10/09/09 01:42:14 97qcIYGm0
>>917
しかし、徳川綱吉の生類憐みの令で、表立っての動物殺生に対する忌避感が増幅され、
犬がとりわけ「将軍家の護神」とされて保護されたことにより犬食の習慣はかなり後退した可能性がある。
また、「座敷犬」「抱き犬」として狆などが流行する等、犬食文化の衰退の要因は増えた。
江戸時代中期以降も犬や猫の肉が食用として一部で流通していたようだが、
天明の大飢饉により米価が高騰し深刻な米不足が起こった際、
江戸北町奉行曲淵景漸が犬や猫の肉の価格を示して「米がないなら犬や猫の肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、
江戸市中で打ちこわしまで引き起こす結果となったことから、当時既に犬や猫の肉は一般的な食材として認識されていなかったことが伺われる。
ですって