15/11/26 18:45:34.37 dSdQ9LJyK
>>614
うーん
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)宮永スパイ事件
宮永幸久陸将補(少将)は陸軍士官学校卒(54期)の陸上自衛官で、調査学校の副校長も務めたソ連情報の専門家であった。
非常に真面目で、学究肌の人物であったという [1]。
そんな宮永が再就職の斡旋を求めて1973年(昭和48年)12月にソ連大使館のリバルキン・P・I武官に接触した事から事件は始まる。
翌年の1974年(昭和49年)3月にリバルキンから連絡があり、二人は渋谷駅付近で接触した。
初めは中ソ関係について意見を交わすだけであったが、ある時「ソ連は中ソ戦に備える必要がある」として情報協力を要請された宮永は5月に退官すると中国の軍事関連の資料を渡すようになる。
始めは公刊情報にコメントを付けて渡す程度であったものの、現金を受け取るようになるとリバルキンからの要求は次第にエスカレートし、リバルキンは遂に秘密情報を要求するようになる。
これを宮永は承諾し、宮永はソ連の「エージェント」(協力者)となった[1]。
略
宮永が逮捕されるきっかけとなったのは外事警察の情報であったという