14/08/12 16:59:13.09 CSVfWBb+
前スレ>>972のつづき
>足下の岩盤は有用であっても、それは無用なるものにおいての有用でなければ役には立たない。→(無用の有用)
>ということなのだ。
無用においてしか有用はありえないということだ。
無用というのは無価値のことだ。無価値なるがゆえにそれは非無価値なのだ。
あらゆる迷いの原点はここにあるのだ。
また、あらゆる迷いは二相においてしか全ての説明は困難であろう。
それが般若波羅蜜なのだ。もしこの智慧を得たばら全ては説明がつく。
それが最終的な涅槃到達と言ってもいいだろう。
これが勝義諦なのだ。
しかし彼岸に到達したとしても、それで終わった訳ではない。
ここから深く洞察していくのだ。そしてこのときに気づくだろう。
それは対内も対外も寂滅しているのだ。
全ての境界は消え、そして自らが大自然に溶け込んでいるのだ。
そしてもはや有用も無用も、また価値も無価値も全てにおいて悟るのだ。
また、暇なときに。