11/09/11 16:13:02.95
しかし、もし光子を媒質をモデルにするならば、光子は自ずと粒と波の二重性をもつ。
例えば音波は大気の疎密(密疎)だ。
この場合、一対の正圧と負圧を音の量子とすると、すなわち↓●○↑、
一対の音の量子の質量(密度)は時間平均すると正負の値は相殺されてゼロであるが、
(すなわち1気圧-バネにおける自然長Lに相当する)
Δtにおいてはあくまでも正負の圧力をもつ。
同様に、光子は正質量の○電子と負質量の●陽電子が対になったモノとすると↓●○↑、
光子の質量は時間平均するとゼロであるが、Δtにおいてはあくまでも正負の質量をもつ。
いずれにせよ波動場を調和振動子の集まりとすると、絶対静止ではないにしろ、
自然長Lというエネルギー原点とも言うべき基準系があることは確かである。
171: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/11 16:17:02.35
現代科学はエーテルを過去の遺物としている。
しかしエーテル否定には明らかな誤謬がある。
そもそもエーテル、すなわち媒質は光の波的側面を説明するためにお呼びがかかったのであり、
そして光は粒的側面をもっているということでチェンジされたのだ。
しかし今日的知見からすれば媒質は粒的側面ももっているのだから、
エーテル否定は正当性を欠いている。
ようするに物理学者がエーテルに突き刺した剣はエーテルの心臓ではなく、
エーテルの幻影だったということだ。
172: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/11 16:19:35.92
かつて光は粒か波かの論争があった。
この場合光を粒とするとエーテルの存在は必ずしも自明でない。
なぜなら粒それ自身が進んでいくとすればそれを伝える媒質は不要だからだ。
しかし光は波とすると、じゃあその波を伝えるモノは何?、ということになる。
そして、もしそれを伝えるモノが存在するならば、それをエーテルと呼んだのである。
173: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/11 16:22:44.82
さて、やがて光は波であるとする状況証拠が次々と見つかり、
光=波説が最終的に勝利を納めるかに思われた。
ところが前世紀初頭に、光は粒の性質をもっているといういわゆる粒と波の二重性を標榜する
量子論の台頭があり、媒質の存在を自明としない光の粒説が勢力を盛り返した。
そして物理学者の間に、「光が粒ならエーテルいらなくね?」という雰囲気が蔓延し、
波としての商品価値しかなかったエーテル説は潮が引くように衰退した。
しかしこれは明らかにボタンの掛け違いである。
つまり、本来光に粒的性質が見いだされ時点で、エーテル派は驚喜乱舞すればよかったのだ。
なぜなら今日の知見からすれば媒質が何であれ粒々の集合体だからだ。
つまり、もしエーテルが光の粒的側面を説明できなくて棄てられたのならば、
じゃあ既存の媒質は波的側面だけで記述できるのか?という話になるからだ。
174: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/11 16:25:58.81
そもそも光、すなわち電磁波と媒質を伝わる波は波長領域で比較するとよく符合する。
我々が普通水の波を見て、それを波と認識するのは比較的波長が長いからだ。
しかし波長の極めて短い超音波は光の性質によく似ている。
例えばコウモリは指向性の強い超音波で外界を認識していると言われているが、
ひょっとしてコウモリは、母親の胎内の胎児を診るエコーの映像のように、
我々が思い描いている以上に鮮明な像で外界を捉えているかもしれないのだ。
あるいは超音波洗浄は振幅ではなく波長に依存する現象である。
すなわちいくら大きな音(振幅が大きい)を当てても短波長成分がなければ汚れは
落ちないが、それが超音波なら落ちる。
その様子は振幅ではなく波長に依存する光電効果とある意味同じだ。
175: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/11 16:29:29.75
あるいは甲高い声でワイングラスを割るというパフォーマンスがある。
あるいは超音波で結石を破壊するという医療分野がある。
この場合、石が破壊する現象は現象論的には弾丸をぶつけたイメージにより近い。
ようするに超音波はエネルギーがギュッと圧縮されたモノであり、分子結合を
ぶったぎるのに充分のエネルギーをもっているからであろう。
いずれにせよ物体は原子・分子から形成されたモノであり、波を伝える媒質も原子・分子
から成るのだから、単に本性を現したに過ぎない。
さらに、媒質の世界の生成消滅を記述するのが化学だ。
もちろん化学反応を普通生成消滅とは言わないが、原子・分子の性質に着目するならば、
生成消滅という表現もそれほど悪くはない。
176: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/11 16:59:18.21
電磁波を伝える場と(ところで場って何だ?、電磁波を伝える媒質はダメだが、
電磁波を伝える場はいいのか?)波を伝える媒質はよく似ている。
しかし決定的な違いは場はあくまでも連続体であるが、媒質は構造をもった原子・分子
からなる離散的なモノであることだ。
それゆえ真空が真実連続体ならばエーテルの出番はない。
しかし真空に離散的な兆候が見いだされたならば媒質、すなわちより
バージョンアップされたエーテルは万雷の拍手のもとに凱旋する。
177: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:17:10.84
音波を伝える媒質が単に音波を伝えるだけのために存在しているわけではないことは明らかだ。
もちろん人間は大気の振動を利用してコミュニケーションをとっているわけだが、
時として家屋を破壊し、木をなぎ倒す台風やハリケーンもまた大気の仕業である。
つまり、媒質にとって波を伝える能力は媒質の能力の一部でしかない。
ならば、光を伝えると想定されたエーテルが単に光を伝えるだけのために存在する
わけではないとすると、物理学者の4つの力を統一したいという夢は虚しいものがある。
178: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:19:10.72
さて、媒質の優位性の一つは力学の基礎方程式の正負の解に完全に対応していることだ。
例えば地上における音波の疎密は大気圧を基準に定義される。
ところで圧力の単位系には絶対圧とゲージ圧の2種類ある。
絶対圧とは密閉容器の空気を理想的に排した状態、すなわち真空を0とするものである。
つまり絶対的な無、すなわち絶対無の世界であり何もない。少なくとも無以外は。
そしてその容器に空気分子を一個、二個と付加していくことにより圧力は増え続ける。
つまり、0より低いマイナスの圧力は存在しない。
179: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:20:57.46
それに対してゲージ圧とは大気圧を0とする単位系である。
つまりゼロと言っても存在する無、すなわち存在無の世界だ。
実際大気は1㎝^2あたり1㎏の重さをもっている。
人間の体の表面積をアバウトに2㎡とすると、人間は2㌧の応力を受けている。
つまり、人間は小型乗用車10~20台分の重さを身にまとっている計算になる。
(トランスフォーマーかよ!、っていう話だ)
あるいは数㎝^2の吸盤は数㎏の重りを吊り下げることができる。
ようするに大気はそれだけのポテンシャルをもっているということだ。
もちろんそんな重さ、力を感じて生活している人間はいない。
我々が認識できるのは気圧の変化、すなわち1気圧からのズレなのだ。
180: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:23:14.48
さて、音波の疎密の密の位相を容器に閉じ込めたとしよう。
すると基準値0である1気圧よりも密度が高い分、見かけ上正の質量をもつ。
そして拡散しようとするベクトルをもち、エネルギーとして解放される。
すなわちまさに質量とエネルギーは等価なのである。
逆に疎の位相は密度が低い分見かけ上負の質量をもつ。
そして収束しようとするベクトルをもち、やはりエネルギーを解放する。
すなわちどちらも実のエネルギーであるが、ベクトルの向きが反対なのだから、
一方のエネルギーを正とするならば一方は負と呼ぶしかない。
↓ ↑
→●← ←○→
↑ ↓
負圧(収束) 正圧(拡散)
ちなみに負圧の位相で発生した泡粒は膨張し、正圧の位相で圧縮される。
すなわち短い周期で膨張と圧縮をくり返し、最終的に破裂するのがキャビテーションだ。
ならば、余談だが、もし真空下でキャビテーションのような現象が見いだされたならば、
それはエーテル理論の有力な証拠になる。
181: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:26:01.82
そもそも反粒子はディラックが、特殊相対論と量子力学を結婚させたことによる
負エネルギー解から産み落とされたものである。
ではなぜ量子力学と特殊相対論が結びつく必要があったかというと、
それは電子などのミクロ粒子は光速近くで走っていると思われたからだ。
すなわちガリレイ変換からローレンツ変換への書き換えだ。
しかし結婚指輪がローレンツ変換ならば、量子力学はエーテル説と結びつく可能性もあった。
すなわち未だ見ぬ幻の媒質の量子論の存在である。
182: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:27:44.19
ところで、負のエネルギー解が導出されるのは相対論だからというわけではない。
なんでもかんでも相対論のロゴマークを貼るのはよくない。
負のエネルギー解が導出されるのは波動場に特有なものなのである。
そもそも場の量子論は結果的に、孤立してると思われていた電子を空間的広がり、
すなわち電磁場と同じように多体系として扱うものだ。
そしてそれはある意味媒質への回帰である。
183: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:29:26.20
さて、波動場から正負の解が導出されるのは明らかである。
例えば光速は c=√1/ε0μ0 から、音速は c=√p(k)/ρ から、
ちなみに弦を伝わる波の速度はc= √T/ρ から導かれる。
すなわち波の速度を表す式は全て同じ形式だ。さらに波の速度は全て平方根である。
平方根であるということは、簡単に、√4が2と-2の正負の解をもつということなのだ。
ならば、プラスの速度は分かるがマイナスの速度は何だ?という話になる。
そして物理学者(数学者か?)はパズルの空隙に遅延解・先進解というピースをはめ込んだ。
184: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:45:03.56
遅延解とは普通にサッカーのボールを蹴った時の方程式である。
それに対し先進解とはフィルムの逆回し、すなわち後ずさりする選手の爪先めがけて
ボールが転がるという現実には有りえない、奇妙な方程式である。
普通物理学者は一方の解を無意味なものとして無視する。
しかしファインマンは先進解を積極的に利用し、ボソンを説明できなかったいわゆる
ディラックの海に変わる、負エネルギー解から導出された反粒子を正のエネルギー(質量)
に改変することに成功した。
185: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 18:46:36.36
ところで、もし波動方程式の正負の解が遅延解・先進解ならば、
じゃあ現実に存在する正の周波数・負の周波数は何なんだ?ということになる。
正負の周波数とは、例えば発電機を左右に回した時に、位相が半波長πズレた波である。
さらにそれを複素平面上に射影したものが複素共役だ。
ようするに、波動における時間の順逆とは半波長の位相のズレのことなのだ。
186: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 19:53:59.56
媒質においては正負の解をダイレクトに使わなければ媒質の世界を正しく記述できない。
すなわち上でレスしたように正圧は拡散しようとするベクトル(→)をもち、
負圧は収束しようとするベクトル(←)をもつ。
すなわち媒質においてはプラスとマイナスの2つの速度が定義できる。
つまり正圧と負圧は互いに時間を順行する状態と逆行する状態の関係にあり、
そして元の状態に戻ろうとする。元の状態とは基準値0である。
もちろんフィルムの逆回しとは直接には関係ない。
187: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 19:56:41.64
ファインマン流の時間の逆行という概念を使うと、負の物理量を代用できる。
例えば音波は空気の疎密(密疎)であるが、すなわち正圧で拡散、そして負圧で収束、
という過程を交互にくり返しながら音波は伝わる。
さて、では負圧は時間が逆行する正圧と定義すると、負圧のポテンシャルは必要ない。
すなわち1/2遅延波で時間を順行して拡散、さらに1/2先進波で時間を逆行して収束、
つまりこの過程を交互にくり返すとやはり音波は伝わる。
そしてそれは実際の音波と数学的にも現象論的にも同じ結果を与える。
(実際には同じではないだろうが)
言うまでもなくこの場合の音波は空気の疎密、すなわち縦波であるから、
拡散と収束を正負の解に対応させたわけであって、粒子と反粒子がそれぞれ拡散と収束の
ベクトルをもっている、という意味ではない。あくまでも例えだ。
188: ◆GOVXYB0Zc.
11/09/23 19:58:40.68
正のエネルギー解から導出された粒子も、負のエネルギー解から導出された反粒子も、
どちらも正エネルギー、すなわち正の質量をもっているとされている。
しかし本来負エネルギー解の反粒子が正の質量をもっているということは、
ファインマン流の先進ポテンシャルを使った時間の逆行とセットだということだ。
逆に、もしファインマン流の時間の逆行に対する信頼が失われたならば、
もはや反粒子を正の質量をもつように再解釈する理論はどこにもないということである。
189: ◆GOVXYB0Zc.
11/10/03 22:58:45.57
≪複素平面≫
表(実)
________
\ \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
裏(虚)
__
表? / _ \
___//_\_\
/_______/
\ \//
\_/ 裏?
光子(ボソン)
俺は光子は数学的に、すなわち位相幾可(トポロジー)におけるメビウスの帯
(クラインの壺)であると述べた。
さらに論理学における嘘つきのパラドックスであり、力学的にバネであり、
さらに電子回路におけるコンデンサである。
そしてそれを視覚化したのが囲碁の劫なのだ。
光子は極少のワームホールでもある。
すなわち表であったものが裏に、真であったものが偽に、さらに
勝っている状態から負けている状態に、というように対極にある状態を往復する。
すなわち光子は絶えず電子(粒子)と陽電子(反粒子)の間を揺れ動いている。
190: ◆GOVXYB0Zc.
