外道の独り言 2 [転載禁止]©2ch.net at PSY
外道の独り言 2 [転載禁止]©2ch.net - 暇つぶし2ch2:神も仏も名無しさん
14/12/28 09:19:10.82 bccRnKKx
以下、このスレに相応しくない排除対象の類型を提示します。

① 「自分は悟っている」と思っている人、即ち「覚者さん」はいりません。
  これは、しばしば、このような人物は「自分は悟っている(あるいは、
 それに近い境地に達している) ので、自分の意見は正しい」
 という思い込みで無根拠に私見を主張することが 理由です。
②自己の見解を述べる際、その根拠を示さず、「俺がそう考えるから」
 のみでレスを繰り返すひと (①の類似型)
③特定の宗教、宗派の布教、宣伝を行うひと
④仏教と明らかに異なる見解を「これこそが真の仏教である」と主張するひと
 例・・「仏教とは、大金を稼ぎ、いい女を掴まえ、面白おかしく暮らすことを
     教える宗教である」・・・・みたいなw
⑤短文レスの連騰でスレを消費するひと

勿論、これは限定列挙ではなく例示ですので、この他にも「荒らしに相当する行為」
を行う人は、書き込みを禁止します。

(スレタイは違いますが)このスレの前スレに当たるスレが、「他者の迷惑を全く考えない
一部の自称仏教徒」のために崩壊してしまいました。
このスレでは、そのようなことが起きないようにご協力お願い申しあげます。

3:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/28 09:21:03.78 bccRnKKx
スレリンク(psy板)
>>前スレ799
>縁起せねば輪廻せず、輪廻せねば涅槃出来ないんだからね

だからといって、
決して、“同じ”などということにはならないでしょう。
そういうのが詭弁だということ。

>それなのに人は「来世は何とかに輪廻」等思い迷ったり
>「来世など有り得ない」等思って迷う
>その迷いを滅した境地が涅槃なのである事は中々わからない

だったら、
禅僧の殆どのベテランなどは生きながらにして涅槃にあって、すでにホトケ様ということですね!
こういうのは、数日前の投稿にもあった「輪廻などないと知ることが輪廻からの解脱だ」
などと語る輩がいるというのと同じことです。

ヘリクツ。
詭弁ばかりです・・・。

4:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/28 11:28:53.20 bccRnKKx
>>前スレ761
>阿弥陀仏は、神ではないが、神のような存在である。
>ヒンドゥー思想に分類するなら、ギーターに近いような印象がある。
>当たり前だが、仏教とヒンドゥーは同調している。

「阿弥陀如来とは、
元は法藏菩薩としてすべての衆生救済を誓願されてホトケとなられた存在で」
・・云々、などといった大乗の話を、この私は一切信用していません。
大乗の説く諸仏というのは、信者集めの為に都合よく創られた架空のフェクションです。

阿弥陀如来というのは、
ゾロアスター教からの大乗に拠る拝借の典型であって、アヴェスタからの光明神がその起源。
原名アミターバ(無量光)も別名アミターユス(無量寿)も共にアフラ・マズダーの特性です。
また、密教の護摩は、ゾロアスターの拝火教を背景にしてバラモン呪術のホーマを取り込んだもの。

>>前スレ800
>承知しています。
>尚、私は飲酒しても殆どそういう状態にはならない(若い頃は醜態を晒したが・・・)。

追記:
また、(アルコール欲しさのための)一人飲酒はいっさいしない。

5:神も仏も名無しさん
14/12/28 13:10:09.95 QzOcyIYN
>・・云々、などといった大乗の話を、この私は一切信用していません。
大乗の説く諸仏というのは、信者集めの為に都合よく創られた架空のフェクションです。



宝珠も神智学も似たようなもんだろうw
既存宗教のパクリに過ぎないしw

6:神も仏も名無しさん
14/12/28 15:58:14.71 Pjuf8P6O
いつのまに新スレがwww

前スレ、容量オーバーしたのか。
そんな重い長文が多かったようには思わなかったが・・・。
寧ろ、どーでもいい短文の方が・・・w

7:神も仏も名無しさん
14/12/28 18:18:41.01 QzOcyIYN
こういうリンクじゃねえの?
シコシコ猿ぼったん巣穴スレぼったん投下はリンク貼り付けが多く途中で止まるw
たとえば、ここなら。

665 :おじゃる:2014/12/18(木) 19:06:51.24 ID:WuwG2t7/
 
↓これですか?

URLリンク(ja.wikipedia.org)
四法界の説

8:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/12/28 18:25:01.92 jXcPLE0V
ありゃ????   容量オーバーかい?ww
宝珠が立てたかw  乙w

で? 何の話してるのか、わからんw
時間が出来たら、まとめて読んでみるかw

9:神も仏も名無しさん
14/12/28 18:57:07.63 Pjuf8P6O
ああ、URLか。

「直リン」なんて言い方も死語になり、
鯖新しくなってh抜きの必要すら無くなって久しいと思ってたが、
板数多いし、やっぱそれなりの負荷があんのかね・・・  >>URLリンク

10:神も仏も名無しさん
14/12/28 19:38:47.24 QzOcyIYN
スレリンク(psy板)
スレリンク(psy板)

いつも中途で止まるスレ、どうみても、URLリンク

俺もしちまったwwwすまんww

11:基地にゃん♪
14/12/28 19:46:43.31 mJs0/qlT
ほれ! (-.-)ノ⌒●

URLリンク(i.imgur.com)

12:神も仏も名無しさん
14/12/28 23:29:50.37 HYET+GYK
>>3
>決して、“同じ”などということにはならないでしょう。

違うとどうして言えるのかな?
詭弁と言うならお前に賛同しない意見は全て詭弁となり、どんな話も成立しない


>禅僧の殆どのベテランなどは生きながらにして涅槃にあって、すでにホトケ様ということですね!

「仏に成る」と思ってる事がそもそも間違い
物心付いて大半を覚え切る頃、人は一通り汚れてるんだよ
仏道はその汚れを落とす為の行為に過ぎない
山川草木一切衆生悉有仏性なんだからね

13:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 00:01:24.74 nFOqgxYc
>>12
お話にならない。

「仏性がある」という意味と、
すでに「ホトケである」ということとは全然違うこと。
すべての衆生に仏性がすでにあると知ったところで、
現状は何も変わらないから。
分かる?

まったくの無知か、またまた禅かぶれかだな・・・。

14:神も仏も名無しさん
14/12/29 00:14:12.40 Ds4aIIiI
>>13
お話になってないのはお前だよ
いったいお前は仏とは何だと思ってるんだ?
その想いが妄想なんだろうに
仏性とは仏の「素地」のことで、これ無くて仏は成り立たない
そしてこの世界に仏性無きものなど一つも無いんだよ
仏と言うものにお前は何か幻想を抱いてると見える

15:神も仏も名無しさん
14/12/29 00:22:43.55 Ds4aIIiI
>>13
いいかな?はっきり言ってやろう
どうせお前は否定するだろうがな

俺らは例外無く「涅槃から人間に変じた」に過ぎないんだよ
苦悩は人間として「妄想」を抱いている故に人である限り基本的に苦悩が止まない
結局死ねば人を終わる故に苦悩も終わるが、苦悩しながら死に行くのが辛いから
その前に苦悩を遠離する方法として仏道で苦悩の根本を知り尽くして遠離を図るんだよ
涅槃から人になる事に至れた俺らは、結局涅槃へ帰る
しかし、苦悩しながら終わるのと、苦悩を開放して終われるのと
どちらが良いかって、それだけの話なのさ

仏は苦悩の遠離方法を知りえた人の事だ
仏性の境に苦悩は存在しない
それは涅槃と異ならないからな

16:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 01:02:44.01 nFOqgxYc
>>14-15
だから・・何?って、
感じでしかない。

>俺らは例外無く「涅槃から人間に変じた」に過ぎないんだよ

仏教ではそういうアプローチは採らないし、
やってはいけないことなんだけれどね・・・。

17:神も仏も名無しさん
14/12/29 01:09:25.95 pqbfc7Pk
>>16
>「涅槃から人間に変じた」に過ぎない

 「真我から人間(凡夫、通常我・日常我)に変じた」に過ぎない

と言い換えても違和感無い。

18:神も仏も名無しさん
14/12/29 03:32:05.79 Ds4aIIiI
>>16
>やってはいけないことなんだけれどね・・・。

そうかな?
地の底から菩薩が無数に湧き出し
空中を飛び回る有名な「経典」すらあって
単に四顛倒を言い渡された側では思いつけない事を書いたまでだがね
あらゆる文字は思いと言う妄想が繰り出す妄言に過ぎない
だから金剛般若経でも「無いと言う事と有ると言う事は畢竟に於いて同一」とも言う訳で
真我を好むお前が「涅槃から人間に変じた」を否定することは自己矛盾に当たる位だ
お前に合わせて書いてやったので、仏教的には言葉が少々乱暴なのは仕方が無かろう

19:神も仏も名無しさん
14/12/29 06:35:33.20 N+sxq0jS
釈尊も「沙門果経」に於いて阿育大王の好みに合わせて
大王の目線で沙門の成果を語っている
内容的には相当オカルトチックだが、実は仏教的に見ても
全く矛盾しない事しか語っていない
この経典が示してる内容に矛盾や疑念を抱くものは
外道のもの、もしくは沙門や在家でも修行途中のもの
更に得道を詐称してるものとなる

外道のものや修行途中のものが信じられないのは普通の事であるのは言うまでも無い

20:神も仏も名無しさん
14/12/29 06:38:37.11 N+sxq0jS
失礼、阿育大王ではなく阿闍世王の書き間違い

21:おじゃる
14/12/29 09:21:03.18 q77g9ntN
 
パーピマンさん、宝珠さん、そして、その他の皆さまも乙です
> リンク貼り付けが多く途中で止まる
「リンク貼り憑けると容量オーバーになる」 ← (ガチで)知りませんでした、失礼いたしました

> 輪廻と涅槃は異ならないんだよ( ← 前スレからの流れです)
「過去からの心の流れ(心相続)がある!」と掴もうとしている想いに依存して
「自分がある!周囲環境がある!因と縁の双方の縁起がある!」と掴もうとしている想いに依存して
「前世から現世へと輪廻を繰り返している!」と掴もうとしている想い
「輪廻から涅槃へ導かれて逝くために…」と掴もうとしている想い

「想う」と掴もうとしている想い
「想わない」と掴もうとしている想い
これらは「掴もうとしている状態である」という意味において同じである

「想う」と掴もうとしている想いでもなく
「想わない」と掴もうとしている想いでもなく

非想非非想処を超えて・想受滅

想いを手放し          → 有余涅槃
想いを手放し・身体も手放し → 無余涅槃

 ↑ このように説明しないと意味が、わかりにくいかも

22:おじゃる
14/12/29 10:10:09.70 q77g9ntN
 
>>21 の備考

輪廻にある存在と涅槃との間にはわずかな違いすら存在しない(中論25-19)
輪廻にある存在と涅槃との両者の間にはわずかな違いも最も微細な違いすらも存在しない(中論25-20)

「過去からの心の流れ(心相続)がある!」と掴もうとしている想いに依存して
「自分がある!周囲環境がある!因と縁の双方の縁起がある!」と掴もうとしている想いに依存して

「前世から現世へと輪廻を繰り返している!」と掴もうとしている想い
「輪廻から涅槃へ導かれて逝くために仏道を極める!」と掴もうとしている想い

これらは「掴もうとしている状態である」という意味において同じである
輪廻にある存在と涅槃との両者の間にはわずかな違いも最も微細な違いすらも存在しない(中論25-19・20の超訳)

 - この「掴もうとしている状態」を対処する為に -

行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある(中論18-5)

スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ。『明知が、信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるものである』
1119
つねによく気をつけ、『自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ』

