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【海外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「まさかこんな繋がりが…」 親日国エチオピアと日本の歴史秘話に驚きの声
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1933年(昭和6)、千葉久留里藩の旧藩主・黒田子爵の次女雅子さんと、
エチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世陛下の甥であられた、
アラヤ・アババ殿下との間で縁談の話がありました。
アラヤ殿下は、1931年に使節団のメンバーとして来日した際、
日本を大変気に入り、日本人女性との結婚を希望するようになります。
そのことを知った黒田さんは、1933年に両親に無断で花嫁に立候補。
第一候補に選ばれ、晴れてアラヤ殿下の婚約者になられています。
しかし、当時エチオピア利権を狙っていたイタリアがこの縁談に危機感を覚え、
婚約解消を求めてエチオピア政府を威嚇したことで、
1934年、最終的にこの話は破談になってしまっています
(なお、その2年後の1936年に、エチオピアはイタリアの植民地に)。