11/10/03 23:01:09.24
では、位相幾可学におけるメビウスの帯が複素平面であるということを説明してみよう。
まずメビウスの帯のある位置に↑の印をつける。そしてその矢印を帯に沿って
移動させる。すると丁度一周したところで↑の印をつけた裏側に到達する。
ただし矢印は↓のように反転している。
そしてさらに一周して初めてスタートした位置に戻り、矢印の向きも一致する。
すなわち一周するということが元の状態に戻ることだ
とすると、メビウスの帯は実質2周しなければならない。
191: ◆GOVXYB0Zc.
11/10/03 23:03:15.08
次に単振動する系を見てみよう。
○A
↓|
+ 加|減
速|速
――↓0↑――
減|加
- 速|速
|↑
●B
さて、Bの位置にあるバネに繋がった重りは加速しながら0点に向かい、
0点を越えた時点で今度は減速しながらAに向かい、さらに反転して加速しながら
0点に向かう。
つまり、0点にあった重りは+の領域を丁度1往復した時点で0点に到達する。
そしてそれはメビウスの帯をある地点から指でなぞった場合、丁度一周した時点で
スタートした場所とすれ違うのと同じだ。
すなわち、0点にあった重りが元の状態に戻るためには、-の領域をもう1往復
しなければならない。
ところで、単振動は複素平面上の単位円の一点の回転と同相である。
すなわち、メビウスの帯はまさに複素平面そのものなのだ。
192: ◆GOVXYB0Zc.
11/10/03 23:05:35.57
光子が位相幾可におけるメビウスの帯(クラインの壺)ならば、
光子は複素数で記述されなければならない。
すなわち光子は絶えず実と虚の間を揺らいでいる。
その様子を理解したければ囲碁の劫をモデルにすればいいだろう。
つまり劫は白の地であり黒の地でもある。
すなわちそのどちらでもあってそのどちらでもない、といった
まるでパラドックスを絵に描いたようなオブジェだ。
さて、今白が劫を取ったとしよう。すなわち白が実で黒が虚。
しかしそれは同時に次に黒に劫を取り返す権利を与えることでもある。
すなわち黒が劫を取り返すとi^2で黒が実(-)となり、白が今度は虚となる。
もちろん、白と黒のどちらをプラスとマイナスと呼ぶかは任意である。
結局、虚数とはエネルギーの巻き上げ、時間の巻き戻しなのだろう。
193:ご冗談でしょう?名無しさん
11/10/08 20:08:26.61 8epk/7pR
テスト
194: ◆GOVXYB0Zc.
11/10/14 23:03:52.35
複素平面における単位円上の軌跡はz=r(cosθ+isinθ)で表される。
すなわち実部と虚部、加速と減速、コサイン波とサイン波が交互に入れ替わる。
ようするに単振動において、加速されて最大速度になった重りは0点を
越えた瞬間減速に転じる。
では減速によって落ちた速度、すなわち運動エネルギーはどこへ行ったのか?
というとそれは位置エネルギーに変換されたのだ。すなわちバネの歪みに蓄えられる。
そして純虚数になったところで重りの速度は0となる。
さらに次の瞬間再び虚数項は実部である加速に変換され、0点で最大速度となり、
0点を越えた時点で再び虚数項が鎌首をもたげる。以後無限ループ。
ようするに、複素平面上の単位円の一点の回転の軌跡は実部と虚部、加速と減速、
コサイン・サインカーブが90度の位相差をもって入れ替わるということである。
195: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/06 13:34:20.90
バネと錘から成る素朴な機械仕掛けのオブジェが複素平面、すなわち複素数で
表されるならば、現代物理学の倒錯した手法、カラクリが見えてくる。
すなわち物理学では負のエネルギー、負の質量、さらに虚数をまず有り得ないモノ
と定義する。
にもかかわらずミクロの世界はその有り得ないはずの負エネルギー解を使い、そして
数式にこれまた有り得ないはずの虚数iをちりばめる。
それゆえミクロの世界を探求する物理学者は、俺達はこんなにも得体の知れない化け物
と日夜対峙している、という自己陶酔に浸っているのだ。
しかし、それは明らかに滑稽な姿である。
196: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/06 13:37:12.93
ようするに、負のエネルギー及び質量、さらに虚数に対して正しい定義づけをするならば、
それらはミクロ系マクロ系を問わず普遍的なモノとなる。
例えば虚数の正しい定義は位相を90度ずらす操作、あるいは演算子
(これは普通に言われていることであるが)
さらにはエネルギーの巻き上げ、あるいは時間の巻き戻しである。
とするならば、虚数は有り得ないモノであるという前提は崩れる。
197: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/06 13:39:03.42
そもそも固有振動するバネと錘は2つの振動する系から成る。
すなわち錘が上下運動する振動とバネが伸び縮みする振動だ。
そして2つの実体は90度の位相差でコサイン・サインカーブを描いているのだから、
複素数で表されるのは当然である。
198: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/06 13:41:11.80
電気工学の分野では複素数を使う。
それに対し、本来虚数は実在しないが、計算上便利だからという理由で複素数を
使うという見方がある。しかしこれはとんでもない解釈である。
そもそも固有振動する電磁気的なコイルとコンデンサから成るLC回路は、
固有振動する力学的な錘とバネから成る系と同相である。
すなわちバネが自然長Lを基準に伸び縮みすることにより、正負のベクトルをもった
エネルギーを蓄えるように、コンデンサは正負の電荷を蓄える能力がある。
さらにコイルに交流電流を流すと電流を流すまいとする一種の抵抗、すなわち慣性
のような力を生じる。逆に電流が途絶えると、今度は電流を流し続けようとする。
そしてそれは質量をもった錘が慣性をもっているのと同じだ。
さらにコイルとコンデンサ、あるいは電流と電圧は90度の位相差をもって
コサイン・サインカーブを描いているのだから、LC回路が複素数で記述されるのは
当然である。
199: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/06 13:43:27.95
結局、複素平面において、実軸(コサイン)は錘や電流の運動エネルギーの大小を表し、
虚軸(サイン)はプラスからマイナス、逆にマイナスからプラスに反転する為の
位置エネルギーの巻き上げ、時間の巻き戻し、そしてその解放、再生を表している。
(ちなみに半径rは全エネルギー)
その限りにおいては虚数は実在する。
つまり、虚数は実在しないと言ってる者には、「お前は虚数に対してどんな妄想を
抱いているんだ?」と問うしかない。
200: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/06 13:45:56.82
虚数というものが実体をともなって初めて意味をもつならば、
むしろ訳が解らないのは、何の実体のない場に対して虚数を使うことだ。
すなわち構造をもたないとされる点の集まりである場のどこをどう探しても
調和振動子のメカニズムを見いだすことはできない。
ただ数学的操作をすると調和振動子と同じ形式に書けるというだけである。
結局はそのメカニズムは媒質をモデルにするしかない。
201: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/08 23:43:06.49
有り得ないモノと定義しているのは時間の逆行もそうである。
すなわち物理学では時間の順逆に対して遅延解・先進解を当てはめている。
先進解とは明日の新聞を見ることができるならば、株で大儲けできる世界であり、
未来のスポーツ年鑑をゲットしたならば、ジャグジー付きのバスで美女をはべらせる
ことができる世界である。
それゆえ賢明な物理学者は先進解を頑なに拒否する。
ところがにもかかわらず物理学者はその有り得ないはずの先進解を使い、
さらにこれまた有り得ないはずの負エネルギー解の反粒子を正のエネルギー、
正の質量をもつように改変した。
これは明らかに二枚舌である。
もし先進ポテンシャルを使うことが許されるならば、いわゆるタイムマシンを
実現したいと願う者たちに勇気と希望を与えていることになる。
ならば物理学者は彼らに対する責任を負う義務がある。
202: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/08 23:46:48.91
ここで注意すべきは時間の順逆を保証する数学解は2種類あると言うことだ。
一つは一般的に認識されている強力なドクマであるフィルムの順送りと逆回し、
すなわち遅延解・先進解である。
これはいわゆる親殺しのパラドックスに代表される因果律の問題が発生する。
203: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/08 23:51:12.97
時間の順逆を保証するもう一つの数学解は複素共役である。
複素共役とは、複素平面上の単位円の半径を反時計回りに回転させるか時計回りに
回転させるかの違いだ。
すなわちそれにより位相が180度ずれる。
ならば一方を正の周波数とするならば一方は負の周波数である。
そして正の周波数をf=1/Tとすると、負の周波数は -f=1/-Tとなり、
時間のtと-tが必然的にでてくる。
複素共役は因果律の問題は発生しない。
すなわち左に回すのも実の力、右に回すのも実の力、どちらにせよ原因があって、
結果として位相が180度ずれた波が生じるだけだ。
もっとも、だからといって何時いかなる場面においても因果の糸を手繰り寄せられる、
というものでもない。
すなわちもつれにもつれて複雑に絡み合った糸をほどくのは容易ではない。
それゆえどこかで断ち切る必要もあるだろう。
つまり何が原因で何が結果か不確定になる。
しかしいずれにしろ因果律を放棄する必要はないし、それについて悩む必要もない。
204: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/08 23:56:44.84
結局、時間の順逆を保証する数学解のどちらを採用するかによって世界観は変わってくる。
すなわち負エネルギー解から導出された反粒子は正のエネルギー、正の質量をもつ、
とするならば、それは先進ポテンシャルの注意書きをよく読んで、さらに同意した
上での話しなのだから、物理学者は因果律の問題をクリアしなければならない。
しかし複素共役を採用するならば、それは因果律の問題とは無縁なのだから、
物理学者は時間の逆行に対して口ごもる必要はない。
すなわち物理学者は上から目線で一般の人々に、時間の逆流する世界は存在する、
と言えばいいのだ。
そしてそれは俗に言うタイムマシンとは何の関係もない、と言えばいいのだ。
もちろんその代償として、反粒子は正のエネルギー、正の質量をもつ、
という根拠は失われる。
205: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/09 00:00:32.97
そもそも物理量を複素共役で表すということは、その絶対値、あるいはその2乗を
とることである。ならば -5も5も正の値だ。
その限りにおいては符合の正負を問うてはいないことになる。
例えば波のエネルギーは振幅の2乗とすると、正の位相も負の位相も正の値になる。
音波で言えば正圧も負圧も正のエネルギーをもつことになる。
しかしだからと言って、正反対のベクトルをもつ正負の圧力を同じエネルギーで
くくるのはアバウト過ぎる。
つまり、複素共役においてはその違いを抽出するのが偏角θである。
すなわち左に回すのを+θとするなら、右に回すのが-θだ。
すなわち初期位相によってエネルギーの形態は異なる。
その様子はバネで言えば、最初に伸ばして振動をさせるか、縮めて振動させるかの違いだ。
206: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/09 00:02:48.24
もし物理量が電荷ならば、磁場の中を通せばその曲がりの方向で正負が分かる。
しかしそれが質量の場合、すなわち陽電子等の反粒子の本当の符合の±は高度な実験を
待つしかない。
ようするに我々が知り得ているエネルギー、質量、運動量は、|E|、|M|、|P|、
かもしれないのだ。
物理量が絶対値、あるいはその2乗といっても、2乗すると負の数になる演算子がある。
すなわちまさにそれが虚数iなのだ。
すなわち虚数とはプラスとマイナスという相反する2つの世界を往還する使者とも言える。
207: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/09 00:04:46.20
結局、負エネルギー解から導出された反粒子はダイレクトに負のエネルギー及び
負の質量をもっているとすればいい。
ただし注意すべきは、反粒子自身は自らを「そうです、我々は負のエネルギー、
負の質量です」とは言わないということだ。
いや、そもそも自らを反粒子とは呼ばない、自虐的でない限り。
その意味では負のエネルギーは存在しない。
しかし、一方を正とするならば、一方は負とするしかないのだ。
なぜなら両者は相殺しあえる量だからである。
208: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/09 22:48:51.04
ニュートン力学、あるいはマクスウェル方程式、さらに相対論のように、
いわゆる古典系の物理学は実数で記述されると言われている。
それに対して量子力学を記述するシュレーディンガー方程式は、いきなり
オペラ座の怪人よろしく虚数iの仮面をかぶって登場する。
そして荘厳な、そしておどろおどろしいミクロの世界に我々を誘う。
すなわち複素数で書かれるミクロの世界と、実数で書かれるマクロの世界は別世界であり、
2つの世界は翻訳不能とされている。
ならば、そこら辺に転がっているバネと錘が複素数で表されるのは何なんだ?
という話になる。
209: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/09 22:52:01.61
ようするに、複素数で書かれることと実数で書かれることと、
それがミクロ系であるかマクロ系であるかは関係ない。
例えばバネと錘の関係で言えば、バネの変位χと錘の位置χは同じだ。
それゆえχを時間軸に沿ってプロットすると同じ1つの波になる。
しかしエネルギーの大小をプロットすると、位置エネルギーと運動エネルギーは
反比例の関係にあるのだから、位相がπ/2ずれた2つの同一波形が出現する。
もっとも、位置エネルギーと運動エネルギーを足した全エネルギーは(±)の実数になる。
210: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/09 22:54:40.73
その様子は我々が普段見慣れている水の波も同じだ。
すなわち水面を伝っていく波紋はただ1つの正弦波を描いている。
しかし、もし位置エネルギーと運動エネルギーのフィルターを通して水の波紋を
見るならば、やはり互いにπ/2ずれて上下する2つの同一波形を見ることになる。
211: ◆GOVXYB0Zc.
