カレル・ヴァン・ウォルフレンの日本分析 2.0at SOC
カレル・ヴァン・ウォルフレンの日本分析 2.0 - 暇つぶし2ch150: ◆JeacknUANQ
11/08/14 22:16:33.16 +5P+uswZ

/// 早川書房 //////////////////////

 カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel Van Wolferen) (著)、篠原 勝 (翻訳)、
 原著1989年発行、邦訳 早川書房1990年発行
 「日本/権力構造の謎」 The Enigma of Japanese Power
 日本 権力構造の謎〈上〉 ハヤカワ文庫NF、945円(税込)
 ISBN-10: 4150501777  ISBN-13: 978-4150501778

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////////////////// 絶賛発売中!///



151: ◆JeacknUANQ
11/08/15 23:25:06.54 1zqFKM7D

/// アドミニストレーター 33 //////////////////

 ・・・・

  構造汚職

 概して、管理者の間の統制および相互依存性については、三つの問題点から論じられることが多い。
すなわち、強力な経済関係者による経済界の統制と保護、官僚と自民党政治家との間のパワープレイ、
そして経済界による自民党支持である。三番目の問題点および政治資金という決定的に重要な問題
については、さらに詳しく見ていかなければならないのだが、その前に、それまでの近代日本には
まったくなかった一大帝国を<システム>内に築き上げた、一人の政治家の来歴を見ておくことには
価値があるだろう。
 田中角栄―この名はすでにこれまでにも本書の他のさまざまな事象に関連して登場している。
なぜ彼のキャリアを詳しく見る必要があるかというと、彼が日本の管理者の世界のなかに築きあげた
帝国は、互いにからみ合う非公式な人的ネットワークと、政治行動を律する不文律によって維持
される現<システム>の見事な縮図だからだ。田中は、だれにも勝る人脈づくりの名人だった。
彼の成功物語は、完璧な人脈づくりの技に熟達した者はこの国を支配できる、ということの
実証になる。

///////////////////////////// 早川書房 ///



152: ◆JeacknUANQ
11/08/16 21:45:09.16 ecpcYRBF

/// アドミニストレーター 34 ///////////////////

   "ヤミ将軍"

 一九八三年のある目、田中が呼吸困難に陥ったと聞いて、首相をはじめ自民党の重要人物の
ほぼ全員が彼の病床に見舞いに駆けつけた。田中の力をこれ以上みせつけるエピソードは他に
ないであろう。一九八五年には、脳梗塞で倒れ、それ以後は政治力にかげりが見えはじめたのだが、
その時には、永年、反田中勢力と認められてきた宮沢喜一までが病院に馳せ参じた。その時点では
まだ、首相になるためには田中の支持が必須条件であるのを宮沢は知っていたのである。
 田中角栄は、道路工事人夫から身を起こした。小学校を終えた後、夜学の土木工学科に入ったが、
その授業料も東京の土木工事請負会社で働くようになってはじめて払えたほどであった。しがない
馬喰だった父親はばくち好きで、一家がなんとか食いつないでいくには、母親ががむしゃらに
働かなければならなかった。幼くして母親の苦労する姿を見て育った息子は、しゃにむに出世を
めざして努力すると日本ではよく言われるが、田中母子はその典型だった。

/////////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///




153: ◆JeacknUANQ
11/08/17 20:38:56.57 VvvULf67

/// アドミニストレーター 35 //////////////////

 一九歳の時、田中は小さな設計事務所を開いた。実家が建設会社を持つ、再婚の女性と結婚した
ことが大きなチャンス到来のきっかけとなった。一九四三年に、彼は、その会社の再建を任された
のである。田中は、ピストン・リング工場を朝鮮に移設するというリスクの高い戦時契約を請負い、
支払われた軍票を抜け目なく円貨に交換し、一財産築いた。その資金の入手経路について、
敗戦後だれも質した者はいない。この財力をバネにして彼は、一九四七半に、衆議院議員の席を
獲得した。そしてツ記録的な早さで、その10年後には郵政大臣になり、その五年後には、日本の
最年少大蔵大臣になったのである。さらに、一九七二年には、学歴もない、たたきあげの人物が
首相になって歴史を作ったのであった。
 総理大臣になった田中は、国民的英雄であり、戦後日本の活気溢れる経済、流動性の高い社会、
民主主義の生きたシンボルとして敬われるようになった。首相の座についた二カ月後に、彼が
日中復交という外交の成果を土産に北京から帰ってくると、一般大衆も新聞も、この"コンピューター
つきブルドーザー"の指導の下に、日本もその力を世界に示せるようになったと確信し、
"田中ブーム"をまきおこした。

