うれしかったですよ。あの時飛び込んできてくれたのが、あなたで」
 思わず、口元に笑みが浮かんだのが自分でも分かる。そのことが分かったのか、背中に回されていた腕が離れ、肩を掴まれた。
 瞳を覗き込まれる。キスをするわけでもないのに、こんなに近くで見つめ合うことなんてあまりない。
 その瞳の色に、目を奪われる。


410:板缶3/3
10/03/18 23:03:36 481GIjeN0
「……本当に、そんな風に思ってたのかよ」
 真剣で、真摯で。心を刺されるような、まっすぐな瞳だ。
 引力に支配されたように無意識に、その頬に触れる。指先に伝わる体温に、目の奥がツンと痛んだ。
「いいえ。そんなこと、思ってませんよ」
 その唇に、今度は俺から、触れるだけのキスを。
「もしかして、探してくれたんですね?俺のこと」
 電話に出ない恋人を、心配する姿なんて想像したこともなかった。
 不器用なこの人のことだ、夜通しやきもきするだけでなく、街に探しにでるようなこともしたかもしれない。それこそ、家に帰るのも忘れるくらい。
「もう大丈夫なのか?」
 再び背中に回された手。ぶっきらぼうな言葉だけれど、その手から、隠そうともしていない思いが伝わってくる。
「ええ」
 煙草の香り。彼のにおい。体を包む温もり。
 すべてが愛しく、すべてが誇らしい。
 ようやく、実感した。
「……おかえり」
「ただいま、」
 やっと、帰ってきた。


□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
ありがちですが、書きたかったので書いてしまいました。
お目汚し失礼いたしました。

411:風と木の名無しさん
10/03/18 23:39:26 D59JE1/V0
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )デラコネタ!ナマ!

1.誘導

「紅茶って10回言ってみ?」
「?紅茶紅茶紅茶こうty・・・・・・こうちゃ!」
「俺は?」
「こういち」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「もしかして光ちゃんってゆうて欲しかったんか?」
「うん」


2.予想外

「つよしって10回言ってみ?」
「つよしちゅよ・・・あっ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「絶対噛むとおもっとったけど、いくらなんでも2回目に噛むとは思わんかったわ」
「噛んでない」
「いやほんまお前は予想外でおもろい」
「だから噛んでない!」


□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )キホンテキニショウガクセイダンシ!

412:風と木の名無しさん
10/03/18 23:46:40 vhyUSCWm0
>>411
デラカワスユwGj!
じゃれ合ってる二人が目に浮かぶよw

413:風と木の名無しさん
10/03/19 00:52:42 bmzenNrl0
>>408
伊民テラかっこよす!
あのシーンの伊民はマジ神だった

>>411
かわええええええ
めっちゃ想像つくw本番前の楽屋あたりかなー

414:それを魔法と呼ぶのなら 7/0
10/03/19 00:58:08 /X7sEInF0
                    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                     |  ナマ盤越え葡萄唄×恐竜唄「スメル」の続き
 ____________  \            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | __________  |    ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄|  ぬるいエロ・露骨な不倫及び浮気表現注意
 | |                | |             \
 | | |> PLAY.       | |               ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | |                | |           ∧_∧ ∧_∧ ∧∧ ドキドキ
 | |                | |     ピッ   (´∀` )(・∀・ )(゚Д゚ )
 | |                | |       ◇⊂    )(    ) |  ヽノ___
 |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |       ||―┌ ┌ _) ┌ ┌ _)⊂UUO__||  |
 |  °°   ∞   ≡ ≡   |       || (_(__)(_(__).      ||  |

415:そ/れ/を/魔/法/と/呼/ぶ/の/な/ら 1/7
10/03/19 00:59:21 /X7sEInF0
はじめに触れたのは、指先だった。
ゆっくりと包む。彼の右手がおれの汗で濡れた。
手はそのままに、おれはソファへのぼる。
無理矢理にのぼったので、馬乗りの状態になってしまった。もう後戻りはできない。
自分の足が震えていた。それすら疎ましくてならなかった。

正面から彼の顔を見ながら、放り出された左手をおれの右手で掴む。
この手から彼の音が産まれてくるのだと思うと、涙が出そうなぐらいに恋しかった。
そのまま、彼の首元に顔を埋める。あのにおいはしなかった。その代わりに、人間の肌のにおいがした。
彼のにおいを嗅いでいるようで、優越感しか感じなかった。

「恋人同士みたいやな」

恋人にするように言った。耳元で、彼にしか聞こえないぐらい小さな声で。
はにかむ声が聞こえて、おれも笑った。

「それ、言われたことあるから」

「そうだったっけ」ととぼけると、彼の指が動く。
掴むように握っていたお互いの手が、所謂"恋人繋ぎ"に変わる。
恥ずかしかった。そう考える余裕が、そのときにはあった。
目を伏せる彼を見て、彼も恥ずかしいのかな、なんて思う。
やっぱり、おれの目には麗しく見えた。

それから、彼の首元に唇を寄せた。触るように口付けた。
感触を楽しむように。何度も、同じ箇所に触れた。

顔をあげて、今度は唇に近付いた。触れた瞬間に、糸が切れたように、貪り合った。
体温を感じて、心地に触れて、唾液を飲んだ。閉じても見えるような厭らしさに脳が沸騰しそう。
息の仕方も忘れるぐらいに、互いの舌を食し合った。

416:そ/れ/を/魔/法/と/呼/ぶ/の/な/ら 2/7
10/03/19 01:00:28 /X7sEInF0
離れると、目の前の現実に眩暈がした。
下にいる彼の口から、液体が零れていた。
掴んでいた彼の左手がおれから離れて、その手が液体を拭ってから、やっと、目が合った。
そこで感じる、罪悪と背徳。前者の方が強かった。
彼も感じているのかと思うと、ゾクゾクした。
まだ握ったままだった彼の右手を開放して、彼の頭に手を回す。栗色の髪が、指に絡みつく。
なんども触れたことがある。今後も触れるであろう。
けれども、その感触を忘れないように、何度も手を差し込んだ。
彼がはにかんだもんだから、おれもにやにやしてしまう。伝染。

しばらく見つめあった後、もう一度口付けると、今度は丁寧に感じるように触れ合った。
歯型をなぞり、舌の裏から、上顎まで、拭うように追いかけた。
彼の声が溢れる。それからおれの頭に回される手。体温が上がった。
おれのやったように、彼も舌を動かす。上顎を舐められたときは声が出そうなぐらい震えた。
最後に唇を舐めてから離れる。たかがこれだけの行為なのに、体の熱は十分すぎるほど発育していた。

「やらしいね」
「それはおまえや。あと、ちゃんと髭剃れ」

気が抜けるような笑い声。これだけでも充分に気が狂いそうだった。

首筋を見て、噛み付きたくなる衝動を感じた。
とりあえず、そこに口付けるだけ口付ける。ふと問う。

「なあ、痕つけてもええ?」
「うん。お好きなように」
「だって、お前、彼女おるんやろ」

彼の肌から体温が引くような気配がした。
そして、確かに沈黙は流れた。
傷ついているわけではなかった。それはお互いに。だけど、訊かなければよかったと思った。

417:そ/れ/を/魔/法/と/呼/ぶ/の/な/ら 3/7
10/03/19 01:01:41 /X7sEInF0
「なんで知ってるの?囃子から聞いた?」
「見てれば分かるわ」

だって、おれと同じ顔をしていたから。
「お互い様やろ」と言ってから、首筋に噛み付く。
苦痛に耐える声がした。もしかしたら違う意味だったかもしれない。
でも、聞こえなかった振りをした。目の奥が痛んだ。眠い。
首筋から離れると、決して白くも無い肌に浮かぶ朱。
これさえも綺麗だと思えてしまうのは、罪なのか。罰なのか。

「おれにも付けてーな」

そう言ってから、もう一度そこを舐めた。唾液が糸を引く。まだ綺麗だ。

しばらく二人で黙り込み、見詰め合う。そして、やっとあのCDが掛けっぱなしだったことに気付く。
なんだか自分自身に視姦されているみたいで不愉快だった。
ただ、その音を止める程の余裕も持ち合わせていなかった。
彼のスラックスに手を掛ける。それは、彼の欲で熱く膨らんでいた。
静止の声が聞こえるだろうと思ったけれど、聞こえたのはおれの音だけだった。
ちらと彼の顔を伺うと、とろりとした目と合う。
急に迫る罪悪感。それは、前に感じた「自分への」とは違う、左手の疎ましさとは別の罪悪だった。
それが、余計に、おれを加速させた。

膝あたりまで彼のスラックスを下ろすと、その中心部へ手を這わす。
形をなぞるように布の上から触れると、溜め息のような喘ぎが聞こえる。
予想以上に自分が興奮していることに気が付いた。
耐え切れなくなって、ボクサーパンツとスラックスを一気に脱がす。
彼の体が震える。寒さからか、快楽からか。
直に触れると、その熱さがさらに興奮を呼ぶ。
扱くことで増す、彼の喘ぎ。その声が息が耳にかかると、今度はおれの方が熱くなって。
彼が感じるように、先端に親指を這わす。

418:そ/れ/を/魔/法/と/呼/ぶ/の/な/ら 4/7
10/03/19 01:02:26 /X7sEInF0
「んあぁッ、ちょっ、やばっ、…」

はっきりとしたその声に、つい頬が緩む。更に手の動きを加速させると、また大きくなる声。
裏筋を強く擦ると、言葉にならないような声が聞こえた。

「あっ、うぁ、イく…から…!」

今まで抵抗を見せなかった彼が、扱いていた右腕を掴む。
おれは動きを止めて、ゆっくりと彼を見る。
目が合うと、彼がゆっくり首を横に振った。
はじめての抵抗。そこで理解。
彼は、最後まで為すつもりだ。

右手を離すと、粘液が手の平に。それを見詰めて、また彼の顔に視線を落とす。
顔が赤かった。その瞳が、おれを脅迫するようでも、懇願するようでもあった。

「ええの?」

今のおれは、ひどく情けない顔をしているだろう。
色々な言葉が浮かんだ。すべて、この行為を正当化するための言い訳にしかならないものだった。
アナルセックスは経験がある。男との経験も、ないことはなかった。
後戻りできないことは、重々承知している。
それなのに、今更、おれは、なにを恐れているのか。それさえ見失っていた。
このまま一緒に落ちれば、それだけでいいのに。

419:そ/れ/を/魔/法/と/呼/ぶ/の/な/ら 5/7
10/03/19 01:03:13 /X7sEInF0
「もう、それしかしょうがないんじゃない?」

それでも、彼はひどく明るい。

後孔に指を這わせると、息を飲む声が聞こえる。
彼のものから出た粘液を指に絡ませ、そのままゆっくり挿し込む。

「あ、あ、うあぁ、」

耳には彼の声。彼の眉間が苦しみを物語る。そこを左手で撫でる。
耐えていたのであろう息が長く吐かれる。おれは閉じられた瞼ばかり見詰めていた。
二本目の指が入りきる頃には、喉仏に汗が浮かんでいた。
決して気持ちよさそうな表情には見えない彼。
なんでそうしたのか分からないが、彼の耳たぶを噛んだ。
身を捩る彼、おれはそのまま耳に舌を入れる。

「全然、気持ちよくなさそうやん」
「だって、苦しっ、」

また、深く息を吐く彼。耳に当たっておれの方が声が出そう。
どうにかして、彼の性感帯に辿り着きたかった。
ある種の使命のような焦りと、彼の渋い顔からの罪悪で押し潰されそうだった。
もしかしたら、ただぶち込みたいだけだったのかもしれない。
それでも、ふりだしに戻ろうなんて非道な事は吐けなかったし、今でさえ、考えることも許されていない。

420:そ/れ/を/魔/法/と/呼/ぶ/の/な/ら 6/7
10/03/19 01:03:39 /X7sEInF0
「あっ、あっ、そこっ、んっ」

彼がやっと甘い声を出す。思わず指を引いたが、またその場所を目指して動かした。

「はぁ、あっ、やめっ」
「気持ちよおなってきた?」

髪を振り乱しながら頷く彼が、妖艶で仕方がない。
さっきまで力を失くしていた彼自身も、また硬くなっていた。
おれは指を抜いてそのまま、自分のベルトに手を掛ける。
自分で脱ぐのが恥ずかしいぐらいに、おれのそこは熱くなっていた。
ソファの上、無理矢理にジーンズとトランクスを脱ぎ、今度は彼の脚の間に収まる。
彼の膝の裏に手を入れて、脚を持ち上げる。
そして、彼の孔にそのまま押し込む。

「あ、んあ…!」
「はあ、ん、まだきつかった。すまん」

そこは息が止まるぐらいに狭くて、かつ深かった。
彼のものを扱くと、だんだんと孔が広がる。

「ひぁ、そ、れ、ムリだっ、んああ!」

右手で扱きながら奥深くまで入れると、彼が大きな声をあげる。それも、悲鳴のような。
何度か腰を動かしてみると、それは次第に快を帯びてくる。
性感帯に当たったのか。それとも、慣れただけなのか。

421:そ/れ/を/魔/法/と/呼/ぶ/の/な/ら 7/7
10/03/19 01:05:16 /X7sEInF0
「あん、はぁ、んっ、ちょっ、と、もうイ、くっ・・!」

彼が、おれの首筋に噛み付く。痛くて痛くて、それでも止められなかった。

「反則やろ…」

そして、彼自身から液体。べとべとと、気持ちよくない。
おれは、彼から自分のものを抜き、彼の精液が付いたままの手で扱いた。
激昂。吐き出す。気持ちがいい。
彼のTシャツにかけた。おれが彼に興奮し、セックスをした証拠。

「なんか、俺だけ気持ちいい気がする」
「せやな。おれそんな気持ちようなかったわ」

汚い右手で彼の左手を握る。冷たいのか、温かいのか分からない。知らなくてもいい。

もう、落ちるところまで落ちた。あとは、後悔することだけしか残されていない。
反省なんてできる身分ではなかった。
それでも、世の中に転がる排他的な行為よりか幾分マシだ。
目の前で深呼吸を繰り返す彼に、ただ恋をしていただけなんだ。

こんなに苦しいのに、いくらでも繰り返せる。死ぬまで。今だけならそう言える。
それを

422:そ/れ/を/魔/法/と/呼/ぶ/の/な/ら おわり
10/03/19 01:05:59 /X7sEInF0
 ____________
 | __________  |
 | |                | |
 | | □ STOP.       | |               色々失敗した…
 | |                | |           ∧_∧ お粗末様です…
 | |                | |     ピッ   (・∀・ )
 | |                | |       ◇⊂    ) __
 |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  |       ||―┌ ┌ _)_||  |
 |  °°   ∞   ≡ ≡   |       || (_(__)  ||   |

423:風と木の名無しさん
10/03/19 01:08:37 7Trdwab10
>>408
姐さんの板民に惚れたよ
裏#9?素敵なもの読ませてもらって感謝です!