11/11/09 22:57:42.31
さて、波動というものが基本的に実数でも虚数を含んだ複素数でも記述できるならば、
当然電磁波も複素数で記述されなければならない。
ところでよく電磁波が伝わる様子を描いた図を見ると、直交した電場と磁場が
位相差なしで描かれている。
しかし、電磁波と言えども復元力をもつわけだから、位置エネルギーと運動エネルギー
をもっているはずだ。
すなわち電場が位置エネルギー、磁場が運動エネルギーを担っていると思われる。
ならば両者はiサインとコサインカーブを描いているはずである。
もちろん全エネルギーは実数であろうが。
212:ご冗談でしょう?名無しさん
11/11/18 10:40:24.19 5aNz8uyr
電波テロ装置の戦争(始)エンジニアさん参加願います公安はサリンオウム信者の子供を40歳まで社会から隔離している
オウム信者が地方で現在も潜伏している
それは新興宗教を配下としている公安の仕事だ
発案で盗聴器を開発したら霊魂が寄って呼ぶ来た
<電波憑依>
スピリチャル全否定なら江原三輪氏、高橋佳子大川隆法氏は、幻聴で強制入院矛盾する日本宗教と精神科
<コードレス盗聴>
2004既に国民20%被害250~700台数中国工作員3~7000万円2005ソウルコピー2010ソウルイン医者アカギ絡む<盗聴証拠>
今年5月に日本の警視庁防課は被害者SDカード15分を保持した有る国民に出せ!!<創価幹部>
キタオカ1962年東北生は二十代で2人の女性をレイプ殺害して入信した創価本尊はこれだけで潰せる<<<韓国工作員鸛<<<創価公明党 <テロ装置>>東芝部品)>>ヤクザ<宗教<同和<<公安<<魂複<<官憲>日本終Googl検索
213: ◆GOVXYB0Zc.
11/12/23 00:40:10.53
さて、ある意味逆説的であるが、0点から立ち上がるサイン波の前に虚数iが付いて
いるのは極めて重要である。
もしiがなければ風もないのに海は波立ち、地震が起きてないのに津波が押し寄せ、
気圧の変化もないのに嵐が吹き荒れ、机も椅子も人間も車も巨大な岩も、
我々の見るもの全てが宙を舞うことになる。
214: ◆GOVXYB0Zc.
11/12/23 00:44:32.24
すなわち0点から立ち上がるサイン波の前のiは、そういう現象は自然には
起こりませんよ、と言っているのだ。
つまり、加速が起きるためには実の力を加えて位置エネルギーを高めなければならない。
例えば木の枝から離れたリンゴが地面に落ちるのは、位置エネルギーの高い状態から
低い状態に移行する過程である。すなわちこれが我々が普段経験、目撃する実時間。
それに対し、地面にあるリンゴが自ずと木の枝に戻ることはない。
ゆえにリンゴに限らず何かが落ちる為には位置エネルギーを高めなければならない。
すなわちこれが虚時間。
215: ◆GOVXYB0Zc.
11/12/23 00:48:00.84
よく、リンゴが落ちるのを時間tとすると、-tはフィルムの逆回し、
すなわちこの場合、あたかも重力に逆らって上に向かう現象であるとされている。
しかしそれは本当は時間のtと-tの対称性ではない。
すなわちそれは時間のtと時間のitの対称性なのである。
tとitの対称性とは単に位置エネルギーを巻き上げた分の加速が得られるというものだ。
それはジェットコースターで加速と減速のスリルを味わいたければ、
何らかのエネルギーを注入してコースターをトコトコと高い位置にもっていかねば
ならないことを考えれば明らかである。
216: ◆GOVXYB0Zc.
11/12/23 00:50:42.25
ケータイだろうとスマートフォンだろうと、電池が切れると何の反応も応答もしない。
それゆえ充電という過程が不可避であることは言うまでもない。
すなわち充電というエネルギーの巻き上げが虚時間。
そしてそれらの機器を操作するのが実時間。
どちらも電流が流れているに違いないが、一方は絶えず押し上げなければならない。
しかし一方はむしろ止めなければ勝手に流れる。
217: ◆GOVXYB0Zc.
11/12/23 00:55:29.06
昔のゼンマイ式時計が時を刻むためには、まずゼンマイを巻き上げなければならない。
ところで力学の基礎方程式は時間のtと-tは対称である。ならばある現象があると、
それを時間反転(一般的にはフィルムの逆回し状態)した現象も起こりえるはずだ。
すなわち巻き上がったゼンマイが解放される方向を過去から未来の時間の流れとすると、
解放されたゼンマイが自ずと巻き上がる方向、すなわち未来から過去へと流れる
時間の流れも存在するはずだ。しかし我々はその一方の時間の流れしか目撃しない。
すなわち時間の矢はなぜ存在するのか?これはやっかいな問題であるとして
エントロピーの増大則で説明している。しかし別にやっかいな問題ではない。
すなわちゼンマイが解放される方向と巻き上がる方向とは時間のtと-tの
対称性ではなく、時間のtとitの対称性だからだ。
218: ◆GOVXYB0Zc.
11/12/23 00:57:17.19
ようするにtとitの対称性とは、時計はゼンマイを巻き上げた分の時を刻みますよ、
と言うものである。
すなわち時間に方向、すなわち時間の矢が存在するのはエネルギー、時間は単に
ポテンシャルの高い場所から低い場所に移動する過程に過ぎない。
結局、問題は、誰がゼンマイを巻き上げたのか?という問いである。
219: ◆GOVXYB0Zc.
11/12/23 00:59:25.31
結局、宇宙は虚時間から始まった、とするホーキングの主張は正しいのであろう。
もちろん、その主張の詳細の真偽は吟味する必要はあるが、宇宙は虚時間から始まった
とするフレーズは正しいのであろう。
ようするに、問題は、誰が最初に宇宙をポテンシャルの高い状態に、すなわちゼンマイを
キリキリと巻いたのか?ということだ。
そして、もしそうだとしたら、その数学解は複素共役(t,-t)しか有り得ない。
220: ◆GOVXYB0Zc.
12/01/18 11:18:40.46
以前別スレに書いたレスを貼っとく
観測問題、例えばマクロ系の物体は客観的観測ができるがミクロ系の対象はつねに擾乱を伴う。
という概念には仕掛けがある。すなわちスケール不変性を破るというトリックだ。
それはどういうことかと言うと、ある特定の文字だけ拡大、縮小が実行されないコピー機のようなものだ。
例えば都市のミニチュアセットがあったとしよう。
その傍らにゴジラのぬいぐるみを着た人間が立っていたとしても違和感はない。
なぜならビルとゴジラは同じスケールだからだ。
しかし生身の人間が立っていたとしたら明らかに不自然である。
なぜなら人間はビルより少なくとも一桁小さいからだ。
観測問題もそれと同じである。
221: ◆GOVXYB0Zc.
12/01/18 11:20:24.19
すなわち観測問題においてスケール不変性を破っているのは観測手段である光子である。
つまり、観測問題においてはマクロ系にも光子を使い、ミクロ系にも光子を使っているのだ。
もっとも光子というものが、
マクロ系、ミクロ系に対し中立的立場にあるのならばとやかく言うつもりはない。
しかし実際はそうではない。
なぜならミクロ系の住人である電子と光子はどちらも素粒子であり仲間であるからだ。
しかしわれわれが認識する外界は原子が無数に集まったモノであり、素粒子とは階層が違う。
222: ◆GOVXYB0Zc.
12/01/18 11:23:04.05
それゆえマクロ系においては客観的観測ができるが、ミクロ系に対しては常に擾乱を伴う、
というのはバットでボールを叩くとあらゆる方向に飛んでゆく可能性があるが、
バットで地面を叩いても地球はびくともしない、と言うようなものだ。
相手のエースの球を打てなくて思い悩む四番バッターはいても、地球を動かせない
と嘆く打者はいないだろう。この命題に挑んだのはアルキメデスぐらいなものだ。
あるいはサッカーの選手がボールの代わりに地面を蹴ったとしても足首を捻挫するだけだ。
だが、だからと言って地球の軌道が永遠に不動であるとは限らない。
すなわち地球に同じスケールの何か、つまり天体をぶつければ地球といえども影響をを受ける。
例えば、仮想的に彗星なり小惑星なりの軌道を変えて月にぶつけたとしよう。
すると当然月には昨日までなかった巨大なクレーターができるわけだから、
百科事典の出版社は改訂版を出さなければならないだろう。
そして一発の砲撃が月を太陽系の藻屑と化してしまうかもしれない。
そしてその時に放出された重力波を観測する事によってわれわれは、
ついさっきまでそこに月があったことを悟るのだ。
つまり、ネズミであろうと人間であろうと、
電子に光を当てるという方法論でもって月を眺めると、宇宙の姿は劇的に変わってしまうのだ。
かつてアインシュタインが嘆いたように。
223: ◆GOVXYB0Zc.
12/01/18 11:25:16.45
結局、観測という行為には第一種と第二種の2種類あるということだ。
≪第一種観測≫
電子に光を当てて電子を見ることを観測と呼ぶならば、われわれが光で外界を認識するのは
観測ではない。そもそも夜空を見上げなくとも月を観測できる。
例えば潮の満ち引きを見れば月の存在を確認できる。その場合光を使うが絶対条件でない。
もちろん潮の満ち引きは月の重力場が海水に擾乱を与えたものであることは言うまでもない。
≪第二種観測≫
逆にわれわれが光を使って外界を認識するのを観測と呼ぶならば、電子に光を当てるのは観測でない。
その場合電子や光子、すなわち素粒子ではない階層の異なる何かをぶつけなければならない。
もちろんそのような観測手段があるのかないのか分からない。どちらにしろ現在誰も知らないのだ。
その観点からすれば例えミクロの世界が不確定性原理に支配されていようとも、
第二種観測で電子を観測したならば、不確定性としての客観的観測が可能だと言うことである。
224: ◆GOVXYB0Zc.
12/01/18 11:28:14.62
では不確定性の要因は何なのか?
その問いに対する答えはエーテル説の立場からは、すなわち媒質の世界を
徹底させると、例えば音速は絶対的でないからだ。
すなわち音速cは √p/ρ から導かれる。
しかし音速cは圧力と密度の名において一定であるが、それらの値の揺らぎにより
変化する。
同様に、光速度cは √1/μ0ε0 から導出されるが、透磁率や誘電率が絶対的
でなければ変化する可能性がある。
ようするに、我々が知り得ている光速度は平均値に過ぎないかもしれないのだ
その観点からするとミクロの世界の不確定性に対し、その背後には未知の
隠れた変数があるとしたアインシュタインの主張は正しいのかもしれない。
ただしアインシュタインの悲劇は、それが光速度cであることだ。
225:ご冗談でしょう?名無しさん
12/01/18 19:19:16.12 cmdf7J8X
晒しあげ
226:ご冗談でしょう?名無しさん
12/01/30 20:17:59.28 lxOSlYTX
さるべーじ
227:ご冗談でしょう?名無しさん
12/06/19 21:02:09.53 vzk36tZ5
>>1
光子エーテルさん、光子はいらない子みたいですよ!