//////////////////////// 945円(税込) ///


154: ◆JeacknUANQ
11/08/18 21:20:38.96 6Q1jC5ku

/// アドミニストレーター 36 /////////////////////

 それからほぼ一一年後、田中は、ロッキード収賄事件の第一審判決で有罪になったにもかかわらず、
悔恨の意を示さないといってヒステリーに近い批判の矢面に立だされることになる。田中は日本人に
あるまじき悪行を働いた悪者である、したがって社会から排斥されるべきだ、というのが新聞の
描き出した田中像であった。実際には、彼にケチがつきはじめたのは一九七三年である。田中と
彼に忠実な官僚が、"日本列島改造"という大がかりな計画(骨子は、拡大発展する産業を地方に
受けいれさせる案)に着手したころから、野放図な過熱経済が日本人の生活の質に及ぼす影響について、
重要な疑問が表出しはじめていた,田中がニクソンに続いて北京入りした直後、最高潮に達した
大衆の田中賛美熱も、インフレと経済不安が昂じるにつれ急激に冷めはじめた。このような事態は
主として田中登場以前からの官僚の誤算が結果として顕在化したものだが、一九七四年までには
日本の悪いところは、田中の"金権政治"が原因だと多くの日本人が思いだした。これは新聞が
作り出した考えであった。政治漫画にあらわれるのも、金庫をかついだり耳や鼻や口から紙幣が
溢れ出てくるといった田中の図であった。まさしく彼は、すこしばかり不快味をおびてきた
"経済的奇跡"の生きたシンボルにされたのである。

//////////////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



155: ◆JeacknUANQ
11/08/19 20:35:11.09 SojMt1OY

/// アドミニストレーター  37 ///////////////////

 月刊誌『文藝春秋』のスキャンダル暴露記事によって、ダミーを使った彼の金融取引の一部が
報道された結果、一九七四年も終わりに近づいた頃、田中は首相を辞任するよう迫られた。だが、
いよいよ本格的に田中攻撃の幕が切って落とされたのは、一九七六年の春にロッキード収賄事件が
露顕してからである。その年の夏、彼は、受託収賄罪と外国為替管理法違反で起訴された。
数日間の拘置によって彼が負ったいちばんの痛手は、新聞から敬称が技けたことであった。
 田中が必死に勢力を拡大しはじめたのは、贖罪の象徴に自民党を離党(ただし議席はそのまま)
してからである。彼の派閥は、首相在職中は八○人から九〇人だったのが、それまでで最高の
一二二人に増やした。第一野党の議員数を上回るまで派閥を拡大したうえで、官界および経済界の
全体に及ぶ入り組んだ人脈のネットワークを強化し、さらに自民党他県内に多くの"隠れ田中派"を
作り出した。こうしてできあがった勢力全体を"田中軍団"という。その力によって、田中は昔からの
盟友である大平正芳の首相の座を守り、次の首相に鈴水善幸を、さらに、その後継者として
中曾根康弘を選べたのであった。"与党"の党員でもない彼に、これだけのことができたのである。
正式に承認されなくても、全体を掌握する権力タイプの究極の例といえる。