チベット・ニンマ派
「煩悩障と所知障を取り除くために…」と導いていく

23:おじゃる
14/12/29 10:33:12.88 q77g9ntN
 
>>21 >>22 の備考

無我
「我ならざるもの」という意味で
「我が無い」と「我ではない」(非我)との両方の解釈がなされる
あらゆるものを非我(我ではない)とすると、どこにも我を見出すことはなく
必然的に無我(我は無い)という結論が導かれるので
非我と無我は同じことを指しており、非と無の訳語の違いにこだわる必要はないということもできる


我は、常住であり、他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである

 - これに対して -

釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
生物(衆生)は無常である五蘊の仮和合したものであるから
私・自己は仮り(仮設として)の存在であると説いた
  _  _  _

それ自体の自性(単体だけ)で成立しているのではなく

自分だけでもなく・周囲環境だけでもなく
因と縁の双方の縁起に依存して現れ(滅し)ているので、それ故に

「自分だけではない・周囲環境だけでもない」と知覚して住むことである(←大念住経(大念処経)参照)

24:基地にゃん♪
14/12/29 11:43:46.47 AxblqoJi
和を尊ばず仏教口論等正に外道にゃん♪

ヒャッハ~! \(^o^)/

25:おじゃる
14/12/29 12:13:01.77 q77g9ntN
 
基地にゃん♪さんも乙です
>和を尊ばず仏教口論等正に外道にゃん♪

戯論(けろん)
無意味で無益な言論のこと
愛着心から行う言論であるところの愛論と、偏見より行う言論であるところの見論とがある(我癡・我見・我慢・我愛)
仏教では形而上学的な議論は戯論に属する

>>21 >>22 >>23 の備考

想いを手放し、想いが落ちて

厚い雲の隙間から
妄想に影響されることのない「あおぞら」を見て触れて知覚して住んで
この「あおぞらから、変化していく雲を観察していく」というような感覚で

この「あおぞら」の立ち位置から
平等性智(びょうどうしょうち)の立ち位置から

(長部経典 第9経 ポッタパーダ経)

意思し、意思活動をするならば
無所有処の想は消滅し
無所有処より劣る、識無辺処などの諸想が生起するだろう

 - これに対して -

決して意思せず、また意思活動をしない
それら諸々の想はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想も生起することがない
滅に触れる
このようにして、順々の正知による 『 想滅定 』 が生起するのである(心作用が滅する)

26:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 16:50:25.45 nFOqgxYc
>>18
>地の底から菩薩が無数に湧き出し
>空中を飛び回る有名な「経典」すらあって

それは何の経ですか?
涌出品や化城喩品とかの法華経ぽい印象・・・。

>だから金剛般若経でも

大乗経典には興味ないです(読まない)。
如来蔵思想や大日如来(或いは阿弥陀)まで仏説扱いしては何でもありの世界・・・。
一代のように、“八万四千の法門”などといって
大乗を含めたすべての経典を仏説などとする矛盾には首を傾げます。

>真我を好むお前が「涅槃から人間に変じた」を否定することは自己矛盾に当たる位だ
>お前に合わせて書いてやったので、仏教的には言葉が少々乱暴なのは仕方が無かろう

これは「ご親切を有難う」というべきでしょうか?
伝統・正統・本流・・・といった看板などは欲しい人にくれてやるから。
或いは、ここであなたも外道宣言されては如何ですか?
自ら認めて公言するほうが清く潔い。

そもそもそのような如来蔵的思想などはバラモン/ヒンドゥーからの影響であって、
ならば、本家本元のほうがより優れているのは自明の理というもの。
実際、近代ヒンドゥーのアヴァターラほどの叡智に輝かく聖者方は仏教界では遂に出現しなかった。

ところで、
ID:Ds4aIIiIさんとID:N+sxq0jSは別人?

27:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 16:53:01.76 nFOqgxYc
おじゃるさんも元気そうで何よりです。

断食開けての29日、
新勝寺の納め不動/大柴燈護摩法要のニュースに、
今年、お世話になった御札の感謝を込めて本日の勤行(御法楽)、合掌。

28:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 17:13:55.38 nFOqgxYc
話を明確化するために、
ここで私、宝珠の立場を明確に示しておきます。
(因みに一代などの場合は、ニルヴァーナ境地の覚者はゴータマをはじめとする仏教のみが輩出できるとするもの)

                         個々の個性ある覚者たち(ニルヴァーナ境地にある聖者たち)
      |                    |                 |              |
    ゴータマ            バラモン・ヒンドゥーの覚者      諸宗教の開祖などの一部覚者    神智学を教えた覚者
(仏説とは唯ゴータマのみ)   (境地に幅があるがこの世界は覚者を多く含む)(諸宗教の祖すべてが覚者ではない)  
                           
  *そして、「仏教」と呼べるものも仏説のみ、ゴータマの教えだけとする。

29:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 17:47:01.91 nFOqgxYc
>>16
>>俺らは例外無く「涅槃から人間に変じた」に過ぎないんだよ
>
>仏教ではそういうアプローチは採らないし、
>やってはいけないことなんだけれどね・・・。

もう少しいうと、
そういったすべての衆生は“大日如来から産まれ生じたもの”という意味合いで以て、
これで“万事メデタシ”などとは、決してならないから。

結局、人間というものは二つの存在に限られるということ。
すなわち、ホトケと成った者とそうではない者です。
あなたは、“仏の成る”という表現がどうも気に入らないようですが、
しかし、仏教ではこのことを「成仏」というのです。
それ以外の意味合いはないから。
これが絶対的な前提となる基本中の基本です。

仏に成ることを「成仏」といい、
仏に成るための教え(そのための仏<ゴータマ>からの教え)が「仏教」。
その仏に成るための方法が「仏法」(そのための法則真理)と呼ばれる。

30:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 17:49:59.09 nFOqgxYc
>>29
訂正:
×「あなたは、“仏の成る”という表現」
○「あなたは、“仏に成る”という表現」

31:おじゃる
14/12/29 19:44:13.64 q77g9ntN
 
>おじゃるさんも元気そうで何よりです
宝珠さんも元気に過ごしてますか?

>>21 >>22 >>23 >>25 の備考 (↓前スレからの引用です)

77 :神も仏も名無しさん:2014/09/26(金) 15:04:09.48 ID:8+HIwKN6

『中論』は戯論寂滅への導きで、何か掴んでいる思想を消すためのもので
『中論』が何か思想を示す論書ではありません
ですから『中論』から何か思想を掴むのは、全くの倒錯です
世に「中論の思想」「中観の思想」という文献学者がたくさんいますが、全くの倒錯ですよ

だから「諸法の実相は性空である」と 『 掴むのも思想であり、戯論に他なりません 』

そういう
1.何かである。2.何かでない。3.何かであり且つ何かでもない。4.何かであるのでも何かでないのでもない
という四つの論理形式で人は考えます
これを四句分別といいますが、それは全て戯論であり、それを鎮める、止めるのが『中論』の教えです。これを戯論寂滅といいます

(たぶん縁起一代先生からの↑ご教示だと思います)

スッタニパータ
870 快と不快とは、感官による接触にもとづいて起る
872 名称と形態とに依って感官による接触が起る、諸々の所有欲は欲求を縁として起る
874 『想いはない』と掴もうとしている想い、『想いを消滅した』と掴もうとしている想い、ひろがりの意識は想いにもとづいて起きている

32:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 22:36:35.64 nFOqgxYc
>>18
 誤解を避けるためにいっておきますが、私も原始経典にある「心性本浄」の教え(本来、人の本性は清く輝いているのだ
が煩悩によって汚れていると説く)は、おそらく現実に、ゴータマが何度かそうような言い回しをしていた痕跡が残ったも
のだろうと思っています。また、因みにこの私の基本的立場は、原始経典には編纂時においてバラモン教からの混入が起こっ
たなどという説は一切採らない。私は、単にゴータマとバラモン教の元々の共通事項であると見なす。
 セブンからは、「仏性なるものは本来の仏教にはなかった」とお叱りを受けたけれども、けれども、それはいつもいうよう
に、私は仏教界の諸行無常と無我の誤解によるものだと見ています。
 ただ、心性本浄(仏性)がすべての人間に内在しているからといって、それで万事安泰というのではない、ということ。
そのことは強調しても、決してし過ぎではないほど大切なことです。それは仏に成れる可能性とその要素は元々在る、という
意味に過ぎないのであって、その上で更に、そのまま仏性に目覚めることのない人間と、それが見事に開花して仏と成る人間
とに二分されるのだから。
 要するに、何もしない者はズ~とそのままに決まってる(つまり、成仏しない)。

33:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 22:38:40.59 nFOqgxYc
>>26
>実際、近代ヒンドゥーのアヴァターラほどの叡智に輝かく聖者方は仏教界では遂に出現しなかった。

 すみません-ちょっと極論過ぎました。また一代に叱られるので、これはこのように改めておこう!
 一代はその分野に詳しいから、南方仏教においては確かに一代のいうとおり、日本では一般にあまり知られていない後代の
覚者たちが実際には何人も輩出しているのかもしれない。これまで何度か一代によって紹介された幾つかの、それら仏教聖者
たちが示したという凄まじい神通発揮の形跡によってもその可能性が伺い知れる。
 あと一代も認めるチベットについては、確かに驚異的な神通を発揮するチベット僧についての目撃話をこの私も知っていま
すが、それについては純然たるチベット仏教僧というよりは、シャンバラの住人や使者がチベット僧に扮している疑いがある
ものと私は思う。

34:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 22:45:28.81 nFOqgxYc
>>33
>実際、近代ヒンドゥーのアヴァターラほどの叡智に輝かく聖者方は仏教界では遂に出現しなかった。

チベットを除く大乗世界には遂に・・・と、言い換えておく。
少なくともそういう話を私は知らない。

35:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/29 23:39:20.62 nFOqgxYc
>>31
>宝珠さんも元気に過ごしてますか?

はいはい、年齢的にも勤務中は結構ヘトヘトですけれど、
今は大型連休に突入中で、元気いっぱいです。

昨日、28日は注連縄/注連飾り&鏡餅の設置でバタバタしてました。
紙垂も自ら折込んで作って不動尊の前に附け、納骨堂にも輪締めを下げに行くので一日掛かりです。
あとは年明けカウントダウンに出向いて、実家の神社と菩提寺の不動尊/納骨参り。
翌日は地元の神社、そして、日程を見てできるだけ早い内に挙式受戒した成田山札幌別院へ初詣です。
また4日は、自宅でウポーサタ(満月)の施餓鬼供養、15日は菩提寺での初護摩法要の参加予定です。

それと、
妻の母が骨折入院した(無理して早くに退院してきた)関係上、
今年の大晦日は、妻は実家に帰るので残念ながら離れ離れです。
まっ、数年ぶりに実家で楽しく過ごしてきて欲しいものと思う。

あと、
私はおじゃるさんには殆ど共感しており、そして、同意しますよ!