「光子っていらない子」でググって下さい
228: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/20 14:44:51.16
ざっと読んだが物事、すなわちモノとコトの区別がついてないみたいだね。
例えばワイングラスはモノ。それが床に落ちて割れる現象はコトでありモノではない。
あるいはM・ジャクソンはモノ(者)であるが、パフォーマンスであるダンスは
表現でありコト、モノではない。
あるいは競技場の観客席に座る人間はモノ(者)であるが、立ったり座ったりして
生じるウェーブはモノの集団行動による現象でありモノではない。
で、そのブログの主はダンスやウェーブはモノではない、とごく当たり前のことを
言っているのだ。
しかしモノとコトは一体であり不可分である。
もしそうでなければ誰もいないはずの隣の部屋から、夜な夜な女のすすり泣きが
聞こえてくる、というホラーの世界になる。
229: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/20 14:46:36.24
もっとも、現代物理はモノである媒質を否定しているのだから、すなわち光は
媒質なしで伝わるとしているのだから、そのブログの主はある意味真っ正直だ。
230: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:10:05.78
そもそも光は粒か波かの論争があった。
図1-粒
←●
図2-波
_∧ ∧ ∧ ∧ _
∨ ∨ ∨ ∨
ニュートンは図1のように光は粒の流れと考えた。
それに対し図2は、光は水の波や音の波のように波長や振動数で語るべき
ものであるとするエーテル派のホイヘンス等によるものである。
やがて、光に波特有の現象とされる回折や干渉が見いだされ、光は波であるとされた。
しかし前世紀初頭に光は飛び飛びの値をもつという量子論の台頭、さらに光電効果や
コンプトン効果のように光はあたかもビリヤードの玉のように粒のように振る舞う、
と考えると上手く説明できる現象も見いだされた。
そしてそれはニュートン流の光の粒説の復活とみなされ、波の象徴とされたエーテルは
その定義により、歴史の表舞台から退場させられた。
しかし図1の描像ではその速度は任意であり、上限がある必然性はなく、
そもそも波動方程式が導出されないのは明らかである。
231: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:13:05.68
ところで図1からは波動方程式は出てこないと言ったが、だからといってニュートン力学と
波動方程式が無関係というわけではない。いやむしろ逆である。少なくとも古典論においては。
図3
┃ ∧ ∧ ∧ m
┃_/ / / -●
┃ ∨ ∨ ⇔
図3は調和振動子の模式図であるが、質量をもった錘はニュートンの運動方程式F=ma
に従う。さらにバネによる復元力はフックのバネ定数kと置いてF=-kxである。
すなわち、皮肉なことに、波動現象は対立していたニュートンとフックの共同作用と言える。
図1と図2は一見相容れないが、調和振動子においては質量をもった錘がサインカーブを
描いているのだから、調和振動子は粒と波の姿が共存している。
すなわち粒であり波であり、それ以外の何物でもない。
232: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:15:28.95
さて、原子と原子がバネで繋がった分子○…○は(調和)振動子である。
すなわち媒質においては調和振動子としての明確なメカニズムが存在する。
つまり、そもそも回折や干渉が波の特性であるとする描像そのものが怪しいのだ。
確かに○←粒的なモノが干渉するとは考えにくい。
しかし同じ粒的なモノであっても、それが○…○←調和振動子とするなら
粒と干渉は矛盾しない。
すなわち区別すべきは粒か波かではなく、モノとその振る舞い、すなわち状態なのだ。
233: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:17:45.14
電磁場は光子の集団であり、調和振動子の集団であると言われている。
しかしこの場合の調和振動子は固有振動、あるいはフーリエ変換で場を展開すると
正弦波が表れ、それが単振動、すなわち数式上は調和振動子と同じと言う意味である。
しかし場自体に調和振動子のメカニズムがあるわけではない。
それゆえサインカーブを見て、それがなんで粒なんだ?と言う疑問はもっともだ。
しかし、もし場を媒質をモデルに置き換えると、
すなわち光子は○電子と●陽電子の複合粒子となり、すなわち●○
つまり光子は粒として還元される。
もっとも既存の物理では電子も光子も構造をもたない点として記述しているのだから
それはない。ないものねだりしてもだめである。
それはエーテルを捨てた代償としてあきらめるしかない。
234: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:19:52.43
連続体を採用している場に粒子的描像をイメージすることは困難である。
それは既存の流体力学を考えればわかる。
マクスウェル方程式は流体力学をモデルに作られたと言われているが、
そもそもその流体力学自体が連続体である。
もちろん実際の流体は原子・分子からなる離散的なものであるが、粗視化すると、
すなわち原子・分子をいらない子とすると連続体として扱える。
ようするに連続体として扱えばよく整備された連続体の方程式が使えると言うことである。
235: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:23:22.83
流体を巨視的にdiv,grad,rot、さらに圧力や密度のようなスカラー、あるいは
ベクトル、テンソルといった量を微分を駆使して展開すると、飛行機の翼の形状や
自動車の形状をデザインすることができる。
しかしそれが電子レンジの原理となるとお手上げである。
電子レンジは極性をもった水分子がマイクロ波の電場に揺すられるからである、
と説明されるが、連続体の流体力学では水は時としてエネルギーの塊として振る舞う、
としか言えないであろう。
つまり、巨視的には流体は連続体として扱えるが、さらに短波長でズームインすると
原子・分子と言う離散的な構造が見えてくる。
そしてその原子・分子の離合集散を扱うのは、その原子・分子の存在を前提にしている
化学者の領域である。
ところで面白いのは、そのブログの主の記述によると、光子、すなわちフォトン
という用語を使いだしたのはアインシュタインではなく、化学者であるルイスという
人物らしい。偶然と言うべきか、必然と言うべきかw
236: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:25:41.51
化学者がモノを出したり消したりできるのは電荷にはプラスとマイナスの量が
あることを知っているからである。
ならば物理学に負の質量(エネルギー)を導入すると、物理学はミクロの世界を
実体として扱える。
そもそも反粒子は負エネルギー解から導出されたものである。
ならば反粒子は素直に負の質量をもっているとすればいい。なんでわざわざ
正の質量に改変しなければならないんだ?というと負の質量は存在し得ないように
定義されているからだ。
ならば存在を許されるように再定義すればいいだけの話である。
ところが物理学は別の道を歩んだ。現在負エネ粒子を正の質量に改変する方法は2つある。
すなわちディラックの海と先進ポテンシャルを使った時間の逆行だ。
どちらもトンデモ中のトンデモである。まあ負の質量よりはましという程度である。
237: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:45:56.20
そもそも物理学における虚数、負のエネルギー、あるいは時間の順逆に対する
イメージは、かすってはいるが本質をついているわけではない。
例えばもし仮に虚質量を有する物質があったなら、それはエネルギーを失えば失うほど
加速し、逆にエネルギーを得れば得るほど今度は減速されると言われている。
しかし、これは単にかすっているだけであり、せいぜいファールチップである。
238: ◆GOVXYB0Zc.
12/06/23 16:47:55.63
〈複素平面〉
虚軸(位置エネルギー)
↑y
│─┐
│ │
│ │
│ │x
─┼─┴─→実軸
│(運動エネルギー)
上の図は単振動を複素平面に射影したものであるが、錘の運動エネルギーを実軸に、
さらにバネの位置エネルギーを虚軸に取ったものである。
さて虚軸の最大点(絶対値)、すなわち純虚数の時には運動エネルギーはゼロ、
すなわち錘は静止している。逆に虚数の値が減るほど、すなわち位置エネルギーが
減衰すればするほど錘の速度は増す。
さらに錘が減速する過程においては位置エネルギー、すなわち虚軸の値は増加する。
そしてそれは虚数質量をもった物体がもつとされている性質とある意味同じだ。
しかしそれはかすっているだけであって、フェアゾーンにあるのはあくまでも
現実の世界に存在する柱時計の振り子の運動であり、ジェットコースターであり、
その他もろもろ我々が普段目撃している全てのものなのだ。
239: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/19 22:35:48.93
何度も繰り返すがエーテルというハードが埃を被ったままなのは、そこに波という
ソフトしか組み込まれていないからである。
しかしエーテルが水の波や音の波のようにという類推から想定されたものならば、
水や大気は原子・分子というデジタル量からなるのだから、エーテルのハードには
離散的であるというソフトをインストールしなければ動作しないことは明らかだ。
さらに媒質は本質的にゆらぐ世界である。ならばそこに生じる波の速度が絶対的である
必然性はない。
さらに媒質の世界には自然長Lという基準系がある。
つまり、エーテルに媒質の世界を徹底させると、そしてそれが宇宙の営みと呼応
するならば、エーテル理論は現代科学に重要な位置を占めるだろう。
たとえそれが最初は異端の説であったとしてもだ。
240: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/19 22:40:20.45
科学の書物ではエーテルはMM実験により否定された、となってるが、
そのような歴史的事実はない。MM実験はエーテルに不利な条件を課しただけである。
しかし別に致命的であったわけではない。
大体現代科学はエーテルを否定したところで、それに変わる疑似エーテルとでも呼ぶべき
「場」を使っている。
場とは空間の各点に定義された量であり多体系である。
すなわち空間の各点にスカラー、ベクトル、テンソルといった物理量が付与されている。
・・・ →→→ ◇◇◇
・・・ →→→ ◇◇◇
・・・ →→→ ◇◇◇
scholar vector tensor
まさに媒質そのものである。
ならば何で電磁波を媒介する媒質がダメで、何で電磁波を媒介する場がいいのかの
合理的な説明が必要であろう。
241: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/19 22:43:43.58
もっとも場と媒質には決定的な違いがある。
すなわち場は構造をもたない連続体であるが、媒質は構造をもった非連続体である。
それゆえ、エーテルが在るか無いかという問いは、宇宙空間は連続体なのか?
それとも離散的なのか?という問いに置き換えることができる。
すなわち宇宙が真実連続体ならば、それは連続体を標榜する場で記述するしかない。
しかしもし宇宙に離散的な兆候が見いだされたならば、その時にはエーテルの出番である。
242: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/19 22:46:07.57
自然は連続体である、という思い込みはある意味人間の感性に合っている。
例えばディスプレイは離散的な画素の集まりだが、貪欲な我々はその価値を
画素数の多さに求める。
あるいは画面をスクロールする場合、カクカクしてはストレスが溜まる。
なめらかに動いたほうが絶対にいいに決まってる。
あるいは動画は静止画の連なりであるが、人間の眼、いや脳はたかだか30フレームで
連続体として認識する。もちろんハイスピードカメラのように、さらに時間を微細に
切り刻めば、自然の驚異を垣間見ることができる。
すなわち、自然は切り刻めば切り刻むほど真実に近づくというドグマ、そしてそのツール
としての微分への信仰はある意味当然だ。
243: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/19 22:48:40.43
しかしだからと言って、じゃあ連続無限個の画素をもつディスプレイはどこにあるんだ?
というとそんなものはどこにも売ってないし今後開発される見込みもない。
さらに今日情報化社会の到来とともに、デジタルの波が押し寄せている。
総務省もアナログ放送を停止したではないかw
かつて大航海時代、天動説から地動説に移行したように、大規模な情報化社会の到来
とともに、我々の認識するあらゆるもののそのベースはデジタルなものに置き換わっている。
そして原子・分子からなる媒質はまさにデジタルの世界であったということだ。
244: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/19 22:50:09.94
さらに例の大惨事により、自然エネルギーへの関心が高まっている。
自然、すなわち環境は水や大気、そして大地といったまさにエーテルの系譜である。
ならば媒質を否定した理論は、我々の行く末に何の指針も与えない、
今日的には実に寂しい理論なのだ。
245: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/30 20:30:13.59
エーテルの思想背景はその実在性である。
よくエーテルは理論の辻褄合わせのために想定された架空の存在、と思われている節が
あるがそれは大いなる誤解だ。
すなわちエーテルには液体である水、さらに気体である大気、さらに固体である大地
といった現実に存在するモデルがある。
その意味ではエーテルには実在性という強い制約がある。それゆえ一見不可思議な
現象も合理的な説明が求められる。
それに対して場とは我々の身近に対応するモノがない、あくまでも架空の世界である。
それゆえ場を名乗れば何でも許されるという風潮がある。
つまり、どんなに奇妙奇天烈な解釈も、ミクロの世界は古典的描像では語れない、
という言い逃れができるからだ。
246: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/30 20:35:16.73
ミクロの世界は古典論では語れない、と言っても、連続量=古典的、離散量=量子的
とするならば、連続体である場は立派な古典論である。
「なに古典論でない振りしてんだよ!って話だ」w
そもそも生命を育む媒質が古典論で記述できないことはちょっと考えれば分かることだ。
よく時空連続体である相対論は重力を量子化していないので古典的と言われている。
すなわち重力を量子化しようとすると無限大に発散する。
しかし無限大の困難を抱えているのは場の量子論も同じだ。
そもそも場の量子論は特殊相対論と手をたずさえて進展したのだから根っこは同じである。
そしてマクロ系には相対論、そしてミクロ系には量子力学、という偉大なる棲み分け
が行われている。
しかしそれは単に連続体である場が普遍的でないことの証しに過ぎない。
すなわち普遍的な理論にミクロ系とマクロ系を隔てる壁は存在しない。
247: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/30 20:37:51.97
ミクロの世界を記述する数式を不可思議な数である虚数iで装飾すると、
いかにもそこは不条理な世界であり、日常の常識を捨てなさい、というサインになる。
しかしエーテルの思想がその実在性を問うものだとすると、当然虚数も実体を伴って
初めて意味をもつことになる。
─●─0─○─
-x x
さて位相を360°変換するということは、図で言えばxはxそのものであり、
-xは-xそのものである。
さらに180°の位相変換はxを-xに、-xをxに、すなわち対極にある状態の変換だ。
すなわちプラスとマイナスの符号を入れ換える操作である。
では位相を90°変換する操作は何なんだ?ということになる。
248: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/30 20:41:43.33
虚数とは2乗すると-1になる数、すなわち √-1 である。
ところで虚数を使うことが位相を90°変換する操作、そしてその演算子とすると、
それは先程の数直線上には対応しない。
それゆえ複素平面を考えて、実軸に直行する虚軸↑(↓)を導入することになる。
249: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/30 20:45:20.24
さて、虚数が実体を伴って初めて意味をもつとするならば、それは我々の現実の世界と
対応していることになる。ではその様子をサッカーの試合で見てみよう。
ひいきのチームの選手がボールをキープすると一方的な方向性であるベクトルが生じる。
すなわち →○ さらにそれの180°の位相変換は相手チームの選手がボールを
インターセプトすることである。すなわち ←●(負のベクトル)
ここで注意すべきは、ひいきのチームの選手が味方の選手にバックパスするのは
別に負のベクトルではないと言うことだ。少なくとも高次の対称性においては。
それは味方の選手にバックパスしたボールと、
相手チームの選手が蹴ったボールの向きが同じとしても、その意味合いが全く違う
ことは明らかだからだ。
250: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/30 20:48:00.81
さて、では90°の位相変換とは何なのか?すなわち位相を90°ずらす演算子とは?
