14/12/31 05:58:44.05 slYvzv1d
>「現在有体過末無体」故に
(大乗の<空思想>について、縁起・六波羅蜜(ろくはらみつ)・無執着・大乗菩薩・利他行)
上座部である部派仏教徒の一部は、析色入空により、実体我の存在は否定するけれども
三科の分類である五蘊(色・受・想・行・識)、十二処(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根処と色・声・香・味・触・法の六境処)
十八界(六根処と六境処のほかに眼・耳・鼻・舌・身・意の六識を加えたもの)などの法は存在するという「我空法有」を主張し
そしてその法は現在だけでなく、過去にも未来にも三世にわたって常恒であるという
説一切有部の「三世実有法体恒有」の思想を展開させたのである
- これに対し -
大衆部は『現在実有過末無体』を唱えた
現在実有過末無体とは、およそ時間というものは刹那の不断の連続であり
それに対し仮に過去・現在・未来と名前を与えて呼んでいるにすぎず
現在の一刹那のみが実有であって、過去と未来は実有はないとするのである
これは即ち
我々の頭の中で考えた概念はすべて抽象概念で仮法であり具体的実在の世界ではない
とするのが大衆部の根本思潮なのである