14/09/13 21:04:36.41
>>423 補足
どうもスレ主です
>広中平祐が33歳でコロンビア大学教授に就任が決まったとき、当時未解決の大問題であった代数多様体の特異点解消問題について日本数学会で講演した。
>その時、岡潔が立ち上がり、問題を解くためには、広中が提案したように制限をつけていくのではなく、むしろ逆にもっと理想化した難しい問題を設定して、それを解くべきであると言った。
ここちょっと違うように思う
「コロンビア大学教授に就任が決まったとき」ではないように思う
これかな
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3.孤高の数学者岡潔:ピソードには事欠かないデンジャラス人生!
(抜粋)
広中平祐「学問の発見」佼成出版社、より。ブランダイス大学に勤めていた1963年に、日本数学会に招待されて「特異点解消」について特別講演をした。
日本のそうそうたる大勢の数学者を前にして、私は幾分か興奮もし、気合いも入っていた。
講演終了後に質問を受け付けると、真っ先に立たれたのが岡先生だった。
「広中さん、そんな方法では問題は解けません。もっともっと難しい問題にしていくべきだ。あなたのような態度じゃ、問題は解けませんよ」と断言されたのである。そんな方法とはこうである。
私はその時、一番理想的な問題はこれで、こういう形で解きたいが、今のところは欲張りすぎだから、これこれの条件をつけて、こういう形で解けたらいいと思う。
しかしながら、それでも欲張りだから、もっと具体的な設定をして、問題を理想的な形から下へ下へと下げる方法で講演したのである。
私は無言で頭を下げた。
すると岡先生は「問題というものは、あなたのやり方とは逆に、具体的な問題からどんどん抽象していって、最終的に最も理想的な形にすることが大切だ。そうなれば、自然に解けるはずですよ」という意味のことを言われた。
私は「ご忠告ありがとうございます」と頭を下げたが、正直、何を勝手なことをいいやがる、という気持ちだった。
しかし、岡先生の言われたことは、少なくともこの問題を解く上では、的を得ていたのである。私は米国に帰国後、問題を理想的な形にしてみた。そして数ヶ月ほどかけた結果、ついに全面的な解決をみることができたのである。