と言うと、それは互いに相手チーム防御側の選手である。
すなわち防御側の選手は一種の抵抗(インピーダンス)として働く。
つまり防御側の選手はあくまでも抵抗として作用するのであって、ボールをインターセプト
しない限りベクトルの向きは変わらない。
すなわち錘とバネの関係で言えば、ボールをキープして錘のように運動量(エネルギー)
をもっているのが攻撃側の選手であり、その攻撃側の選手に運動エネルギーを与える、
あるいは攻撃側の選手の運動エネルギーを吸収するのがバネ、すなわち防御側の選手である。
ようするに攻撃側の選手は運動エネルギー、そして防御側の選手は位置エネルギーを
もっている。
251: ◆GOVXYB0Zc.
12/07/30 20:50:55.62
攻撃側の選手が相手陣内に攻め込むと、相手チームの防御側に押し返されるという力
が生じる。そしてそれはバネを押すと押し戻される力が発生するのとある意味同じだ。
しかしその力はあくまでも √-1である。なぜならそれはベクトルを反転させては
いないからだ。すなわちベクトルを反転させるためには位相をさらに90°変換
しなければならない。
すなわち防御側がボールをインターセプトして初めてi^2でマイナス1となり、
実の負のベクトルとなる。
ようするに、錘とバネからなる系が振動するように、サッカー(スポーツ一般)
の試合においては選手及びボールはこちらとあちらを行ったり来たりする、すなわち
往復運動する。そしてそれが波動場の意味であり、さらに波動場には複素数、
さらに複素共役を使わなければならないことは明らかである。
252:ご冗談でしょう?名無しさん
12/08/11 11:51:28.37 dql5bN+e
l
253:ご冗談でしょう?名無しさん
12/08/11 12:33:18.28
メコスジスの鏡
254:ご冗談でしょう?名無しさん
12/08/26 23:50:36.76
ところで俺は光子は囲碁の劫であると主張しているわけであるが、知的財産の観点
からも計り知れない規模だ。
それゆえ光子は劫であるという図式をしっかりと頭の中に刻んで欲しい。
後でぐだぐだ言ってもやっかいな事態になるのは領土問題を見れば明らかだ。
もちろん科学の基礎理論は万人に共有されるべきものであるが、だからといって他の国、
特に同じアジア圏の人間が同じ主張をし、そしてそれがスタンダードになったとしたら、
お前らはその状況に耐えられるかな?
もっとも今その重大性を認識できないとしても、あるいはこのスレがいずれDAT落ち
したとしても、過去ログ及びキャッシュに残る限りは無問題だが。
255: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/10 23:23:38.08
媒質を伝わる波、すなわち移動する波源から前方に放出された水の波や音の波はエーテルの
風の分遅く、逆に後方に放出された波はエーテルの風の分速くなるとされる。
←エーテルの風
c+V? →V c-V?
(((( ●))))
果たしてそうだろうか?確かに見た目はそうである。
ならば媒質を伝わる波は逆ガリレイ変換が成り立つという非物理的なものとなる。
ちなみに媒質を伝わる波においてエーテルの風とは、単なるドップラー効果に他ならない。
256: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/10 23:28:01.69
さて、もしそれが運動物体から放出された粒的なものならば、それは普通の意味で
いわゆるガリレイ変換が成り立つ。
v-V →V v+V
・←―●――→・
すなわち前方に放出された物体は運動物体の速度分加算され、後方に放出された
物体は減算される。
それに対し、媒質を伝わる波はエーテルの風が吹くのだから、運動物体から放出された
前方の波の速度は減算され、逆に後方に放出された波の速度は加算されるというならば、
まさに逆ガリレイ変換である。
ならば媒質を伝わる波の速度をガリレイ変換に共変にするためには、
→V
(((((●)))))
のように現実の世界とは対応しない真逆なものとなる。
257: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/10 23:30:53.00
ここで何がおかしいのかと言うと、そもそも空間に局在する粒的なものと空間的広がり
をもつ波的なものを何の操作もなく較べていることだ。
すなわち両者は全く異なる方法論でもって何かを移動させているのだから、両者にまたがる
共通言語を使用しなければならないはずである。少なくとも科学が科学である限り。
すなわちそれはエネルギー、時間といった物理量である。
258: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/10 23:32:54.43
粒的、すなわち運動物体の運動エネルギーは E=1/2mv^2 で表される。
すなわち物体のもつ運動エネルギーは速度が速ければ速いほど大きい。
つまり、エネルギーと速度は等価であり、速度が速い遅いはエネルギーが大きい
小さいと言い換えても同じだ。
259: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/10 23:35:43.91
さて、波のエネルギーは振幅の2乗で表される。
ならば振幅が同じならば、波のエネルギーは単位時間における振動数に依存することになる。
ならば移動する波源から放出された前方の波の振動数はドップラー効果により増え、
後方に放出された波の振動数は減るのだから、そしてエネルギーと速度が等価ならば、
前方に放出された波の速度は速いのであり、後方に放出された波の速度は遅いのである。
遅い → 速い
(((((●)))))
その意味では媒質を伝わる波はガリレイ変換に対して共変である。
260: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/10 23:37:36.56
もっとも今述べた共変とは単にどちらも加減算される量である意味である。
しかしそもそも波には定数cが存在し、特別な意味をもつ。
すなわち定数cに達すると衝撃波が発生し、発散する。
その意味では共変でない。
261: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/10 23:39:49.29
光速不変はパラダイムの一つに過ぎない。
ならば光速可変というもう一つのパラダイムを構築することができる。
<粒的な速度を測る>
B →V A
|― L―ー|
C
上図のような方法で長さLの電車の速度を測る場合、観測者CはAが目の前を通過した
時点にストップウォッチを押し、そしてBが目の前を通過した時点で再び押す。
さらにCが速度Vで左右に動きながら電車の速度を計測すれば、電車の速度(相対速度)
は変化する。
262: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/10 23:58:55.14
<波動の速度>
B →c A
|― L―|
←C→
正弦波の波長Lを電車の長さに置き換えると、そして観測者Cが動きながらLの
通過時間を計測すると時間は短縮(あるいは遅れる)する。
すなわち周期Tは明らかに可変である。
ならば、速度は距離(長さ)を時間で割った値とすると、すなわちL÷T=λ/t=Vとなり、
光速度は可変となる。
もっとも、光速度不変は実験事実であり、現代科学は光速度不変により構築されており、
それによる不都合はない、と反論されるだろう。
それに対してはパラダイムが違う、と答えるしかない。
すなわち周期Tは可変なのだから、光速度は可変である、というパラダイムだ。
ちなみに観測者が静止していようとも、波長毎に周期Tは違うのだから、どっちにしろ
光速度は不変ではない。
263: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/11 00:00:55.10
粒的なモノと波の両方にまたがる共通の速度がある。すなわち角速度ωだ。
角速度とは円の一点を回す速度を角度で表したものである。
例えば自転車のペダルを単位時間に1回漕ぐのと2回漕ぐのとではそのスピード、
到達距離が違ってくる。
すなわち努力はあくまでも報われるのであって、角速度が違えば速度ベクトルも違う。
遅い
1回転―→
2回転―――→
速い
264: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/11 00:03:25.70
円周の一点の軌跡を2次平面に射影すると正弦波、すなわちサインカーブを描く。
すなわち円の1回転は一つの波長、振動数に対応している。
そして、発電機がそうであるように角速度が速いほど単位時間における振動数は増える。
角速度が速いと言うことはそれだけのエネルギーを投入しているのだから、
振動数とエネルギーが対応しているのはある意味当然だ。
ならばエネルギーの大小と、速度が速い遅いが等価ならば、光速度は一定という
固定概念は捨て去らねばならない。
―→遅い
→) ) ) ) )
→)))))))))
―――→速い
265: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/11 00:06:06.69
光速度不変の原理が成立した時代と、高度な情報機器が発達した現代社会とでは
時代背景が違う。
そもそも速度とは何か?と問うならば、それは情報が伝わる速さであろう。
ならば例えばパソコンのCPUの処理速度はクロック周波数に依存していることは(
それだけではないが)誰もが知るところである。
あるいはより短波長の光の方が、より大容量の情報を送ることができるのは、
ネットで動画や音楽をダウンロードする時に誰もが経験していることである。
266: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/11 00:08:36.01
つまり、高度な情報機器が張り巡らされたネット社会においては、プロである物理学者
よりも先に賢い一般市民の方が光速度可変、すなわち赤い光よりも青い光の方が速い、
という現実に薄々感づくことになる。
それは同じ一枚の紙幣を貰うならば、千円札よりも五千札、さらには一万円札の方が
より嬉しいようなものだ。
267: ◆GOVXYB0Zc.
12/10/11 00:11:14.71
もっとも、だからといって、より短波長の光に絶対的価値を置くと言ってるわけではない。
つまり光、すなわち電磁波は波長に応じた性質、役割を担っている。
すなわち歩くよりも自転車の方が速いからといって、部屋中を自転車で走り回る
わけにはいかないし、100m先のコンビニへ行くのにジェット機のエンジンキーを
回す者もいないだろう。
さらには波長が短くなると指向性が強くなり、中継局を介さなければならず、
インフラ整備に莫大なコストが掛かる。
しかし単に速いか遅いかと言えば、より短波長の電磁波が速いのだ。
その意味ではガンマ線が最も速い光、すなわち電磁波であることは言うまでもない。
268: ◆GOVXYB0Zc.
13/03/31 16:55:47.32
複素次元による宇宙の幾何学構造
定義1:2次平面は表面と裏面の2つの面から成るとする
2:どちらを表とするかは任意である
図1 3:表を実とすると裏は虚である
A面 4:以上の定義により、2次平面は複素数で表わされる
↑表 __↓________
/ / 図Ⅰにおいて板状の帯は弾性体であるとする。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 裏↓ 弾性体であるということは曲げるには力を加える必要があり、
/ \ ↑B面 常に元のまっ平ら状態になろうとする復元力が働いている。
/ ̄\ / ̄\
/ _↑ \ / _↓ \ さて、帯状の板に力を加えて輪にするとA面とB面は外側と内側に
|\/ \/ | |\/ \/ | 分離され、閉じた系になる。
| \_/ | | \_/ | さらにどちらを表にするかにより、互いに共役な2種類の量を
\ ↓ / \ ↑ / 作れる。
\_/ \_/ 図2において、輪にすることにより加えた力は自己エネルギー
反粒子 粒子 (静止エネルギー)として保存している。
\ /
_
/ ̄\ / _ \
/ _ ↓\// \↑\
|\/ \// \ \/|
| \_/ /\ \_/ |
\ ↑ / \ ↓ /
\_/ \_/
光子(ボソン)
269: ◆GOVXYB0Zc.
13/03/31 17:00:49.72
帯状の板の一端を180゜ひねって輪にするといわゆるメビウスの帯になる。
帯の任意の位置に印(↑)をつける。さらにその↑を帯に沿って平行移動させると、↑は
回転しながら進む。
そしてちょうど印をつけた裏側に達した地点で↑は反転して↓になる。
さらに長い道程をへてスタートした位置に戻り、矢印の向きも一致する。
メビウスの帯においては矢印、つまりベクトルは↑↓↑↓のように反転を繰り返す。
すなわちメビウスの帯は波的な性質をもっている。
さらにメビウスの帯は図2と同じく閉じた系なので、空間に粒的なモノとして局在し、
1個2個と数えられる。すなわちメビウスの帯(クラインの壺)は波動場の量子である。
270: ◆GOVXYB0Zc.
13/03/31 17:04:26.61
よく複素平面は数学上の道具であり現実の世界には存在しない、という見方もあるが、そんなことはない。
なぜなら今目の前に複素平面であるメビウスの帯というオブジェが実在しているからだ。
ではなぜ複素平面であるメビウスの帯が現実世界に存在するのか?というと、
それは我々の現実世界が複素次元であるからだ。
271: ◆GOVXYB0Zc.
13/03/31 17:06:45.78
┳ ┏━┓
: ↑┃ ┃
: 〓 ┃
: ↓┃ ┃
↓■↑ ┗━┛
バネ コンデンサ
(この文章は嘘である)←嘘つきのパラドックス
真・偽・真・偽…
_
表? / _ \
___/ /_\_\ ○ ○
/_______/ ○●○ ← ○ ○
\ \/ / ● ● → ●○●
\_/ 裏? ● ●
光子(ボソン)
力学におけるバネ、電子回路におけるコンデンサ、論理学における嘘つきのパラドックスは
同相であり、対極にある状態を往還する。すなわち振動する能力がある。
そしてそれを最も単純にモデル化したのが囲碁の劫なのである。
つまり光子は構造をもっている。すなわち光子には振動するメカニズムがある。
さらに宇宙は光子エーテルで満たされている。
すなわちそれがよりバージョンアップされた新しいエーテルの姿なのだ。
272: ◆GOVXYB0Zc.