////////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



156: ◆JeacknUANQ
11/08/20 15:06:20.99 bKnZUzPR

/// アドミニストレーター 38  //////////////////////

 一九八五年二月二七目、田中は脳梗塞で倒れた。おそらく、連日の多忙なスケジュールをこなした
疲労と、呼吸困難症の病歴のためだろう。もう一つ、彼と親密だった政治家の話によれば、当時まだ
"田中軍団"の三、四番目の副司令官だった竹下登が、首相の座を目指すことを宣言すべく、田中派の
メンバー四〇人からなる"勉強会"を作ったことに対して、田中が怒りを押さえ切れなかったことも、
発病の原因にちがいないということだ。竹下は、一九八七年に首相の座を獲得した。
しかし、八九年五月リクルート事件に関連して辞任している。
 この間、日本の政治活動についての報道メディアの目は、とうてい信じられないほど狭められた。
一九六〇年代から七〇年代後半までずっと、報道メディアが取り上げつづけたのは、権力を独占する
自民党だけであった。一九七〇年代後半から八〇年代初めにかけては焦点がさらに狭められ、話題は
田中軍団内の策謀だけに集中する。一九九五年の春には、近親者と忠実な秘書・早坂茂三以外は
だれも近寄れない田中の病床に好奇の目は集中していたのである。常時、カメラマンの大群が二つ、
田中の入院している病院の向かいのビルの屋上と、田中の豪邸の塀の外にかけたはしごにのぼって
待機していたのだが、どちらのグループも、田中が病院にいるのか自宅にいるのかさえ
確認できなかったのである。

///////////////////////////// 原書1989年刊 ///



157: ◆JeacknUANQ
11/08/21 09:57:49.20 Gxjr2dm2

/// アドミニストレーター  39  /////////////////

 一方、トップの管理者もだれに指示をあおげばよいのか突然判らなくなってしまった。田中が
病いに倒れた結果、国鉄や民営化で日本最大の民間企業になったばかりのNTTのトップの地位に
だれを置くかも決まらない。多くの都道府県で進行中だった、公共事業に関する交渉も一時中断
されたほどである。中曾根首相とその内閣が生き長らえるかどうかも急にあやしくなった。
 とうの昔に田中は、<システム>の中心は空洞だということ、つまり本署の中心テーマの一つを
発見していたのである。戦前の関東軍の中階級の士官たちが気づいていたのと同様に彼も、的確な
テクニックさえものにすれば、比較的簡単にこの空隙を利用して対抗する権力者たちをも自分の
後ろにつかせ得るということに気づいていたのだった。そこで彼は、本来の機能を果たしていない
議会制民主主義の殼の中に、非公式の幕府を作りあげたのであった。たぶん、<システム>を完全に
支配することは彼にもできなかったであろうが、近代日本のだれも達したことがない域まで
達したことはたしかである。

/////////////////////////////// 早川書房 ///



158: ◆JeacknUANQ
11/08/23 21:26:11.72 AXaphllQ

/// アドミニストレーター 40 ///////////////////

 田中の権力は、互いに強化しあう多くの要因が相乗しあってできていた。なかでも彼の力強さの
もとは、官僚を鼓舞して行動させることができたこと、そして実質的に自分の派閥の議員に再選を
保証できたことの二つの力があったことである。
 国会議員に対する日本の有権者の評価基準が、中央官僚に道路や橋、鉄道を作らせ、病院や学校を
建てさせる能力を持つかどうかであるかぎり、たしかに田中以上の議員はいない。その昔、田中の
地元新潟は、孤立した日本海沿岸のもっとも貧しく無視されがちな地域の一つであった。それが
今日では、舗装道路におおわれ橋もたくさん建設され、住民数二、三〇人といった小さな村に
つながるトンネルもできた。県内を走り技ける高速道路も二本でき、かろうじて村といえそうな
水田の中の集落のために、超特急が止まる巨大なコンクリートの駅もある。政治家の力でおこなわれた
利益誘導による土木開発事業が、これほどまであからさまに見られる所は、おそらく新潟以外
地球上どこにもないであろう。ここ以外の全地域の住民が羨ましく思っても当然だ。なにしろ、
一九八〇年代なかばで新潟県民一人当たりの国税からの支出は、全国平均より六〇パーセントも
多いのである。八〇年代後期においても、新潟は、他のどの都道府県よりも多く公共事業補助金を
もらっている。

