14/08/06 15:31:15.25
>>617
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冒頭の会合からさかのぼること4年前の2008年5月。文部科学省3階の会議室で開かれたライフサイエンス委員会の作業部会では、
前年11月に山中が発表したヒトiPS細胞の研究を、国家プロジェクトに“格上げ”するための計画が議論されていた。
気まずい空気が流れたのは、議論が中盤に差し掛かった頃だった。委員の一人に名を連ねた理化学研究所CDB(発生・再生科学総合研究セ
ンター)グループディレクター(当時)の笹井芳樹が、文科省の提示した計画案に注文を付けた。
「再生医療や創薬研究では、(分化後の)体性幹細胞やES細胞はほぼiPS細胞と同じものだ。そういうことに関して、全然触れられてもいない。
もっと高所に立った、鳥の目が必要ではないか」。正面に居並ぶ文科省幹部を見据えながら滔々(とうとう)と話す笹井に対し、山中は机上の資料
に目を落としたまま押し黙っていた。