13/03/31 21:31:49.65
物質創成
●○
←●○●○→
●○
↑
光子は↑を基点に、←→を軸に互いに逆回転できるとする。さて高エネルギー状態に
励起された光子がちぎれんばかりに回転すると光子は←→方向に引き伸ばされる。
●●○○
←●○○●●○→
●●○○
引き伸ばされる長さは加えられるエネルギーに比例する。
↓
●●●●●●●●●●●●●●○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○●●●●●●●●●●●●●●●●○
●●●●●●●●●●●●●●○○○○○○○○○○○○○○○○
やがて引き戻される。
→ ←
●●●●●●●●○○○○○○○○
●○○○○○○○○●●●●●●●●○
●○○○○○○○○●●●●●●●●○
●●●●●●●●○○○○○○○○
273: ◆GOVXYB0Zc.
13/03/31 21:34:49.38
→ ←
●●●●○○○○
●○○○○●●●●○
●○○○○●●●●○
●○○○○●●●●○
●○○○○●●●●○
●●●●○○○○
そして衝突 ↓
X
/ \
●●● ○○○
●○○○● ○●●●○
●○○○● ○●●●○
●○○○● ○●●●○
●●● ○○○
最終的にクォークの泡粒が創られる
274: ◆GOVXYB0Zc.
13/04/29 22:56:31.35
光子の質量はゼロである、それゆえ光は光速度で走る。あるいは光子に質量があると
光は光速度では走れない、などと言われているが、これは何の根拠もない論理である。
そもそも光速度は有限である。一瞬にして宇宙の端から端へと伝わるものではないことは言うまでもない。
光子に質量があると光は光速度では走れない、というのはおそらくは質量をもったモノは決して光の速度
には加速できないというイメージからきているのであろう。
しかし例え光子を粒的なモノに還元したとしても、光子という粒そのものが空間を移動するわけではない。
それとも物理学者は光子を粒的描像ととらえた場合、その粒自身が宇宙空間を飛び交っている
とでも考えているのかな?
ちなみに素粒子論の立場では光子はいわゆるゲージ粒子であり、その長距離力ゆえ、
やはり光子の質量はゼロとしている。
275: ◆GOVXYB0Zc.
13/04/29 23:01:01.04
音速は v=√p(k)/ρ から導出される。すなわち復元力と密度(質量)の比から求まる。
音速を表す数式は媒質の密度、すなわち質量が大きければ音速は遅く、逆に質量が小さければ
速くなると言っている。
そして質量0の極限では数式上は √p/0 となり、音速は無限大に発散する。
あるいは調和振動子を表す式は ω=√k/m である。
調和振動子においては質量mがあらわに出てくる。
そもそも調和振動子は模式図的にはバネと重りから成る系なのだから当然だ。
すなわち波動場とは質量を持ったモノが対極にある状態を加速と減速を交互にくり返しながら往復するものである。
この場合も質量0の極限では振動数は無限大に発散する。
もっとも質量項がなければバネは伸び縮みしないだろうが。
276: ◆GOVXYB0Zc.
13/04/29 23:04:16.05
ところで電磁場は光子の集団であり調和振動子の集団であると言われている。
ならば光子に質量項がなければ、光子は調和振動子としての資質が備わっていないことになる。
もっとも実際には電磁場は質量1の重りがぶらさがったバネの運動と同等としている。
1という数字は便利な数字であるが、いずれにせよ光子に質量項がなければ、
これは明らかに矛盾している。
しかしこの矛盾は媒質の世界を参照すると解消される。
277: ◆GOVXYB0Zc.
13/04/29 23:07:25.83
長さ10cmのバネであろうと長さ1mのバネであろうと自然長L(変位)は0である。
そしてバネを引っ張ると+方向に長さが伸び、逆に押すと-方向に縮む。
すなわちバネにおいては自然長Lを基準に+と-の長さが定義される。
それゆえマイナスの長さは考えられな~い、などと駄々をこねても無駄である。
ゼロより長さが短ければ、それはマイナスと呼ぶしかない。
278: ◆GOVXYB0Zc.
13/04/29 23:09:41.52
さて、地上の音波においてはバネの自然長Lに相当するのが大気の重さであり1気圧である。
すなわち圧力は高い方より低い方が安定だ、と言っても自然に1気圧以下に遷移することはない。
で、基準値0である1気圧を加圧するといわゆる正圧になり、減圧すると負圧になる。
そしてどちらにしろそのベクトルは1気圧に向いている。
さて今定常波を考えると、空間は瞬間瞬間には絶えず正圧と負圧の間をゆらいでいることになる。
しかし時間平均すると正負の圧力は相殺されて基準値0である。
同様に光子も正の質量を持つ電子と負の質量を持つ陽電子が対になったモノとすると、
光子の質量は絶えず正負の間をゆらいでいることになる ↓●○↑
すなわち光子の質量は時間平均すると0であるが、Δtにおいてはあくまでも正負の値を持つということである。
279: ◆GOVXYB0Zc.
13/04/29 23:11:43.68
その様子は幾何学的に、すなわちメビウスの帯においては部分的には表と裏の区別はつくが、
全体的には表と裏の区別がつけられないのと同じだ。
あるいは囲碁の劫が部分的、すなわち時間的に白か黒かのどちらかの地にできるが、
劫自身はどちらの地であると主張できないのと同じだ。
280: ◆GOVXYB0Zc.
13/04/29 23:13:14.71
そもそも物理量が0であるというのは2つの意味合いがある。
すなわち絶対的に0であることと、見かけ上0であることだ。
前者は文字通り何もない、探すだけ無駄だ。それに対して後者は、例えば電荷のように+と-の量があれば、
そして+と-の電荷が打ち消しあえば、見かけ上0の状態が存在する。
つまり物事を逆に見ると、すなわち質量にも+と-があるとすると、質量0の光子が創れるということだ。
すなわち光子の質量が0であることと、光子がエネルギーを有していることに本質的矛盾はない。
電子が光を放つならば当然陽電子も光を放つ。両者が放つ光が同じはずはない。
すなわち電子が放つ光と陽電子が放つ光は位相が180度ずれている。つまり初期位相が違う。
そしてそれは光子が2つの自由度をもっているからに他ならない。
281: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 16:06:06.83
量子力学と特殊相対論を融合させた理論を相対論的量子力学、あるいは場の量子論という。
しかしこの場の量子論は突っ込みどころ満載である。
そもそも量子力学と特殊相対論が結びつく必要があったのは、電子などのミクロ粒子は光速近くで
走っていると思われたからだ。すなわちガリレイ変換からローレンツ変換への書き換えである。
さらにシュレディンガー方程式は時間に対して1階、空間に対しては2階であるのだが、
相対論は時間と空間を対等に扱う。ゆえに階数をそろえねばならない。
そしてそのシナリオを元に、シュレディンガー方程式のエネルギーEを2次式であるE^2で置き換えて
導かれたのがいわゆるクラインゴルドン方程式である。
282: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 16:10:13.44
ところがである、
kotobankによると、
>クライン‐ゴルドン方程式 【Klein-Gordon equation】
>もともと弾性媒質中にあるしなやかな弦の運動を記述した微分方程式で
(数式略)
>のように書ける.量子力学においては,スカラー中間子(スピンのない中間子)を記述するのに用いられる.
とある。
これはどういうことなんだ?なんかおかしいとは思わないか?
283: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 16:14:06.37
ようするに量子力学に媒質を否定した相対論を取り入れたら、媒質を記述する方程式が導かれたということか?
何のジョークだよw
媒質に無関係な方程式が導かれたなら話は分かるが、そうでないならどこかでボタンの掛け違いを
やっていることになる。
ようするにこの意味するところは、相対論関係なく媒質はローレンツ変換に共変であったということだ。
すなわち媒質こそが時間と空間は一体、すなわち時空そのもであったということだ。
つまり、結婚指輪がローレンツ変換ならば、量子力学はエーテル説と結びつく可能性があったということである。
すなわち未だ見ぬ幻の媒質の量子論の存在だ。
284: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 16:17:44.83
KG方程式から正負のエネルギー解がでてくる。元々エネルギーの2次式なのだから当然だ。
そして物理学者は負のエネルギー解の解釈に頭の毛をかきむしることになる。
すなわちエネルギーはより低い方を好むという物理学の定義により、もし0より低い負のエネルギーの
世界があったなら、我々の見るもの全てがまるで底が抜けたように負のエネルギー無限大目指して
落ちていくことになる。しかしそんな馬鹿な話はない。
ちなみに正エネルギー解に対応する粒子を電子とすると、負エネルギー解に対応する粒子は騾馬電子と呼ばれている。
騾馬電子はエネルギーを失えば失うほど益々元気になる、すなわち速度を増すという奇妙な粒子である。
285: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 16:23:28.39
媒質を否定した相対論と結びついた場の量子論の基礎方程式が、元々媒質を記述するKG方程式である
というのは不自然でありミスマッチである。
実際、媒質の世界に騾馬電子(粒子)に対応する解は存在しない。
そもそも相対論におけるエネルギーの基準点は任意である。強いて最も低いエネルギー原点は
といえば何もないまっさらな真空だ。
それに対して媒質は何かが満ち満ちた世界、すなわち豊饒の海である。
さらに媒質の世界には自然長Lというエネルギー原点である規準系が存在する。
すなわち媒質の世界には初めから騾馬粒子なるものは存在しない。
286: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 16:27:15.62
日常誰もが使う掃除機は、負圧を利用してゴミを吸い取る形態であるが、モーターを回して
実の力を加えていることは言うまでもない。
つまり正負のエネルギー、すなわち圧力は正負を問わずそのベクトルは自然長L(この場合
自然圧Pと呼ぶべきか)を向いている。
すなわち媒質の世界には騾馬電子のような、自然にマイナスの絶対値の大きな方向に向かう
形態は存在しない。
ならば場の量子論が騾馬粒子を許容するならば、場の量子論はKG方程式に変わる、
騾馬粒子を許容する方程式を基礎方程式に置くべきである。もしあるのなら。
ちなみに音速は v=√p/ρ から導かれるが、他の波動方程式と同様にその速度は平方根である。
平方根であるということは正負の2つの解、すなわち+と-の2つの速度が有るということだ。
そして実際、媒質には明確に区別される相反する2つの速度が存在する。
↓ ↑
→●← ←○→
↑ ↓
負圧(収束) 正圧(拡散)
すなわち媒質とは力学の基礎方程式の正負の解に完全に対応した世界なのだ。
287: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 16:30:09.12
言うまでもなく正の質量をもつ物体はエネルギー準位を落としながら最低点に向かう。
そして物理学ではもし0よりエネルギーの低いマイナスの領域があると、
水が高い方から低い方に流れるように、マイナス無限大の底なしの穴に落ち込むとしてる。
〔物理学のパラダイム〕
+m|─○─正の
|─↓─エネルギー
|──準位
0┼───
|─●─負の
|─↓─エネルギー
-m|──準位
※○は正エネ粒子 ●は負エネ粒子
288: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 16:32:56.09
負エネルギー解の困難に直面したディラックは、真空は負エネルギーの騾馬電子で満たされていて
、すでに満席であるため正エネルギーの電子はマイナスの世界には落ち込めないと考えた。
そしてディラックの海に空いた穴こそが正の質量をもつとされる陽電子である。
〔ディラック流〕
+m|──正の
|─○─エネルギー
|──準位
0┼───
|─●─ディラック
|─○─の海
-m|─●──
|─●──
しかしディラックの海はボソンを扱えないので、現在主流でない。
289:ご冗談でしょう?名無しさん
13/05/16 18:56:45.49
テスト
290: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 19:03:18.72
ファインマンは時間を順行する負エネ粒子を禁止し、時間の逆行というアイデアで
正エネ粒子が負エネ粒子に転化することを防いだ。
すなわち陽電子は時間が逆行する電子らしい。
〔ファインマン流〕
+m|─○─正の
|─↓─エネルギー
|──準位
0┼───
|─●─↑─
|─↓─○─
-m|─X─逆行
291: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/16 19:06:28.78
さて、KG方程式が元々媒質の世界を記述する方程式ならば、騾馬電子は架空のモノなのだから、
負エネ粒子を正の質量をもつように改変する必要はない。
すなわち陽電子は素直に負の質量をもつとすればよい。
〔パラダイム転換〕
+m|─○─正の
|─↓─エネルギー
|──準位
0┼───
|──負の
|─↑─エネルギー
-m|─●─準位
すなわちすべての道はローマへ通ず、ではないが、すべての力は0点に向かう。
ようするに、量子力学は新しいパラダイムの元に書き換えられなければならない。
292: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/28 23:23:59.57
ちなみにファインマン流における時間を逆行するエンジンはいわゆる先進ポテンシャルである。
しかし先進波が発見されたという話は聞かない。
そもそもファインマンの解釈もディラックの海と同様に、騾馬粒子を正のエネルギー、正の質量を
もつように再解釈する必要性から考えだされたものである。
しかし元々KG方程式に騾馬粒子は存在しないのだから、戦う相手が間違っていたことになる。
それゆえファインマン流の解釈も、いずれディラックの海と同じ運命をたどるであろう。
293: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/28 23:26:57.29
ところで猿の惑星という映画があった。地球から遠く離れた惑星にいると思っていた主人公が、
自由の女神という動かし難い現実に、「愚か者め!、ここは地球だったんだ」と怒り心頭に発する
ラストシーンはあまりにも有名であるが、
量子力学に媒質と対極にある相対論を取り入れたら見慣れた媒質の方程式が導出されたということは、
それはローレンツ変換は実はエーテルに対して不変であったということがバレたというオチであろう。
つまり、あろうことか物理学者は今の今まで媒質の世界にどっぷりと浸かっていたという、
まさかの大どんでん返しである。
物理学者は常に相対論にお伺いを立てて理論を構築する。
しかし本当にお伺いを立てなければならないのはエーテルなのである。
そして実際、最新の科学の動向は後者なのだ。
294: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/28 23:29:25.14
最近、ヒッグス粒子が発見されたらしい、というニュースが流れている。
さらに宇宙空間にはダークマターやダークエネルギーが満ちているという話もある。
そしてそれらに共通するのはエーテルがそうであったように、宇宙空間は何かで満たされている、
というシナリオだ。
かつて科学者は王様からエーテルの衣を剥がし、賢い人には見えるがお馬鹿には見えない、
と称して時空という衣を着せたが、どうやら最近は賢いはずの科学者でさえもその時空
という衣が見えないらしい。
それゆえ科学者という仕立て屋がとっかえひっかえ、今度こそは見えると称して、
その見えそで見えない衣を脱がしては着せ、しているのだ。
295: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/28 23:31:51.42
アインシュタインは後年、「一般相対論によれば空間に物理量が付与されている。
一般相対論によればエーテルなしの空間は考えることもできない」と述懐したらしいが、
まさに考えられないからこそ科学者たちは、空間をより具体的な何かで埋めようとしているのであろう。
そもそも曲がる歪む捻じれる、伸びる縮むは媒質の世界では日常用語である。
実際材料系の分野ではテンソルなるものは普通に使う用語であろう。
ならば真空とされる空間に実在する何かがなければ、それはエアーテンソルでしかない。
296: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/28 23:33:44.08
ところでヒッグスなるものは相対論に対して相当に失礼な話だ。
なぜなら重力が空間の曲がり、すなわち時空の歪みならば、さらに重力質量と慣性質量が区別が
つかない、すなわち等価原理が正しいならば、質量は時空の歪みじゃだめなのか?