424:風と木の名無しさん
10/03/19 01:23:49 ZMcVDi1BO
>>408
あの発言聞いた板の板缶キター
私も色々と妄想してましたが姐さんの板缶素敵すぎます
板の不器用な心配、「おかえり」、缶の帰る場所がここにもあったんですね

425:風と木の名無しさん
10/03/19 08:25:49 5al9tbDwO
>>408
素敵な板缶!姐さんありがとう!!
やっぱり板缶いいなあ。

426:風と木の名無しさん
10/03/19 22:17:37 sOiPf1o2O
>>408
あの発言に対して、いたみんが怒ってくれて良かった
缶を抱きしめてくれて良かった!姐さんありがとう!

>>414
神曲で続きキター!!!
粘着質なのにどこか爽やかなのが、すごく「らしい」のでドキドキします。ありがとう姐さん!

427:風と木の名無しさん
10/03/20 22:44:44 A1G9soEp0
>>390
新作待ってました!
変態スタッフに滅茶苦茶同意しながら読んでますw
フ/ル/ヘ以上のものを聞きたいですねw
動揺してる松/村も妄想の中の師匠も可愛いです。
ありがとうございました!

428:風と木の名無しさん
10/03/21 07:59:21 SxkPZhrk0
>>399
駄目だ。声上げて目から汗が出て止まらない。
>>405じゃあないけど、本当に有難う。
姐さん愛してる。

429:ピンポン 呪縛 1/7
10/03/21 21:39:09 lSgeDiwU0
ピンポン  原作以前を捏造
風間が風間たる所以
この後ドラゴン×チャイナにもつれ込む予定
需要がなくても自家発電!

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

海王学園高校一年生の風間竜一は、試合前に男子便所の個室に篭るのが常だ。
二・三年生からは生意気だと言う声が上がっていたが、面と向かって風間に言う勇気のある者はいなかった。
夏の男子卓球インターハイ予選の、開会式直後。
風間は薄暗い男子便所の一番奥の個室にいた。
手の中でラケットを握りしめる。
肩が落ち、首が項垂れる。
胃が縮む。胸の中の重い塊。足の力は抜け、走れないかもしれないと思う。
なにもかも恐い。扉の向こうから漏れ聞こえる喚声に怯える。
力のない嘆息が唇から洩れる。
少しずつ高まる緊張が限界に達する。
ラケットを握る手を見る------血豆が幾度も破れて握りダコの出来た指。緊張で力がうまく入らない。
風間は目を閉じた。
後頭部を壁に軽くぶつけ、意識して息を吐く。

試合はもうすぐだ。

430:ピンポン 呪縛 2/7
10/03/21 21:40:42 lSgeDiwU0
5歳の風間竜一が、初めて卓球に触れたのは、家庭教師のバッグの外ポケットにあったラケットとボールをいたずらした時だった。
バッグから落ちた小さな白い球が、カツカツと音を立てて軽く弾む。
自由な軌道を描いて飛び跳ねる白い球に魅せられた。
「竜一君、やってみますか?」
家庭教師が、趣味でやっているのだけど…と言った。
「教えてあげますよ。楽しいですから」
無論卓球台などはなかったので、裏の物置から使っていないテーブルを庭師に出してもらい、芝の上で打った。
夢中になった。
なんて楽しいのだろう!
「素質がありますね」
見様見まねで球を打つ竜一を見て、普段笑わない家庭教師の目が、銀縁の眼鏡の奥でにこにこしている。
締めていたネクタイはとうに外され、白いシャツの袖もまくり上げられている。
「もっとおしえてちょうだい」
「いいですとも。お勉強がすんだら、明日も教えて上げますよ」
「ありがとう」
竜一は息を弾ませながら、丁寧に礼を述べた。
次の日、撞球室に全て新品の台とラケット、球が用意されていた。午前中に業者が運んできたものだ。
家庭教師は面食らったようだが口には出さなかった。
「おじいさまが、こちらをつかうようにって」
「そうですか。ラケットが各種ある。球もいいものだ。すごいですね」
「そう?」
昨日は祖父はいなかった。
夜も帰ってきてはいない様子だったのに、どうして僕が卓球したことをお祖父様はおわかりになったんだろうと思う。
いつものことながら、竜一はそれが不思議だ。

431:ピンポン 呪縛 3/7
10/03/21 21:42:08 lSgeDiwU0
家庭教師はまず、球を持つところから教えてくれた。
「初めが肝心ですから。形が伴わないものに上達も楽しみもありません」
ラケットの持ち方とフォームを簡単に教えてもらうと、竜一の飲み込みは早かった。
軽い球は信じられないスピードで飛ぶ。
打ちあううちに、スマッシュがヒットした。
もちろん家庭教師は竜一に手心を加えていただろう。しかし竜一は興奮した。
白い球を追って、無心に走る。
おもしろい。楽しい。なんて楽しいんだろう。
勝ちたい。
上手くなりたい。
竜一の心に、貪欲な勝利への欲求が生まれた。

幼稚園から帰ってきて、家庭教師と「お勉強」をし、撞球室で卓球を教わるようになってから、一週間が過ぎた。
「竜一君はきっといい選手になりますね」
一汗かいて、ふたりでおやつに出されたジュースで咽喉の渇きを癒していると、家庭教師はうれしそうに呟いた。
「上手だし、勘所もいいですね」
「すごく、たのしいです」
「うん、楽しいという気持ちは大事ですね。竜一君はとても楽しそうに走っている。一緒に打っていて、私も楽しいですよ」
「もっとじょうずになれますか?」
「上手になれるし、強くなりますよ」
「まけたくないです」
「負けるのも大事なんですよ。負けた経験がなければ、勝てません」
「でも、まけるのはいやだなあ」
「その気持ちは大事です。負けるのがいやだと思えば、たくさん練習するでしょう? 練習して、強くなって、負けたり、勝ったり、そこが勝負のおもしろさですよ」
「…よく、わからないです」
「竜一君にはまだ難しかったかな」
「うん。でも、せんせいがおしえてくれるでしょう?」
「約束しますよ。もちろん、お勉強してからね」
二人で顔を見合わせてにっこり笑うと、「ではまた明日」と、家庭教師が言った。

432:ピンポン 呪縛 4/7
10/03/21 21:43:10 lSgeDiwU0
銀縁眼鏡の家庭教師が突然来なくなり、かわりの家庭教師が来、撞球室から卓球台が新しく作られた床張りの運動室に移され、ジャージを着た卓球の「コーチ」が竜一に付いたのは、一カ月後のことである。
その日の朝、祖父と両親と共に朝食をとった竜一に、祖父が言った。
「竜一。何かをやるのならば頂点を目指せ」
その日から、卓球は楽しい遊びではなく、竜一が背負う、一つの枷になった。
まえのかていきょうしのせんせいはどうしたのですか、と聞くことも許されなかった。

竜一の家は、江戸時代から代々続く家業を生業としている。
明治の時代になっていちじるしく身代が傾いた。
息も絶え絶えの家業を、日本有数のと言う冠が付くまでに再興させたのは、竜一の祖父である。
代々続く自分の血統への誇りと、一代にして家を興し直したその矜持が、祖父を形作っている。
風間家の芯そのものであったし、風間の家そのものであったと言ってもいい。
祖父の期待は父以上に竜一に向けられた。
そしてまた、竜一は祖父に似ていた。竜一は祖父の期待に応えるべくして応えた。幼い竜一にはそれは当然のことであったし、応えられることがまた嬉しくもあった。
竜一は、コーチについてめきめきと腕をあげた。
祖父の、竜一に対する期待はとどまるところを知らなかった。
小学校に上がる頃には、小学生に交じってほとんどの大会で優勝していた。
ある大会で、体調が悪くあと一歩というところで優勝を逃した。
準優勝のトロフィーを持って祖父へ報告に行った竜一に、祖父は一瞥をくれると「勝たねば意味はない」と言った。
「わかるか竜一。負けるということは、すなわち今まで積み重ねてきたものを一瞬で全て失うということだ。やり直しは効かない。勝負というものは恐ろしいものだ。勝て。この祖父のために」
「…はい」
その時初めて、竜一は泣いた。
そうして竜一はただ勝つために、ラケットを振り続けた。

433:ピンポン 呪縛 5/7
10/03/21 21:44:06 lSgeDiwU0
祖父が亡くなったのは、竜一が小学校五年の時だった。
その頃の記憶は曖昧で、余りはっきりしない。
病に倒れ、何カ月か寝込んだ祖父は、少しずつ命が削られていくように痩せていった。
病院の特別室は、特別室であるにもかかわらず、よどんだ臭いがした。
それは病そのものが吐き出す臭いであったかもしれない。
祖父は時々、昔と記憶が混同するようになっていた。意識もおぼつかないことがある。
竜一を誰か知らない名前で呼んだり、天井を凝視しながら、竜一には見せたことのない笑顔で誰かに話しかけたりする。
竜一が一人で病院に見舞いに行くことなどありえないから、父か母か、誰か大人と行ったのであろうが、その日はなぜか、祖父の病室に竜一一人だった。
付添の看護婦が必ずいるはずだったが、点滴の交換にでも出た時だったろう。
その日は肌寒い日で、病室には暖房が入っていたが、祖父は暑い暑いと上掛けをはねのけた。
その日に限って、祖父はひどく暑がった。

434:ピンポン 呪縛 6/7
10/03/21 21:45:06 lSgeDiwU0
「お祖父様、僕は昨日県大会で優勝しました」
祖父はずいぶんと痩せ衰えて、しかし眼光だけは鋭かった。
起きようとする様子に、竜一は背を支えて上半身を起こした。
自分をちゃんと支えられない祖父の頭がゆらゆら揺れる。すぐに後に倒れ、慌てた竜一は手を伸ばした。
祖父が、その手を取り、竜一を凝視した。
見つめられて、竜一はぞっとした。
祖父の目は竜一の顔を見ていたが、視線は、竜一を通り越したその後を見ていた。
竜一は自分の後に誰かいるのかと振り向いたが、誰もいなかった。
ふと祖父の目に力が戻った。
祖父が口を開く。
「竜一か」
「はい」
「いいか。敗北は腕を切り落とすに等しい。勝利のみを強く望め。お前は勝つ。お前はこれから父のために、日本のために戦え。よいか。わかったか」
「はい」
「よし」
祖父は力尽きたように身体を横たえた。そして目を閉じ、肩で息をしながら寝息を立てはじめた。
竜一は固まったように動けなかった。

その日の夜遅く、祖父は息を引き取った。
たかだか11歳の竜一の人生に、重すぎる枷が加えられた。祖父の最期の言葉が、風間竜一の、呪縛となった。

435:ピンポン 呪縛 7/7
10/03/21 21:46:27 lSgeDiwU0
竜一に卓球を教えたあの銀縁眼鏡の家庭教師に似た少年を初めて見たのは、中学最後の県大会だった。
似ているのは顔だけで、フォームもスタイルも違っていた。
しかし、風間はその少年から目が離せなかった。
風間竜一の、月本誠に対する執着の始まりであった。

風間は男子便所の個室の奥で、閉じていた目を開いた。
怒りに似た闘志が沸き上がる。
風間は勝つだろう。負けることなど許されない。
そうやって戦ってきた。これからもそうやって戦うだろう。
それが風間の卓球であり、生き方であった。

風間はドアを開け、戦いの場へと足を踏み出した。

ざんぎり頭のヒーローが、風間竜一の呪縛を解くまで-----あと2年。

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!

風間ってあれで18歳なんだぜ!

