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父と車で生活、学校も知らず…22歳
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物心ついたころには父と車上生活を送り、各地を放浪していたという男性が2012年の冬、広島で保護された。
父の身元は分からず、昨年22歳で新たな戸籍作成を認められ人生を再スタートした。
戸籍名は「翔太」にした。父から「ショータ」と呼ばれていた。翔太さんによれば、父はパチプロだった。軽自動車で
全国のパチンコ店を転々とした。母は生後まもなく生き別れたと聞いた。車中で寝泊まりし、学校とは縁がなかった。
父がパチンコをしている間は公園で過ごした。コンビニ弁当で食事をすませ、父が買ったひらがなと算数のドリルで勉強した。
10代半ばになると、街で会った同年代の男女とカラオケや買い物をした。身の上話はせず、その場限りのつきあいだった。
飛び入りの工事現場で日銭稼ぎもした。夜になると父と合流した。互いに用事がなければ話さなかった。「いま考えると、
父は僕に関心がなかったように思う」21歳まで続いた父子の車上生活は2011年8月、突然終わった。
夜、大阪・梅田の街をぶらついた翔太さんがコインパーキングに戻ると、車がなかった。手元に残る小遣いでカプセル
ホテルに泊まり3日待ったが、車は戻らなかった。「捨てられた」と思った。父の出身地と聞いていた鹿児島をめざし、
建設現場で稼ぎながら西に向かった。金が尽きた12年2月27日夕、ハローワーク広島東に駆け込んだ。
翔太さんの尋常でない生い立ちを聴いた職員は、NPO法人「反貧困ネットワーク広島」の秋田事務局長(47)に引き合わせた。
ワンルームマンションに案内され、翌日から社会の一員になる諸手続きが始まった。一人暮らしを始めた当初は
台所の流しに見境なく生ごみを捨て配水管を詰まらせたり、節電しようと冷蔵庫のプラグを抜き中の食品を腐らせたりした。
今年6月、「アニメクリエーターになる」と周囲の制止を振り切って広島を去り、全財産10万円あまりを持って上京した。
千葉県松戸市の古アパートを借り、2年前からネットのチャットでやりとりしてきた彼女と住む。日々の食費で手元の金は
すぐに尽き、彼女のバイト代で暮らす。「生活保護に頼りたくない。バイトすればなんとかなる」。いま24歳。