/////////////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



159: ◆JeacknUANQ
11/08/24 22:20:53.18 ou/AWzoH

/// アドミニストレーター  41 ////////////////

 田中は、東大卒で固めた官僚の要塞をも征服してしまったのである。それは個人的な魅力と
官僚がご執心の計画に大いに興味を示したためだったが、とりわけ重要だったのはその驚異的な
記憶力である。法律の条項や抜け穴、また、官界でも最高レベルのエキスパートとの会話を
通して集めた無数の情報を、彼はすべて記憶していた。彼は、官僚の弱味をにぎり操縦のツボを
心得ていた。後にも先にも不世出の政治家として、彼はどの省庁のどの課が正式にどのような
事柄の決定をする責任があるかも明確に知っていた。筆者は、田中の評判が落ちたずっと後
高官何人かにインタビューしたが、八年以上も前に、なにかのついでにちょっと助言したことの
詳細にいたるまで、田中が覚えていたといって、彼らは懐かしそうに語ったものだ。そのエネルギーと
知識のおかげて、田中は接触した官僚すべてに賞賛され敬意を表されるようになったのである。
 彼の才能は、自民党を動かす官僚出身の有力政治家たちからも認められた。岸と池田はそれぞれ、
田中にうまみのある郵政大臣と内閣の中でいちばん重要な大蔵大臣のポストを与え、その後、
佐藤首相も、彼を自分の派閥の経理責任者にすえ、自民党幹事長にした後、通産大臣に
任命している。

//////////////////////// 945円(税込) ///



160: ◆JeacknUANQ
11/08/25 21:34:44.13 tIdZnY22

/// アドミニストレーター 42 ///////////////

 田中は政治経歴の初期に、新潟県の農民と季節労働者を組織したことがある。彼らは、何代にも
わたり搾取されつづけていたのだが、戦後は、左翼の活動家として台頭してきていた。そういう
彼らさえ、保守的な中央の政府・官僚の牙城を攻略して、奇跡的で即効力のある成果をあげる、
この頼りになる政治家にすっかり入れこんでいた。
 票集め組織であるよ"後援会"のなかでも、田中の越山会はユニークさで評判になり、多くの
後援会の手本になった。この組織は新潟県内だけでも九万二〇〇〇人の会員を擁し、各支部を
連結して一大ネットワークを保持し、冠婚葬祭の面倒をよくみるよう気を配った。一九七五年までは、
新婚カップルと八〇歳以上の老人の誕生日には、田中本人が署名したお祝いの色紙が贈られていた。
この方法が禁止されてからは、祝電が送られた。葬式となると、必ず毛筆書きで田中の名入り
大ろうそくが供えられる。越山会の取りもちで、大勢の人が結婚し、少なくとも一万人が職を得た。
田中の世話になった者は、親族ぐるみで一生彼に恩義を感じることになる。東京の田中邸では、
毎朝、取り巻き連と会い、御大みずからが数十人から数百人の陳情をきく。結婚を取りもったり、
就職ロを探したり、老齢者のための週末旅行を企画したり、訪問者の世話をしたり、地元の
もめごとの仲裁をしたり、というようなことは、今日のたいていの自民党政治家が、日常業務の
一部としていることだ。だが、大規模処理方式を完成させたのが田中である。

/////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



161: ◆JeacknUANQ
11/08/26 21:22:41.60 977vUUwB

/// アドミニストレーター 43 /////////////////

 地方で効果のある票集めテクニックが全国的規模でも利用できることを発見した田中は、
日本の政治の歴史に独創的な貢献をしたことになる。彼は、日本中の村長、市の役人、校長、
地方の政治家などの権威ある地位の人びとがかかえるすべての問題に関心を示した。その場で
必要な資金や官僚の介入を約束できないとしても、彼の恐るべき記憶力のおかけで、少なくとも
電話の向こうの相談相手に、自分に任せておけば安心だと思わせることができた。こうして、
日本中の大勢の地方ボスを彼の賞賛者に変え、田中は彼らの東京代表とみなされるようになった。
彼らは、全面田中支持でなくてもよかった。他の政治家への忠誠心とか、自分の評判のため
田中に近すぎると思われたくない相手には、愛想よく「まあ、そこそこの支持」でよいから
と言うのが、田中の電話攻勢のやりかただった。

