14/08/31 11:58:27.15
>>147 つづき
>ダイソン(掃除機でない方)も出てたね。ノーベル賞も取ってない人として
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つづき
経歴
15歳の時、微分方程式が科学において重要な事を知り、図書目録から「微分方程式」(H・T・Hピアジオ著)[2]を書店にて注文・購入しクリスマス休暇を使って毎日朝6時から夜10時までぶっ続けで700題を順に解いて過ごし、
ブリッジ大学のトリニティカレッジに進路を進める。この頃既に英国での数学畑でトップ数人内の一人となっていた。
1947年に数学からは離れて物理学に興味を持ちアメリカコーネル大学物理学科へ留学。
この年、相対性理論と量子力学を統合する数式(ダイソン方程式)を発表。
同大では師のハンス・ベーテからラムシフトの変形の理論問題を任され、直感的な計算で紙片に書き綴り、同僚らは「僕らも、それに気づいていたらなぁ」とダイソンを羨む。
1948年、旅行で一人バスに揺られている間、過程は違えどジュリアン・シュウィンガーとリチャード・ファインマンが同じ答えを導きだそうとしている事に気づく。
何でも方程式にしたい性質のダイソンはファインマン・ダイアグラムを数式化して他の物理学者にも分かりやすいように組み立てる。
数式を用いず図形で手短に且つかなり正確な答えが導き出されるファインマン・ダイアグラムを広めるべく尽力、あまり良い顔をしなかったロバート・オッペンハイマーを口説いてファインマン・ダイアグラムの有用さを認めさせた。
後「朝永=シュウィンガー=そしてファインマンの放射理論」論文発表。
過去、周囲から何度もノーベル賞有力候補として名が挙がるも受賞には至らず。本人はあまり頓着しておらず、賞レースには消極的で無関心な事を明かしている。