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クラシックの世界では音楽家には作曲家と演奏家に大別される。
大衆音楽ではロックなど作者が奏者を兼任しているケースも多いが、
あえてクラシック的な視点で評価すればビートルズとは作曲家として優れていて
ツェッペリンとは演奏家として優れているのであり、逆は月並みだと言える。
ツェッペリンは確かに名曲を書いてる。しかしスタンダードにはなれない。
スタンダードとは他者が演奏しても成立する曲のことを言うのだから。
天国の階段は傑作だが素材よりもアレンジ構成力ゆえの大傑作であって、
カラヤンをして自分が新たに編曲することはなく元曲どおりに演奏せざるを得ないと絶賛した。
そう、作曲家ではない演奏家であるカラヤンが曲を演奏する時に再アレンジをする、
つまり演奏家としての立場での創作行為としてのアレンジをカラヤンがやり直す必要がない。
演奏家が本来すべきアレンジの仕事をツェッペリンが既に曲に施してしまっているのだ。
これは作曲家の才能というより演奏家の才能の賜物だろう。
逆にカラヤンがイエスタデイ、レットイットビーを演奏する場合、絶対にリアレンジがされるだろう。
クラシックの作曲家は他者が演奏することも前提に入れて作曲を行っている。
自分たちが演奏する為のアレンジはカラヤンなどの演奏家のやるべき仕事である。
オーケストラも率いるジョージマーティンもクラシック演奏家であっても作曲家ではない。
ビートルズを補佐したマーティンの能力は作曲家としてではなく演奏家として力である。
ビートルズの自己アレンジ能力と演奏力に疑問符があっても当然のこと。
ビートルズの立ち位置は弾き語りでワン・アンド・オンリーの歌を聴かせる黒人ブルースマンのそれじゃない。
ビートルズの最大の売りは曲作りであって、立つべき位置はフォスターみたいなソングライター。