36:おじゃる
14/12/30 04:21:33.33 tL0EEkdS
 
>おじゃるさんには殆ど共感しており、そして、同意します
ありがとうございます、これからも、ご教示など、よろしくお願い致します

>如来蔵的思想などはバラモン/ヒンドゥーからの影響であって

その当時のインドの人にとって仏教を理解せしめるために
その当時のインドの世間的な考えを一応認めて

バラモン(ヒンドゥー)に対して批判的なものも含めて
バラモン(ヒンドゥー)から仏教に導くために

            ↓

バラモン教(ヒンドゥー教へと発展・継承されていく)
『ヴェーダ』を聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神を崇拝し、司祭階級が行う祭式を中心とする
そこでは人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く 『 輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める 』

仏教
一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる
『 輪廻からの解脱 』 の考えに基づいている

ウパニシャッドの名称と形態namarupa(現象界)の展開(←前スレの 491参照)

バラモン(ヒンドゥー)から仏教へと、その当時のインドの
衆生を引導するが故に 『 仮名の空 』 を以って説いた(中論觀四諦品第二十四)

37:神も仏も名無しさん
14/12/30 04:39:23.54 i9krpZ0+
>『 輪廻からの解脱 』 の考えに基づいている

輪廻は離脱する事が出来ない
故に「輪廻からの解脱」は厳密には正しくない
「輪廻」は言語的名称に過ぎず、思念より繰り出す一切妄想と異ならない
妄想故に考え思って発音し「涅槃」と考え思い至っているに過ぎない
それは実際事実の輪廻を直接目の当たりにし、輪廻になりきって言い述べてる訳ではない
故に、妄想はどこまでも妄想に過ぎず、輪廻は輪廻ではなく、それを輪廻と呼んでいるに過ぎない

正しく細かく述べるなら「輪廻と言う名称への迷いからの解脱」になるだろうか
一切迷妄を打破できれば無明を克服できる、それは輪廻惑の打破をも意味する
「輪廻からの解脱」とはそれを意味し、輪廻からの離脱を意味しない

38:神も仏も名無しさん
14/12/30 04:47:25.94 i9krpZ0+
釈尊の悟りとは何であったか
釈尊の出家の理由は一切苦悩からの開放(解法)であった
仏教とは苦悩を知り、苦悩の原因を知り、苦悩の消滅を知り、苦悩の消滅の方法を知る事以外に道は無い
これをちゃんと行い完成に至れたものにしか解らないのが「釈尊の悟り」なのである
それは他でも無い、「なんでもいい」以外に何も無いのである

39:神も仏も名無しさん
14/12/30 04:50:40.99 i9krpZ0+
反論があるものは完成していない

如実に同意できるものは、沈黙を以って応えるがいい

40:おじゃる
14/12/30 05:03:12.02 tL0EEkdS
 
例えば仮に
なのもない『無である』と言うような説明よりも

「仮設としての」という意味で、とりあえず仮に

変化していく働きに依存して
「ある一つのものから変化して展開していく」と説明して

「このような段階から導いていく」と言うような説明の方が、わかりやすいかも

    ↓

サーンキヤ学派

世界はある一つのものから展開し、あるいはこれが変化して形成されるという考え方をパリナーマ・ヴェーダ(転変・開展説)といい
原因の中に結果が内在するという因中有果論であるが、ヴェーダ・ウパニシャッドの一元論や
プラクリティ(根本原質)からの世界展開を主張するサーンキヤ学派はこれにあたる

精神原理である 『 プルシャは永遠に変化することのない実体である 』 とし
それに対し物質原理であるプラクリティを第一原因とも呼ぶ

プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると、プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことになる
プラクリティから知の働きの根源状態であるブッディ(Buddhi, 覚)またはマハット(mahat, 大)が展開され、さらに展開が進み…
…マナス(意, 心根、Manas、思考器官)…
…パンチャ・タンマートラ(五唯または五唯量、Pancha Tanmantra、五微細要素, 五つの端的なるもの)…
…土大(Pruṭhavī, プリティヴィーもしくはBhumi, ブーミ)・水大(Āpa, アープもしくはJala, ジャラ)・火大(Agni, アグニもしくはTejas, テジャス)
・風大(Vāyu, ヴァーユ)の4元素に、元素に存在と運動の場を与える空大(Ākāsh, アーカーシャ, 虚空)を加えた5つである…

『 プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない 』

41:神も仏も名無しさん
14/12/30 05:08:35.34 Hi5ZkMls
>>40
>「ある一つのものから変化して展開していく」と説明して

変化とも取れるが展開していくでは厳密には矛盾してしまう

前後際断なのは世の常なのである
先ずお前は御託を並べるのではなく仏道なり外道なりの行を行え

知ったかおじゃるをいい加減卒業しろ
その知識は涅槃に導けない

42:神も仏も名無しさん
14/12/30 05:29:37.76 Hi5ZkMls
>>40
>原因の中に結果が内在するという因中有果論であるが、ヴェーダ・ウパニシャッドの一元論や

仏道に於いて因果を観るならそんな矛盾に同意しない
仏法では「因果倶時」が現実である

43:おじゃる
14/12/30 05:55:35.62 tL0EEkdS
 
>>40 『↓プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない 』 の続き

想いを手放し、想いが落ちて
厚い雲の隙間から
『妄想に影響されることのない「あおぞら」を見て触れて知覚して住んで
  この「あおぞらから、変化していく雲を観察していく」と言うような感覚で』
この「あおぞら」の立ち位置から
平等性智の立ち位置から

(チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代)
ゲシェ・チェカワ 『七事の心の訓練法』
諸法は夢の如しと訓練しなさい
道の本体は阿頼耶の自性に置くことです
坐(瞑想のセッション) の間は, 幻術師としてありなさい
与え受け取る (トンレン) の二つを交互に訓練してください
その二つを, ルン (呼吸) に乗せなさい
空性は防御の最上のもの

息を吐く時に自分の幸せを白い光の形で衆生に与え
息を吸う時には衆生の苦しみを黒い煙の形で受け取る
(前スレの 791参照)
黒い煙の形で受け取った、衆生の苦しみ・煩悩を焼くために
(エンサイクロメディア空海)
『火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって煩悩を焼く』

44:おじゃる
14/12/30 06:26:36.40 tL0EEkdS
 
(自己破壊行為|マインドフルネスってなんだ? - アメーバブログ)
ポジティブな経験と衝突するような根深いネガティブな信念を持っていれば
自分の(自己破壊行為への)信念が正しいと証明するために自分の幸せを破壊するのです

(パーリ語仏教用語集 TANH&Acirc;(タンハー):渇愛)
生命は何かを探し求めていくことを気に入っていて、いくら苦しくてもそこから離れたいとは思いません
決して自分の生き方を捨てたくはないのです
幸福な人がその状態を楽しむのはわかりますが
不幸な人でさえ、自分の状態に愛着しています
すぐに怒って喧嘩をする人はそれがよくないとわかっていても、やめたくありません
病気になったら、病気が生き甲斐のようになってしまいます
そういうふうに生命のシステムができているのです

破壊欲、「嫌なものを排除したい」という欲です
生命は生きていきたい
そのためにずっと競争をしたり戦ったりしています
そして自分にとって好ましいものを欲しいと思い、プラスにならないものを憎んで破壊したいと欲します
人間は自分にとってマイナスだと思えば、平気で何人でも人を殺します
人を殺すと罰されるから我慢をしているだけです
『 どうしても戦う対象に勝てなくて怒りが大きくなると、自殺をします 』(←自己破壊行為)
この破壊欲は、あらゆる場面でいろんな形で現れています

すべての苦しみのもとは、「生きていきたい」「ほしい」という心のはたらきです
仏教では、「ほしい、ほしい」と思うのは真実がわかっていないからだといっています
無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛がうまく絡み合って、無始なる過去から(輪廻を繰り返して)終わりなく苦しみをつくり出しています
客観的に自分を観ることによって、無明と渇愛を消していきましょう、というのがお釈迦さまの教えなのです

45:神も仏も名無しさん
14/12/30 06:48:33.80 U6+Bqvuh
何の話をしてるんだ?

46:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/30 07:07:40.30 Rjqbjl5C
>>40
おじゃるさん。

学者によるサーンキヤ哲学の解説は殆ど役に立たないです。
ヒンドゥー真の覚者レベルによる魂の言葉から学ぶべきです。
私は、パラマハンサ・ヨガナンダの師で在られるスワミ・スリ・ユクテスワによる解説著
『聖なる科学―真理の科学的解説―』森北出版をお薦めします。
ここでは難解な黙示録など聖書の教えの一致点も明らかにされています。
本当に、真剣に解脱を求めるならば、完成者からの直の教えを読むことです。
レベルが違う。それ以外はすべて遠回りです。

>>37-38
いえ全然、違いますから。

仏教における輪廻の教えは、
ゴータマがその大いなる神秘能力によって直体験し、自らが確認した上で語られたものです。
当時における業報思想は五火二道説というものであって、
人間から人間への具体的な転生の様などは仏教が初めてより具体化したものです。
輪廻という言葉も仏教によって初めて使われた、という説すらもある。
仏教の輪廻の教えが、逆にバラモン・ヒンドゥーへと追加採用されたのです。

要するに、これはバラモン伝統の受け売りをそのまま真に受けたものでも、
バラモン教を信じる庶民を教え導くための仮方便の導入でもないということ。

47:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/30 07:22:56.62 Rjqbjl5C
追記:

>仏教とは苦悩を知り、苦悩の原因を知り、苦悩の消滅を知り、苦悩の消滅の方法を知る事以外に道は無い
>これをちゃんと行い完成に至れたものにしか解らないのが「釈尊の悟り」なのである
>それは他でも無い、「なんでもいい」以外に何も無いのである

一番、その辺を勘違いされては困るのは、
ゴータマが得た苦の滅に対する答えとは何かというと、
人間の苦悩の本質的な原因は、人間として生まれた業(根本煩悩)と及び前世を原因とする業といった輪廻によって生じる苦悩です。
つまり、輪廻から解脱しない限りはその苦悩から逃れられることはなく、
要するに、何度も何度も人は似たような苦しみを繰り返すということ。
最終的な解決は、輪廻から脱する他にはないというもの。
であるから、仏道というものは究極のところ、
それ以外のすべてのこと柄を放棄して、家族からも離れ、
そして場合により、自己の肉体死すらも厭わないのです。

48:おじゃる
14/12/30 07:27:17.55 tL0EEkdS
 
>学者によるサーンキヤ哲学の解説は殆ど役に立たないです
>ヒンドゥー真の覚者レベルによる魂の言葉から学ぶべきです

了解です

聖なる科学 真理の科学的解説 1983/10
ギァナアヴァター・スワミ・スリ・ユクテスワ・ギリ (著) SRF日本会員 (翻訳)
 ↓ カスタマーレビュー
URLリンク(www.amazon.co.jp)

49:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/30 07:27:31.28 Rjqbjl5C
追記:

苦の滅が現代最新の心理カウンセラーで事足りるというのなら、仏教などは無用。

50:おじゃる
14/12/30 08:24:58.26 tL0EEkdS
 
>>45 >何の話をしてるんだ?

(前スレの 548 549 参照)
> ②脈絡無き引用、紹介
「こいつは頭の中に虫が湧いているのか?」と思って、あきらめて下さい

>仏道なり外道なりの行を行え
例えば仮に
私の場合は「自己破壊行為などを特徴とする障害が現れる傾向がある」らしいので
「仏道なり外道なりの行の実践をしない方が良い」らしい

「仏道なり外道なりの行の実践によって
  自己破壊行為などを特徴とする障害が現れる傾向が、今の現状よりも更に悪化する場合もある」らしい

それ故に
実践の前段階として
「縁起とは何か? 空とは何か? 仮設としての色受想行識とは何か?」と言うようなことを教学として勉強している段階である
と言うことであるらしい
  _  _  _

境界性パーソナリティ障害
境界型パーソナリティ障害とも呼ばれ
青年期または成人初期から多く生じる、不安定な自己 - 他者のイメージ、感情・思考の制御不全
衝動的な 『 自己破壊行為などを特徴とする障害である 』

51:基地にゃん♪
14/12/30 08:57:40.47 jO6p2T7E
直観知の獲得こそが修行の

目的であると言えば獲得と

言う言葉に噛み付いて来る

にゃん?(笑) (⌒人⌒)

52:おじゃる
14/12/30 09:57:24.85 tL0EEkdS
 
直観知って↓これですか?(↓「妄執・分別を離れて」みたいな意味なのかしらん?)

