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ポアンカレ予想解決の陰に、多数の廃人がいただろう
クリストス・パパキリアコブーロス博士の話は有名だ。パパは「もしも、ポアンカレ予想が解けたなら、ギリシャに戻り、結婚できるかもしれない」と友人にもらしていたという。
ウルフガング・ハーケン博士は、ハーケン多様体にその名を残す
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2007年12月10日 (月) ■漫画でわかるポアンカレ予想
1950年代、ふたりの数学者が「ポアンカレ予想」の謎をめぐり、熾烈な戦いを繰り広げていた。
クリストス・パパキリアコブーロス博士(以下、パパと記す)とウルフガング・ハーケン博士だ。お互い、「ポアンカレ予想」を解いたと発表しては、その誤りが見つかるといったことの繰り返しで、一進一退、ますます深みにはまっていった。
パパは「ポアンカレ予想」の研究のためにすべての時間を使い、人前に出ることも少なかった。パパは「もしも、ポアンカレ予想が解けたなら、ギリシャに戻り、結婚できるかもしれない」と友人にもらしていたという。
しかし、ふたりの対決は突然終止符を打つ。パパが癌のため逝ってしまったのだ。彼の自宅からは、膨大なポアンカレ予想に関する遺稿が見つかる。パパさん、かわいそうね。
いっぽうのウルフガング・ハーケン博士は、パパの死後、40年間も「ポアンカレ予想」に取り憑かれていた。家族は博士のことを「ポアンカレ病患者」と呼んでひやかしたそうだ。
「今、お父さんはポアンカレ病に患っているから話もできない」と。
でも、それがよかったと博士は言う。もしも、家族が「お父さんの研究は人類史上、とても重要なことなんだ」などと言っていたら、ますます追い込まれていただろうと。
家族のさりげない言葉が日常の世界へ連れ戻してくれたと。ハーケン博士のハゲ頭(失礼)の上に子供(たぶん、孫?)がおもちゃを乗せて、遊んでいる光景がほほえましかった。