12/05/01 11:23:59.15
戦前の旧商業専門校である旧経済学部は、明治学院に吸収されちゃいました。
当時の専門学校は本物のエリートが行く場所でしたから。旧7年制高校の成蹊、成城、武蔵もしかり。
戦後みんな新制大学になったけど5%しか大卒はいなかったんじゃないかな。
今の大学院と同じで研究室に訪問してこの先生がいるからこの大学という時代だよ。
だから「55年前から底辺」とか言ってる奴は馬鹿なの。だって、高校進学率が40%程度であって、高卒でも中堅上位という時代だから。
ちなみに、当時は普通高校よりも商業や工業のほうがエリートです。
もちろん、関東学院卒なら幹部候補。というか大卒自体が幹部候補。
そんな牧歌的光景は学園紛争の激化と大学の大衆化と管理教育と序列化で消えました。
日東駒専なんて言われるようになるのは高度成長末期のころです。このころになると偏差値こそまだですが、模擬試験で序列化していきます。たぶん当時の高校生で大学希望者は旺文社さんの試験を受けたのでは?
大学進学率(男子)は昭和46年ころには一気に40%、女子10%、平均20%まで上がります。このころ、関東学院は日東駒専どころか神奈川大未満、東海と同じにされたのです。
大学進学率は当時の文部省が大学新設を徹底して押さえ込みますから少しだけ下落します。
だから新人類世代の受験戦争は過酷だったのです。反省して文部省はブル期には再び新設大学が許可されるようになります。
それでも大学にはなかなか行けず短大や専門学校進学が主流という時代が90年代中盤まで続くのです。
男子の大学進学率が40%まで回復するのはバブル崩壊から数年後です。
よかったのはここまでで、以後短大進学率は激減し、やがて短大は潰れて(または改組され)いき、2012年には大学進学率は58%、男子に限ればもう65%ぐらいにまで達しています。
当時(1953年)の高校レベルどころか中卒層が混じっているのです。
「だから専門学校未満の大学よりも専門学校と同じレベルに」と必死に看護や保育、栄養系を各大学は必死になって作っているのです。
経済学部や法学部作ってもフリーター養成学部になりますから。実業界に送り込む経済学部なんてのは40年前までのお話です。
もう50年以上前のお話で私は当時15歳ぐらいだからおじさんもかなり記憶が曖昧だけど。