([mixi]Samantabhadra(普賢菩薩) - チベットの神様 | mixi)

「菩薩が求める、智慧には、二つの種類がある
ひとつ、文殊の司る、二つに分ける、識別の智慧
ふたつに、普賢の司る、一つに合せる、直観の智慧」

「識別は、一に見えるものが、二に観えること
等しいものを、異なるものへと、分けて解すもの
識別の智をして、菩薩は、宇宙の仕組、真理を解す」

「直観は、二に見えるものを、一に観じること
異なるものを、等しいものへと、合せて悟るもの
直観の智をして、菩薩は、世界の中心、雛型を悟る」

経験知
一 文殊とは、識別の智を司るもの
二 普賢とは、直観の智を司るもの
三 文殊は、知性を司る菩薩のこと
四 普賢は、慈悲を司る菩薩のこと
五 識別智とは、左脳の分析のこと
六 直観智とは、右脳の総合のこと
七 識別智とは、二元に明らめる明
八 直観智とは、一元に諦らめる行

53:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/30 11:32:58.89 Rjqbjl5C
>>50
おじゃるさんは教学勉強のやり過ぎだと思う。

もう、これ以上の読書は役に立つどころか、逆に弊害にしかならないものと思います。
特に仏教学者らの解説書なんかはいくら読んでも、実際の解脱にはまったくといっていいほど役に立ちませんから。
最低限の知識を得たら、それ以上は無駄な時間と労力の浪費にしかならない・・・。
どうせ読むならばもっと限定して、真に解脱した覚者レベルからの直の言葉を読むことです。
パラマハンサ・ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』、
ベアード T.スポールディング著『ヒマラヤ聖者の生活探究』(全5巻)、
M・マクドナルド・ベイン著『解脱の真理---ヒマラヤ大師の教え』が、この私からの三大推奨本です。
これらを先入観や偏見を持たずに素直に読むならば、
間違いなく、その次元とレベルの違いに目から鱗が落ちるであろうことを保証します。

>「仏道なり外道なりの行の実践によって
>  自己破壊行為などを特徴とする障害が現れる傾向が、今の現状よりも更に悪化する場合もある」らしい

それは指導方法や実践方法が間違っているからですよ。
正しく実践するならば、決してそういうことにはならないです。
以前にも何度か述べたように、まずは丹田の意識集中といったここを刺激するあらゆる手法は絶対に止めることです。
日本大乗は無知なので、丹田を用いる伝統手法を説く傾向がとても強いです。だから、精神に問題のある者は逆に悪化してしまう。
このことを無知な彼らは、ただその個人が失敗して魔境に堕ちただけと解する。
自分らの指導の間違い、無知が原因であるということを知らない。


さて・・・、
私はこれから、また年末の大掃除の続きです。

54:基地にゃん♪
14/12/30 11:34:16.77 jO6p2T7E
>>52

積み重ねの学門では無くして

閃きに似たる感覚と言えば

また口論の種になるにゃん?

(笑) (#^人^#)

55:基地にゃん♪
14/12/30 11:37:28.82 jO6p2T7E
>>53

薬の効能書をいくら読んでも

薬効は現れないと言う意味

にゃん? (⌒人⌒)

56:おじゃる
14/12/30 17:33:49.47 kuU/BKiZ
 
>真に解脱した覚者レベルからの直の言葉を読むことです
>パラマハンサ・ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』
>ベアード T.スポールディング著『ヒマラヤ聖者の生活探究』(全5巻)
>M・マクドナルド・ベイン著『解脱の真理---ヒマラヤ大師の教え』が、この私からの三大推奨本です
>これらを先入観や偏見を持たずに素直に読むならば
>間違いなく、その次元とレベルの違いに目から鱗が落ちる

とりあえず了解です

>薬の効能書をいくら読んでも薬効は現れない

たぶん↓こんな感じですね?

(Metta sutta [慈経 / メッタスッタ]-パーリ語 常用経典集 パリッタ)
空海が『法華経』全体を「薬の効能書き」と評したように
ただその効能・功徳が列挙されているだけで、具体的・実践的な指南はありません
むしろ、具体的な方法は、このメッタ・スッタはもそうですが
『倶舎論[くしゃろん]』など阿毘達磨の論書に詳細にされています

57:おじゃる
14/12/30 18:47:19.04 kuU/BKiZ
 
>>44 >>50 の続き

認知行動療法
行動療法(学習理論に基づく行動変容法・理論の総称)と
認知療法(認知や感情に焦点を当てる心理療法)との総称である

近年は『マインドフルネス』と『アクセプタンス』を共通の治療要素とする第三世代の行動療法が展開されている
認知行動療法のテクニックは、人それぞれが持つ認知構造やスキーマと呼ばれるものが
人生において出会ういろいろな状況に反応したり適応したりする方法を形づくるという想定の下にある
  _  _  _

マインドフルネス認知療法
マインドフルネス(気づき、注意コントロール)を基礎に置いた心理療法で、第3世代の認知療法の1つ

本療法は、心に浮かぶ思考や感情に従ったり、価値判断をするのではなく、ただ思考が湧いたと一歩離れて観察するという
マインドフルネスの技法を取り入れ、否定的な考え、行動を繰り返(自動操縦)さないようにすることで、うつ病の再発を防ぐことを目指す
  _  _  _

否定的な考え、行動を繰り返さないようにする(自動操縦させない)ために

((1)霊体と肉体の二重構造 - Biglobe)
『通常では身体を構成する要素があまりにも微細で目には見えない「微細身」に意識を集中させる』
  _  _  _

大日如来の立ち位置から
六大(地・水・火・風・空・識)によって
『通常では身体を構成する要素があまりにも微細で目には見えない「微細身」が現れ(滅し)ている』みたいな感じ?

58:神も仏も名無しさん
14/12/30 23:40:29.60 d3OZTamF
>>46
>人間から人間への具体的な転生の様などは仏教が初めてより具体化したものです。

不立文字教外別伝で、文字としては明かされてないのにか?
妄想も程ほどにした方が良いな
前後際断がこの世界の常なので大目に見てやるが
>人間から人間への具体的な転生の様

を詳しく文字化してみれ
お前の言葉でな
話はそれからだ

59:神も仏も名無しさん
14/12/30 23:44:59.07 d3OZTamF
>>47
>人間の苦悩の本質的な原因は、人間として生まれた業(根本煩悩)と及び前世を原因とする業といった輪廻によって生じる苦悩です。

全く勘違いしてる
俺は閻魔ではないので「仏教は本質論ではないので本質など無い」みたいな事は言わない
お前の戯言もお前の眼線で語って良いと思うし合わせてやる、が
>人間の苦悩の本質的な原因

が勘違いし過ぎている、もっと単純で皆見過ごしている身近なことが原因なんだよ
仏道修行を励んでいるものなら直ぐ解る事だ

60:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/30 23:49:02.88 5Jk3Lor8
>>58
それはあなたの勝手な勉強不足。
疲れるから、過去ログでも読んで欲しい。

61:神も仏も名無しさん
14/12/30 23:50:56.32 d3OZTamF
>>60
それはお前の勝手な妄想
疲れてるとか過去ログとか、「現在有体過末無体」故に関係ない

62:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/30 23:54:18.93 5Jk3Lor8
>>59
>もっと単純で皆見過ごしている身近なことが原因なんだよ
>仏道修行を励んでいるものなら直ぐ解る事だ

輪廻からの解脱以外に、
本質的な根本的解決はない、
とするのが仏教の採る立場です。

あなたの語る仏教とやらは、
一体、どこの教え?

何も分からな者と話してもショウガナイ・・・。

63:神も仏も名無しさん
14/12/30 23:54:19.21 d3OZTamF
先ず、仏道の畢竟を究めたと称するもの、僅かでも心得たと称するものが
己の我慢も制せない訳が無い、それを制して居ないものに
どうして仏の悟りし境地が解ろうか

宝珠、知ったかは仏道ではご法度だぞ?

64:神も仏も名無しさん
14/12/30 23:57:28.59 d3OZTamF
>>62
>輪廻からの解脱以外に、

輪廻は自然現象、釈尊の生前は超人ではなく人間である
どうして自然現象から抜け出る事が出来ようか
道理に反さないのが仏法なのであり、その行いが仏道である
仏道では解脱の方法は教えても離脱の方法は説かないし教えないし行わないのである

勘違いにそろそろ気付こうか宝珠

65:神も仏も名無しさん
14/12/31 00:06:29.01 73X5QHOX
法華経勧持品第十三の二十行の偈
諸の無智の人 悪口罵詈等し
及び刀杖を加うる者あらん 我等皆当に忍ぶべし
悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に
未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん
或は阿練若に 納衣にして空閑に在って
自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん
利養に貧著するが故に 白衣のために法を説いて
世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん
是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い
名を阿練若に仮つて 好んで我等が過を出さん
而も是の如き言を作さん 此の諸の比丘等は
利養を貧るを為ての故に 外道の論議を説く
自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑す
名聞を求むるを為ての故に 分別して是の経を説くと
常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に
国王大臣 婆羅門居士
及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて
是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん

66:神も仏も名無しさん
14/12/31 00:54:10.50 dq25qIqc
宝珠は都合が悪くなると直ぐ逃げて沈黙の行に入ってしまうので困るな

>人間の苦悩の本質的な原因

これに対する奴の見解が

>人間として生まれた業(根本煩悩)と及び前世を原因とする業といった輪廻によって生じる苦悩

と言う
これらが本当に苦悩の原因とするなら、万象事物は因果倶時である以上矛盾してしまうのである
因果倶時とは大雑把に言うなら、因と言えば因しかなく、果と言うなら果しかない、と言う事に他ならない
全ての原因とは結局何かの結果なのであり、結果とは結局以降の原因に過ぎないのである
それに照らせば、原因とは何かの結果なのだから、その結果の原因は何かとなり
永久に原因究明できず解脱出来ない、と言う仏法に対して矛盾論を構える謗法に相成るのである
そんな矛盾も解決出来ずに、どうして悟りやら解脱やらと言い得るであろうか

67:神も仏も名無しさん
14/12/31 01:10:42.77 dq25qIqc
因みに、宝珠やおじゃるや前世は一在家などが憧れて止まない「三明」は事実である

三明が欲しいなら確りと頑なに仏道に身を任せて行うより知る術も得る術も無いと断言する

68:おじゃる
14/12/31 04:19:35.78 slYvzv1d
 
とりあえず 「 三明 」 の説明を貼り憑けて置きます

宿命通(しゅくみょうつう) 自分の過去世(前世)を知る力
天眼通(てんげんつう)   全ての物や事象を見通す力
漏尽通(ろじんつう)    自分の煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力

中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための「菩提分法」(ぼだいぶんぽう)
四念住(四念処)・四正断(四正勤)・ 『 四神足(四如意足) 』 ・五根・五力・七覚支・八正道

瞑想において自在力・神通力を得るための 『 四神足(四如意足) 』
欲神足 優れた瞑想を得ようと願うこと
勤神足 優れた瞑想を得ようと努力すること
心神足 優れた瞑想を得るために心を修めること
観神足 優れた瞑想を得るために智慧を以て思惟観察すること

法華経〈上〉 (ワイド版 岩波文庫) 31ページ参照
敢然と山の洞窟に入って修行する幾人かの求法者
かれらは仏の智慧を熟考し、尊重し、それを忠実に遵奉している
愛欲の心を残らず捨て、自我を抑えて、所行清く、五種の 『 神通力 』 を具えて
…身体から光輝を放ち
地獄に墜ちた衆生を救い上げ、そして、かれらを鼓舞して、「さとり」に導く

その当時のインドの人を導くための ↑ 『 四如意足 』 みたいな感じ?