436:風と木の名無しさん
10/03/21 21:49:55 +N2gL+md0
>>429
元ネタ知らないんだけど面白かった!
引き込まれたよ。
今から原作求めて旅に出る。

437:風と木の名無しさん
10/03/22 12:04:53 DuYUF3+F0
>>429
雑誌連載時から燃え&萌えだった自分が来ましたよ
ドラ→笑顔いいなあ…
このあとドラゴン×チャイナなんて美味しすぐる
PINGPONGはどいつもこいつもいい男ばかりで目移りするくらいだから
>>436の旅が良いものになるよう祈ってる

438:風と木の名無しさん
10/03/22 12:53:47 D3gmd2zhO
>>429
棚でドラが見れるとは!
続き楽しみにしてます

439:Ich liebe Berlin!(1/8)
10/03/22 15:49:02 Kq0wDqo/0
半ナマ
ミュージ力ル「デ.ィ.ー.ト.リ.ッ.ヒ」よりデザイナーと映画監督(とスタッフ)
人物捏造ありマス


|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

「Nein! 使えない!! お前ら何なんだ!!」
 1929年ベルリン郊外のとある映画スタジオ。
 場末のバーをイメージして作られたセットをちらりと振り返り、衣裳デザイナーのト.ラ.ヴ.ィ.ス・バ.ン.ト.ンは溜め息をついた。
「またですよ、あの石頭」
 地元の若いスタッフが訳知り顔で話しかけてくる。
 スタッフの顔合わせでそれぞれ自己紹介はしたはずだが、ト.ラ.ヴ.ィ.スには名前が思い出せない。
 それを表情には出さないようにしながら曖昧に頷いた。
「ホント、完璧主義者ね、ス.タ.ン.バ.ー.グ監督」
「まったくですよ。これで6人目です。なにが気に食わないのか」
 男が肩をすくめる。
 主人公は早々に決まったというのに、肝心のヒロインの女優がいまだに決まらない。
 自分の思い通りの演技をしない女優たちに怒鳴り散らす監督の怒声は、衣裳を準備するト.ラ.ヴ.ィ.スを毎回びくりとさせる。
 もともとオーストリア出身のス.タ.ン.バ.ー.グは、ト.ラ.ヴ.ィ.スと同じくドイツ側の要求でアメリカのパ.ラ.マ.ウ.ン.ト映画から派遣されてきている。
 ドイツ女優をヒロインにした新作映画が期待されているが、肝心の女優選びに難航しているらしい。
 高校教師を誘惑し、堕落させ、最後には悲哀の底に落とす、妖艶で退廃的な酒場の歌姫。
 監督のイメージに合う女優がなかなか見つからない。
 早く女優が決まらないと、ト.ラ.ヴ.ィ.スの仕事も進まない上、あの怒鳴り声を四六時中聞かなければならない。


440:Ich liebe Berlin!(2/8)
10/03/22 15:50:10 Kq0wDqo/0


「もういい! 今日は終わりだ!」
「監督、まってください、彼女はドイツ一人気なんですよ!? これ以上誰を連れて来いって言うんです!」
「私の『嘆きの天使』は完璧な女優にしかできん! あいつらは何人やっても同じだ! おいト.ラ.ヴ.ィ.ス!」
「はい監督!」
 急にス.タ.ン.バ.ー.グの怒りの矛先がト.ラ.ヴ.ィ.スに向かった。
 びく、として直立したト.ラ.ヴ.ィ.スが監督を振り返る。
 ト.ラ.ヴ.ィ.スは、この同い年のユダヤ人監督がどうも苦手だった。
 作る映画は素晴らしいと思う。
 社会派の作品を世に出すためにチャップリンにアタックした発想力と粘り強さもすごいと思う。
 が、一緒に仕事をするにはいささか気詰まりなことの多い人物なのも事実だ。
 なにより声が大きいのがいただけない。
 あんな声で怒られたら、恫喝されているようで、それだけですくみあがってしまう。
 それでもト.ラ.ヴ.ィ.スはぎこちない愛想笑いを顔に貼り付けて、ス.タ.ン.バ.ー.グを振り返った。
「な…なんでしょう?」
「あのデザイン画はなんだ。まったく駄目だ、やり直せ!」
「はい監督っ、すぐやり直します…!」
 言うだけ言うとさっさと行ってしまう。
 背を見やって、ト.ラ.ヴ.ィ.スは息をついた。
 この数日怒られてばかりいる。
 一応天下のパ.ラ.マ.ウ.ン.ト映画のチーフデザイナーであるト.ラ.ヴ.ィ.スは、いわばデザイナーのトップにいるといっても過言ではないのだが、ス.タ.ン.バ.ー.グにはそんな地位など関係ないらしい。
 少しくらいは尊重して欲しいとは思うが、それを口にする勇気はト.ラ.ヴ.ィ.スにはない。
 女優選びが難航していてイライラする気持ちもわかるが、あたり散らさないで欲しい。
 だいたい、誰が着るかが決まらなければ、衣裳だってイメージが固まるわけではないのだから、そうせっつかないで欲しい。


441:Ich liebe Berlin!(3/8)
10/03/22 15:50:57 Kq0wDqo/0

「あー怖かった。ダメ出し、これで3回目よ…」
「何様のつもりだ、ス.タ.ン.バ.ー.グめ」
 忌々しげにスタッフが呟く。
「ホント。完璧主義者で…でも理想主義者って素敵」
 同意しかけたところでス.タ.ン.バ.ー.グが振り返り、ト.ラ.ヴ.ィ.スは慌てて言葉を繕った。
 胸に手を当て、笑顔を作るト.ラ.ヴ.ィ.スを、監督はいぶかしげに見遣る。
 ヒゲも生やした立派な成人男性のくせに、女性的な振る舞いが妙に似合うト.ラ.ヴ.ィ.スを、胡散臭く見る者も多い。
 自分がそういう人間であることをト.ラ.ヴ.ィ.スは充分すぎるほど理解しているが、慣れたとはいえ少しつらい。
「あんなユダヤ野郎の言うことなんか気にすることないですよ。それより今夜飲みません? いい店あるんですよ」
 スタッフが慰めるように肩を叩く。
 自分よりいささか若い彼を見遣り、ト.ラ.ヴ.ィ.スはうなずいた。
 こういうなにをやってもうまくいかないときは、酒でも飲んで忘れるのが一番だ。
 それに、ワイマール憲法下の、自由で開放的なベルリンの街は大好きだ。
 自分のような者さえ丸ごと受け入れられている感じがする。
 先の大戦を終えてヨーロッパじゅうから芸術家たちが集まり、そこここで様々な議論を繰り広げている。
 本来の仕事場のハリウッドも開放的だが、あそことは違う心地よさがある。


442:Ich liebe Berlin!(4/8)
10/03/22 15:52:27 Kq0wDqo/0
 連れて行かれたのは、ベルリン市内のマールスドルフと呼ばれる地区だった。
 一見するとごく当たり前の民家だが、生垣に隠れるように地下への階段があり、そこにMerak Ritze(ムラック・リッツェ)の看板が出ていた。
「こんなところバーがあるの?」
「バーというよりも、アメリカ人のあなたからするとキャバレーでしょうけどね」
「あら、あたしキャバレーも好きよ」
 急な階段を下りていくと、重厚な扉の奥から、蓄音器のワルツが聞こえてきた。
「いらっしゃい、まぁゲオルク、ずいぶんと久しぶりね」
 扉の向こうのカウンターの中で、女性の服を着た男性がにこやかに迎える。
 ああそういえば連れの名前はゲオルクだった、と思い出しながら、ト.ラ.ヴ.ィ.スは曖昧に微笑んだ。
「あら新しい彼氏?」
「違うって、ムッター。今の仕事仲間。衣装デザイナーのト.ラ.ヴ.ィ.ス」
「はじめまして、ト.ラ.ヴ.ィ.スです」
「ムラック・リッツェへようこそ。アメリカ人?」
 ト.ラ.ヴ.ィ.スのドイツ語にアメリカ訛りを聞きとったのか、彼女(彼?)はゲオルクに顔を向けた。
「アメリカで有名なデザインーなんだ」
「まぁ素敵」
 微笑む彼女(?)にぎこちなく笑んで見せてから、ト.ラ.ヴ.ィ.スは勧められるままにカウンターに腰かけた。
 いつもの癖で膝を揃えて座るト.ラ.ヴ.ィ.スをエスコートしてから、ゲオルクも隣に座った。
 カウンターの奥には蝋管式の古風な蓄音器が、古いワルツを奏でている。
 ゆったりした音楽に合わせて、店内ではいく組かのカップルが踊っている。
 が、よく見れば男女のペアは少なく、ほとんどが男同士、もしくは女同士だった。
「ふぅん」
 差し出されたシェリー酒のグラスの縁を舐めながら、ト.ラ.ヴ.ィ.スは感心したように息を吐いた。
「あなた、こういうところは初めて?」
 ムッター(ママ)と呼ばれた彼女がカウンターの向こうから語りかける。
 一見すればあきらかに男性なのだが、身のこなしは洗練された女性のもので、ト.ラ.ヴ.ィ.スは強い親近感を抱いた。


443:Ich liebe Berlin!(5/8)
10/03/22 15:53:06 Kq0wDqo/0
 ト.ラ.ヴ.ィ.スも、外見だけならごく普通の成人男性だから異性装者ではないが、言動は女性のそれだ。
 もっとも本人は、男女にこだわっているわけではなく、自然な自分であろうとすればそういうふうになってしまうだけだと思っている。
「こんな店、ニューヨークでも見たことないわ」
「自由の国なのに?」
「同性愛者は自由を享受しちゃいけないらしいわよ、あの国じゃ」
 皮肉めいた笑みを浮かべて肩をすくめる。性に関しては、パリやベルリンのほうが開放的だ。
「私はシャーロッテ。あなた運がいいわ。ベルリンがこんなにおおらかなのは歴史上類がないもの。…ちょっとゲオルク、この店に入るなら、その鉤十字のバッジ、はずしなさいよ」
「なんだよ、ムッター」
 ビールを受け取ったゲオルクが顔をしかめる。
 その彼の胸元には、地の上の白円の中に黒のハーケンクロイツが描かれたバッジがある。
「この店はホモは差別しないでナ.チは差別すんの?」
「あんた知らないの? ナ.チはユダヤ人だけじゃなく、ホモも毛嫌いしてんのよ」
 ぴん、とシャーロッテが指先でゲオルクの額を弾く。痛、と眉を寄せたが、彼女に睨まれてゲオルクは渋々とバッジを外した。ト.ラ.ヴ.ィ.スはまたふぅん、と呟いた。
 寛容なベルリンに見えるが、深いところではいろいろとあるのかもしれない。
 と、さきほどまで踊っていたペアの一組が、奥のドアに消えていくのが見えた。
「…気になります?」
 ト.ラ.ヴ.ィ.スが見ているものに気づいて、ゲオルクが耳元に口を寄せて囁いた。
「あっちに、特別ルームがあるんです」
「特別ルーム?」
「いくつかのソファやベッドが置いてあって…わかるでしょう?」
 するり、とゲオルクの手がト.ラ.ヴ.ィ.スの肩を撫でた。
 性的な意味合いを多分に含む指先に、ト.ラ.ヴ.ィ.スは背筋を震わせる。
 そういえば、ベルリンに来てからはとんと御無沙汰だった。
 いやもっと言えば、2年前にチーフデザイナーに就任した時から、忙しすぎて恋をする時間がなかった。
 そう自覚したとたん、急にアルコールが身体中を駆け巡ったような気がした。
 古風な蓄音器が官能的なメロディを奏でている。
「僕たちも、行きません?」
 かすれた声に囁かれ、ト.ラ.ヴ.ィ.スは気づけば小さく頷いていた。

444:Ich liebe Berlin!(6/8)
10/03/22 16:04:47 OtXI08mHO
「だぁかぁらぁ、ト.ラ.ヴ.ィ.ス、ト.ラ.ヴ.ィ.ス・バ.ン.ト.ンだってばぁ。ハントじゃないわよぉ」
 ホテルのロビーで夕刊の劇評を読んでいたス.タ.ン.バ.ー.グは、聞き覚えのある声にフロントのほうを振り返った。
 植木の陰でよく見えないが、聞こえてきた名前は間違いようがない。
 黒髪の華奢な後姿が目に入り、やれやれと立ち上がった。
「何してる、ト.ラ.ヴ.ィ.ス」
「あーら監督ぅ、グーテン・アーベン、ごきげんよぅ」
「…呂律が回ってないぞ」
 フロントにもたれかかっていたト.ラ.ヴ.ィ.スが、ス.タ.ン.バ.ー.グの顔を見ると満面に笑みを浮かべて手を振った。
 頬は紅潮し、服装もいくらか乱れている。
 酔っ払いの醜態に眉を寄せながら、支えようと肩を貸してやる。
「あたしねぇ、今すっごいご機嫌なのぉ」
「わかった、それはわかったから、とにかく部屋に…」
「もう歩けなぁい、連れてってぇ」
 くたん、としなだれかかってこられ、慌てて受け止める。
 仕方なくフロントのボーイから鍵を受け取り、エレベーターへト.ラ.ヴ.ィ.スを引きずった。
「お前、一人でこんな飲んだのか」
 足元が危うくなるくらいの酔いように、怒鳴りつけたい気持ちを抑えて歩かせる。
「一人じゃないわよぉ、ゲオルクとよぉ」
「ゲオルク……ああ、あいつか」
 そういえばト.ラ.ヴ.ィ.スと仲良くしている進行係がいた、と脳裏に顔を思い浮かべる。
 なんとかエレベーターに押し込み、階数ボタンを押す。
 動き出した箱にやれやれと息をつく。
 せっかくいい女優を見つけて上機嫌だったのに、いい気分がブチ壊されてしまった。
 酔っ払いに怒鳴ってもしょうがないが、部屋についたら説教の一つもしてやりたい。

