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「第3の躍進」終焉に気付かない“雨宿り政党” 自己中心な主観的判断の愚 (1/2ページ)
共産党研究
2017.11.29
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共産党が「1960年代終わりから70年代にかけての『第1の躍進』、90年代後半の『第2の躍進』に続く、『第3の躍進』の始まりという歴史的意義を持つものとなった」と豪語したのは、4年前の2013年参院選が終わった直後である。
以来、14年衆院選、16年参院選と増勢を続けてきた。
今年1月の党大会では、「大目標は『第3の躍進』を大きく発展させ」「比例代表で『850万票、15%以上』」の確保と大風呂敷を広げた。
だが、10月の衆院選の結果は、惨憺たるものだった。
比例代表での獲得票は440万票、得票率は7・9%と、目標のほぼ半分でしかなかった。「第3の躍進」は、早くも終焉(しゅうえん)を迎えたということなのだろうか。
そもそも、「第3の躍進」と言ったときから、この結末は見えていた。なぜなら、躍進の前には、必ず後退、低迷があるからだ。
実は、13年の参院選直後には、「第3の躍進の波」と呼んでいた。私が「波は必ず引くよ」と指摘したら、慌てて「波」を削除したが、無駄な抵抗だった。今度は、「第4の躍進」を待つのだろう。
なぜ、こんな愚かな分析しかできないのか。
理由は簡単だ。自己中心の主観的な判断しかできないからだ。
共産党がいう「第1の躍進」の時期は、社会党が健在で、社会党と共産党の共闘によって、東京や京都、大阪など、全国で革新自治体を次々と誕生させていった時期だ。一種の革新高揚期に上げ潮に乗ったからである。
「第2の躍進」は、96年に社会党が事実上消滅した直後の97年参院選で819万票獲得した時期のことである。
当時、共産党は「一時的なものでも、偶然のものでもない」と言い切っていた。だが、実際には、行き場を失った社会党支持票が、一時的に共産党に流れただけであった。以後、衆院でも、参院でも得票と議席を減らし続けた。
そして、13年に始まった「第3の躍進」である。
09年に民主党が政権交代に成功したが、政権運営の失敗によって、12年衆院選で大敗し、野党に転落した。翌13年の参院選でも民主党は大幅に議席を減らした。
この選挙で共産党が久方ぶりに躍進したのは、民主党に嫌気をさした支持層の一部が流れ込んできたからに過ぎない。
この結果が明瞭に示していることは、共産党が言うように、その路線・政策に共感が広がったからではない。行き場を失った層が、「雨宿り」のように一時的に身を寄せたに過ぎない。このことを直視できないようでは、同じ愚を繰り返すだけであろう。
■筆坂秀世(ふでさか・ひでよ)