14/08/13 08:46:17.06 tUBPzv6N
一方、「想いからの解脱」(Sn.1072)においては 空=中道の如くだから分別対象化された時間・空間は不立だ。
当然、言語論理も不立だ。
道元禅師に学べば、<時空際断の如く>だ。
ならば、固定教義仏教派の言ういわゆる三明とは
『・宿命通とは、自分の過去世(前世)なるものはそもそも不立の如くであると覚醒する *不立文字
・天眼通とは、他人の過去世(前世)なるものはそもそも不立の如くであると覚醒する
・漏尽通とは自分の煩悩が尽きて、生死なるものはそもそも不立の如くであると覚醒する』でなければならない。
これが縁起=空=中道からの還滅となる。
*そもそも「自分」「他人」が不立の如く←一切法無我
ゆえに、
『ちなみに『三つの明知』とはなにか?
<一切行無常・一切法無我・一切皆苦>の三法印をいう。
コンダンニャ長老の詩句、ダンマパダ(中村 岩波文庫 テーラーガーターp145、ダンマパダp49)参照。』となる。
以上