14/08/27 11:23:30.26
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高橋政代:治験を日本で行うとしたら、(中略)30年後、私は犯罪者になっているかもしれません。
聞き手:どういうことでしょうか?
高橋:新しい治療法ができたと華々しく言われて、はじめの10例程度を進めているうちは問題が起こらないと思います。
(中略)でも、徐々に広まってきたときに予想しない色々なことが起きるかもしれません。そうしたときに訴えられることもあるのではないだろうかということです。
聞き手:自分にリスクが降りかかったとたんにベネフィットは眼中になくなる。患者さんの期待が膨らみすぎるせいもあります。
高橋:期待と結果のギャップですね。結果から「ああ、やるんじゃなかった」と思う可能性があるなら、はじめからそういう治療を選択すべきではないと思います。
(だったら最初から患者に期待持たすような事言うなよ)
聞き手:その網膜が幹細胞と結びついたのは、いつどこで、でしたか。
高橋:それは米国のソーク研究所に留学したのがきっかけです。(中略)眼科医の私は、神経幹細胞を見たとたんに、これで網膜の治療ができると思ったのです。
周囲は脳研究者ばかりで、網膜にはまったく興味がない。私にとってはまさしく濡れ手に粟の状態でした。
(※【意味】 濡れ手で粟とは、苦労せずに多くの利益を得ること。
なんでいちいち「ルイ・ヴィトン病院」とか、言う事が下品なの高橋さん。)
高橋:京都に戻ってから神経幹細胞で網膜を治療することを考えて研究していましたが、体性幹細胞ですからたくさん増やすことが難しい。
体性幹細胞では少し難しいかと考えて、素直に分化してくれるES細胞に行き着いたわけです。ES細胞の分野ではかつての同級生である理化学研究所の笹井芳樹先生が非常によい研究をされていて、
(中略)そこで色々教えてもらって、共同でヒトES細胞から世界ではじめて網膜の細胞を作ることに成功しました。
ソーク研究所で学んだのは、「研究を一緒にやるなら一流の人とやれ」ということです。
(まさか小保方だけじゃなく、笹井さんは高橋にも利用された?それとも共犯だった?)