09/09/08 14:43:06 SrBeuWGG0
続き
一九八四年に注学校を卒業して以来、スクール・セクハラという言葉に出会うまで、私は自分の受けてきた
屈辱や嫌悪感を誰にも話せずにいた。それは自分自身に被害者意識が全くなかったからだ。
たぶん加害者である当時の教員にも、私たちに対してセクハラの加害者である意識はなかったであろう。
セクハラという言葉を知っていても、威圧的な教員に対して「いやだ」と言えたかどうかは疑問であるが、
納得のできない思いのまま月日を過ごすことはなかっただろう。
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