14/09/15 03:34:10.36 7scQmIAO
>>621
パンを巡る争いなら、大規模な殺戮などにはなり得ない。相手の皆殺し
にすれば、己の側の生命も失われ、己の生存に必要な物資やサービスも
得られないという「計算」が可能だからだ。これを私は、生存本能に
よる「自動制御」と呼ぶ。
生存に無関係な宗教のための争いでは、生存本能によるこの計算や自動
制御が働かず、あるものは「憎悪」のみだから、相手を殆ど皆殺しにす
るまでは、止めることが不可能になる。
これらの要因は、以前紹介した名著「逝きし世の面影」(渡辺京二著、
平凡社)や、著者の最新の書下ろし「無名の人生」(文春新書)を
読めば実感できる。
荒涼たる砂漠や山岳地帯とは異なり、山紫水明の自然によって養われた
日本人の国民性は、本質的に平和を好むのである。
「和を以って尊しとなす」。聖徳太子は大乗仏教の信者であった。