///////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



162: ◆JeacknUANQ
11/08/27 08:33:11.70 zqIoH3Pf

/// アドミニストレーター  44 /////////////////

 彼の集票マシーンがいちばん頼りになったので、自民党から複数の候補者が立つ選挙区で戦う新人でも、
いちばん才能ある官僚出身候補者を、田中は自派に入れることができた。さて、このような甘い
"アメ"の一方には、こらしめの"ムチ"もある。自分に敵対する自民党のメンバーを手なずけたい
ときには、同じ選挙区の対立候補者の方を田中が支持するといって脅かす。田中が応援する候補者が
勝つチャンスが大きいから、たいていの者はこれで降参してしまう。さらに、田中は警察の幹部とも
つき合いがあったおかげで、自分に対抗する者を抑え込むのに利用できる情報も多く入手できた。
必要なら、それとなく脅迫という手もあった、。
 田中が、身応優遇策によって、全国的規模で自分の方に引き寄せた政治家の巨大なグループには、
日本で最高レベルの行政手腕のある人びとが集まっていると評判だったし、この状況は竹下派に
引き継がれた今も変わらない。彼は好んで、田中軍団を大きな総合病院になぞらえた。自分の地位が
危ういと感じた政治家に救いの手を差しのべる総合病院である。彼の軍団には、ありとあらゆる
政治的な問題に詳しい専門家がそろっていた。そして、彼の"病院"は、田中軍団に属さない政治家、
それどころか自民党以外の政治家の面倒までもみたのである。

///////////////////////// 原書1989年刊 ///



163: ◆JeacknUANQ
11/08/28 16:06:04.17 cleiDcxx

/// アドミニストレーター  45 ////////////

   政治を動かす母乳

 一九七四年の選挙とロッキード収賄事件の後、新聞各紙は取りつかれたように金権政治と政治倫理の
ことばかりを書いた。「田中が目ざとくとらえたのは、なによりも金が政治を動かす根源のエネルギー
であり、いちばん多く金をつかんだ者が政治を支配するということであった」と新聞は、新しい
発見でもしたように書きつらねたのである。
 金権政治が一斉に批判されることとなった。金権政治を大きな声で正面きって弁護できる者は一人も
いなかったし、金権政治なしには自民党も存在しえないと、新聞で説明できる者もいなかった。目先の
"特効薬"は政治資金規制法の強化だったが、これは自民党と経済界との関係は、あるべき姿でないままに
手つかずにされることを示していた。新聞の論説委員やあらゆる種類の政治家が言う"政治倫理"とは、
単に、国会から田中を排斥せよという意味合いになったのである。この政治倫理ということばは、
続行される自民党内の派閥争いでも武器として使われ、儀式的な野党の攻撃のうたい文句にも大いに
使われた。国民の代表としての議員を田中に辞任させることができれば、政界に自浄作用が働き始める
であろう―これが、一九八五年までに無数に書かれた論説の趣旨であった。

//////////////////////// 早川書房 ///



164: ◆JeacknUANQ
11/08/29 22:23:33.59 xzIlAYQl

/// アドミニストレーター  46 ////////////////

 経済界から自民党への一本化された資金供給は、両者のパートナー関係が公式に認められた
ものであることを物語っている。一九五五年一一月の自民党誕生にいたるまでの保守合同を
促進する過程において、財界リーダーは主要な役割を担っていた。したがって、彼らが必要な
資金を供給して自民党を維持するのも当然といえる。組織化された政治資金供給は、すでに
長い歴史のあることで、戦前のニ大政党―両党とも、完全に官僚の肝入りで組織されていた
―は、どちらも実業界の二大コングロマリット(財閥)の資金で運営されていた。
民政党は三菱、政友会は三井である。

/////////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



165: ◆JeacknUANQ
11/08/30 21:41:05.25 Pvejei+i

/// アドミニストレーター  47 ////////////////

 一九五五年の自由党と民主党の合同までは、政界のボスは必要な金の大半を個々の財界人から
個人的にもらい、いちばん多く献金してくれる人物と親しい政治家が、最上位の地位を占めていた。
だが、それがスキャンダルを生み、戦後初期の政治体制への国民の信頼を失墜させた。財界は、
左翼が政治的地歩を得るのを極度に恐れていたので、一九五五年一月、その脅威を無力化すべく
彼らが展開した運動が最高潮に連した時、四大経済団体によって経済再建懇談会が設立され、
よりよい資金供給体系を確立するための検討がなされることになった。この懇談会を陣頭指揮
したのは、当時の経団連の副会長で、戦前の軍部と民間の経済計画担当者を提携させた中枢的
人物であリ、戦時経済の計画立案に当たった高級官僚の一人、植村甲午郎である。懇談会の
目的は、資金を党本部に直接流して金をめぐる党派間の争いや醜い個人的な争奪戦を未然に防ぎ、
"保守派"を統一することだった。後に、この懇談会にとって代わったのが一九六一年設立の
国民協会で、一九七四年に、("金権政治"スキャンダルにからんで表面をとりつくろう必要から)
国民政治協会と改名されたのだが、一九六〇年代後半から七〇年代の自民党の正規収入の
約九割が、この団体から供給されたものである。

