14/09/13 23:21:40.86
>>434
どうもスレ主です
>広中さんて先輩立てるね
>理想的な型の詰めに悩んでて、岡さんの言葉で
>自分の型の正しさ直感したのが実のとこって気もするが
違うだろうと思うよ
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京大にも教えに行っていた頃
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1954,55年に京大非常勤講師、56~64年までセミナーを行い、後進の育成に努めている。
当時の学生で特異点解消の業績でフィールズ賞を受賞した広中平祐氏は「可変思考」光文社文庫、の中にこう書いている。
僕が数学者になろうと腹を決めて、数学のどの分野を選ぼうかと思いめぐらしていた大学3年生のころ、岡潔先生の講義に出席してみたが、2度ほど聞いたところで、この人にはつくべきでない、と感じた。
岡先生は若い頃、「岡の基本レンマ」(後述)というすばらしい定理を発見して、その後、「多変数関数論」が画期的な発展をとげる、重要な出発点をつくっておられるわけだが、
これを発表するまでに、誰かが先に証明するのではないかという心配が、並以上ひどかったと聞いている。
(足立註:研究を盗もうとしているスパイがいる、という強迫観念を持っていた時期があると聞いたことがあるが、この時のことであろうか)
僕が学生のころ受け取った岡先生の印象は、われわれとは異質な天才で、バランスを欠いた、非常識な発言が少なくなかった。
先生の講義にも、「すべてを捨てたときに問題がパッと解ける」とか、「数学を考える前に、座禅を組め」といった種類の発言が多すぎた。
僕はいまなら、よくその心境が理解できるが、学生のころの僕には、そのような雲をもつかむような話には、どうしても同感できなかったので、岡先生の講義を聞くのは、2度目のあとは、きっぱりと打ち切った。
それ以後、岡先生から離れて、距離をおいて岡先生の数学だけを勉強したことは、いまでも僕の成長にとってよい決心だったと思っている。