14/04/22 21:49:48.22
順序自由派として言うが、小学校の算数教育は順序固定だよ、もちろん。それが即駄目だということじゃない。
問題は「掛け算は本来順序のあるもの」なのかどうかだ。銀林浩はもちろん遠山啓でもあると考えている。
そうじゃないだろ、というのが順序自由派としての意見。ただし、初手からそうしろとは言わない。
教える段取り上、一番初めは順序ありになる。2×3は2+2+2、3×2は3+3と教えるからね。
それが同じと思えるわけがない。答が同じなのは偶然と思うだろう。しかしアレイ図を習う。
アレイ図見ただけではまだ気が付かないだろう。しかし続いて九九を覚える。同じ数満載だ。
そして交換法則を習う。もう一度アレイ図を持ち出して示す。数としては可換だと知ることになる。
できればそこで順序に拘らないことにして欲しい。2年生後半で掛け算は可換へ突き進んだから。
しかし絶対じゃなく、お願いレベルだ。あるいは方向性。それは「知った」と「分かった」は違うから。
知ったことが分かる、使えるようになるのには時間がかかる。3か月くらいかな、平均的には。
ただ、文章題の採点は掛け算順序はどちらでも許容して欲しいと思っている。説明もさせない。
交換法則履修前に「どうして逆でもいいの?」と聞かれたら「もうすぐ習うよ」として欲しいんだ。
交換法則履修後なら、「入れ替えてもいいと習っただろう」として欲しい。
なぜなら不正解にして、それを納得させることは、結局はできないから。
さらに、順序あり掛算を維持して教え続けることも難しい。6年生まで算数あるからね。
もし「掛け算には本来は順序はない」という合意ができるんなら、問題の8割は消失すると思う。
教え方の段取り上、順序付きというのは上で言ったけど、分かる。どこで解除するかだけだ。
そうだからこそ、もし「算数の掛け算には本質的に順序がある」と言うなら、話はこじれる。