///////////////////////// 945円(税込) ///



166: ◆JeacknUANQ
11/08/31 22:36:12.34 oZ1cPX3c

/// アドミニストレーター  48 ///////////////////

 毎年、財界代表との新年会で、自民党三役が正式に"献金"の依頼をし、"目標額"を提示する。
一九八五年の目標額は一〇〇億円だった。どの業界がどのくらい献金するかは、後に、業界どうしの
話し合いで決められる。正月から新会計年度がはじまる四月一目までの間に、自民党の経理局長は、
数百の業界団体と大企業をまわり献金依頼をおこなわなければならない。自治省が公表した報告に
よれば、より重要な地位に上がるたびに、自民党の政治家が受けとる献金額が五五~一〇〇パーセント
増えている。一九八五年に、中曾根康弘が首相に就任した年には、前年の額の五倍にも増えたという。
 法的に許された資金をさらに増やすための新手は、自民党政治家の僚友が"励ます会"を開き、
パーティ券代として二万円から一〇〇万円をとる方法である。企業は、業界団体を通して、このような
パーティ券をたくさん売りつけられることもある。また、パーティ会場になるホテルが、パーティ券を
系列の関連役員やその他のメンバーに売ることもある。このようなパーティ券は法律違反にはならず、
監督役の自治省は、"茶菓子代"とみなしている。たとえば自民党の玉置和郎の場合、地元の選挙区で
集めた正式献金として公表された一二億二九〇〇万円に加え、一九八四年に東京と大阪でパーティを
した二カ月間の"茶菓子"から得た純収益が、四億四五〇〇万円にものばった。

///////////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



167: ◆JeacknUANQ
11/09/01 23:12:24.61 1D/NBXeu

/// アドミニストレーター 49 ///////////////////

 関係省庁もパーティ券を買う。ある高級官僚は新聞記者に次のように不平を述べている。

  国会で関係する委員会の、主要メンバーが開く会に金を出したことが何回もある。役所の金だ。
  このほかに個人的に付き合わねばならない政治家には個人で出す。年間一五~二〇人ぐらい。
  痛い出費だ。

 とくに、自民党の場合、正式に届け出のあったのは、実際の収入のほんの一部にすぎない。間接的に
経済界から金を集める方法がいろいろあるからだ。一つは、株式市場を通しておこなう方法である。
日本ではインサイダー取引がひじょうに多くおこなわれる。政治家は、多種多様な操作によって株価が
急激に上がることになっている株を買えばよい。(インサイダー取引は、もちろん法律では許されて
いない。しかし、一九四八年から一九八七年までに起訴されたのは、ただ一件だけである。日本の
企業や証券業者は、欧米諸国の株式取引所が義務づけているような監査規定に従わなくてもよい
のである。そんな規制にこだわっていては、"系列"の構造自体が危険にさらされるし、野村のような
大手の証券会社でも破産するだろう。)一九八八年夏から九九年春まで日本の政治の話題の中心を
占めたリクルート・スキャンダルは、インサイダー取引に注目を集めさせた。というのは、新分野を
きり拓く企業家江副浩正は多くの自民党政治家はじめ、新聞編集者や官僚などへの間接的支払いに
上場直前の未公開株を譲渡する手でインサイダー取引を利用したからである。

