14/04/19 06:26:23.10
>>462
88歳なんだけど
まあ、そこまではいかないかな
確か、小学校6年のときに、先生がさばけた人で、図形の学習をずいぶんやった
理由は、女子で私立の中学を受けるお嬢様たちが結構いたのと、どうせ中学校でやるからすこしやっておこうと、あるいは図形は直感的に分かりやすいとか
中学校3年のとき、数学の教師が数学倶楽部みたいなのを作っていて、誘われた
手作りのテキストで、3x3の行列とか、クラメールの行列解法を教えてらったり
で、戻ると「中学2年ぐらいで証明という概念が初等幾何をメインに導入されるがあそこで数学を諦める人は相当多いだろうなぁ」>>434に対して、へ~そうなん?と思ったり
「で、高校数学を乗り越えて、大学数学にたどり着くと証明の嵐
ここも数学を道具として使う分野だとあまりやらないかもしれないが数学科だと避けられない」>>434に対して
山登りに例えれば、”証明の嵐”は”いずれ未踏峰に上る必要もあるから、鍛えるために自分の足で上って下さい”と、富士登山で一番下から歩いて登れみたいな
「証明こそが数学だと思い知ることになるけどここでつまずく人が多数派だろう」>>434に対して
いまの時代、何合目かまではバスで行って、その先を徒歩で。それも数学だろうと。富士登山、登る途中は”証明の嵐”で、”証明こそが数学”かもしらんが、登って頂上に立つとまた違った風景が見える
「証明わからなかったら定義だけはしっかり確認しようというのが自分自身への戒め」>>434に対して
定義というのは、富士登山で言えば登り口。頂上に立つと、”ああ、山の構造がこうだから、ここから登るのが良いのだ”と、なんでこんな定義になっているのかと、定義の意味が見えてくる。そういうものじゃないですか?