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韓国天才少年の44年後
2011/12/25 17:49
「十(とお)で神童、十五(じゅうご)で才子、二十(はたち)過ぎればただの人」ということわざがある。
実際、子どもの頃に天才といわれた人が、おとなになってみれば、ふつうの人、という例は、あちこちで散見される。
では、あの途方もない頭脳をもっていた神童のその後はどうだったのか。
いまから44年前の暮れ、八木治郎アナウンサーが司会するフジテレビの番組「万国びっくりショー」にあどけない顔の韓国の大学生が登場した。
漢陽大学の1年生というかれの年齢は、わずか4歳と8か月。「人類史上最高のIQ天才児」と騒がれた。
番組では東京工業大学の矢野健太郎教授が不定積分の問題を出題し、この天才児と東大生2人がこれに挑戦した。結果は、なんと幼児のほうが早く正解をだして勝った。
この場面をご記憶の方もおられるかもしれないが、その天才児はある時点から、ぱたりと消息が途絶えてしまった。両親は、子どものことに触れるのを避けた。
いったい、なにがあったのか。しかし、情報はほとんど伝わってこなかった。
じつは、天才児のその後をずっと追跡していたジャーナリストがいた。元フジテレビ記者の大橋義輝さんである。
最近、大橋さんがその追跡記録をまとめた『韓国天才少年の数奇な半生』(共栄書房)を刊行した。
さて、このIQ天才児もまた、「二十(はたち)過ぎればただの人」だったのか。
ここで種明かしをしては、苦労して追跡してきた著者に申し訳ないので、「かれは、アメリカで博士号を取得した土木工学の専門家で、決してただの人ではなかった」とだけ補足しておこう。