445:Ich liebe Berlin!(7/8)
10/03/22 16:05:56 OtXI08mHO
「……おいト.ラ.ヴ.ィ.ス、着いたぞ。自分で歩け」
「…んー、監督ぅ……運んでぇ…」
「無理言うな」
 いくら華奢に見えても、平均よりは身長のあるト.ラ.ヴ.ィ.スを運べる自信はない。
 それに運ぶなら、今夜偶然入った劇場で見つけたあの女優のような、綺麗な足の女がいい。
「監督、冷たい…」
「うるさい。歩け」
 ぐすん、と鼻をすすりながらも、よたよたと不安定な足取りで歩く。
 なんとか鍵を開けて中へ運び入れ、ベッドへ投げ出す。
 ついでに靴を脱がせ、ネクタイを緩めてやる。
「ねぇ、監督ぅ…あたし、ベルリン好きよぉ」
 唐突に、ト.ラ.ヴ.ィ.スが口を開いた。
「なんだ、いきなり」
「だって、とってもすごしやすいんですもの。居心地いいわぁ」
「…そりゃあ」
 お前ならそうだろうな、と思いながらどうやって部屋を出ようかとうろうろとあたりを見回す。
 と、机の上に散らばるデザイン画が目にとまった。
「けどねぇ、来年、選挙あるでしょぉ? あれで、ナ.チってとこが勝ったら、あたしたち、もうベルリンにいられなくなるんですって…」
「…達、ってなんだそれ」
「だから、あたしとあなたよぉ」
 机に散らばるデザイン画を見ながら、聞くとはなしに耳を傾けていると、しゃくりあげる声にぎょっとした。
 見れば、ベッドの上に横になったト.ラ.ヴ.ィ.スが涙を流している。


446:Ich liebe Berlin!(8/8)
10/03/22 16:07:01 OtXI08mHO
「…なに泣いてるんだ」
「だって、だってぇ…ゲオルクってば……げおるく…ナ.チなんて嫌いよぉ…」
 ぽろぽろと零れる涙がシーツを濡らす。
 何があったのかは知らないが、おおかた、連れと喧嘩でもしたのだろう。
 ひとつ溜め息をついて、ス.タ.ン.バ.ー.グはデザイン画を一枚手にし、ベッドに歩み寄った。
「明日、カメラテストをする」
「…へ?」
「いい女優を見つけた。このイメージで、新しいデザイン画を描いてこい」
 ひらり、とト.ラ.ヴ.ィ.スの前に投げ落とす。
 がば、と起き上がり、ト.ラ.ヴ.ィ.スは自身のデザイン画を見つめる。
「……やっぱり、あなたって素敵。好きよぉ」
 ほやん、と微笑むト.ラ.ヴ.ィ.スに肩をすくめて見せる。
「明日も早い。さっさと寝ろ」
「はぁい。おやすみなさぁい」
 ぽふん、とベッドに沈む。
 にっこりした笑顔に一瞬動悸が高まった気がしたが、息を吐くことで誤魔化し、ス.タ.ン.バ.ー.グは背を向けた。
 『好きよぉ』
 声が耳の中で蘇ったが、わざと大きく扉を閉めて、それを打ち消した。


□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!

デザイナーの可愛さが上手く出ない…orz
マイナーすぎてごめんなさい

447:風と木の名無しさん
10/03/24 02:37:45 nqBlyxiAO
>>439
この雰囲気好きです
ありがとう!

448:ピンポン はじまりのかたち 1/6
10/03/24 21:49:27 UC9etkqa0
ピンポン ドラ×チャイ
原作最終巻のインハイ予選終了後から1年半経過した頃
チャイのビジュアルは映画版推奨

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

人垣の真ん中に、星野と月本が何か話をしているのが見える。
星野が渡欧するという今日、風間は空港に見送りに来ていた。
少し離れたところに、孔が柱にもたれて立っているのに気がついた。
風間は歩くスピードを緩めて、孔に近づいた。
「やあ」
「風間」
「久しぶりだな」
孔と肩を並べる。
星野は周りの人間に頭をぐしゃぐしゃ撫でられたり、肩を叩かれたりしていた。
月本がこちらに目を向けた。二人に気がついたのだろう、星野に顔を寄せて何か話しかけた。
星野が嬉しそうに人垣をかき分けてこちらに歩いてくる。
「ドラゴン! チャイナ! 来てくれたんか」
「壮行会には行けなくてすまなかった」
「んん、見送り来てくれただけで十分よ」
「星野、気をつけて、行け」
「ありがとチャイナ」
月本が二人に頭を下げた。
「お久しぶりです、風間さん。孔も」
「ああ」
「飛行機初めてだからさぁ、オイラぶるっちゃうぜ」
星野の向こうに、佐久間の顔が見えた。目礼をよこす佐久間に、頷く。
いったい佐久間と顔を合わせるのはいつぶりになるのか、インターハイ予選会場の便所で声を掛けられた、あの時以来かもしれない。
いや、あれは扉越しに話をしただけで、顔を合わせてはいない。
恒星の引力のように、星野の周りに一度はバラバラになった人間が集まっている。
彼がいなくなれば、重力を失ってまた散り散りになるのだ。

449:ピンポン はじまりのかたち 2/6
10/03/24 21:50:21 UC9etkqa0
搭乗を告げるアナウンスが流れると、月本が星野を促した。
「…ペコ。行ってらっしゃい」
「ん」
佐久間と田村が星野に声を掛け、それに向って星野は笑うと、荷物を肩に、ゲートの中へ入った。
振り向いて大きく手を振り、
「ちいっと行ってくるかんねー!」
と叫び、後ろ向きに歩いてゆく。
星野は最後まで手を振りながら後ろ向きのまま歩いていたが、人の背中に紛れて消えた。

飛行機が豆粒よりも小さくなって、空に吸い込まれていく。
月本に目をやると、フェンスに寄りかかり、見えなくなった飛行機を探しているように空を凝視していた。
「行ったな」
風間の呟きに、ふと我に返ったように月本が振り向き、「そうですね」と小さく笑った。
風間は、いつも見送られる側だった。
見送る側と言うのはなかなかセンチメンタルなものだ。
佐久間が「ムー子、知らねえガキに構うな。オババ、…スマイル、そろそろ」と声をかけ、「風間さん、…ご無沙汰していました。今日は電車で?」と聞いてきた。
「いや、車だ」
「俺達も車です。こいつら乗せてきたんですが、初心者マークにはちょい試練でした。星野はぎゃあぎゃあうるせえし。ワンボックスなんで楽は楽でしたが、やっぱり成田は遠い」
「そうだな。まあたまには気分転換になっておもしろい。免許取り立てで首都高走ったのなら度胸がついただろう」
佐久間が星野と月本を乗せて、か。風間は海王での佐久間しか知らない。幼馴染みというのはそう言うものなのか。幼くから世代を共にする人間との密な関係と言うものに縁がない風間にとっては、想像の範疇外だ。
ふと思いついて、風間は孔に振った。
「孔は?」
「わたし、でんしゃで来たよ」
「乗っていくか」
「いいのか」
「帰りは誰かが一緒の方が退屈せんだろう。眠くなっても困る」
話がまとまりそうだと見たのか、佐久間が「それじゃ」と頭を下げた。

450:ピンポン はじまりのかたち 3/6
10/03/24 21:51:47 UC9etkqa0
ハンドルを握ると、孔が顔をのぞき込んで、不思議そうな表情をした。
「なんだ?」
「さっきから、気になてた。風間、なにか、かお、ちがう?」
「顔? …ああ、これか、眉か?」
「ああ! そか。まゆげかぁ」
いかにも得心がいったという様子の孔に、つられて笑みが浮かぶ。
海王学園を卒業後、風間は大学へ進学した。
卒業と同時に寮を出、一人暮らしを始めたのだが、それをきっかけに眉を剃ることだけはやめた。
自分の中で、海王からの卒業が一区切りであったことは間違いない。
「風間、まゆげあるの、いい」
「そうか」
「かみのけは?」
「髪は、まだなんとなくな。伸ばせないままだ」
「まゆある、顔、ぜんぜんちがう」
「そうだな。時々うっかり剃ってしまいそうになる」
「あたま剃るとき?」
「そうだ」
孔が声をたてて笑った。
「かみのけ、のばすといい。見てみたい」
ギアをローに入れ、ゆっくりと発進する。
「途中でどこか寄りたいところはあるか?」
「ない。あ、でも、おなかすいたな」
「それでは適当なところで食事を取ろう。道中は長いぞ」
窓の外では、まるで突然地上から生えたかのように飛行機が上昇してゆく。
風間はしばらく無言で車を走らせた。
孔は助手席で窓の外を眺めていた。
「…おもしろい、ね。なにもないところに、おおきいたてもの、ある」
「そうだな」
「おなじ空港、でも、上海とずいぶん、ちがう」
「思い出すか?」
「んー」
孔は少し考えるそぶりを見せ、「なつかしい、ね」と言った。

451:ピンポン はじまりのかたち 4/6
10/03/24 21:54:05 UC9etkqa0
車が首都高に入ると、孔はくねる道に沿って迫ってくる壁に、「哦!」と声をあげた。
首都高は、ビルの合間を縫って作られているので、高速道路にあるまじきカーブをそこら中に配置している。
スピードを故意に落とせば、後続車を巻き込んだ事故になりかねない。
運転に緊張を強いられるところであり、それを偏愛しているドライバーがいるのも確かだ。
それでも風間の走る湾岸線は、都内を走るよりも細かいカーブがないだけ楽だ。
「風間、かべ、ぶつかるっ」楽しそうな声が風間に向けられた。
「ぶつからん」
「ゴーカート、みたい」
「遊園地ではないぞ」
自然と風間の声にも笑いが混じる。
食事は成田から東京へ向う高速道路途中のサービスエリアで、軽くすませていた。
成田を出る頃は青かった空が、既に夕暮れに染まっていた。
薄い膜のような雲が、流れるように空を覆っていた。
孔の座る助手席側の窓には、星が光りはじめている。夜と夕方が混在している。美しい光景だ。
風間は黙り込んでしまった孔に視線を投げた。
孔は惚けるように空を見ていた。細い鼻梁と、頬がオレンジ色に染まっている。きれいな顔をしているな、と思う。
夕暮れの中のドライブは、まるでデートをしているようだ。
「くも、すごいね」
「美しいな」
「うん」
「…ートのようだな」
「え、なに?」
「いや、なんでもない」
無表情を装って、風間は運転に専念した。孔はそれ以上聞いてこなかった。

452:ピンポン はじまりのかたち 5/6
10/03/24 21:55:16 UC9etkqa0
高速を降りて一般道に入ると、時刻は既に宵を回っていた。
赤信号で車を停め、無口になった孔をそっと目の端で見る。眠っているのだろうか。
孔が身じろぎして、顔をこちらに向けた。
「寝ていなかったのか」
「…おもいだしてた。いろいろ。ひこうき見て」
「ほう」
信号が青になる。
「私の国の、おとうさん、おかあさん…コーチ…それから、風間」
「私をか?」
「風間に、私、まけた」
前の車のストップランプが消えた。風間もギアをローに入れ、クラッチをゆっくり戻す。車が動き出す。
「あのとき、卓球、やめよう、おもた。ユースやめるときより、ショック、ショック、だたよ。コーチ、いったね。『文革、きみのじんせい、はじまたばかり』 …わからなかたよ。わたしのじんせい、もうおわた、おもたよ」
孔の言葉は独り言のように、ぽつりぽつりと続く。
「しばらく、かんがえた。わからない。わからない。でも、辻堂、残る、きめた。わたし、かえらない」
正面を向いてハンドルを握りながら、風間の耳と心は孔を向いていた。
「つぎのとし、わたし、星野にまけた。あなたと試合、できなかたね。でも、あなた、星野と、いい試合、した」
「ああ」
「私も、あなたと、いい試合、したい、おもたよ。だから」
信号が赤になった。車はゆっくりと停車する。
風間は助手席の孔を見た。
孔の目が、車の中に差し込む白い街灯の光で鈍く光っている。風間の目をひたと見つめてくる。
「わたし、やめなくてよかた、おもた。…それを、おもいだしてた」
「いつか、また手合わせ願おう」
「…うん」
孔が微笑んだ。
「うん」

453:ピンポン はじまりのかたち 6/6
10/03/24 21:56:37 UC9etkqa0
その時風間の中に生まれたものに、風間はまだ気がつかない。
それは時を経て、風間の中で少しずつ育ってゆく。風間がその存在に気がつくまで、心の奥に封印されて、眠る。

車が孔のアパートの前に着いた。
「ありがと、遠かたね。つかれたね? あがて、おちゃ、のむ」
「いや、遠慮しておこう。路上駐車が出来る道ではなさそうだ」
「そう…またね。ありがとう」
「ああ、また」
孔がドアを閉め、身をかがめて窓をのぞき込み、手を振った。
風間は名残惜しい気持ちを抱えながら、アクセルを踏んだ。
「また」
孔がフロントミラーの中で小さくなってゆく。風間は言葉に出来ない思いを少しばかり持て余して、アクセルを踏んだ。

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!

