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【歴史捏造への反撃】民間邦人225人虐殺の通州事件 「世界記憶遺産」登録申請に中国困惑
2017.9.4
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
昭和12(1937)年、盧溝橋事件から3週間後の7月29日未明、中国・北京郊外の通州(現・北京市通州区)に在住していた400人の日本人同胞は、本来、居留民を守る任務を帯びていた地方政府の中国人部隊に、突如襲撃された。
「日本人は皆殺せ!」と呼号する3000人の反乱部隊は城門を閉鎖したうえで、日本人家屋から罪のない老若男女を次々と引きずり出した。
群衆の面前で全裸にし、撲殺、強姦、眼球えぐり取り、内臓引き出しなど、天人ともに赦さざる猟奇の蛮行を繰り広げた。処刑場では集団銃殺があり、女性多数が惨殺された日本旅館は血の海となった。民間邦人の犠牲者は225人にのぼった。
東京日日新聞(現在の毎日新聞)は、この通州事件を1面トップで報じ、「比類なき鬼畜行動」「我居留民に暴虐の限り」と報じている。
事件から80年目となる今年7月29日、「記憶と慰霊の国民集会」が開催された。東京・有楽町の会場は満席で、立ち見が出るほどだった。
集会で最も注目されたのは、事件の「体験者」加納満智子さんの登壇だった。旧姓は浜口で、事件で殺害された父は「満洲棉花協会」から派遣されて通州の綿花増産の支援にきていた。
事件発生時、母の浜口茂子さんは、協会の家族十数人と一緒にいた。
ほぼ全員が殺されたが、満智子さんを身ごもっていた茂子さんと、もう1人の妊婦が生き残った。血の海の中で死んだふりをして、奇跡的に生き伸びたのである。3カ月後、満智子さんは生まれた。
満智子さんは集会で、「通州事件」という言葉が常に心にあったと語った。
通州事件が、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産に登録申請されるという新聞記事を読んだとき、「ぜひ、自分の資料も参考にしてほしい」と思い、登壇していると述べた。
事件を生々しく伝える父の遺品として、満智子さんは分厚い日記帳を紹介した。銃弾を受けて深くえぐれたように破れており、会場の人々に深い衝撃を与えた。
集会当日、満智子さんは靖国神社に参拝し、父が軍属として靖国に祭られていたことを確認した。「何か自分の中で、1つの人生の区切りがついたような気がする」と感慨深く語った。
中国政府は2015年、南京事件をユネスコの世界記憶遺産にごり押しで登録させたが、「パンドラの箱」を開けたといえる。
私(藤岡)が代表を務める「通州事件アーカイブズ設立基金」は昨年、チベット亡命政府前議員とともに「通州事件」と「チベット弾圧」を、世界記憶遺産に共同申請した。来年は「南モンゴルの文化大革命期の虐殺」が申請される。
1つの動きが次々と連鎖反応を生み、さざ波のように広がってゆく。「歴史捏造」に対する日本人の反撃は、今後も止むことはない。=おわり
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記事からは、中国政府困惑は読み取れない。