ということになるからだ。ようするに時空はどこへ行ったんだ?という話だ。
そもそも重力と質量がまったく別のメカニズムで発現するというのも解せない。
297: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/28 23:35:29.80
ヒッグス機構はかつて高温であった宇宙空間が冷える過程で真空の相転移が起こり、
ヒッグス場が凝縮していわゆるヒッグスの海になったとするものである。
そして質量とはヒッグスの海による抵抗、すなわち動きづらさとしている。
しかしそもそも相転移は媒質の世界では普通の現象である。
すなわち温度変化により水が氷になったり水蒸気に転化する現象だ。
298: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/28 23:38:08.86
ゲージ理論によると力を媒介する光子などのいわゆるゲージボソンの質量は厳密に0とされている。
そして自発的対称性の破れにより、ゲージボソンは質量を獲得するというのが標準理論である。
ではなぜ光子の質量は厳密に0でなければならないのか?というと、その遠因をたどると
物理学の辞書には負の質量の文字がないからだ。
いや、正確に言うと物理学において負の質量とは騾馬粒子を意味する。
それゆえ物理学者は負の質量を扱えないということである。
ならば否応なく光子の質量は0でなければならない。
299: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/29 00:05:56.10
例えば電荷には+(-)の量しかないとしよう。ならば水分子の電荷は厳密に0である。
なぜなら水分子が+(-)の電荷をもつとするとその反発力によりバラバラになり、
水として凝集することができないからだ。
もちろん言うまでもなく電荷には+と-がある。
しかし大局的には、すなわち±0の状態にある限り電荷は表面化しない。
しかし元々+と-の電荷をもっているのだから、電離するとか分極することにより水は電荷を帯びる。
300: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/29 00:08:26.56
同様に、光子も+の質量をもつ電子と-の質量をもつ陽電子の複合粒子とすると、
光子の質量はプラマイ0となり、質量0の光子が創れる。
さらにそのバランスが崩れる、すなわち非対称になることにより光子は+、あるいは-の質量をもつ。
さらにその光子がエーテルとして空間を満たしていると、空間に様々な力が生じる。
すなわち宇宙のダイナミズムが説明できる。
301: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/29 00:10:00.48
例えば我々の周りを取り巻いている大気は普段穏やか表情を見せているが、先日のアメリカの
竜巻のように時として荒々しい表情を見せる。
すなわち音波を伝える媒質である大気は、単に音波を伝えるだけのために存在している
わけではないということだ。
すなわち家屋を破壊し、木をなぎ倒す台風やハリケーンもまた大気の仕業なのである。
つまり光子エーテル説に従うと、光子は単に電磁波を伝えるだけのために存在している
わけではないということだ。
302: ◆GOVXYB0Zc.
13/05/29 00:11:00.35
さて、光子1個が時間と空間、すなわち時空の一単位とすると、そして重力場が時空の歪み
で説明できるのならば、質量も時空の歪みでいいことになる。
ただしそれは四次元時空連続体ではない。
なぜなら時空の量子である光子はすでに構造体なのだから離散的である。
さらに光子は正負の質量をもつのだから、複素数で表わさなければならない。
すなわち複素時空だ。
303: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 20:46:52.83
台風やハリケーンを撮影した衛星写真と、銀河を撮影した天体写真は渦を巻いている
という意味ではよく似ている。
台風の渦巻き模様は雲であり水蒸気であるが、だからと言っていくら水蒸気の
相互作用を研究したところで台風の渦を説明できないのは明らかだ。
なぜなら実際に渦を巻いてるのは目に見えない大気であるからだ。
もちろん水蒸気は熱エネルギーをもっている。それゆえ水蒸気は台風を
駆動するエンジンの役割を果たしているに違いないが、いずれにせよ
その背後に潜む大気を考慮しなければならないことは言うまでもない。
304: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 20:50:21.02
さて、銀河を撮った天体写真に写っているのは主に恒星などの光を放つ天体である。
しかしその見えている天体の重力源だけでは銀河の回転速度を説明できない、
というのがいわゆるダークマターが必要であるという動機づけである。
しかしもしより実在的な光子がエーテルとして宇宙空間を満たしているなら、
いや光子が時空そのものならば、光子エーテルがそれらの謎を解決するかもしれない。
305: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 21:22:49.36
ヒッグス機構を説明するのによく強磁性体のアナロジーが使われる。
すなわち棒磁石を熱するとやがて磁性を失う。
それは向きがそろっていた微小磁石の向きがてんでんばらばらになり、マクロとしての
磁性が失われたからだ。
すなわち微小磁石のそれぞれが勝手な方向を向いている状態が対称性がある状態であり、
向きがそろった状態が対称性が破れた状態である。
306: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 21:25:19.46
しかしこのアナロジーは不完全である。
なぜなら磁石にはN極とS極の2つの極があるからだ。それは電荷には+と-の量が
あるのと同じであり、相殺項があるということである。
つまり見かけ上力がない状態は±0の世界であり、絶対的に0の世界ではない。
ところが現代物理は質量に関しては+の量しか認めていない。
反粒子は負エネルギー解から導出されたにもかかわらずである。
すなわち質量に関しては相殺項がないということだ。
ならば対称性が破れる前の対称性は何なのか?ということになる。
307: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 21:27:19.73
ゲージ理論の一つの見方として、位相変換、例えば符号の正負を入れ替えても物理法則
は変わらないことを要請するものであると言える。
例えば既存の物理学では電子の電荷は-、陽電子の電荷は+と規定しているが、
例え電子の電荷を+としても、同時に陽電子の電荷を-とすれば物理法則は変わらない。
308: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 21:30:26.23
あるいは身近な例では、仮に世界中の車は右側通行であるとしよう。
しかしもし望むなら、明日から(もちろん十分な準備期間をとっての明日であるが)世界中の車を
左側通行にする、としても構わないはずである。
実際、現実に、ローカルとして日本のように左側通行を採用している国が存在する。
つまりその場合、交通標識をそのようにすればよいのだ。
そもそも右手系と左手系に対称性があるということは、対向車が真正面から向かってくる
可能性があることを意味する。
しかし現実に対向車とすれ違うことができるのは、それは右と左の対称性を破っているからだ。
309: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 21:32:29.21
さて位相変換、すなわち現代物理においては符号の入れ替えを許さない物理量が存在する。
すなわちそれはエネルギーだ。
もし正負のエネルギー準位が>>291の図のようであれば、エネルギーの符号のを入れ替えても
物理法則は変わらない。なぜならどちらもそのベクトルは0点を向いているからだ。
しかし現代物理のパラダイムは>>287の図である。
ならば正負の符号を入れ替えると物理法則は変わってしまう。
310: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 21:35:12.58
すなわち明日から正のエネルギーを負のエネルギーと呼ぶことにしよう、ということは
そのエネルギー準位は絶対値のより大きな方向が安定になるということである。
もっともその場合、百歩譲って大域的に負のエネルギー準位は0点に向かう、
しかし正のエネルギー準位は絶対値の大きな方向を向いている。
ゆえに正のエネルギーは存在しない、とすれば物理法則は今までと変わらない。
しかしそれにしたって、局所的変換は無理である。
すなわちどっちにしろ符号を入れ替えるということは車で言えば、アクセルから足を離すと
益々加速する世界であり、車を止めるにはアクセルを思いっきり踏み込まなければならない。
さらに放り投げたボールは空気抵抗などで減衰してエネルギーを失うと益々速度を上げる
という、凄まじい世界である。
311: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 21:36:50.09
ゲージ理論は大域的対称性よりも局所的対称性を重要視する。
すなわち時空の各点で勝手に位相を取り換えても理論が不変に保たれることを要請する。
しかしエネルギー、そしてそれに等価な重力、質量に関してはゲージ対称性は
成り立たないことを見てきた。
それゆえ既存の枠組みの下では4つの力を統一することは不可能である。
そもそも>>287は実験的裏づけのない恣意的な概念である。
ただエネルギーはより低い方を好むという合い言葉に乗っかったものだ。
しかし実際の正負のエネルギー準位は本当は>>291だとすると、現代物理の状況は
宝探しゲームをやるにあたり、主催者がうっかり砂の中に宝物を隠し忘れたようなものだ。
ならばいくら砂を掘ったところで宝物が出てくるはずがない。
やがて日が暮れて途方に暮れるだけである。
312: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 22:08:51.36
現代物理では無邪気に粒子も反粒子も正の質量をもっていると言うが、物理学者は
本当に反粒子は先進ポテンシャルにより駆動されていると思っているのかな?
負エネルギー解の反粒子が正の質量をもつということはそういうことなのだよ。
ならば電子が放つ光が遅延波ならば陽電子が放つ光は先進波なのか?
そもそも反粒子は何をもってして時間を逆行していると言えるのだ?
ファインマン流における時間の逆行は単に理論の辻褄合わせのための相殺項ではないのか?
313:ご冗談でしょう?名無しさん
13/06/23 22:34:43.98
テスト
314: ◆GOVXYB0Zc.
