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小林繁さん死去 キャスター、俳優、選挙…第2の人生も波瀾
1月18日16時56分配信 夕刊フジ
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
巨人、阪神の元投手で、現日本ハム1軍投手コーチの小林繁氏が17日午前11時ごろ、福井市内の病院で心不全のため死亡した。57歳だった。
前日行われた日本ハム本社のイベントでは元気な姿を見せ、今シーズンに向けた意欲を見せていた矢先の急死。「江川事件」に翻弄された現役時代だけでなく、
第2の人生も波瀾に満ちていた。
【翻弄され続けた「江川事件」】
関係者によると、小林氏は16日に都内で行われた日本ハム本社の商品展示会に出席したあと、空路で福井市内の自宅に帰った。17日午前6時半ごろ
起床したが、8時ごろに「背中が痛い」と訴え、静子夫人がマッサージした。少し楽になった様子だったが、再び苦しみだし、10時半ごろに意識を失ったという。
救急車で病院に搬送されたが、意識を取り戻すことはなかった。
小林氏は昨季、日本ハム2軍投手コーチに就任。サイドスローで活躍した自身の経験を基に、2軍で伸び悩む投手たちをサイド転向で開花させた。
実績を買われて今季から1軍に昇格。梨田監督は17日、「昨日(16日、東京で)本社のイベントで会ったばかり。キャンプに連れていく
選手や方針などを情熱的に話していたし、元気そのものだった。本当に信じられない」と唇をかんだ。
鳥取・由良育英高、社会人・大丸を経て、ドラフト6位の下位指名から巨人のエースに成り上がり。悲劇の身代わりトレードから古巣への
リベンジ、そして13勝しながら31歳の若さで現役引退。その後は二枚目の理論派としてスポーツキャスターに転身し、料理番組の司会、
歌手に俳優と多方面に才能を発揮した。
1995年には「さわやか新党」から参院選の比例代表で出馬も落選。球界に復帰した97-2001年は梨田監督率いる近鉄で
1、2軍投手コーチを務めた。
一方で高級クラブや飲食店、テレビの制作、採用支援会社など手広い事業を手がけたが、共同経営者の不動産会社の倒産を引き金に4億円もの負債を抱え、
03年に自己破産。一時は負債が10億円まで膨らんだとされる。
その後は福井で少年野球を指導し、07年は韓国・SKの臨時コーチも。同年「黄桜」のCMで因縁の江川氏と共演した際は、「何かあるたび
空白の一日を持ち出される。そんな生き方はしたくない。この30年間は2人以外の誰も理解できない。体にはめ込まれ、これからもずっと引きずっていく」
と語りつつも、和解の乾杯に「残りの人生が少し変わったものになるんじゃないかな。この辺(胸)に張ってたチェーンがポーンと外れた」と転機を感じていた。
その予感通りに雌伏の時を乗り越え、再び梨田監督と手を携えて、北の大地で野球人生の集大成に向かう矢先-。早すぎる死が訪れてしまった。
▼通夜・告別式 通夜は19日午後6時、告別式は20日正午から、いずれも福井市松本4の8の7、千福寺りんどうホールで。喪主は妻、静子(しずこ)さん。
小林氏は16日に都内で行われた日本ハムの本社イベントに出席したばかりだった(写真:夕刊フジ)
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