///////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



168: ◆JeacknUANQ
11/09/02 21:34:01.51 Dy6Nu0ay

/// アドミニストレーター  50 /////////////////

 自民党の政治家がそれぞれ地元で集めた金は、地方の選挙管理委員会に届けるだけでよく、
だれもいちいちその記録をせんさくしない。さらに、自民党の重要人物はみんな、うまみの
ある約束を企業や銀行と秘密で交わしているし、個々の派閥に直接金を流す"トンネル組織"もある。
 財界から政治家にこのように無制限に合が流れるのは、昔からの伝統である。かつて、日本の
政治について書いたある外国の研究者も、明治時代の政党政治家たちが収賄を通して築いた富が、
あまりにも莫大なのに驚いている。国会議員に与えられた唯一まともな権力すなわち、政府に
前年度の予算内でやりくりさせるよう強制する力があることに議員たちが気づいて以来、官界も
組織的に議員のご機嫌をとり結びはじめた。政治家たちとしても、金が必要だった。
なにしろ票を金で買う慣習は、選挙運動の歴史と同じに古いようだから。

////////////////////////// 原書1989年刊 ///



169: ◆JeacknUANQ
11/09/03 18:11:10.15 wFNdi9dS

/// アドミニストレーター 51 //////////////////

 現代の自民党政治家は、自分の"秘密の"収入について、あまり隠し立てをしない者もいる。
筆者は、自民党の政治家何人かについて選挙区まわりに同行させてもらったが、茶色の紙袋に
入った何千万円もの金を受け取るのを実際に目撃した。自民党の政治家は、通常の年には
スタッフや後援会を維持するのに金が要るし、選挙の年には間接的に票を買う金が要る。
また、自民党総裁を目指して上るにつれ、対抗派閥の支持を得るためにも金が要る、時には、
複雑な政治的操作の一部として"野党"の議員に賄賂を渡すこともある。正式に届け出た
収入だけでは、これらの経費を賄うごく一部にしかならない。
 確実な平均額を出すのは不可能だが、選挙区で自分の存在を示すためには、一九八〇年代
なかばの選挙のない年で、四億円かかると筆者は推定している。

/////////////////////////// 早川書房 ///



170: ◆JeacknUANQ
11/09/04 13:35:56.86 JXX68N1b

/// アドミニストレーター 52 ///////////////

 しかも、これは、ほんの基本的な経費である。あの手厚い保護を受けていた三光汽船のオーナー、
河本は、ドラマチックな方法で首相の座を金で買おうとして、広く注目を浴びた。自民党の総裁候補者の
順位を決めるための党則が導入され、草の根レベルで自民党党員による予備選挙をすることになった
ときのことである。一九七九年に一四〇万人だった自民党党員数は、新党員が一七〇万人増えて、
その数が一挙に二倍以上にふくれあがったのだ。ところがその後、予備選挙が結局おこなわれない
ことがわかったとたん、党は一時増えたはずの党員を実質的に全部"失い"、一九八〇年八月には、
もとの一四〇万人に戻った。河本自身が、この増えた党員の大半の会費を払っていたのである。
 伝えられるところによれば、田中が自民党総裁選挙に使った金は三〇~五〇億円にのぼるということだ。
一九八四年に、中曾根派が、中曾根の総裁再選に使った金は一〇億円以上とされ、別に一〇億円が
予備対策費として取ってあったという。

///////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



171: ◆JeacknUANQ
11/09/05 21:10:57.29 CXq8U6fX

/// アドミニストレーター  53 //////////////

   報酬

 自民党の政治家に金を払って経済界が買い取る利益は、かなりはっきりしたものだ。一九八四年に
届け出のあったなかで、公式に経済界が自民党に出した金の約三分の一に当たる最大の献金者は、
銀行業界であった。なるほど、盛んに宣伝された金融自由化が、日本の金融機関だけに利したのも
当然だ。銀行業界に続くのは、伝統的に高額献金者である国の保護産業である鉄鋼界と重工業、
三番目は通信事業界で、献金総額の一一パーセントに当たる。この年、一九八四年は、
テレコミュニケーション市場の開放を、アメリカが激しく要求していた年である。
 ある専門家が確認したところによると―

  官僚を動かすこと―たとえば、建設省から工事の契約をとるとか、郵政省に市場開放の実施を
  一部遅らせる―によって田中マシーンがとる礼金はその事業総額の三パーセントであった。