69:おじゃる
14/12/31 04:48:30.15 slYvzv1d
 
>釈尊の生前は超人ではなく人間である

想いを手放し、想いが落ちて
「想う」と掴もうとしている想いでもなく
「想わない」と掴もうとしている想いでもなく
非想非非想処を超えて『想滅定』

(長部経典 第9経 ポッタパーダ経)
決して意思せず、また意思活動をしない
それら諸々の想はもちろん消滅し、別の諸々の粗い想も生起することがない
滅に触れる
このようにして、順々の正知による『想滅定』が生起する(心作用が滅する)

(ウダーナヴァルガのギルギット写本)
迷妄を性質として壊滅するもの
そのようなものを離れることは
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり

縁起したものを離れ

ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが苦しみの終わりである

70:おじゃる
14/12/31 05:16:13.89 slYvzv1d
 
>>69 の続き

(瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき))
最終的には阿頼耶識もまた空であるとして

(唯識)
煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着)の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
  _  _  _

最終的には↑「世俗を超えて勝義諦へと導く為のものである」という説明のように見える

>釈尊の生前は超人ではなく人間である( ← 「世俗諦と勝義諦との間に引かれた区分を理解していない者」のように見える)

ダルマについてのブッダの教えは
世俗諦と勝義諦に基づいている(中論24-8)

世俗諦と勝義諦との間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう(中論24-9)

世俗諦の中に存する根拠なしに、勝義諦の重要性は説き得ない
勝義諦の重要性を理解することなしに、解脱(涅槃)は達成され得ない(中論24-10)

71:おじゃる
14/12/31 05:58:44.05 slYvzv1d
 
>「現在有体過末無体」故に

(大乗の<空思想>について、縁起・六波羅蜜(ろくはらみつ)・無執着・大乗菩薩・利他行)

上座部である部派仏教徒の一部は、析色入空により、実体我の存在は否定するけれども
三科の分類である五蘊(色・受・想・行・識)、十二処(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根処と色・声・香・味・触・法の六境処)
十八界(六根処と六境処のほかに眼・耳・鼻・舌・身・意の六識を加えたもの)などの法は存在するという「我空法有」を主張し
そしてその法は現在だけでなく、過去にも未来にも三世にわたって常恒であるという
説一切有部の「三世実有法体恒有」の思想を展開させたのである

 - これに対し -

大衆部は『現在実有過末無体』を唱えた
現在実有過末無体とは、およそ時間というものは刹那の不断の連続であり
それに対し仮に過去・現在・未来と名前を与えて呼んでいるにすぎず
現在の一刹那のみが実有であって、過去と未来は実有はないとするのである
これは即ち
我々の頭の中で考えた概念はすべて抽象概念で仮法であり具体的実在の世界ではない
とするのが大衆部の根本思潮なのである

72:基地にゃん♪
14/12/31 10:19:05.82 g3jMqtoZ
結局、仏教は餓えに苦しみ

病に悩み圧政に虐げられる

庶民の艱難を救う手立てには

なり得ないと総括しても良い

にゃん? 如何に? (⌒人⌒)

73:おじゃる
14/12/31 10:19:26.76 slYvzv1d
 
>「現在有体過末無体」

 - そして更に >>71 に対して -

色受想行識は
自分だけではなく・周囲環境だけでもなく
因と縁の双方の縁起に依存して
仮設として、この現世に
仮に和合して現れ(滅し)ているので
今、現在の一刹那のみも実有・実体ではなく

「通常では、身体を構成する要素が微細で目には見えない微細身がある」と想定して

六大(地・水・火・風・空・識)によって微細身が現れて、そして、やがて儚きものとして
微細身が滅して六大(地・水・火・風・空・識)に還元して逝く

色即是空 → 空即是色

(例えば仮に
  『「今、現在の一刹那のみが実有・実体である」とするなら、それは変化していくことが出来ない』
  という意味になると思います)

(「通常では、身体を構成する要素が微細で目には見えない微細身」は
  「今、現在の一刹那のみも実有・実体ではない」という感じもします)

74:おじゃる
14/12/31 10:23:06.48 slYvzv1d
 
回数制限で書き込み出来ない場合は↓こちらにどうぞ

仏教以外でも良し(シベリア版)
スレリンク(siberia板)

規制対象の人でも↑書き込み出来ます

(発信元:xxx.xxx.xxx.xxx が表示されます)

75:おじゃる
14/12/31 10:41:02.81 slYvzv1d
 
「餓えに苦しみ・病に悩み・圧政に虐げられ・庶民の艱難(かんなん)がある!」

と掴もうとしている想いを手放すことが出来るのなら

「想う」と掴もうとしている想い
「想わない」と掴もうとしている想い

このような、想いを手放し、想いが落ちて

「想う」と掴もうとしている想いでもなく
「想わない」と掴もうとしている想いでもなく

非想非非想処を超えて・想受滅

想いを手放し          → 有余涅槃
想いを手放し・身体も手放し → 無余涅槃

 ↑ こんな感じかも?

76:基地にゃん♪
14/12/31 12:01:05.86 g3jMqtoZ
>>75

選ばれし知識人の為の詭弁にゃん♪

南無阿弥陀仏ぅ~♪ (*^人^*)

77:神も仏も名無しさん
14/12/31 12:07:15.95 3Rd1I9kF
それだけ詳しく調べてコピペにいくら励んでも
仏道の成果としておじゃるは全く何も証得出来て居ない
つまり、無駄だと言う証左であり、おじゃるは単にそれを
「自分はこれだけ詳しいんだぞぅ」と虚勢を張りたいだけに過ぎない
何故なら

焼肉食べたいよぅ、と言う欲求すら処遇出来ず
女の子と突き合いたいよぅ、と言う欲求すら処遇出来ず
落ち武者の霊なる体験すら解決出来て居ない

これらの諸欲求は、いくら仏典を調べても解決などしない
仏典は四諦を明かしているに過ぎず、行ったらどの様に度されるかを言っていないからである
四諦の成果の詳細は、今も昔も変わりなく

不立文字教外別伝なのである

78:神も仏も名無しさん
14/12/31 12:15:47.29 3Rd1I9kF
不立文字教外別伝とは「経典仏典以外の邪義」の事ではなく
仏典には「道と道の行き方」しか書いてなく、その成果なるものが
一体全体どう言うものなのか、が経典として書かれていないという意味なのであり
成果は行ってみなければ誰も知り得ることが出来ないと言う意味なのである
印と真言も教外別伝の、一応秘術となっていて、師に就いて直伝されねば為し得ないものとされている
これなどは教外別伝のある意味方便なのであり

仏の悟りと成果は、仏道を実践としておこなってみなければ
結局いくら調べても意味不明と言う事なのである

79:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/31 12:33:00.23 m8Bjv+Z0
>>66
これまで何処で如何なる(仏教の)勉強をしてきたのか、いささか疑問に感じますね。

>全ての原因とは結局何かの結果なのであり、結果とは結局以降の原因に過ぎないのである
>それに照らせば、原因とは何かの結果なのだから、その結果の原因は何かとなり
>永久に原因究明できず解脱出来ない、

その堂々巡りを繰り返すから輪廻という。
であるから、そこから解脱しない限りは根本的解決には至らない、
とするのが仏教の立場です。
しかし、一度、解脱を果たせば、そのようなジレンマからは永久にオサラバする。

といいうことで、
取りあえず輪廻云々の話は終わりにしておきます。

80:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/31 12:34:25.49 m8Bjv+Z0
エーと、
この私の酒・煙草の実態現状について話したけれども、
また、肉食についていうと、現在はごく普通に食事しており、
肉食も有難く頂いており、宗教的理由による制限は特にしていません。
それは、「どう食事だけは普通にして欲しい」という妻からの強い願いを聞き入れたものであり、
それで私も周囲の人々との交流も含めてごく普通に合わせることにしたからです。

実際、私は菜食に徹するのは逆に手間が掛かって、
なかなか苦労するということを自分の経験上、十分に知っているといこともあり、
今の勤務を続けて務める上でも、あまり、これ以上は無理はできないから、という部分もかなり大きい。
ただもちろん、菜食に対する憧れを失ったわけではなくて、
いつの日かは必ず実行に移したいものとその希望は捨ててはいません。
事実、若い頃の自己修業にて4年半の間、完全な菜食玄米に切り替えて、
肉・魚・卵などの動物性を殆どすべて絶つことを実践してきたので、
その気になれば、まったく苦も無くいつでも実行できる自信があります。

あと、神智学系の外的な布教活動は個人的には今は休止しています。
結婚生活(4年)という新しい生活環境の中では、
新しい転居先の地域と妻方のご家族親族との交流においては支障となるものと判断したからです。
真言の不動尊信仰については、敢えて、堂々とアピールしてあるので、
これについては有難いことに、とても真面目で熱心な信仰者という好印象を頂いています。
しかし、神智学系の方はそうはいかないので、その辺が私にとっての今後の課題となっています。
尚、妻については、私自身のしていることに対しては深い信頼を得ているので、まったく大丈夫です。

ということで、
これから少し、大晦日の買い足しに出かけて来ます。

81:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/31 12:35:46.16 m8Bjv+Z0
訂正:
 ○「どう食事だけは普通にして欲しい」という
 ×「どうか食事だけは普通にして欲しい」という

82:おじゃる
14/12/31 12:48:19.39 slYvzv1d
 
ミュンヒハウゼン症候群
虚偽性障害に分類される精神疾患の一種
症例として周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり、自らの体を傷付けたりするといった行動が見られる
1951年にイギリスの医師、リチャード・アッシャーによって発見され
「ほら吹き男爵」の異名を持ったドイツ貴族ミュンヒハウゼン男爵にちなんで命名された

ミュンヒハウゼン症候群には、虚偽の病気に罹患している対象が患者自身であるミュンヒハウゼン症候群と
近親者(母親の子供に対するケースが多いが、配偶者などのケースもある)を病気に仕立て上げる
代理ミュンヒハウゼン症候群の2種類が存在する

厚生労働省の平成20年度の統計によれば、心中以外で虐待死した児童67人中4.5%にあたる3人の児童が
代理によるミュンヒハウゼン症候群により死亡しており、決して無視できる数字ではない
  _  _  _

代理ミュンヒハウゼン症候群
ミュンヒハウゼン症候群の一形態であって、傷害の対象が自分自身ではなく何か代理のものであるような精神疾患である

多くの場合傷害対象は自らの子であるため、児童虐待と同列に挙げられる
しかしながら傷害行為自体は患者の目的ではなく、手段として傷害行為に及び自分に周囲の関心を引き寄せることで
自らの精神的満足を他者から得ようとしているものである
子が患者の傷害の対象である症例では、患者は傷害を目的として行っているわけではないとはいえ
行為が反復・継続し、重篤な傷害を負わされる危険がある
  _  _  _

(うっかり地雷を踏もうものなら、その日はもう台無し【人格障害の嫁を持つ旦那】)
人格障害の嫁が、旦那に踏ませるように地雷を置き、まんまと踏もうものなら、その日はもう台無し
私が被害者だといわんばかりに…

83:おじゃる
14/12/31 13:27:24.32 slYvzv1d
 
>女の子と突き合いたいよぅ

例えば仮に
外面的に美人で可愛い女性でも
会話が、まったく噛み合わない場合
そして
ミュンヒハウゼン症候群の傾向がある女性とか
代理ミュンヒハウゼン症候群の傾向がある女性とか
『自己破壊行為などを特徴とする障害である』境界性パーソナリティ障害の傾向がある女性とか

このような可能性がある人とは、お付き合いしない方が良いでしょう → >>44 >>50 >>57 >>82 参照
  _  _  _

>行ったらどの様に度されるか

指導方法や実践方法が間違っている場合は
「仏道なり外道なりの行の実践によって
  自己破壊行為などを特徴とする障害が現れる傾向が、今の現状よりも更に悪化する場合もある」らしい → >>53 参照
  _  _  _

スワミ・シヴァナンダの瞑想をきわめる シヴァナンダ・ヨーガ・ヴェーダーンタ・センター (著) 27~28ページ参照
眉間のエネルギーの出所(アジュナー・チャクラ)に焦点を合わせる

84:クリス
14/12/31 14:26:15.11 5R/BO05g
はよ~、おはよ~、インマ?
吾輩は拙者、クリス・インマヌエル。
和尚さんは死んだ?
あきーんちゃん。
ぷるーん。

85:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
14/12/31 15:18:11.12 m8Bjv+Z0
買い足しから来たくしました。

その他に、
妻から辞めて欲しいと云われて約束したことは、自宅での“水行”です。
独り身の頃は水行と称して、九字を切って水に打たれて真言を唱え続ける、
ということをしていた。水に打たれるとはいっても、ただの水シャワーなんだけれど(笑)。
エッ?そんなの、ただサッパリして気持ちいいだけだろ、って?
イヤイヤどーして、水風呂というのは冷たくても、ジーとしていれば次第に慣れてくるけれど、
しかし、勢いよく流れ落ちる水というのはそうはいかなくて、これはかなり冷たい。
夏は夏でちゃんと「ギャー!!」と冷たいし、まして、北海道厳寒の真冬の時には半端ない。
妻からは、「滝場ならいくらやってもいいから~
覚悟を決めて死ぬ気で滝行でも火渡りでも何でも好きなだけしてこいや!」といわれているw
とにかく人様に迷惑を掛けない範囲、家庭に影響しない範囲で、とクギを刺されています。

これで年内は、
きっと最期の書き込みとなると思います。
皆さん、どうきお元気で良いお年をお迎え下さいませ。

では。

86:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
14/12/31 21:31:22.38 GW1UIxJc
何年かぶりに紅白みてるけど、つまんないな。こういうのは、もういない両親と家族の団欒で見てた
セピア色の思い出の中に大事にしまっておくのがいいのかもしれない。

>>85
宝珠さん。良いお年を。来年もよろしくです。ま、仏教だけは特別だと思ってる一代って人はアホですけどね。

87:神も仏も名無しさん
15/01/01 02:40:18.49 /UeN9Wei
>>79
>その堂々巡りを繰り返すから輪廻という。
>であるから、そこから解脱しない限りは根本的解決には至らない、
>とするのが仏教の立場です。

解脱は結構だがお前が言っているのは「離脱・脱出」であろう
違うのかな?

