10/07/15 07:13:45 Lcuu8Exg
>>257
一般常識としていっておく。
今の標準語の基本となった言葉が長州の言葉だ。
明治維新で薩摩人と長州人が江戸で政府を開いた。はっきり言って外国語同士での
意思疎通に近い部分もある。
全国から東京と呼ばれるようになった江戸に人が集まり、国言葉の違いによる苦労が
表面化。当時まだ標準語はない。江戸弁はそれはそれで十分なまっている。
軍隊で正確に意思が伝わらないのはまずい。
また、政府高官の奥方師弟が江戸で薩音や長州訛りで遮光するのを嫌がった。
→標準語のなりたち。
①富国強兵の軍隊で命令のときに用いられる言葉。
②明治時代の上流階級の社交用の言葉。
もちろん普段は薩摩弁、長州弁で高官らは会話していたが、法律の記載内容は標準儀。
その後、明治の文豪により話し言葉の文章化が進み、書物、ラジオと標準語が普及。
で、広島はその昔軍都で一時期大本営まであった=政治拠点でもあった。
当時の政府や官僚の中身は戦勝国の長州人でいっぱい。で、呉は東洋一の軍港を目指
していたわけで、海軍の高官の言葉は当然長州なまり。広島と呉が言葉が違うのは当然。