14/08/13 10:56:10.56 tUBPzv6N
>>87
>彼岸に至ればなんら矛盾した事など言ってない
龍樹 中論24-18のいう通り、仮説としての相が違う。
六神通なるものは実践仏道上、機能的には間接現実(世俗相)『一切外』(相応部35-23)妄想そのままであって、
直接現実(勝義相)透過からの還滅現実(還滅相)ではない、ということを押さえておかなければならない。
>全てが明らかになる それ自体が神通なんだよ
菩提心凡夫の如理作意の誤解を与えかねない一切外の言葉・概念・思想(このばあい神通思想)は避けなければならない。
個別具体的な対機説法としても、その一般化は誤っている。
現にマハーカッサパ教スコラ部派や外道によって(一切外妄想)混乱をもたらされている。
この事態はいわゆる小乗・大乗を問わず、だ。
実践仏道上まったくナンセンスなガラクタ事態だといわねばならない。
このようなガラクタを捨置する、捨てる技術が【一切門】における如理作意←自灯明であって、
如理作意という相対思考の限界を突破するのが【般若門】における智慧による般若智直覚=縁起の現観←法灯明だ。
しかもこれは『想いからの解脱』=仏法ゲシュタルトの問題であり、
とうてい<『想いからの解脱』における解脱=仏法ゲシュタルトの崩壊>(Sn.1072)=筏の喩えの法門(金剛般若経6.、中部22)
にまで至りついていない。
>「涅槃は輪廻と異ならず」も否定する事になり
非心非仏の如しを透過した、即心即仏(煩悩即菩提)←(相対)還滅相。
否定も肯定もありえない。