14/08/08 12:56:26.93 OIsK57+N
>>491
我々の生活空間自体が美に満ちている、というか全ては芸術だと言えるんかも。
我々は、大自然の驚異に畏怖を感じた時、
そこに神体験とも思える様な、魂を揺さぶるようなリアリティ感を体感する。
別に目覚めて無くても、瞑想なんかで自我の急速な、無からの展開を経験してれば分かるのかもで。
これはつまり、
脳がシーター波となって今に寛ぐとき、自然は真の姿(あるがまま・神自身)を魅せてくれるのかも。
したらば、人生とは芸術(今・神)を体感するために存在してるのかも知れなくて・・・^^;
>>494
>他人の書き込みを自分に都合のいいように脳内変換せざるを得ない苦
その書き込み自体が、都合のいい主観で書き込んでるのは解かるね。
でもそれでいいんだよ、それはまた歓びでもあるんだよな。
何故かと言うと、我々は人生を体験したいためだろうな。
けど何度も言うんだけど(モー嫌)
ユーは、行為(従)を自分(主)と思っとるのよ。
そうじゃなくって、ユーが主と成って従を行なってるのを、真のユー(無)が観て居る。
つまりこれが観察状態な分け・・・・・判るわね (´З`)チュッ