14/07/26 21:12:04.78 ZIT1+5lQ
としの上の者から順番に死ぬ、これをめでたい、と言うとか。
わたしも、こうゆう めでたさで 送られたい。
そして、いってらっしゃい、あぁ行ってくる、と挨拶を交わして見送られながら手を振って一本道を進んでいく。
めでたい。
何時(いつ)だったか、何処(どこ)でだったか、誰(だれ)からだったか、やまざくらの話しを聞いた。
やまおくの杉林の一角に丘の表土の薄い岩盤に広く根を張って周囲の木々をを睥睨(へいげい)して咲いている、一本のやまざくらを観たと言う。
その根は、岩と見間違うようにあたりの岩をしっかりとつかんで離さない。
花が咲き、種が落ち、根付くやまざくらは、何百年も生き続く。
江戸時代の新品種ソメイヨシノは種が出来ず挿し木で増えていくので樹齢60年、と言う。
植物が、動物より凄みを持つのは、その一生と言う時間が、永いものでは1千年を優に超すと言う事だけではない。
芽を出したその場所から、一歩も動かないのである。
動かなくとも、太陽と水があれば、良い。
黙って見上げていると、動かずのやまざくらの苦労が、艱難辛苦が観える。
見上げているとからだが、自然と、震えてくる、と言う。
すごいや、やまざくら。
やまざくらのように生き、山桜のように死にたい。