454:風と木の名無しさん
10/03/24 22:16:25 1QosxOxq0
>>448
わあっ!もう次が読めるなんて……。
ありがとう。
自分>>436です。
あれから早速原作読んで燃えたし萌えた!
でも映画はまだ見てないorz
明日借りてくるよ。
>心の奥に封印されて、眠る。
ここでゾクッとした。

>>437
良い旅になったよw

455:風と木の名無しさん
10/03/25 01:24:16 nJeug9QR0
>>448
GJ
前回も何かレスしたかったんだがどう讃えていいやら言葉が出なかったので
万感の思いを込めてGJとだけ言わせてもらう
GJ……!!

456:ピンポン 幕間/儀式 1/2
10/03/25 10:08:40 BRatYyEJ0
ピンポン ドラチャイ 風間単品 連投申し訳ない
GJレス下さった方ありがとう 映画版も燃えて萌えるのでぜひ。

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

寮の窓に掛かっているカーテンを開けると、薄暗い明け方の空が見えた。

道具を持って洗面所に入る。

まだ誰も起きてくる気配がない。週番が起きてくるのさえ、もう少し後だ。

毎朝の儀式。無人の洗面所で身支度をする。

鏡を見る。

夜を経て、朧げに存在を主張する眉と頭髪。

見慣れた、見慣れぬ貌。

石鹸を泡立て、顔と頭に塗る。

髭を剃る。

頭髪を剃る。

眉を剃るのは一番最後だ。

剃刀の刃を換えて、眉を剃る。

熱い湯で搾ったタオルで顔と頭部を拭く。

再び、見慣れた見慣れぬ貌が顕れる。

457:ピンポン 幕間/儀式 2/2
10/03/25 10:10:29 BRatYyEJ0
眉を剃るのは、鎧を纏うのと同じだ。

海王の卓球部員の中で、眉を剃るのは唯一彼だけである。

相貌の中の、有るべきパーツを削ぎ落とすことで、彼は異形のものへと変貌を遂げる。

竜という異形。

この世のものではない、架空の生き物。

戦うということ、勝利を掴むということ、それは総て等しく孤独との闘いだ。

その孤独と闘うために、彼は眉を剃る。

儀式を終え、部屋へと戻る。


風間竜一の一日が、また、始まる。


□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!

458:無題 1/4
10/03/25 10:44:31 9I9JBUN+0
オリジナル、某スレのお題からいただいた妄想

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

高層ビルと高層マンションの間に、その家はあった。瀟洒な洋館のはずが、近隣での通称はお化け屋敷である。
かつては綺麗に手入れされていた庭も、持ち主が変わった後は一切構われなくなり、壁には蔦が這っている。
「……いつ見てもすごいな」
今の持ち主はほとんど屋敷の外に出ない。持ち主以外にも何人か住んでいるらしいが、彼は見た事がなかったから、半信半疑である。
「……さて、行くか」
そう呟いて彼は荒れ放題の庭に足を踏み入れた。落ち葉が降り積もった庭は、歩くだけで乾いた音がする。
「ちょっとは手入れしろよな」
彼は一人呟いてから、思い直す。
「ま、これくらいの方があいつらしいか」

459:無題 2/4
10/03/25 10:46:16 L8rso3MdQ
カサカサと草を踏み分ける音で、彼が来たことが解った。使用人達に下がるように伝え、彼を迎える準備をする。
……と言っても、座布団一枚出すことくらいしかしないが。
「いるか?」
彼の声に振り返る。窓から室内を覗いている彼に、クスリと笑いかけ曖昧に頷く。
「早くこっちにおいでよ」
「おう、今行く」
窓から普通に侵入してくる彼を見て、私は呆れたように笑った。
「……んだよ」
「ん?……別に」
玄関遠いし……と言い訳する彼を横目に、私は出来た物を確認する。……これを彼に渡せば……。
「…………出来たんだな、ついに」
彼の優しい声に少しだけ泣きそうになる。
「……うん」
「そうか……」

460:無題 3/4
10/03/25 10:48:25 L8rso3MdQ
私から手渡されたものを彼は確認する。一応念を押した。
「これで……いいんだな?」
私はコクリと頷いて微笑んだ。
「うん……もう、大丈夫」
「解った」
彼は、私が恋した相手の姿で……私を抱きしめた。彼の口から小さな歌が聞こえる。それを耳にしながら、私はゆっくりと身体の芯から溶かされていく。
歌が途切れた。私の唇に彼の唇が重なる。そこからも、私が溶かされていく。
彼が背中を撫で、耳元で何かを囁いた。私は彼に返事をする。
「……私も……」
…………返事はそこで途切れた。

461:無題 4/4
10/03/25 10:51:24 L8rso3MdQ
後日、彼は目の前に広がる瓦礫の山を、ぼんやりと見上げる。
近隣では有名なお化け屋敷が崩れたのは、彼が私と名乗る地縛霊を成仏させた翌日の事だった。
「そんな力があるなら……俺を拒む事も出来たのにな」
私は彼に頼んだのだ。これを書き上げるまで待ってほしい、書き上がったら好きにして構わない、と。彼は待つことを選択した。
「ああ、そうだ」
彼はポケットから文庫を出して、瓦礫にもたれ掛かった。
「本になったぜ、アンタの原稿」
一人呟いて彼は笑う。浄霊したので、ここにはいないはずなのに、風に混じって「ありがとう」と聞こえた気がした。

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
お題は「廃墟でものを書き続ける男(フェイク済み)」で最後はこんな終わり方を妄想。元スレで書くのは憚られたのでこちらで。

462:水影 1/10
10/03/25 21:32:37 eqndtsjY0
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
タイガードラマの武智→涼真。あいかわらず上司×武智も有り。しかも掛け値なく
ゴーカンなのでダメな人は避けてください。
本スレ姐さん達のネタをいっぱい拝借しながら少年~青年期を捏造。ネタ、アリガトウゴザイマス。
暗いです。本編に引きずられてひたすら暗いです!先に謝ります。
しかも思いの他長くなったので一度中断します。スイマセン…



それを見るようになったのはいつの頃からだったか。
夏の逢魔ヶ刻。
皆と遊ぶ通りの先に立っていたその子供は、逆光のせいか全身が黒く見えた。
黒い着物、黒い履物、そして光の無い黒い瞳。
見覚えがあるような無いような、不思議な感覚。
それでも、もし一緒に遊びたいのならと声を掛けようとした瞬間、
「武智さん!」
不意に腰元に抱きつかれ驚いて振り返れば、そこにいたのは半べそをかいた涼真だった。
「どういたがじゃ?」
「収次郎達が仲間はずれにしゆう。」
わいわいと騒ぐ集団から弾き出されてしまったらしい、この6つ年下の遠縁の幼馴染の幼さに
思わず笑みが誘われる。だから、
「しょうのない奴らじゃ。ほら、わしが一緒に行っちゃるきに。」
手を差し出し、小さなそれとしっかりと繋ぐ。
そしてその時、そう言えば彼もともう一度振り返った。しかしその先、
「……………」
「武智さん?」
朱い夕焼けが西の空へと追いやられ、薄闇が染み出すその境。
先程の黒い影は道の上、もうどこにも無かった。


463:水影 2/10
10/03/25 21:33:42 eqndtsjY0
障子の開けられた窓の外から、うるさいほどの蝉の声が聞こえていた。
差し込む陽光は色褪せた畳の上に朱く落ち、今が夕暮れ時だと言う事を知らせている。
しかしこの時間になっても風の入らぬ二階の小部屋は蒸し暑く、薄い布団に横になっているだけで
首筋にじっとりとした汗が滲む。
全身が気怠い。
それでも、耳に届く外の喧騒。
大通りから一本奥に入ったこの場所にまで届くそれらの声は、彼らの家路に着く気配を伝えてきて、
自分も戻らねばと気力を振り絞り、ゆっくりと上半身を起こす。
するとその背後でこの時、数度繰り返される咳があった。
思わずびくりと背筋を強張らせ、固まる。
そんな武智の掛けられた声。それは窓のある方角から聞こえてきた。
「目、覚めたか。」
嫌な笑みを含んだような響きだった。それにざわざわと肌を這い上がるような不快感を覚えたが、
武智は懸命に絶え、声を絞り出す。
「もう…戻りますきに。」
言いながら、着崩れ、肩から滑り落ちていた着物を元に戻そうとする。
しかしそんな自分の意向を、背後の男はまるで汲もうとはしなかった。
「まだええろう、時間ならもうちっくとある。」
「……帰してつかあさい。」
「そんなに帰りたいなら帰ればええが、今出るとおんしの方がまずいがやないか。」
「……?」
「大通りに今おる奴ら、よう見かけるおんしの仲間じゃろ。」
言われ、思わず反射的に振り返る。と、そこには窓の張り出しに行儀悪く腰を掛け、大通りの方角に
視線を落としている男の姿があった。
自分より一回りほど体つきの大きなその年上の男は、ようやくに向きを変えた自分の姿を認めると、
その口元に更なる笑みを浮かべた。
「平気やったら、今からここに呼び寄せちゅうか?ここからなら声も届くじゃろ。」
告げると同時に窓に巡らされた柵越しに身を乗り出し、口元に手を当てる素振りを見せられる。
それにはたまらず、悲鳴のような声が口をついた。
「やめてつかあさい!」


464:水影 3/10
10/03/25 21:34:47 eqndtsjY0
叫ぶと同時に、男を止める為に腕が伸びる。
体は重く、動きは鈍く、立ち上がりかけた足は萎え、それ故まるで前のめりにまろぶように
縋りついた男の足元、その着物をきつく握りしめる。
みっともない姿だと自覚する余裕も無かった。その上で、
「お願いですきにっ、やめてつかあさい!」
懸命に繰り返す。
するとそれに男は頭上、瞬間大きな笑い声を発してきた。そして、
「嘘じゃ。」
一言、短く言い切られた言葉。
それには意味を理解するより先に、体から力が抜けた。
思わずその場に崩れかける。それを男は見逃さなかった。
肩を掴まれ、そこに力を込め、突き飛ばす勢いで後ろに押されれば、支えの無い体は
いとも容易く畳の上に倒れ込んだ。
その上にのし掛かってくる影。
有無を言わさず手首を掴み、首筋に顔を寄せて、男が囁いてくる。
「おんしはまっこと弱味だらけじゃのう。」
追いつめた鼠を無邪気に甚振る猫のような、笑みを含んだ揶揄。
その残酷な響きには喉の奥、声が凍った。それでも、
「やめて…つかあさい…」
再び組み敷かれ、着物の襟を力任せに引き下ろされてゆきながらも、訴える事を止められない。
「もう…許いてつかあさい…っ…」
それは最後、ほとんど泣き声のような懇願になった。
けれど、そんな意地を張る矜持さえ失った自分に、この時与えられた男の声はどこまでも
無慈悲なものだった。
「さっさと終わらせて欲しかったら、大人しゅうちょけ。」
蝉の声が消えた。外の喧騒も。
うだるような暑さの籠もる狭い部屋の中、後に残るのは忙しない男の息と時折零される咳。
そして割られた足から滑り落ちる衣擦れの音だけだった。

465:水影 4/10
10/03/25 21:35:51 eqndtsjY0
辺りに薄闇の帳が降りる頃、微かに引きずるようにして歩く足が向かったのは、町外れの
川のほとりだった。
土手を降り、辿りついたそこは、大きな岩が周囲からの死角を作る自分の秘密の場所。
幼い頃から一人になりたい時にこっそりと訪れていた、その水際に武智はこの時うずくまるように
座り込んでいた。
気をつけてはみたものの、ここに来るまでの間、着物の合わせは崩れ、よれていた。
髪は乱れ、落ちるほつれが酷い。
汗ばんだ肌は気持ち悪く、せめて手拭いで拭いたいと、懐からそれを探り出し、目の前の
川の水につけようとする。
着物も着直そう。
髪も整えなければ。
でなければ家の者達がどうしたのかと心配する。
わかっている。わかっているのに……

もう、疲れた――

無意識に胸の内で呟いた言葉。
それに武智は暗い瞳を目の前の水面に落としていた。
通う道場の稽古後に自分を町の連込宿に引きずり込んだ男は、同じ道場の先輩格にあたる上司だった。
あんな事をこれまで何度繰り返されたかは、もう覚えていない。
それでもその初まりはさすがに忘れようがなかった。
土イ左の城下でも有名な剣術道場に自分が入門して、早半年ほどの月日が立つ。
そこへ通う者達の大半は上司の子弟ではあったけれど、それでも例外的に入門を許されれば
稽古の間は下司の自分でも対等に扱われ、そんな中で剣の腕を磨ける事はとてもありがたかった。
けれど、そう出来た事には事情があった。
それを自分に告げたのが、件の男だった。
『おんしの父親は先生に金を渡したがじゃ』
自主的に居残った稽古を終え、一人道場の後片付けをしていた自分の所に乗り込んできたその男は、
あの時そう言って父を罵った。
この国に下司として生まれ、幼いながらにも耐える事柄の多さは身を持って知っていたけれど、
それでも自分の事ならばいざ知らず、父を侮辱される事は耐え難かった。