13/06/23 22:38:30.37
しかし時間の逆行という概念が有効ならば、それは数学的に複素共役でいいはずである。
すなわち電子と陽電子が放つ光はそれぞれ正振動と負振動でよい。
ようするに初期位相が180度ずれているということだ。
つまり粒子と反粒子はエネルギーの形態が異なるのだから、
一方の質量を+とするならば、一方の質量を-としても何の問題もないということだ。
315: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/08 NY:AN:NY.AN
光子の質量は0であると言う。しかし光子は運動量もエネルギーももっている。
しかし質量とエネルギーが等価ならば、これは明らかに矛盾している。
実際、運動量は p=mv であり、運動エネルギーは k=1/2mv^2 であるからだ。
ならば質量が0ならば、運動量もエネルギーも0になる。
もっとも相対論的はローレンツ因子 √1-(v/c)^2 で割る必要があるが、
それにしたって質量mが0ならエネルギーも0であることに変わりはない。
316: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/08 NY:AN:NY.AN
ただしここで注意すべきは、ローレンツ因子のルートの中の速度vをcにすると
√0になることだ。すなわち0と言っても平方根なのだから±0である。すなわち√0=±0
このスレで何度も述べているように±0は絶対的に0でない。
絶対的に0であることとそうでないことの違いを例え話を使って説明してみよう。
317: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/08 NY:AN:NY.AN
蛍光灯の白もディスプレイの白も、基本的に白である。
しかし両者の違いは蛍光灯の光はあくまでも白だが、ディスプレイは任意の色を出す
ことができることだ。
つまりディスプレイは赤、緑、青の3原色の画素から成っている。
そして3原色のバランスの違いにより、様々な色を出す。
すなわちディスプレイは±0(3値であるが)の世界なのだ。
318: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/08 NY:AN:NY.AN
あるいはスポーツにおける得点、すなわち0対0も1対1も3対3も得点差はゼロである。
ひいきのチームが得点すると歓喜に酔いしれるがその喜びもつかの間、相手チームが得点
するとひいきのチームの得点シーンは遠い記憶の彼方に消え去る。
つまり互いに相手チームの得点はマイナスなのである。すなわち±0の世界なのだ。
319: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/08 NY:AN:NY.AN
その状況は光子の質量においても同様である。
すなわち光子は正の質量をもつ電子と負の質量をもつ陽電子が対になった
ものであるとすると(○電子-陽電子●)となり、質量項が出てくる。
すなわち光子は絶えず電子と陽電子の間を揺れ動いている。
320: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/08 NY:AN:NY.AN
正負の間を揺らいでいるのはエネルギーや運動量も同じである。
その様子を理解したければ音における音圧を考えればよいだろう。
光が圧力を有しているように音も圧力をもっている。
音圧とは1気圧からのズレである。
321: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/08 NY:AN:NY.AN
音楽を聞く場合、スピーカーであろうとイヤホンであろうと鼓膜であろうと、
振動板を震わす能力が音圧である。
単純に正弦波を考えると、音波は正圧と負圧が交互に伝わっていく。
もし振動板に正圧と負圧が同時に掛かれば、振動板はどちらに振れるべきか
悩むことになる。しかし実際にはタイムラグがある。
いずれにせよ音圧、すなわち音のエネルギーは絶対値、すなわち正の値で表わされる。
しかしだからと言って、音の波に負圧の位相はない、とするとおかしなことになる。
322: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/09 NY:AN:NY.AN
あるいは各家庭のコンセントから来ている交流である電圧(電流)は普通100Vと言われているが、
それは直流に換算したいわゆる実効値であり、実際にはある瞬間には+141Vであったり、0Vであったり
-141Vであったりと絶えず正負の間を往ったり来たりしている。
もちろん電流、すなわち電子が左から右に流れようと右から左に流れようと仕事をする能力、
すなわちエネルギーは正の値である。
323: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/09 NY:AN:NY.AN
さて、では宇宙空間を飛び交う光、そしてそれを最終的に還元した光子が正の質量をもつ電子と
負の質量をもつ陽電子の複合粒子とすると、光子においては絶えず正負の質量の間をゆらいでいることになる。
そしてその状態が光子のエネルギーとすると、音圧がそうであるようにそのエネルギーの値は
絶対値であり正である。
しかしだからと言って、電子と陽電子が放つ光は同じものであり、両者の放つ光は区別する
ことができない、ということにはならないであろう。
つまり電子と陽電子が放つ光は初期位相が違う。
それゆえ電子が放つ光を正のエネルギーとするならば、陽電子が放つ光は負のエネルギーであるとしても
別に構わないということである。
324: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/10 NY:AN:NY.AN
ところで、>>291の正当性を裏付けるのが鏡像変換、すなわちミラー対称性である。>>53を参照。
例えば鏡の前でドライバーを右手に持ち、右に回して板にネジ(右ネジ)を締め込むとしよう。
この場合こちらから見て、こちら側も鏡の向こう側にいるもう一人の自分もドライバーをもつ手も
回す向きも同じだ。
しかし鏡の中のもう一人の自分は左手にドライバーをもち、さらにドライバーを左回転させている。
すなわち右ネジが左ネジになっている。つまりベクトルの成分は反転している。
そしてこのようなベクトルを極性ベクトルという。
325: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/10 NY:AN:NY.AN
ドライバーを回す面をx-y軸とすると、その面を垂直に貫くネジが進む方向がz軸である。
z軸においてはこちら側と向こう側ではネジの進む向きが(→|←)互いに反転している。
しかしベクトルの成分、すなわちどちらもネジが締まる方向に進むという意味では同じだ。
このようなベクトルを軸性ベクトルと言う。
326: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/10 NY:AN:NY.AN
さて、以上を踏まえると>>291は鏡像関係にあることが分かる。
すなわち正負のエネルギー準位のベクトルトは互いに逆を向いているが(→|←)、
そのベクトル成分はどちらも0点を向いている。
それに対し>>287は鏡像関係にないことは明らかだ。
すなわち正負のエネルギー準位のベクトルの方向は同じだが(←|←)、
そのベクトル成分は、一方は0点に向き、一方はマイナス無限大に向いている。
327: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/10 NY:AN:NY.AN
つまり、>>287を無理に現実世界に当てはめるとすると、鏡のこちら側ではドライバーを
回すとネジは締まる方向に進む。
しかし鏡の向こう側のもう一人の自分は悪戦苦闘している。
すなわちいくらドライバーを回してもネジは緩む方向にしか進まないということである。
328: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/10 NY:AN:NY.AN
いずれにせよ>>287はエネルギーはより安定な場所を求めて彷徨うという物理学の冒すべからざる
大原則からの帰結であり、神聖なものである。
しかしその安定点が正負を問わず0点であるとすると、話は変わってくる。
そもそもある意味>>291は調和振動子そのものである。
調和振動子においては自然長Lを基準に+と-が定義される。
そしてどちらにしろそのベクトルは自然長Lである0点を向いている。
329: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/10 NY:AN:NY.AN
ところで(場の)量子論には調和振動子が頻繁に出てくる。
量子論では空間の各点にバネが付随しているとさえ言っている。
しかし量子論の書物にはなぜか自然長Lという用語が出てこない。
自然長Lという規準系はなにかまずいことでもあるのかな?
しかし調和振動子にとって自然長Lは基本中の基本であるはずである。
例えばゼロ点振動(エネルギー)はまさにそれだと思うのだが、いずれにしても
自然長Lのない調和振動子は調和振動子とは言えないであろう。
330:ご冗談でしょう?名無しさん
13/07/11 NY:AN:NY.AN
上でどうぞ
331:ご冗談でしょう?名無しさん
13/07/11 NY:AN:NY.AN
目子筋力学〈Fatal Mekosujics〉
332: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/26 NY:AN:NY.AN
>>282
>>クライン‐ゴルドン方程式 【Klein-Gordon equation】
>>もともと弾性媒質中にあるしなやかな弦の運動を記述した微分方程式で
しなやかな弦とは楽器のギターのことかと思い、ググったら実際そうだった。
ようするに減衰項のある波動のことらしい。
さらに電信方程式といって、平行2線や同軸ケーブル、あるいは電気(電子)回路を
伝わる波動もKG方程式と同じ形式であるということだ。
333: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/26 NY:AN:NY.AN
アンテナとテレビを繋ぐ同軸ケーブルも、電気(電子)回路も、導体とそれのショートを防ぐ絶縁体から成っている。
つまり楽器の弦を伝わる波動がそうであるように、それらのモノも実体を伴った波動である。
さらに導体を伝わる波動(光や電磁波)の速度は光速以下であることは言うまでもない。
すなわち特殊相対論とは無縁の世界である。
そしてKG方程式はそれらの波動を記述する方程式と同じ形式であるということだ。
334: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/26 NY:AN:NY.AN
ちなみに余談だが、ギターの弦を指で弾くと固有の音(定常波)を発するが、
許される振動は基音とその倍音、すなわち高調波と言われているものである。
そしてそのギターの弦の端点と端点をつなげて閉曲線にしたのが、いわゆるボーアの
原子モデルである。
つまり、媒質の世界とミクロの世界はそれほど離れているわけではない。
335: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/26 NY:AN:NY.AN
光速は※1/√ε0μ0 から導出される。
しかし※式は波動方程式の一般解の一つに過ぎない。
それゆえ※式を盾に、光速度不変は保証されていると信じて疑わないのは何かの勘違いである。
そもそも波動方程式にはダランベールの解というものがあって、 u(x,t) = f(x - vt) + g(x + vt) で表わされる。
ようするにそれが弦を伝わる波動ならば、正負の方向に一定速度で進む様子を記述してるに過ぎない。
さらに波動方程式からそれが音速ならば、弾性率κと媒質の密度ρから √κ/ρ が導かれ、
それが弦を伝わる速度ならば、弦の張力Tと線密度Mから √T/M が導かれる。
さらにそれが導体を伝わる電磁波ならば、電気容量CとインダクタンスLから 1/√LC が導かれ、
そして誘電率と透磁率の値が極小なのが ※1/√ε0μ0 であり、真空中の光速度なのだ。
336: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/26 NY:AN:NY.AN
つまり光速度を表す ※1/√ε0μ0 は波動方程式の一般解の一つであり、
※式そのものからは特殊相対論がいうところのいわゆる光速度不変は出てこない。
いや、とは言うものの、ある意味※式は特殊解であるとも言える。
なぜなら現代物理では、真空は誘電体(絶縁体)でないと考えているからだ。
真空が誘電体でないとすると、真空の誘電率は0のはずである。
ならば1/√ε0μ0 のルートの値は偽りの値ということになる。
実際、真空の誘電率ε0は単位系の取り方によりどうにでもなる値であり、
実際の値でないと言われている。
337: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/26 NY:AN:NY.AN
ならば、1/√ε0μ0 の ε0もμ0も波動方程式の体裁を整えるためのお飾りに過ぎないことになる。
ならば※式のルートの中にはクマのぬいぐるみでも置いておけばいいw
なにしろ真空は誘電体でないと言うのだから。
338: ◆GOVXYB0Zc.
13/07/26 NY:AN:NY.AN
もっともかつてディラックの海が主流であったころは、真空は誘電体であると考えられていた。
すなわディラックによれば、真空は負エネルギーの電子である騾馬電子で満たされている。
そして電子の電荷が騾馬電子を電子へと励起し、騾馬電子が抜けた穴、すなわち正孔が陽電子となる。
つまり電子はそのような電子-陽電子対に取り囲まれている。いわゆる真空偏極だ。
もちろん現在ディラックの海は主流でないが、真空偏極という概念はくりこみ理論には必須アイテムであり、
量子電磁力学や素粒子論には今でも有効なはずである。
いずれにせよ現代物理は真空は空虚なものではなく、粒子-反粒子が対生成しては対消滅する、
動的な世界と捉えている。すなわち仮想粒子を想定している。
では、果たして真空は誘電体なのか、そうでないのか、一体どっちなんだ?
339:ご冗談でしょう?名無しさん
13/08/09 NY:AN:NY.AN
プロ市民(国籍不問w)ガチ推しの飛翔体キムチ太郎当選で未来はピカドン明るいね
URLリンク(www.hoshusokuhou.com)
340:ご冗談でしょう?名無しさん
13/09/14 17:57:42.26
○電子
●陽電子
○● ○ ●○
\
● 電子
○
341: ◆GOVXYB0Zc.
13/09/15 13:37:54.33
水は誘電体(絶縁体)である。すなわちイオンに対し分極し、イオンの電荷を遮蔽する。
<図1>+イオンの回りの水分子
○水素+
●酸素-
○● ○ ●○
\
● +の
○ イオン
<図2>-イオンの回りの水分子
●酸素-
○水素+
●○ ● ○●
\
○ -の
● イオン
(実際は水素原子2個)
分極した水分子の遮蔽効果により、イオンの電荷の値は見かけ上減少する。
342: ◆GOVXYB0Zc.
13/09/15 13:41:58.44
誘電体である水が分極するように、何もないと思われていた真空も分極するというのが
いわゆる真空偏極だ。
<図3> 電子の回りの(仮)の電子・陽電子対
○電子
●陽電子
○● ○ ●○
\
● 電子
○
<図4> 陽電子の回りの(仮)の陽電子・電子対
●陽電子
○電子
●○ ● ○●
\
○ 陽電子
●
343: ◆GOVXYB0Zc.
13/09/15 13:47:23.36
ディラックの海が主流であったころは、真空偏極を担っていたのは騾馬電子であったが、
現在は仮想粒子とされている。
すなわち電子(当然陽電子も)は絶えず光子を放出、吸収し、さらに光子から電子・陽電子対が
対生成され、再び対消滅して光子に戻るという過程をくり返している。
つまり電子(陽電子)はそのような仮想的な電子・陽電子対に取り囲まれている。
仮想粒子は実測されないとか、極めて短い時間ならばエネルギー保存則を破ってもよい
だとか都合のいいものであるが、少なくともエーテルを排した現代物理においては
間違ってもそれを実在粒子とは言えないことは確かである。
344: ◆GOVXYB0Zc.
13/09/15 13:49:40.95
いずれにせよ既存の物理学は力の相互作用に対して近接作用を採用しているのだから、
空間には力を媒介する何かが遍在していなければならない。
すなわち何もないまっさらな真空という概念はありえない。
345: ◆GOVXYB0Zc.
13/09/15 13:54:39.35
しかし考えてみれば我々の身の回りに遍満する地上の大気も、便宜的に仮想粒子といえば
仮想粒子である。
すなわち大気は1㎝^2あたり1kgの重さをもっている。人間の体の表面積をアバウトに
2㎡とすると、人間は約20トンの応力を受けている。
つまり我々は土砂を満載した大型ダンプカー1台分の重さを身にまとっている計算になる。
もちろんそんな重さを感じて生活している人間はいない。
しかし例えばドラム缶の空気を抜くと、まるでアルミ缶を握りつぶした如くクシャクシャに
潰れる。確かに大気はそれだけのポテンシャルをもっているわけだ。
逆に言うと、すなわち絶えずゆらいでいる地上の気圧が極度に低気圧側に振れると、
その重さが上向きに働くことになる。
それゆえ時としてトレーラーさえも宙に舞う、というのもうなずけるというものである。