88:神も仏も名無しさん
15/01/01 02:43:39.37 /UeN9Wei
>>86
セピア色の思い出とは別の、新たな家族の団欒で見れば良いだけの話

89:おじゃる
15/01/01 03:22:51.97 X7pciFdl
 
節切月日の大晦日は 2月4日ごろの前日であるらしいけど、とりあえず「あけおめ」

(「仮設としての」という意味で、とりあえず仮に)
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けて

衆生は無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生ずる無明薫習によって

無明の暗闇に覆われて
渇愛によって掴んで離さないような固執も生じて、それ故に

「過去からの、心の流れ(心相続)がある!」と掴もうとしている想いに依存して
「自分もある・周囲環境もある・因と縁の双方の縁起の相応一致もある!」と掴もうとしている想いは

『両親と家族の団欒で見てた、セピア色の思い出の中に大事にしまっておくのが良い』と掴もうとしている想いは

六大(地・水・火・風・空・識)に依存して
この現世に現れて、そして、やがて儚きものとして
この現世から滅して
六大(地・水・火・風・空・識)に還元して逝く

色即是空 → 空即是色

90:基地にゃん♪
15/01/01 05:32:21.94 MVH5wBl4
新年明けまして

おめでとうにゃん♪

南無阿弥陀仏ぅ~♪ (*^人^*)

91:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/01 23:53:32.75 f025Ufr1
>>88
新しい家族は、いらん。俺はバツイチだが今は独りで正解だと思う。
女の相手はイラつくことが多い。SEXだけなら金出せば相手はいくらでもいる。
つまらない人間と一緒に過ごすくらいなら独身のほうがまし。
ところでなぜゴータマなど本物の宗教家は独身を勧めると思う?
これは無所有の勧めと相通じるものだが、今の仏教界でなぜこの道を目指す
者は独身を推奨されるのか、正しく答えられる者がどれだけいる。

>>89
君の話は単なる虚無論だな。仏教を頭だけで理解しようとするとこうなる。
君らはゴータマが晩年「人の命は甘美なものだ」と言った意味を悟らなければならない。
本当の仏教はヴェーダであり、君ら末法仏教のような虚無論とは違うんだよ。
人の命ほど甘美で掛け替えの無い宝は無い。我々はこの掛け替えの無い宝を失っては
ならない。

92:基地にゃん♪
15/01/02 01:18:29.68 HJO/hzh+
>>91

晩年の釈迦は唯の俗人に

戻っただけにゃん♪

あれほど嫌っていた一子

ラフラーを教団に入れて

幹部に据えた親バカぶり

にゃん♪ 南無 (*^人^*)

93:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/02 01:36:40.72 GabGpSN+
>>92
明けましておめでとう。基地にゃん。

94:神も仏も名無しさん
15/01/02 02:06:26.05 uWqExEmc
>>91
性エネルギーの浪費が修行の害になるので。
独身といえども、オナニーしたり、風俗行ったりしては
性エネルギーを浪費するどころか
夫婦でするセックスより有害です。
なぜならば、そこには自分が性欲満たしたいというエゴしか存在しないから。
夫婦の場合は、お互いに気持ち良くなろうとするわけです。
キリスト教でオナニーが罪なのはそういうことですね。
風俗も人を使ったオナニーです。

95:神も仏も名無しさん
15/01/02 05:51:00.27 J0z6VlD2
>>91
>新しい家族は、いらん。俺はバツイチだが今は独りで正解だと思う。

出家するならともかく、在家でバツイチとか誇らしげなのは痛い
単に家族生活を私事情で破綻投了させたに過ぎない
釈尊は在家に未婚や離婚を奨励して居ない
出家に独身が推奨されるのも、所有と維持に煩悩が起こり
その煩悩にも苦は起こるからで、修行を完全にしたいなら
一切無所有にして守るものを極力減らす為に推奨されただけである
守るものが多ければそれだけ煩悩は免れ得ない、只それだけの話

在家にその掟も戒律もない
不殺生戒は在家にもあるので、慈しまず我を通し
身勝手に主張し合って家族生活を破綻投了させるは破戒にあたり波羅夷は免れ得ない
我が身一切も捨てて出家するならその限りでは無いが、せめて家族への告白と説得は推奨される

出家すれば一切欲は波羅提木叉により禁忌となる

96:神も仏も名無しさん
15/01/02 05:59:32.67 J0z6VlD2
因みに不殺生戒は在家にある戒律で、一切の殺生出来得る武器を捨て置けと言う意味になる
殺さないとは「気持ち」も身勝手に殺してはならないと言う事である
殺さない為には殺す・殺せる道具/武器を処分せねば成り立たない
それは慈しみも断ち切る言葉や思いの刃物も捨て置く事をも意味するのである

出家の身が守る不殺戒はもっと厳しく、自分の為に殺されるところを見るのも聞くのも思うのすらも禁忌となる

97:神も仏も名無しさん
15/01/02 06:11:21.85 J0z6VlD2
現代日本の僧侶は出家僧コスプレの在家に過ぎない
本山などで一度は出家修行くらいはしているだろうが
本業稼動に入った時点で還俗しているのと異ならない
悟りに在出の区別など無く、身分の分別も無い
悟りが僧侶の特権な訳ではなく、在家が悟れない訳ではない
僧侶が還俗して悪い訳ではなく、在家が僧侶のコスプレをして悪い訳でもない

それらと悟りは全然関係が無いのである
悟りは後の行い全てに出るのであり、姿形に違いは有り得ない
仏法は道理と異ならないのであるから、姿形が変わるなら道理に反し
仏法に違背してしまうのである

セックスしたいなら悟ってからすればいいのであり
果たして、小欲知足で役に立つかどうか、甚だ疑問を禁じ得ない

98:おじゃる
15/01/02 08:13:14.55 faazhYcz
 
>女の相手はイラつくことが多い
>つまらない人間と一緒に過ごすくらいなら独身のほうがまし

例えば仮に
外面的には美人で可愛い女性でも
会話が、まったく噛み合わない場合は
お付き合いしない方が良いでしょう → >>44 >>50 >>57 >>82 >>83 参照

99:おじゃる
15/01/02 08:20:09.92 faazhYcz
 
>君の話は単なる虚無論だ

ちなみに私の場合は
中観自立の立場なので
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている状態です

100:おじゃる
15/01/02 08:27:02.23 faazhYcz
 
>>98 >>99 『>君の話は単なる虚無論だ』の続き

(誰も知らない火事 - チベット仏教ゲルク派 宗学研究室)

中観自立派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

 - これに対して -

中観帰謬派は
それ自体の自性で成立しているのではなく 『 空(くう) 』 であるが故に

自分だけではなく・周囲環境だけでもなく
因と縁の双方の縁起に依存して

仮設として「通常では、身体を構成する要素が微細で目には見えない、微細身が現れ(滅し)ている」として

六大(地・水・火・風・空・識)に依存して
微細身が現れて
そして、やがて儚きものとして、微細身が滅して
六大(地・水・火・風・空・識)に還元して逝く

それ故に、中観帰謬派は、そのような自相(自性)を、世俗の次元でも否定します

101:おじゃる
15/01/02 08:48:45.41 faazhYcz
 
ヴェーダ
紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称
(ヒンドゥー教へと発展・継承されていく)
バラモン教の聖典で、バラモン教を起源として後世成立したいわゆるヴェーダの宗教群にも多大な影響を与えている

ヴェーダの分類
サンヒター(本集)ブラーフマナ(祭儀書、梵書)アーラニヤカ(森林書)ウパニシャッド(奥義書)インド哲学の源流

(仏教の思想的土壌 ウパニシャッド---哲人たちの思索)
名称と形態(現象界)の展開
6.3.2 この神(=有)は思った
『さあ、わたくしは生命を与えるアートマンによって、これらの三つの神(火と水と食物)の中に入って[現象界の]
  名称と形態namarupaとをはっきりと展開しよう』と
6.3.4 [つづいて思った]
『奏して、それらのひとつひとつをして、それぞれ三重にしてやろう』と
こういうわけで、かの神(=有)は、生命を与えるアートマンをもって、それらの三つの神(火、水、食物)の中に入って、[現象界の]
名称と形態とをはっきりと展開した

スッタニパータ
872
名称と形態とに依って感官による接触が起る
諸々の所有欲は欲求を縁として起る
874
「想いはない」と掴もうとしている想い
「想いを消滅した」と掴もうとしている想い
ひろがりの意識は『想いにもとづいて起きている』

102:基地にゃん♪
15/01/02 10:33:25.75 HJO/hzh+
>>93

明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い申し上げます。

�� m(*^.^*)m ����

103:基地にゃん♪
15/01/02 19:55:31.87 HJO/hzh+
今年お薦めの映画にゃん♪

蘇るフランダースの犬

URLリンク(www.youtube.com)

104:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/02 20:13:48.46 GabGpSN+
>>102
おめでとさん。基地にゃんにとって良い年でありますよう影ながら祈ってるよ。

105:基地にゃん♪
15/01/02 20:20:45.93 HJO/hzh+
>>104

此方こそ草場の陰(笑)から

祈っているにゃん♪(*^人^*)

106:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/02 20:32:36.83 GabGpSN+
>>105
おいおい草葉の陰からって、変な気起こすなよ。

107:おじゃる
15/01/02 21:04:06.98 faazhYcz
 
明治36年(1903年)5月22日
一高生の藤村操が『華厳の滝』の近くにある樫の木を削り
「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残して…

岩の上で思う

天地は何者にもとらわれず、何んと余裕があることか
今は昔の時代とは、何んと遠くはるかに離れていることか

五尺(1メートル50センチほど)の小さな体でその大きさを測ろうとする
ホレーショの哲学はなんら専門的でも権威のあるものでもない

宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「不可解である」と
私はこの恨みを胸に持って思い煩い、ついに死ぬ事を決断した

すでにこうして岩の上に立つことになって

私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ
非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った
  _  _  _

この現世の色受想行識から → シパ・バルドゥ(再生へ向かう迷いの中有)へと移り逝って

この立ち位置から『草葉の陰から見守って…』

108:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/02 21:53:25.21 GabGpSN+
>>107
アーナンダよ。ここにお前の財産を奪おうと理不尽にお前を殺す者がいる。
アーナンダよ。そなたはその者に対してどう思う。大徳よ、私はそのような者でも愛するでしょう。
アーナンダよ。私はお前に教えることはもうなにもない。

究極の境地に達したものは四無量心を持ち続けなければならないとゴータマは説く。何でだと思う?