466:水影 5/10
10/03/25 21:36:54 eqndtsjY0
だからあの時自分は初めて、相手に歯向かった。
『父上がそのような事をしゆうはずが無い!』
身分が下で、年も下な、そんな自分が口でとは言え逆らってくるとは思いもしなかったのだろう。
瞬間、男はさっとその顔色を変えた。
『生意気じゃ』と怒鳴られ、手を振り上げられた。
剣術においてならば、あの頃すでに腕は自分の方が上だった。
しかし体格に任せた力では到底かなうはずも無い。
頬を張られ、その勢いで道場の床板の上に倒れ込んだ。
その上に男は乗り上げてきた。
暴れる腕と言葉の応酬。
初めはただの喧嘩のはずだった。それがおかしな意味合いをもったきっかけは何だったのか。
手首を頭上で一纏めに取られ、押さえ込まれ、胴着や袴を乱される段になって気付いても
それはもう遅かった。
人気の無い道場で上げる悲鳴さえ塞がれて、自分はその男に力づくで犯された。
体と自尊心をぼろぼろにされるのにこれ以上の仕打ちはなかった。
そして現実はそんな自分に更なる追い打ちをかけた。
男の言った事は本当だった。
父は確かに道場主に付届けをしていた。
しかしそれを責める事は自分には出来なかった。
親とて必死だったのだろう。それは子を思うがゆえの過ちだったはずだった。
だから……自分はもう誰にも何も言えなくなった。
ただ一つ誤算があったとすれば、それは男の自分に対する執着だった。
一時の激情の流されただけかと思っていた行為を、男はその後も自分に執拗に迫ってきた。
それは道場の片隅や、そして人目を避けた場末の宿で。
今日とてつい先程まで繰り返された行為を不意に思い出し、武智は無意識に自分の体を
自分で抱き締める。
親の不正、汚された現実。それをもって男は自分を弱味だらけだと言った。
悔しいけれどそれは事実だった。
それらの事がある限り、自分はあの男に逆らう事が出来ない。
それは今までも、これからも……


467:水影 6/10
10/03/25 21:37:57 eqndtsjY0
辿りついた思考に、着物の裾を掴む指の力が強くなる。
冷たい程に醒めた結論がある一方、どうしても抑えが利かず、沸き上がってくる想いもある。
嫌だ…もう嫌だ……
どうしたらいいのだろう。どうしたら…こんな状況から抜け出せる?
いくら考えても答えは見つからず、誰かに頼る訳にもいかず、瞳に暗い翳だけが落ちる。
うつむき見る静かな川の流れ。
その日、頭上には白い月が昇っていた。
地上に落ちる清冽な光は、その分だけ色濃い影をその水面に映す。
見つめる、ゆらゆらと揺れる己の輪郭。
そんな武智の耳に、この時不意に聞こえた声があった。
それはどこからとも誰のものかも判然としない、低く囁くようなかそけきもの。
それを武智は茫洋と聞く。
――ノドヲツブシテシマエバイイ
それは稽古の間にも。立ち合いで、竹刀で、喉を目掛け…
しかしそれだけでは伝える手段は他にもある。
――ナラバ、メヲツブセバイイ
字も書けなくなれば事の経緯の説明などもうつけられまい。
しかし、しかし、しかし……
――デハ、イッソ、コロ……
刹那、振り上げた手が激しく水面の己を打っていた。
信じられないものを見るように目が大きく開き、唇が震える。
これは、今、自分は、何を――
慄く想いに、一刻も早く影から遠ざかろうと立ち上がりかける。
けれど萎えた足は自分の意思を裏切り、数歩川から背を向けた所で、武智は側らにある岩に
凭れかかるようにずるずるとその身を崩れ落ちさせていた。
背後が怖く、振り返る事が出来ない。
かと言って、ここ以外行ける場所も他には無い。
「……す…けて…くれ…」
どうしたらいいのかわからない。それで心は救いを求めるのに、誰の名を呼んでいいのか
今の武智にはわからなかった。

[][] PAUSE ピッ ◇⊂(・∀・;)チョット チュウダーン!

468:水影 7/10
10/03/25 22:09:39 eqndtsjY0
|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!
続けてみます。


それでも月日だけは無常に過ぎていく。
盛夏を越え、残暑を見送り、秋も深まり出したその頃、道場に一つの知らせが舞い込んだ。
門弟の一人が長引かせていた風邪をこじらせて死んだ。
まだ若いのに。可哀想に。口々に語る者達の中でその者の名を聞いた時、自分は手にしていた
竹刀を取り落としていた。
それをしばらく拾い上げる事が出来ぬほど動揺し、集まる人の輪から背を向ける。
そしてそのまま逃げるように道場を飛び出そうとすれば、その背に投げつけられる声が幾多もあった。
『なんじゃあ、あいつは。』
『仲間が死んだとゆうに薄情な奴め。』
『放っておけ、所詮は下司じゃ。人の情など解さんのじゃろう。』
口々に罵倒される。しかしそれらの半分も、武智の耳が捕らえる事は無かった。
ただ脳裏に繰り返されるのは、
死んだ…あの男が…死んだ……
飛び出した通り、日はまだ頭上に高かった。


それからどこを彷徨い、どうやって時間をやり過ごしたのか。
気付けば天は月にその主座を譲り、辺りには夜の闇が降りていた。
本来の帰宅の時間はとうに過ぎていた。
それでもこの日ばかりはどう取り繕うと家人に合わせる顔を作る事が出来ず、ふらふらと足が向いた先、
そこはやはりあの流れる川のほとりだった。
本当に、ここにしか居場所がない。
そんな自分が哀しくも、少しだけおかしくなる。
今はもう遠い昔にさえ思えるようなあの夏の日。
耳に届いた声に怯え後にしたこの場所に、自分はしばらくの間近づけなかった。
ただ単純に怖かった。
けれど今は、それを凌駕する恐れが自分の内にある。

469:水影 8/10
10/03/25 22:10:43 eqndtsjY0
死んだ。一人の男が。
なのに自分はその事に何の憐れみも感じない。
どころか……解放されたのか、と。
その上で今更に、死んだ男にこれまで蹂躙され続けた事が、前後の感覚を失くした心でひたすらに
おぞましいと。
触れてきた手や、注ぎ込まれた欲の記憶が頭の中で急激に熱を失い、それに犯されたこの身がひとえに
汚らわしいと。
思う心に、確かに人としての情は欠片も無かった。
自分はいったい、いつからこんなに醜くなったのだろう。
それとも元々の性根がこうだったのか。
だから……あんなものが見えるのか――
自嘲気味に上げる視線の先に、その影はあった。
静かに流れる川の上、ぼんやりと浮かぶそれは人の形をしていた。
自分と同じ姿をしていた。
黒い着物、黒い履物、光の無い黒い瞳。
その口角が引き上がり、静かに笑っているのがわかった。
自分も今、あんな表情をしているのだろうか。
ゆらりと影の手が、差し伸べられるのように持ち上がる。
自分の醜さも汚さも知っているあれのその手を取れば、自分は少しは楽になれるのだろうか。
思えば足がざっと引きずるように地面の上を滑っていた。
ゆっくりと踏み出す。
その歩みは河原の石を弾き、陸と川との境界を越え、袴の裾を濡らすようになっても止まる事は無かった。
川の中央に立つ影の元へ。
ゆけば、ゆければ自分は……
手が前方に伸びる。もう少しで届く。
しかしそう思った瞬間、
「……ち…さんっ!」
背後から強引に引き止められる衝撃があった。

470:水影 9/10
10/03/25 22:12:20 eqndtsjY0
えっと思う間もなく2本の腕が前に回り、後ろに強く引かれ抱き締められる。
「…………ッ」
それはとっさに温かいと、人の体温を感じられる腕だった。
だから、半ば呆然と後ろを仰ぎ見、そして、
「……涼真…」
唇から意識無く零れ落ちた名前。
それは自分の、年下の幼馴染のものだった。
それきり声が出なくなる。そんな武智に、涼真はこの時縋りつくように抱き留めた腕の、その力を
更に強くしてきた。
「…武智さん…っ…」
もう一度大きく名を呼び、肩越しに額を強く押し当て、そして彼は次の瞬間その腕を離すと
武智の体を自分の方へと回し、もう一度……今度は正面から強く抱き締めてきた。
「何しちゅうがですか!こんな…こんな…っ…」
想いが逸るのか、上手く先の言葉を紡げないでいる。
そんな涼真にようやく武智の唇から呟きが洩れた。
「……どういて…」
こんな所に。いや、どうしてここを……
掠れる小さな問い掛けに、涼真はこの時腕の力を緩めぬまま答えを返してくる。
「武智さんの家の人がうちにも来やったがです。武智さんがこんな時間になっても帰ってこんと。
だから皆総出で探して。で、わしは、」
「…………」
「昔から武智さんは、一人になりたい時ここに来ちょったなと。」
おってくれてまっこと良かったと、この時涼真はようやく安堵の息をついたようだった。
しかしそんな涼真に、武智はこの時腕の中で微かに驚く。
昔から。一人に。彼はここを知っていたのかと。
思う感情は瞳に現れ、わずかに抱き締めを解くよう武智が体を起こせば、それに涼真は瞬間
照れくさそうな顔を見せた。
「昔のわしは泣き虫で、武智さんの後ばかり付いて歩いちょりましたから。せやきに、ここも偶然
知ったがやけど、でも声は掛けられんかった。」
「…………」
「背中を見ちょる事しか出来んかった。でも今日やっと、声掛けれたぜよ。」


471:水影 10/10
10/03/25 22:14:00 eqndtsjY0
夜の川へ入る、そんな自分の異常な行為にはこの時まるで触れず、涼真はそう言うと明るく笑ってみせた。
それは人への思いやりに溢れた笑顔だった。
昔は本当に泣いてばかりだったのに。何かあればすぐに自分の腰に纏わりついてくるような
そんな小さな子供だったのに。
今の彼は、背も、肩幅も気付けば自分よりも大きくなっていた。
だから、屈託なく、力強い、そんな笑顔に引き寄せられるように、この時武智の手が無意識に伸ばされる。
先程影に触れようとしていた手が光を求める。そして、
「…涼真…」
二つの腕を彼の首の後ろに回しながら、武智はこの時目の前の体を己へと引き寄せていた。
「涼真…涼…真……りょう…っ…」
自分でも訳がわからないほど名を呼び、年下の彼に意地も自尊心もかなぐり捨てて縋りつく。
助けて欲しかった。
気付けばすぐにも闇にのみ込まれてしまいそうになる脆弱な自分を。
記憶を辿る。
彼といれば、あの影は自分の前から姿を消した。
それはきっと今も……
恐ろしさに振り返る事も出来ない背後に、この時涼真の少し驚いたような、しかしそれでもどこまでも
まっすぐな腕が回されたのを感じる。
「…武智さん?…大丈夫なが?武智さん。」
頭上から降り注いでくる声と共に、心配げに抱き返される。
その優しさを武智はこの瞬間、飢えるように求めた。
川の中、2人濡れる事も構わず。
それでも……
懸命に縋りつきどれだけきつく目を閉じても、自分は知っている気がした。
天には月。降り注ぐのは光。
それが作り出す影は形を変え、今も自分の足元、ゆらゆらと消えて無くなる事はなかった。


□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
黒タケチがファンタジーと言うよりホラーになった。
場所借り、ありがとうございました。


472:風と木の名無しさん
10/03/25 22:40:35 xMxpjJ0T0
>>462
大作読ませて頂きました!ありがとうございました
タチケさん切なすぎて(T_T)言葉が出てこない・・・

473:君達と僕1/3
10/03/25 23:09:37 uM0BU7HG0
昨年度結成二十周年を迎えた大所帯須加グループの皆様
Dr×Tr風味。

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

春の訪れに少しぼんやりしてしまうのは、飛び交う花粉の所為ばかりではなかった。
ライブのリハーサルを行なっているのスタジオの中は、当日までまだ日にちがある所為もあり
穏やかだ。
今日は音合わせよりも取材の方がメインだったから、手の空いているメンバーはそれぞれ
勝手な行動を行なっている。楽器を弾いている者もいれば、雑談に興じている者、トランプで
闘っている者、それぞれだ。九人もメンバーがいれば統率など取れるものではないし、いざ
音楽を前にすると自然と一丸となれるから必要もない。
その中に、喧騒を物ともせずにソファーに沈んでいる人間が一人。
普段はかけている黒縁の眼鏡もそのままな状態で、持木は静かに寝息をたてていた。
春になるとぼんやりする。昨夜は上手く眠れなかった。
桜の蕾が綻び出すと、思い出すのはもう遠い春。この世で一番大切な宝物だと思っていた
大切な人と永遠に別れた春。美しい歌声は空気に溶けたきり、もう二度と響かないという事を
理解も出来ずに、ただぼんやりとしていたあの春。
だから持木は春になると、少しだけぼんやりしてしまう。
目覚めると同時に忘れてしまう淡い夢の中をたゆたっていた意識が不意に浮かび上がったのは
優しい気配が触れた気がしたからだ。
「あれれ、琴ちゃん寝ちゃってるの?」
ギターを爪弾いていた筈の加糖の声が聞こえたけれど、持木は瞼を持ち上げられない。
眠くて、眠くて、どうしようもない。一応起きてるよ、加糖君。声にならずに心の中だけで返事をした。
「寝ちゃってるねぇ。風邪ひかないかな」

