15/01/02 21:04:06.98 faazhYcz
明治36年(1903年)5月22日
一高生の藤村操が『華厳の滝』の近くにある樫の木を削り
「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残して…
岩の上で思う
天地は何者にもとらわれず、何んと余裕があることか
今は昔の時代とは、何んと遠くはるかに離れていることか
五尺(1メートル50センチほど)の小さな体でその大きさを測ろうとする
ホレーショの哲学はなんら専門的でも権威のあるものでもない
宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「不可解である」と
私はこの恨みを胸に持って思い煩い、ついに死ぬ事を決断した
すでにこうして岩の上に立つことになって
私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ
非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った
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この現世の色受想行識から → シパ・バルドゥ(再生へ向かう迷いの中有)へと移り逝って
この立ち位置から『草葉の陰から見守って…』