12/01/03 19:39:36.38
無限論の教室(野矢茂樹)
「ラッセル集合、つまり「自分自身を要素としてもたない集合」ですが、
これもまた、可能無限的観点からすれば、そういう集合を集めてくる
際限もない作業があるにすぎません。こうした生成するものとしての
集合というイメージのもとでは、「自分自身を要素に持つ/持たない」
ということも考え直さなければなりません。「ラッセル集合」とは、
そうした作業遂行の方法に付けられた名前に過ぎません。それは決して
完結した全体として対象化されえないものですから、それが要素になる
とならないとかいうのはナンセンスなのです。(p.167-168)」
これがブラウアーの見解かどうかはともかくとして、この主張は、
直観主義論理によって内包公理を救うものではなく、むしろ、
内包公理を否定しているわけで、単に集合論に難癖つけてると
しか思えん。