474:君達と僕2/4
10/03/25 23:10:39 uM0BU7HG0
少し押さえた様に聞こえる名ー古の声はすぐ傍にあった。続いて身体の上に何かが掛けられる。
少し硬い生地は、多分名ー古のPコートだ。大丈夫だよ、名ー古さん。すぐ起きるから。
「このうるさい状況でよく眠れるよな」
「琴ちゃんだから」
感心し切っている我耗に、理由らしい理由ではないのに妙な説得力を持って短く言い切った隠岐。
近付く足音はきっと二人のもので、丁寧にまた身体の上にコートらしきものが掛けられる。
「毛布でもあればいいんだけど」
「あ、じゃぁ俺も革ジャン掛けるわ!」
「加糖の革ジャン、防寒性あるのかよ」
「失礼な。ちゃんとあるよー」
「へぇー、そりゃ喜多ちゃん存じ上げませんでしたわっ」
「喜多ちゃんはうるせぇよ。そんな大声出したら琴ちゃん起きちゃうだろ」
「だったらついでのアタシのも掛けといて」
「あいよ」
ぱさ、ぱさっとさらに二着分のコートが掛けられる。一応肩から太腿の辺りまでを網羅してくれて
いるらしく、一箇所に集中しないから重くはない。微かに香る煙草の匂い。大所帯は禁煙チームと
喫煙チームに分かれているけれど、服についた匂いまでは取りきれない。けれど持木には不快では
なかった。それどころか妙に落ち着く。掛けてもらっているコートは暖かくて僅かに不安定だった
心に安堵をもたらした。
「眼鏡、歪まないのかな」
「寝返りうったらやばいかも」
「名ー古、とったげたら? ついでに俺のも掛けあげてくれていいよ」
「大守さんは面白がってるだけでしょ」
「面白がってるけど、風邪引かせたくないのも本当だよ?」

475:君達と僕3/4
10/03/25 23:11:20 uM0BU7HG0
「はいはい、カワイ子ぶった言い方しないの。名ー古さん、コート投げるよ」
「いいよ」
ばさりと音がして加糖がコートを投げたのが分かった。ふわりと重さが増えて、ありがとうと
言いたかったけれど、やっぱり口は動かない。
暖かい指先が頬に触れる。眼鏡を外されるのは、聞こえている会話から分かっていたので
持木は驚かなかった。眼鏡を引き抜く名ー古の手はひどく慎重で優しい。起こさない様に、
という気遣いが伝わってくる。この指があんなに器用にトランペットを操るんだなぁと
持木はなんだか妙な感慨を抱く。
「ついでにさぁ、八中さんと河神さんのも掛けとけば?」
「あー、それいいかも」
「完璧な風邪対策だな」
「……本当にそう思ってんっすか」
「暖かそうではあるよね」
「重そうだろ」
交わされる会話は完全な悪ノリだったけれど、そこにはちゃんと持木への愛情もある。
琴ちゃんが風邪をひたら大変だという共通の空気。寝ているのが持木じゃなくてもメンバーは
同じ事をしただろうし、その時は持木も同じ行動を取っただろう。
「これさぁ、琴ちゃんには大きなお世話じゃないの?」
「こんなにコート掛けるなら、毛布の一枚でも捜してくる方が親切だよな」
そんな事を言いながらも、身体の上の重みがまた増える。煙草の匂いがまだ香ったから、これは
八中と河神のものだろう。多分河神のものであるコートのフードについているファーが、持木の
顎を擽った。二人は取材を受けていて、別室からまだ帰って来ていない。
結局残りメンバー全員分のコートが茂木の上にある事になる。それは多少重かったけれど、
嬉しかった。
あの春を乗り越えられたのは、この人達がいたからだ。似たタイミングで要だったドラムを
失った須加派等と、二人残ったバンドのボーカルを亡くした持木。ネガティブの気持ちで
引き合ったと思われたくなくてサポートメンバーとして参加していた持木を、メンバー全員が
代わる代わる「正式メンバーになりなよ」と誘ってくれた。

476:君達と僕4/4
10/03/25 23:12:04 uM0BU7HG0
ひたすらにポジティブで、パワフルで、前に進む事に恐れも衒いもないこの人達と過ごす中で、
サポートという立場ではなく共に進みたいと思った。須加派等の皆を大好きになった。
だから「メンバーにして下さい」と素直に言えた。あの時貰った拍手の暖かさや、
あの時に感じた感謝の気持ちは今でもちゃんと心の中にある。
須加派等の中に居場所を見つけられた事が、どれだけ持木を救っただろう。
辿り着いたのがこの場所で、本当に良かった。
確かに八枚分のコートは重かったけれど持木は幸せだった。
「取材終わったら、リハやってる風景撮るって言ってたっけ?」
「だったら起こした方がいいのかな」
「んー、もうちょっと寝かせてあげてもいいんじゃない?」
「そうだね、よく寝てるし」
優しいトーンの声と共にくしゃっと髪が撫ぜられる。名ー古さんだな、と持木は少し微笑んだ。
スタジオの外は多分春の風が吹いていて、持木の中の少し寂しい気持ちはきっと一生潰えない。
けれどそれでいいのだと思う。誰の胸にも、そんな感情はあるのだから。
ちゃんと目が覚めたら、まずコートのお礼を言おう。起きるまで傍にいてくれそうな名ー古さんに
眼鏡を取ってくれてありがとう、というのも忘れずに。そうしたらきっと皆笑って「良く寝てたな」
とか「起きないかと思った」とか色々口々に言ってくれる筈だ。
結局取材を終えた八中達に起こされるまで、八人分のコートに守れた持木はとろとろとまどろんでいた。


□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!

初っ端に分数間違えて申し訳ありませんでした。

色々あった20年でしたが、この先の20年間もどうか彼らの旅路に
いい風が吹きますように。

477:風と木の名無しさん
10/03/25 23:31:19 4Rd+/eg/0
まとめサイトって初めて行ったんだけどものっそい充実してて凄いw
そして収録の早さに驚き。
一人の姐さんがやっていてくれるのかな、ありがとうございます。

478:風と木の名無しさん
10/03/25 23:38:34 XpCtLBYR0
>>473
あーなんか泣きそう
ありがとう

479:風と木の名無しさん
10/03/25 23:39:26 4Rd+/eg/0
ああごめんなさい、まとめサイトに関することはスレ違いですね。
以後気をつけます。

>>462
いつもありがとうございます。姐さんの文章雰囲気あって好きです。


480:風と木の名無しさん
10/03/25 23:39:31 lMhKpruW0
>>458
うわああいい!
萌えたよ、乙!

481:殿様と作業員
10/03/26 00:10:03 lBzWu2Ul0
某 to京gasCM 甲冑姿の殿×黒ぶち眼鏡作業員

|>PLAY ピッ ◇⊂(・∀・ )ジサクジエンガ オオクリシマース!

お久しぶりー。うん、そうそう、ついこの間戻って来たところ。
2年くらい前は、クローゼットに繋がったタイムマシンで、少年のような男のところに遊びにきてたけど、今はちょっと口の悪い、白髪の着物のご夫人の家にいんの。
今日、老婦人の家に、何かの点検作業員が来てた。
薄いグレーのつなぎの作業着に、太い黒ぶちの眼鏡。
ちょっと気弱そうな、一生懸命な作業員。
「アタシ、あの人嫌いでねえ」
と言うご夫人の声が聞こえた。
「そう言えば、最近信長見ないですね」
話題を探すみたいに黒ぶち眼鏡が言うと、
「ウチにいるからね」
と、そっけないご夫人。
あーあ、ご夫人ったら、気に入った人にはほんとに冷たい。
愛情の裏返し、って言うの?
つい、「あれ? お客さん?」って出て行ったら、
自分の顔を見て、黒ぶち眼鏡がぽかんとした顔をした。
どっかで会ったような顔だなーって思ったから、
「どっかで会った?」
って聞いたら、
傷ついたみたいにかぶりを振って、一瞬、ぎゅって膝に置いていた手を握りしめてた。
それを見たら、もう、ぞくぞくぞくーって、背中に電流が流れたね。
いやー、ご夫人じゃないけど、あんな顔見ちゃったら、泣かせたくなっちゃう。
久しぶりに、嗜虐心って言うのかね、火がついちゃった。
彼、また来るかなあ。
今度会ったら、どうしてやろうかなあ。楽しみだなあ。
あー、未来に戻ってきてよかった!

□ STOP ピッ ◇⊂(・∀・ )イジョウ、ジサクジエンデシタ!
ぎゅって握りしめる手に萌えるんだよ!

482:風と木の名無しさん
10/03/26 00:59:55 /DULzBfR0
現在473kb
もう少ししたら次スレかしら?

483:風と木の名無しさん
10/03/26 01:09:16 oFZX88cU0
>>462
あうあう萌えた
テンテーとリョマの組み合わせが好きなので嬉しい限りです

484:春ぞめぐりて 0/8
10/03/26 02:32:22 YYhZPAG30
              ,-、
                 //||
            //  .||               ∧∧
.          // 生 ||             ∧(゚Д゚,,) < 半ナマ・ドラマ半町から邑鮫さんと桜衣くん中心で
        //_.再   ||__           (´∀`⊂|  < 邑視点シリアスめ・カプ色は薄いけどほとんど邑桜の2人だけだよ
        i | |/      ||/ |           (⊃ ⊂ |ノ~
         | |      /  , |           (・∀・; )、< ドラマ設定ベースにちょっとばかし早い安曇班+αの花見話
       .ィ| |    ./]. / |         ◇と   ∪ )!
      //:| |  /彳/   ,!           (  (  _ノ..|
.    / /_,,| |,/]:./   /            し'´し'-'´
  /    ゙  /  /   /                    ||
 | ̄ ̄ ̄ ̄ |,,./   /                 /,!\
 |         |   /                   `ー-‐'´
 |         | ./
 |_____レ"



485:春ぞめぐりて 1/8
10/03/26 02:39:19 YYhZPAG30
沈みゆく陽の光と控え目な外灯にライトアップされた薄紅色。
暦の上ではもう春とはいえ、日の落ちる時分はまだほんの少し肌寒い。
頭上に季節を感じながらもそちらを見るのはまだ早いとばかりに、邑鮫明彦は人を探して視線を僅かに下へ落としながら歩いていた。
美しい景色を肴に早々と宴に興じようとする人々でごった返す中、探していたその姿が視界に入るより先に。
明るい声が、聞こえた。
「あ、邑鮫さん!こっちです!」
見ると一本の桜の木の下で直属の部下が立ってこちらに手を振っていた。
少し離れ、反対側に視線を彷徨わせていた上司に声をかける。
「半町、いました」
「お、そっちか!」
大袈裟に声を上げて安曇が身体ごと自分の方を向いた。
この、今の上司の安曇剛士という男は刑事としても人間としても非常に優れた人物だ。
少なくとも自分はそう信じているし下の者たちにも遍く慕われていて、
口には出すことは少ないが邑鮫自身、心から安曇を尊敬している。
先刻まで署で傷害事件の容疑者を取り調べていた彼は今の温和な笑顔からは想像もつかないほど厳しい顔をしていた。
職場からこの場所へと直行してきたその姿も、未だに堅苦しい背広を着込んだままだ。
けれども今、この場でこうしていると傍目にはおそらく普通の会社員とそこまで変わりはないのではないか。
安曇に「はい」と返事を返しながら邑鮫は漠然とそんなことを考える。
かく言う自分も安曇と同じような服装をしている。大して珍しくもない手頃なスーツだ。大方、どんな職業の誰もが着ているような。
そう、手帳のひとつも出さない限り自分たちの仕事はきっとわからないはずだ。中身がどれだけ根っからの刑事だったとしても。
…それとも身に染み付いた特有の空気というのは例えば私的な服を着ていたところで否応なく滲み出てしまうものなのだろうか。
フィクションの世界では時折目にする表現だが、
実際のところ赤の他人の職業を雰囲気のみで察することなど限りなく不可能に違いない。
もちろん実にわかりやすい制服などを着ている場合はまた別だろうと思う。
例えば、用もないのによく強行犯係に顔を出す交通課のあの男のように。

486:春ぞめぐりて 2/8
10/03/26 02:40:19 YYhZPAG30
我ながら面白みのない考え方だな、と邑鮫は思った。少なからず自分が現実主義者の類だという自覚はある。
そこまで考えて、肝心の現実に意識を戻したリアリストは再び若い部下の方を見やった。
青年はこちらが気づいたことに気づいてもまだ大きく手を振っていた。その姿を見て、何故だか小さな違和感を感じた。
「桜衣」
安曇と二人でそちらへ歩きながら声をかけると、
部下――桜衣太市朗はまるでよく訓練された警察犬が尻尾を振るようにまっすぐ駆け寄ってきた。
「お待ちしてました」
そう言って桜衣は軽く頭を下げた。安曇が労いの言葉をかける。
「桜衣、非番なのに悪かったな。場所取ってもらって」
「いえっ、半町こそお仕事お疲れ様でした!邑鮫さんも…今日は早く上がれたんですね」
「ああ、何とかな。お前の頑張りが無駄にならなくてよかったよ」
安曇がそう言って笑うと桜衣も思わずつられたのか、照れたように小さく笑った。
――ああ、そうか。
邑鮫の脳がやっと違和感の正体を理解する。
先ほど安曇が口にしたように自分の部下は今日は非番のはずで、なのに目の前の彼は自分たちと同じ背広姿で。
普段見慣れている姿と言ってしまえばその通りだから別段不思議に思うことではないのかもしれないが、妙にその一点が気にかかった。
「あっ、いたいた!」
邑鮫の思考を遮るように背後から耳慣れた声がした。
振り返ると、瑞野麻穂、素田三朗、黒樹一也の三人がそれぞれ白い大きなビニール袋を両手に提げて立っていた。
「いやあ、半町と邑鮫さん並んでると人混みでもわかりやすいっすねー」
大股で近寄ってきた黒樹が笑いながら冗談めかしてそう言った。
確かにチームの中でも一、二を争う長身の自分たちが並んで立てば嫌でもそうなるだろう、と邑鮫は思った。
尤も、当の黒樹もあまり他人のことは言えない背格好をしているわけだが。
そんなことを考えるうちに意識は逸れ、部下の装いへの僅かな疑問は既に頭から消えていた。
「あ、皆さんお疲れ様です」
正面の桜衣がいち早く反応を返し、会釈した。先ほど自分と安曇にもそうしたように。
「うん、桜衣こそ場所取りお疲れさん」
素田がのんびりと緩慢な動きで手を挙げ、桜衣の挨拶に応えた。