109:おじゃる
15/01/02 22:13:27.64 faazhYcz
 
>四無量心を持ち続けなければならない

なにものにも囚われることなく
植えさせて頂く、功徳に依存して
想いを手放し、想いが落ちて
妄想に影響されることのない「あおぞら」から「変化していく雲を観察していく」というような感覚で
平等性智の立ち位置から観察していく

四無量心(しむりょうしん)とは
他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つことをいう
禅定に入る前の導入的な瞑想対象である四十業処の一部
四梵住(しぼんじゅう)、四梵行(しぼんぎょう)ともいう

無量というのは、「貪・瞋・痴」などと違い、限界なくどこまでも成長させることができることから言う
慈無量心 - 「慈愛」、相手の幸福を望む心
悲無量心 - 「抜苦」、苦しみを除いてあげたいと思う心
喜無量心 - 「随喜」、相手の幸福を共に喜ぶ心
捨無量心 - 「浄捨」、相手に対する平静で落ち着いた心
動揺しない落ち着いた心を指す
なお上座部教学の集成者であるブッダゴーサは、『清浄道論』において
単なる無関心を「無智捨」と呼び、捨無量心とは似て非なるものとして、修行者に注意を促している

110:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/02 22:20:40.68 GabGpSN+
>>109
二つに見えるものは見せ掛けに過ぎない。あるのは一つ。答えは俺達は本当は一つだからだよ。
「一」を認識する者は基点のゼロも認識する。我々が目覚めることができるから熟睡時の無の境地を
認識できるようにね。我々はロボットじゃない。末法仏教の思想に毒され、人として一番大事なものを失わないように。

111:おじゃる
15/01/02 22:26:28.27 faazhYcz
 
>>109 『>四無量心を持ち続けなければならない』の続き

金剛般若経 第二十八章
師は、こう答えた
「(功徳は)積むべきだが、囚われてはならない
  それゆえ、このように説かれるのである
  『囚われないもの、それこそが功徳である』」
  _  _  _

この、なにものにも囚われることなく
植えさせて頂く、功徳に依存して

(チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代)
ゲシェ・チェカワ『七事の心の訓練法』
空性は防御の最上のもの(それ故に)

息を吐く時に自分の幸せを白い光の形で衆生に与え
息を吸う時には衆生の苦しみを黒い煙の形で受け取る
  _  _  _

黒い煙の形で受け取った、衆生の苦しみ・煩悩を焼くために
(エンサイクロメディア空海)
『火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって煩悩を焼く』

112:おじゃる
15/01/02 22:41:26.80 faazhYcz
 
>熟睡時の無の境地を認識できる

私は小学4年生の頃に
『落武者の霊』を見たことがあるけど

『熟睡時の無の境地を認識した』ことはありません

(「仮設としての」という意味で、とりあえず仮に)
熟睡した時に
「それは、まるで無の境地であるかのような熟睡だった!」

と『掴もうとしている想いが現れ(滅し)ていた』ことならあるかも

113:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
15/01/03 12:47:28.85 45FSXMfc
皆さん、新年明けましておめでとうございます。

>>86
>宝珠さん。良いお年を。来年もよろしくです。
>ま、仏教だけは特別だと思ってる一代って人はアホですけどね。

こちらこそも、本年も宜しくお願いします。

仏教以外には涅槃に至ることは不可能などという見解は、
恐らく事実に反することだとこの私は思います。
所詮、そういう主張をする者というのは例外なく、仏教外の宗教についてはまず殆ど知らない。
その得ている知識と理解とやらも、その殆どが仏教圏から与えられたもの。
つまり、仏教僧たちによって条件付けられ偏った情報に過ぎない。

私も仏教に出逢い夢中になった当初は同じくそうだった。
涅槃に至るのは仏教だけであって、決して外教どころか、
その他の外道であるバラモン・ヒンドゥーなどには絶対に騙されてはならない、と
もしも、騙されたら最期、百千万劫難遭遇の解脱への機会(仏縁)を失ってしまうから。
しかし実際、勇気を振り絞って自分で飛び込んでみたら、それらは自分の無知であり、偏見にしか過ぎないものだった。
少なくとも日本大乗の百倍は優れている。

114:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
15/01/03 12:51:59.52 45FSXMfc
>>64
>輪廻は自然現象、釈尊の生前は超人ではなく人間である
>どうして自然現象から抜け出る事が出来ようか
>
>>87
>解脱は結構だがお前が言っているのは「離脱・脱出」であろう
>違うのかな?

 輪廻は確かに自然現象です。これは自然の持つ森羅万象の摂理であって、たとえ如来がこの世に出現しようとしなかろうと
最初から定められ生じているものです。
 これはゴータマの大いなる超常的な能力によって確認されたものであって、人間は生前の行為によって生じた業によって死
後に別の境地へと転生する。つまり、前世の良き果報によって良い処の人間として生まれ、また、悪しき報いの結果として悪
い処へと生まれる、と。そして更に、前世の業によって良き出来事に遭遇し、または不可避の悲惨な出来事に遭遇する。
 この根本的な原因は、己の心の深層に根差している根本煩悩のタンハー(渇愛)という根源的な意識作用によって自己の行
為を制御できないことにあり、これを克服するには仏道の修行に拠らなければならない、と。
 輪廻というのは、この業の作用による流転変滅して止まない苦の転生を永久的に繰り返すことをいい、この輪廻の鎖からの
束縛、制約からの解放(自由)が「解脱」(モクシャ)と呼ばれる。
 一体、何を勘違いしているのか知りませんが、「解脱」とは元々、その“離脱”(脱出)の意味合いで以て使われてきた言葉
ですよ。中国で漢訳された際に、「くびかせなどを解いて釈放すること」、「牢屋から脱走すること」(東書選書『仏教語源散策』
より)を意味してこれは使われたのです。

仏教の説くところの“苦の滅”とは、
輪廻を無視した表面上の現代心理カウンセラーで済むような次元に限定するものでも、
「輪廻があるという思いからの解放」などというものではありませんから。
それは単に、物事は何でも思い詰め過ぎれば日々の生活にすらも支障をきたすようになる、
という意味合いで修行のための一つの精神態度をいっているに過ぎない。

 『解脱[げだつ]とは、一つには、際限なく生滅を繰り返す輪廻転生から抜け出す事であり、
もう決して再び生まれなくなることを意味します。』
URLリンク(www.horakuji.hello-net.info)

115:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
15/01/03 12:53:32.78 45FSXMfc
>>94
もし本当に、
“性エネルギーの浪費”を一切しないよう努めるというのであれば、
それはもう生涯において、異性との縁とその接触を断ち切るということを意味します。
確かにそれを決意してる者にとっては必要事項でしょうが・・・。

しかし、そうではない者にとっては、男女の営みも自慰もごく自然の成り行きというものです。
また、他人に迷惑をかけるくらいならば自己処理のほうが遥かにいい。
将来、人が普通に幸せな家庭生活を求めるのならば、
過剰禁欲による無自慰は結婚後の夫婦生活に必ず支障をきたすことは、
現代ではよく知られた事実です。

つまり、いいたいこととは、
あまりにも過剰に反応して狂信的に禁欲し過ぎたり、
自己の罪や行為に嫌悪してさい悩まされたりしないことです。
まっ、今生で完全解脱して仏陀に成るくらいの決意で世俗を捨て去り、
山野の生活に入るような人については別ですけれどね・・・。

>>72
>病に悩み圧政に虐げられる
>庶民の艱難を救う手立てには
>なり得ないと総括しても良い

仏教の目指すものとは、
二度とそのような境地に堕ちることがないよう輪廻から解脱すること。
そして、付随してできることは、人の苦悩を和らげる精神的な安楽を与えることです。

あと、善行を成して悪に堕さずの精神から、
社会生活を営む者ならば悪政悪制に立ち向かって社会をより良いものへと変革していくことが必要です。
これには実際的な抗議行動や政治活動、支援活動やボランティア活動といったものがなければ変えられないでしょう。
つまり、ただひたすら自己修業に専念するか、或いは、悪には目をつむらずの精神で社会変革にも関与していくか・・・
その辺は自己選択となるものと思います。

116:基地にゃん♪
15/01/03 13:53:58.24 f4ZIfKJw
>>115

キリスト教徒みたいにゃん♪

誰かさんは仏教には救いは

無い事を肯定したにゃん♪

南無阿弥陀仏ぅ~♪ (*^人^*)

117:神も仏も名無しさん
15/01/03 14:33:11.74 CMKbEi80
>>113
新年早々相変わらずだなw

人間とクジラが、どれだけ何を工夫しても 「違うものは違うもの」 であるように
そのように、お釈迦さんが示された教えは、他の思想とはやはり違うのよw

つか、普通は
(日常の諸々でも仕事でもスポーツでも何でも)
知れば知るほど、何が共通通底してるのか、何が異なっているのか・特徴的なのか、
解ってくるもんだけどね・・・ ┐(´ー`)┌

118:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
15/01/03 15:26:12.11 45FSXMfc
>>117
道は違えどゴールは同じ。

究極的には、その到達する境地に違いはないの。
単にその違いとは、方法論の違い手法の違い、
早い遅いの違いです。

119:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
15/01/03 15:32:41.95 45FSXMfc
追記:
セブンも明けましておめでとうございます。

私は別に、
「ゴータマの教えこそが、最も早く最も的確に涅槃に至る最も優れたものである」ことを否定していない。
ただ、“それ以外は涅槃に至ることはない”などというから反論させてもらうだけのこと。

120:基地にゃん♪
15/01/03 16:24:20.02 f4ZIfKJw
釈迦と道元禅師が出会ったにゃん♪

道元禅師 「まぁお座りなさい。」

釈迦 「外道!」

今年の初笑いにゃん♪ (#^Д^#)ノ

121:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
15/01/03 16:50:21.88 45FSXMfc
追記:

ポイントは、
“無我の教えの誤解”にある。

この誤解に縛られてる内は、
外道も外教も最終ゴールは同じということは絶対に理解できないから。

122:神も仏も名無しさん
15/01/03 17:41:40.46 lB03ZaKn
>>114
>前世の良き果報によって良い処の人間として生まれ、また、悪しき報いの結果として悪い処へと生まれる

善悪は概念に過ぎず思いに過ぎず分別に過ぎない

>前世の業によって良き出来事に遭遇し、または不可避の悲惨な出来事に遭遇する

と、この分別も所詮タンハー(渇愛)故に過ぎず、根源的な意識作用によって自己の
行為を制御できないことなのであり克服するには仏道の修行に拠って
涅槃を証さねば解決しない

宝珠は正月からオカルト三昧でお目出度いな

123:宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
15/01/03 18:08:56.23 45FSXMfc
>>122
ホー。
では、あなたは自分の子供にも
“善悪などはただの概念に過ぎない”などと教えるか?

禅被れだか中論被れか何かは知らんけど…。
一体、どっちがオカルト三昧なの。
そんな教え方をゴータマはしたか??

正月から、早々目出度いな

124:神も仏も名無しさん
15/01/03 22:23:32.44 CMKbEi80
>>118
百歩譲って、仮に、近似する要素が見られたとしても、
炊き込み御飯と混ぜ御飯程度にはゴールも違うだろうと思うのよねんw

125:神も仏も名無しさん
15/01/04 01:19:21.29 vPsHP9tq
>>123
>“善悪などはただの概念に過ぎない”などと教えるか?

