●ストーカーの正体は警視庁公安部●2at SOC
●ストーカーの正体は警視庁公安部●2 - 暇つぶし2ch137:名無しさんの主張
12/11/13 00:54:25.24 DZLkZRsZ
公安の仕事(戦後編)①下山事件

[事件概要]
1949年、終戦4年後の昭和24年7月6日、国鉄総裁・下山定則氏(当時49歳)が行方不明となり
翌6日午前O時25分、足立区五反野南町の常磐線綾瀬~北千佳間で、電車にひかれてバラバラ
になったれき死体で発見された。
下山総裁は東京大田区の自宅から(運転手つき)公用車で国鉄本庁へ向かう途中、日本橋
三越本店に寄ったまま行方不明となった。
 同氏の遺体は、東大法医学教室の解剖により死後れき断判明し、他殺が有力とされた。
[社会的背景]
当時世界は、東西対立が激化し翌年(1950年)には朝鮮戦争が勃発する。この情勢下で日米
両政府は、共産勢力の国内伸張を極度に警戒していた。
一方、当時国鉄では、人員整理計画を進めており、これに反対する国鉄労組合は、デモ、スト
ライキ等の実力行使を決議し、人員整理反対の大規模な労働運動を展開していた。
経営側トップの下山総裁は、国鉄労組合との激しい対立の渦中にあった。
下山総裁殺人事件は、その中で起きたのである。
[犯人は誰か]
この事件は、未解決事件であり逮捕者はいない、しかし日本政府は共産党の仕業と断言(国
労には共産党員が多数いた) 共産党は断固否定
推理作家 松本清張氏は米軍CIC(CIAの前身)が関与と主張

この事件は、政府が共産党の仕業と断言するにもかかわらず犯人不明の未解決事件なのである
が注目すべき点が2つある。
①出勤途中に立ち寄った、三越で忽然と消えるように行方不明になり目撃者がいない。
②れき死体が発見された現場付近では、徹底した聞き込み捜査が行われたのは当然として、警察
の捜査に対して、有力と見られる証言をした者が次々と変死する。そのため住民は事件につい
て証言することを恐れるようになり、みな口を閉ざしてしまった。

下山総裁は、三越から殺害場所へ拉致連行されたのだが、店員や買い物客が誰もそれに気づか
ないと言うことは、総裁は犯人と一緒に平然と三越を出て行った。つまり犯人はそういう連れ出し方
が出来る者。
有力証言をすると変死する。誰が警察に事件の有力証言をしたか知っているのは警察のみ!


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