487:春ぞめぐりて 3/8
10/03/26 02:44:26 YYhZPAG30
「半町、本当に適当に買い込んできちゃいましたけどこんなものでいいですか?」
瑞野が両手のビニール袋を挙げて安積に示す。
彼女が手にした袋の中には大量のつまみの類やら何やらが容量のほぼ限界まで詰め込まれていた。
同じく素田の袋の中には食料、黒樹の袋の中にはビールを始めとしたアルコール飲料の缶が山のように、といった具合である。
「ん、それでいい、いい。ありがとう」
安曇が頷き、勢揃いした班員たちをぐるりと見回して告げた。
「よし、じゃあ始めるか!」



事の発端は数日前。東京近郊にぽつぽつと桜が咲き始めた頃、誰かが花見をしたいと言い出した。
あれは一体誰だっただろうか、少なくとも自分ではなかったと邑鮫は手の中に収まった盃を傾けながら思い返す。
宴に興じていたところで呼び出しがあれば即座に出動しなければならないのが常の職場ではあるが、
その合間にも班員全員で飲みに行くというのは折に触れてあることだし、端から到底無理だとは誰も口にしなかった。
ただ、問題は場所の確保だった。仕事終わりに飲み屋で軽く一杯、というのとはわけが違う。
揃って身体の空く定休日があるわけでもなく、必然的に昼間の花見ではなく夜桜見物ということになる。
しかし全員がぎりぎりまで署に詰めていたのではこのシーズン、当然その見物スペースを確保することなどは不可能だ。
かといって良い場所の取れる時間帯にそんなのんきなことへ人員を割いていられるほど、
陣楠署刑事課の強行犯係に余裕がないというのもまた事実だった。
結局、天気の予報や諸々の事情を考慮に入れて選ばれた今日という候補日にたまたま非番だった最年少の桜衣が、
あらかじめ場所を取って皆を待つことになったのである。
もちろん花見が無事開催されるという保証や確証はどこにもなかった。
この仕事に定時というものはあってないようなものだからだ。
安曇が危惧していたように、桜衣が場所をきちんと押さえられたところで全てが無駄になる可能性も高かった。
それでも全員がこの場に顔を揃えられたというのは皆の普段の行いの賜物だろうかと、らしくない考えを巡らせる。
上を見上げると大きな桜の木が目に入った。まだ満開には早く、八分咲きといったところだ。
それでも眺めは見事で、周りのものと比べてもこちらの方が一際素晴らしい。

488:春ぞめぐりて 4/8
10/03/26 02:47:23 YYhZPAG30
きっと桜衣が朝から張り切って最高の場所取りに励んだのだろうと邑鮫は思った。
おそらく、せっかくの休日をほぼ丸一日費やしても無駄になるかもしれないなどとはこれっぽっちも思わずに。
その様子が目に浮かぶようだと、思った。
「邑鮫さん、何笑ってるんですか?」
「……――」
横を見ると日本酒の瓶を両腕で抱えた桜衣がいた。その口を軽く持ち上げる仕草に、条件反射で持っていた猪口を差し出す。
桜衣の身体が僅かに傾いで、なみなみと上等な酒が注がれた。
この酒は素田たちの買い出しとは別に安曇が持参したものだ。
曰く、とっておきの上物だそうで、口にしてみれば成る程その文句に違わぬ美味い酒だった。
一番若輩の桜衣は先ほどからそこらを忙しなく移動していた。どうやらたった今も、安曇に酌をしてきたところのようだ。
無言で盃に口をつけようとしたその手を邑鮫は止めた。
「…笑ってたか?」
「え?」
「さっき」
「え、ああ…はい。何だか、妙に嬉しそうっていうか、そんな感じで…何かいいことでもあったのかなって。思ったんです」
唐突な質問に先ほどの状況を思い出そうとしてか、少しばかり上方に視線を彷徨わせながら桜衣はそう答えた。
「…そうか」
短く答えて今度こそ、盃の中身を飲み干した。
再び酌をしようとする部下を小さく制して、その目の前にすいと猪口を突き出す。
「お前も飲むか?」
桜衣が驚いた顔をした。
彼がどちらかといえばビールの類を好んで飲むことは知っていたし、せっかくの無礼講なのだから好きなものを飲めばいいとは思ったが、
それでも今はこの酒を勧めたいと強く感じた。
少し間を置いて桜衣は「いただきます」と微笑んだ。
盃を拝して上司の注ぐ酒を受けようという表情は普段よりも更に数段、ひょっとしたらそれ以上に神妙な面持ちで。
そんな風に見えるのは、仄かに美しく光る夜桜が生み出すこの不思議な空気のせいなのかもしれない。
彼が注がれた酒を一気に呷った。唇を猪口から離してほうっと息をつく。その両の頬と目元には既に薄く、酔いの兆候が見え始めていた。
ふと、すっかり忘れていた疑問が邑鮫の胸に思い出された。

489:春ぞめぐりて 5/8
10/03/26 02:49:49 YYhZPAG30
深く考えることではないのかもしれない。
真面目な彼にしてみれば、単に仕事の一環と捉えているからそうなっただけなのかもしれない。
それでも再び浮かんだ問いはどうにもこうにも消しがたかった。この際だからとそれをそのままストレートに口に出してみる。
「そういえば桜衣。どうしてスーツなんだ?」
「え?」
桜衣が目を瞬かせて不思議そうな声を上げる。まさかそんなことを訊かれるとは思いもしなかった。そんな顔だった。
口にしてから、我ながら何を気にしているのだろうかと邑鮫は思った。
同じ状況だったなら自分もそうしていた可能性はむしろ高いだろうとも思った。
けれど一旦口をついて出た問いは元には戻せなかった。今夜はもう酔い始めているのだろうと、言い訳のように心の中で呟いた。
「いや…非番だったんだろう、今日は」
「……」
ようやく意を解したらしい桜衣が「ああ」と小さく頷いた。彼は少々考え込む素振りを見せ、口を開いた。
「えっと、なんて言うんですか、こういうの…そうですね。制服、みたいな感じなんですよね」
「制服?」
予想外の回答に少し驚く。
「ええ、安曇班の制服です」
今度はそう言い切って桜衣が笑った。
咄嗟に意味が理解出来なかった。邑鮫自身はこの装いに特別な意味を見出したことなどなかったからだ。
こんなスーツの類など世の中に嫌ほど溢れているのに。
そう、例えば。傍目に見て刑事と一般のサラリーマンとの区別があまりつかない程度には。
余程怪訝そうな顔をしていたのだろう、こちらをちらりと見やった部下は「気分的なものですから」と苦笑した。
彼はその視線をすっと下に落とした。何か言いたいのを迷っているように見えた。
「邑鮫さん、俺」
そのままぽつりぽつりと桜衣は呟き始めた。
「今、すごく毎日が楽しいんです」
「……」
話がどう繋がっているのかわからなかった。ただ、その独白を黙って聞くことにした。
「皆と一緒にいられて」
そりゃもちろん仕事なんですけどと付け足して桜衣は目を細める。

490:春ぞめぐりて 6/8
10/03/26 02:53:30 YYhZPAG30
「朝、待ってる時間が楽しいんです」
朝は誰よりも早く、が彼の信条だということは班の皆が承知している。
新人だからという以上のものが確かにそこにあることも。
「素田さん、黒樹さん、瑞野さんに半町に…邑鮫さんが来るのを、待ってる時間が」
「桜衣」
その声が微かに震えているような気がして声をかけた。
桜衣が顔を上げる。酔いの見える目元の朱が、先ほどよりも色濃く感じられた。
「…大丈夫か」
短い問いに桜衣は「大丈夫です」と短く答えた。
「……」
「……」
暫しの沈黙が流れた。先に口を開いたのは桜衣の方だった。
「本当は今でもちょっと怖いですけど」
「……」
「皆が帰って来なかったらどうしようって」
「……――」
言ってすぐ、桜衣はしまったという顔をして「すみませんこんな話」と続けた。
続きは言われずとも察しがついた。
その持ち前の明るさにともすれば忘れそうになる、というか普段はあまり意識したこともないが、
彼が子供の頃に両親を亡くしたという話を以前に聞いたことがある。
彼の父親と母親はある日彼と彼の祖母とを置いて出かけ、そのまま帰って来なかったのだと。
その祖母さえ彼が大学に上がった頃に亡くなってしまったのだという話も。
辛くないわけがないとあらためて思った。
黙り込んだ自分を見て桜衣が焦ったような顔を浮かべた。
「あっ、えっと、あの、でも」
顔の前で手を振りながら次の台詞を探しているようだった。そうしているうちに言葉を見つけたのか、ふとその手が下がった。
「…それよりもやっぱり待つ時間が楽しいんです。嬉しいんです」
そう言って桜衣はもう一度微笑む。
「寮に帰ったら帰ったでそこにも素田さんと黒樹さんがいて、ああ一人じゃないんだって思えたりして」
「……」
「俺、刑事になって最初に配属されたのが安曇班で本当に良かったって思うんです、だから」

491:春ぞめぐりて 7/8
10/03/26 02:56:20 YYhZPAG30
ああ、と邑鮫はやっと気づく。
社会人になってほんの数年の彼にとっては、その装いでいることが即ち安曇班の一員であることの確たる証明なのかもしれないと。
それは傍から見たところで何の変哲もないのだけれど、それでも。
彼にとっては特別なことに違いない。この顔ぶれで今ここにいられることと同じように。
自然に身体が動いた。くしゃり、と大きな手が黒く柔らかい髪を撫でた。
我ながら珍しいことだと。触れてから思った。
「…邑鮫さん」
夜桜の幻想的な光に照らされて、桜衣が今にも泣き出しそうな顔で笑った。
強い笑顔だと、思った。


出会ったばかりの頃はまだまだ頼りない幼さを残していた。
これから開くかどうかもわからない小さなつぼみのように。
失敗しながらも経験を積んでいくことで、そこに淡い色がつき始めていくのが手に取るようにわかった。
肌寒さを残しながらも穏やかでふわりと暖かい、そんな陽気にいざなわれ開き始めた花びらのように。
彼がその名に戴く花のように。
まだ八分咲きにも満たないけれど、これからいくつもの春を重ねて、少しずつ、少しずつ咲いていくのだろうと邑鮫は思った。

いつか満開の時を迎えるその日まで。
叶うことなら、もう暫く。
彼の傍でそれを見ていたいと思った。






492:春ぞめぐりて 8/8
10/03/26 02:57:40 YYhZPAG30
「おっ、やってるねえ」
突然耳に飛び込んできた陽気な声に桜衣と二人、安曇たちが座っている方を見やった。
いつもの制服を脱いだ男がにかにかと笑いながらそこに立っていた。
「早見お前、何でここにいるんだ」
安曇が目を丸くして問うと早見直毅はちっちっちっ、と唇で音を立て、ついでに指も立てながら答えた。
「何って安曇くん、ここにいてやることはひとつでしょ。交通課も揃って今夜が花見の宴なんだよ」
大袈裟に身振り手振りを交えて説明する早見に安曇が顔をしかめる。
「まさかそのまま運転して帰るつもりじゃないだろうな」
「冗談きついぜ、今日は徒歩に決まってるだろうが。何だ、久しぶりに一緒に帰るか?」
「それこそ冗談きついな。とりあえずまず大人しく自分の縄張りに帰ってくれ」
安曇がにやにやと笑いながら早見の来ただろう方向を顎で指し示すと、早見は盛大に肩を竦めた。
「相変わらずつれないねえ、お前は」
無論、そう言いながら特に気にした様子もない。刑事部屋から場所を移しただけであとは普段のやり取りと変わらないからだ。
上を向いた早見はそのまま頭上の桜花を仰いだ。
「しかしあれだな、こっちの方が断然いい眺めじゃないか。羨ましいったらないね」
それを聞いて、思わず桜衣と顔を見合わせる。
「ほら素田さん、眺めいいんですって!食ってばっかいないで桜見ましょうよ桜!」
「見てるよ!お前こそ飲みすぎじゃないの?」
右手にビールの缶を持ち長い左腕を素田の肩に回して絡む黒樹と、
両手に食べ物を持ったまま絡まれる素田を横目で見ながら瑞野がばさりと切り捨てる。
「素田くんが花より団子なのは事実でしょ」
「あっ、ひどいな瑞野」
「そうそう、麻穂さんそうなんですよ!大体素田さんはほんとにね、いっつもいっつもねえ」
「いつも何だよ、黒樹、こら」
その賑やかで取り留めのない掛け合いを眺め、横に座る桜衣が声を立てて笑った。
視線をやらずともその表情が目に見えるかのようだった。

咲き誇る桜の木々の下。
この面々でこうしていられることへの万感を込め口の端を少し持ち上げて、邑鮫はまた一口、盃の中の美酒を飲み干した。



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