何を以って善で、何を持って悪か、仏は何を以って教えたかに依って教えれば済む話
善悪の概念自体はそれによって勝手に備わる

お前に仏が教える善が解るか?
解らないから善悪は概念の意味も解らんのだろう

神智学とやらなど取るに足りんのだよ

126:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/04 21:19:59.32 rRF02Muv
>>125
宗教者の癖に何を持って善で、何を持って悪かもわからんようなので、俺が教えてあげよう。
エゴイズムを滅ぼすのが善で、エゴイズムに従うのが悪なんだよ。なぜなら我々は本当は一つだからだ。
一を認識する者は、基点のゼロも認識するだろう。宗教者の癖に、善悪など時代の価値観により
変わるなどと世俗の善悪しか語れない者は全て偽者だからこの道を求める者は騙されないように。

127:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/04 21:22:55.26 rRF02Muv
宝珠さんメールの確認遅れました。返信させてもらったのでよければ見てやって下さい。でわ。

128:基地子法師
15/01/05 00:48:36.79 AvJfUOpR
寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。
この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。
人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。
何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。

129:神も仏も名無しさん
15/01/05 04:38:09.15 BAJcS3WR
>>126
お前のそれは仏の教える善ではない

130:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/05 10:01:31.29 SdB4S8Wa
>>129
仏の教える善悪エゴイズムを滅ぼすか否かでいいんだよ。この世のものへの執着心の
滅は仏教のテーマでもある。無所有の勧めは端的に言うとエゴイズムを滅ぼす為にあるんだよ。
それらに執着するだろう。そしたらそれらを奪おうとする者が現われたら激しく敵対し、憎み相手を
潰そうとするだろう。執着心が強ければ強いほどそうなる。だから別になきゃないでいいという
心があれば、何を持とうが、勝手でいい。世俗の結婚にしてもそうだ。相手を好きになり執着すれば
するほど、相手が浮気したり、寝取られたりすると相手を激しく憎むだろ。エゴイズムの増大だ。
こんなことじゃ負の業を積んでしまうのでいつまでたっても認識は得られない。だからこの道に進む者は
独身が推奨され、無所有が推奨されるんだよ。言ってる意味わかる?嫌いな者へまで幸福を
願い祈る四無量心や慈悲の瞑想などはエゴイズムを滅ぼす道を説いてると言っている言っても
過言ではない。ただ仏教は一つのゴールである安息日=ゼロしか説かず、あえて「一」=真我を
悟らせないように教えを広めたので、君らが理解しないだけ。

131:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/05 10:19:29.02 SdB4S8Wa
万教帰一の思想は間違いないだろう。おおよそ本物の宗教はヴェーダ思想からきている。
仏教はイエスが天の父と呼んだ基点のゼロである安息日しか説かず、真我については説かない。
が、仏典を注意深く読むと別にゴータマはブラフマンを否定しているわけではない事に気付く。
ヴェータンダの聖者は「一」である独り息子=真我をテーマに語るが、一つのゴールである安息日
をほとんど言及しない。キリスト教は安息日も独り息子=真我も、最も重要な復活も説くが、
幼稚な御伽噺の喩えで隠され、最も重要な教えを残しているが、読み解ける人は少ない。もちろん
キリスト教の復活の意味は、人間イエスが三日後に蘇ったという御伽噺ではなくたとえそれが
本当にあったとしてもそれ自体は重要な出来事ではなく、本当の意味の復活は別にある。イエスの
復活物語はその喩えだが、それを読み解く人は少ない。だいたい聖書の書いてることが
本当だと仮定して、人間イエスの復活以前にラザロが生き返っているのだから、後に人間イエスが
ゾンビのごとく生き返ったからと、今更騒ぐこともない。ユダヤ暦は夕暮れから一日の始まりだから、
最後の晩餐は金曜日。イエスが十字架に架けられたのは最後の晩餐後の同じく金曜日。
そして彼は三日後に蘇った。ここに創造の秘密がある。まぁとにかく民族問題に深く関わる
ナショナリズム、グローバリズムにせよ、万教帰一にせよ、エゴイズムを滅ぼす教えにせよ、
二元思考の人々はとにかく我々が一つになる思想を毛嫌いして受け入れないんだよ。ある意味
君らは気の毒だと思うよ。

132:神も仏も名無しさん
15/01/05 10:31:16.96 cqff9MBv
>>130
要するになんでもいいって事だろ
それはゼロでは決して無い

>君らが理解しないだけ。

君らとは分別に過ぎない
理解は妄想に過ぎない
分別と妄想とを起こしているそれは何だ?
仮の名称以外に本名の無い二本足で立ち歩行し
飯を喰らって御託を並べるそれは何だ?
仏法は中道そのもの故に、人をして顛倒していれば無常苦無我不浄を説き
修行に甘んじ行き過ぎたものへは常楽我浄を説く

無我なれば二本足で立ち歩いて飯食って御託並べるそれ以外に真我なるものなど有り得ない
ただ人間で居られる期間が限られているだけに過ぎず、この世界の物質としては
永遠に無くなる事が無い

それが解らんのがお前ってだけの話さ
答えを想定してる時点でそれは妄想以外のなにものでもない
妄想が大好きな統失な人々ならそれも致し方ないかと存ずる

133:神も仏も名無しさん
15/01/05 10:32:10.64 cqff9MBv
>>131
お前は生長の家の信者なのか?

134:神も仏も名無しさん
15/01/05 10:48:34.47 cqff9MBv
例え的にはレベルが低くて申し訳ないが
技術者などはゼロから物を作る事など出来はしない
科学にしてもゼロから物質を生み出せたりして居ない
普段俺らの感覚でゼロと看做しているそれはゼロでは決して無い
この世界は因果に基いて縁起せねば成り立たず
物質が忽然と消えたり現れたりする事など絶対に無いのである
因果倶時と言って、因とはそれまでの何かの果報なのであり
果とはそれからの何かの原因なのである
因と言えばこの世界に実は因しかなく、果と言うならこの世界には果しかないのである

カラスにはちょっと難しいかな

135:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/05 11:01:31.79 SdB4S8Wa
>>134
言葉で表現したらという注釈をつけないと早速揚げ足取りが沸いてくるわけだ。
だから ”それ” は、言葉では正確に表現し得ない有でもない無でもないあえて
言葉で表現するなら基点のゼロだと前から言ってるんだけどな。なぜ言葉では
正確に表現し得ないかと言うと、名称を与える「言」はゼロと言えば有と言う相が現われる。
”それ” 自体は有でも無でもない中道の性質を持っているからだ。君らの大好きな
空の思想だ。宇宙創造の前は何も無かった。だが全てはそこから生じた。わかるかな?
わかんねぇだろうな~。

136:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/05 11:11:24.87 SdB4S8Wa
>>132
仏教の無我思想とは真我があるないじゃなく、自性=アートマンがあるなし説いてるんだよ。
もちろん生じたものだから真我にも自性は無い。真我とは現象世界そのものだしな。
ゴータマさんは一切については自性はないと言い切った。だが、一切外については無記。
なぜだがわかるか?それの性質は言葉で表現するとゼロだからだよ。基点のゼロ。
有る無しでは言い切れない中道=空の性質を持つものだからだよ。わかる?ま、末法仏教徒は
救いようが無いよね。いつまでもくだらない言葉遊びで悟ったつもりでいればいいと思うよ。

137:カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
15/01/05 11:15:52.84 SdB4S8Wa
安息日である言葉で表現するなら基点のゼロ。中道=空しか説かないもっともレベルの低い末法仏教を
他の宗教と比べなにか特別なものと勘違いしている一代って人は、救いようの無いアホですね。

138:おじゃる
15/01/05 12:03:15.92 9UIkPk8B
 
>宇宙創造の前は何も無かった

「この宇宙には始まりがあって、爆発のように膨張して現在のようになった」とするビッグバン仮説

これ以外の仮説の場合もある↓

プラズマ宇宙論(Plasma Universe、Plasma Cosmology)
宇宙論の一種で、宇宙的スケールの現象は重力だけではなく
宇宙の全バリオン物質の99.9%を占める電気伝導性の気体プラズマの運動に起因する
巨大な電流と強力な磁場の影響を大きく受けているとする
そして電磁気力と重力の相互作用によって、壮大な現象を説明できると主張する
主としてプラズマ物理学の基本である電磁流体力学 (MagnetoHydroDynamics: MHD)の上に立脚した理論である

プラズマ宇宙論は、ビッグバン理論と比較して
銀河の回転曲線問題を暗黒物質という仮定の物質を持ち出すことなく簡潔に説明できる(#銀河形成と回転曲線問題)
さらに、近年発見されたヘルクレス座・かんむり座グレートウォール、U1.27といった宇宙構造体の成り立ちを説明する際
現行のビックバン宇宙論(から発展した理論も含む)では存在自体が矛盾してしまう程巨大な宇宙の大規模構造も
プラズマ宇宙論では矛盾無く説明できる
しかしながら、プラズマ宇宙論は宇宙マイクロ波背景放射の観測事実をうまく説明できていない(#マイクロ波背景放射)
そのため、プラズマ宇宙論は現時点では標準的な理論とみなされていない
  _  _  _

今の現状においては『「宇宙創造の前は何も無かった」という仮説が正しいのか?どうか?わからない』ということ

139:おじゃる
15/01/05 12:40:52.24 9UIkPk8B
 
例えば仮に
仮説として「宇宙が輪廻を繰り返えしている」とした場合
『前世の宇宙から異蘊相続して現世の宇宙が現れ(滅し)ている』というような仮説を考えることも出来る
この場合は

『宇宙創造の前は何も無かった』ではなくて

仮設としての「前世の宇宙から異蘊相続して」という仮説の場合もあるかもしれない

URLリンク(www.daitouryu.com)
我癡・我見・我慢・我愛を滅させることが出来なかった場合は
この現世において身体を捨て己(おわ)っても
我癡・我見・我慢・我愛に依存して

異蘊相続に依存して

また次の、この世の生に戻り来る

URLリンク(www28.atwiki.jp)
漢訳 第一義空經
此の陰滅し已らば異陰相續す

無明に縁りて → 行に縁りて → 識に縁りて → 「苦しい」と掴もうとしている想いが現れている

 - これを対処する為に -

想いを手放し → 非想非非想処を超えて

無明滅するが故に → 行滅するが故に → 識滅するが故に → 「苦しい」と掴もうとしている想いが滅する

140:神も仏も名無しさん
15/01/05 13:11:15.01 fxPMRQhr
仏性はすべからく善であると信じぬかないと仏教とはまたべつの宗教とは呼ばない何かの哲学になるよな
白熱先生のように善悪は相対的なものという人ですらキリスト教的道徳をこっそり正義の基準にしてたりするしな

141:佳子様にゃん♪
15/01/05 13:36:00.93 AvJfUOpR
お前らご機嫌よう! (#^.^#)ノ

URLリンク(pbs.twimg.com)

142:神も仏も名無しさん
15/01/05 17:14:22.33 cqff9MBv
>>135
>だから ”それ” は、言葉では正確に表現し得ない有でもない無でもないあえて
>言葉で表現するなら基点のゼロ

身体と呼ばれるお前も有しているそれをお前は実感出来ないとほざくのかw
狂ってるな

あのな、その実感は否定しちゃダメなんだぞ?
身体があって生きている実感を否定したら道理に反する
道理に適わないものは仏法に反するんだよ
この世界には道理に反するものなど存在し得ないんだよ
いいか?俺たちゃ生きているから身体の実感と思いとが縁起して感じられてるんだよ
その実感を否定すると一切縁起するこの世界自体をも否定する事に繋がって詭弁を重ねる事になり
その詭弁は62見の邪儀に掛かる

狂ってるなら狂ってるなりに、感じたならそれなりに実感は実感として認めたうえで
その実感自体の実在性を問い、発生原因を問い、必然性を問うて執着を開放し
一切の緊縛から開放していくのが仏道なんだよ

お前の言ってるのは単なる空言に過ぎない

143:神も仏も名無しさん
15/01/05 17:20:03.73 cqff9MBv
生長の家信者と幸福の科学信者には確かにろくな奴が居ないな

144:神も仏も名無しさん
15/01/05 17:57:04.32 fxPMRQhr
なるほどだから臨済和尚は殴るのか

145:神も仏も名無しさん
15/01/05 18:06:07.93 WEh9Js7r
>>144
仏法の大意の質問の事なら
仏法に妄想は実在しないからだよ

具体的は黄檗師に臨済師が引っ叩かれたのは
「仏法の大意とは何か?」と言う妄想を、黄檗師が
引っ叩く事で「止めさせた」のさ
解答として黄檗師の答えは実に明快だった訳

意味が分からなかった臨済師は
「何が悪かったんだろう?」
と更なる妄想を重ねてしまって、今度はその更なる妄想の為に大愚師に詰め寄られて怒鳴られ
そこで気付く訳さ

臨済宗の要点は常に「莫妄想」で、仏法の奥義そのものを教えてるようなものさ

146:昭和天皇
15/01/05 18:26:37.96 AvJfUOpR
>>145

あっそ!

147:神も仏も名無しさん
15/01/05 22:13:49.29 CtHFVNwB
>>146
> >>145
>
> あっそ!

詐欺 - 116 本の動画
URLリンク(www.youtube.com)


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