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「日本的霊性」(鈴木大拙)
<精神ではなくて霊性とした理由>
「霊性という文字はあまり使われていないようだが、
これには精神とか、また普通に言う「心」の中に包み
きれないものを含ませたいというのが、予の希望なの
である。
・・・
なにか二つのものを包んで、二つのものがつまるところ
二つでもなくて一つであり、また一つであってそのまま
二つであるということを見るものがなくてはならぬ。
これが霊性である。
・・・
霊性を宗教意識と言ってよい。
ただ宗教と言うと、普通一般には誤解を生じ易いので
・・・
宗教意識と言わずに霊性というのである。」
「精神には倫理性があるが、霊性はそれを超越している。
超越は否定の義ではない。
精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智
である。」
「精神の意志力は、霊性に裏付けられていることによって
初めて自我を超越したものになる。
いわゆる精神力なるものだけでは、その中に不純なもの、
即ち自我(いろいろの形態をとる自我)の残滓がある。
これがある限り「和を以て貴しとなす」の真義に徹し
能わぬのである。」