14/08/13 11:30:55.82 Xj96uUQW
>>80
>観測者の心が動いてるに過ぎない、つまり幻って話
元ネタの「心が動く」の抜粋なんでしょうけど。→非風非幡
その流れで気づいたことを少々のコメントとして記す。
例えば「永遠」とか「無限」というのは、人間の概念では全く捉えきれない。
ただ意味は分かる。つうか、分かってると自分で納得しているだけ。
つまり人間の経験し得ないものは、そこに当然ながら思考の限界がある。
ドイツ観念論では、これがよく論題になる。
つまり、動くも、永遠も、実際はそこに差異はないのだ。
これがドイツ観念論と仏法の違いなのだ。