 政府の補助金でおこなう公共事業をとってくるために市や県など地方自治体のために動いた
自民党議員は、その事業の総額の二パーセントをもらうのが普通になっている。

/////////////////////// 945円(税込) ///



172: ◆JeacknUANQ
11/09/06 21:18:07.76 HJ2DAi87

/// アドミニストレーター 54 /////////////////

 他の例をあげればきりがない。医師会および歯科医師会が、一九八四年に届け出た正規の政治献金は、
一〇億円を上回る。これは、税法上の特権を継続維持してもらっていることと、今の健康保険制度下で
暴利を得ているのに政府が目をつぶっていてくれることへのお返しである。一九八〇年代初めには、
スーパー業界の数社が、しかるべき自民党議員との関係をつちかっておけば、業界に不利な規制条件も
修正されていただろうと、遅ればせながら気がつき、自民党の資金集めパーティの券をすすんで
ひきうけた。また一九八四年に、OA機器に税金をかけるべきかどうかの討議が自民党本部でなされた時、
多数の党員が会議室につめかけ、廊下にいる業界代表に聞こえるような大声で反対を叫んだ。

//////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



173: ◆JeacknUANQ
11/09/07 21:33:45.03 X0ZbXu5D

/// アドミニストレーター  55 ////////////////

自民党税制調査会の加藤六月委員長は、だれがどの業界と近い関係にあるかすぐに判ると述べた。
彼自身は、運輸省と密接につながる人脈をもっているし、日本自動車整備振興連合会(日整連)と
きわめて親しい。日整連は、五七万人の整備工を擁する約七万八〇〇〇の整備工場の利益を守る
団体で、業者の収入のかなりの部分か、定期的な強制車検整備でまかなわれている。車検制度は、
一般からはばかげた出費を強いるものだと考えられているのだが、加藤は車検制度改革案反対の
最前線に立って戦っている。また一方、選挙の前から、保険外交員たちが自民党候補者の
推薦活動を大展開したことがあった。案の定、自民党は一九九四年に、大蔵省の反対を押して、
保険業界が望んでいた所得税控除案を提出している。

/////////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///




174: ◆JeacknUANQ
11/09/08 22:45:24.29 F5hxLpNq

/// アドミニストレーター  56 //////////////

 経済界、とくに市揚が拡大または縮小しつつある業界や、理由はどうあれ政府の介入によって
利益を得る業界は、政治家にランクをつける。その業界の問題についてどれだけ知っているか、
どこまで協力してくれモうか、また過去にどれだけのことをしたかによってつけられたランキング
によって、その政治家への資金援助額が決まるのである。

///////////////////// 原書1989年刊 ///



175: ◆JeacknUANQ
11/09/09 20:42:29.63 78JNOsZf

/// アドミニストレーター  57 //////////////

   スキャンダル

 戦後の首相で、経済界との共生関係から生じた収賄や疑獄事件にキャリアのどこかで関わった
ことがないといえる人物は、ほとんどいない。吉田茂は、基幹産業再建のための復興金融公庫法の
実施にからんで、炭鉱業者から資金をしぼり取った。岸信介は、台湾、ベトナム、フィリピン、
インドネシア、韓国で、賠償や援助貸付、利権あさりに関連して財を築いたといわれる政商だった。
影のフィクサー、児玉誉士夫は、戦後、鳩山一郎の主な資金援助者の一人だった。芦田均と
福田赳夫は、一九四八年に大混乱をひきおこした昭和電工不正融資事件に関連して起訴されている。
池田勇人と佐藤栄作は、一九五四年の造船疑獄にかかわっていた。一九六〇年代に明るみに出て
新聞が「黒い露」と呼んだ一連の汚職には、実質的に自民党内のほとんど全員がかかわっていたようだ。

///////////////////////// 早川書房 ///



176: ◆JeacknUANQ
11/09/10 19:27:58.04 ulSD7KjN

/// アドミニストレーター  58 /////////////

 これらのスキャンダルやその他のケースでは、その都度断続的に声高に非難はされるのだがある意味で、
日本の腐敗は組織ぐるみでおこなわれる悪の申し子である。腐敗が、あまりにも高度に組織化され、
日本の<システム>のひじょうに多くのレベルで法定外の取引手段としてすっかり定着してしまっているので、
一般市民や在日外国人は、実態のなんたるかを真に見きわめもできないまま、"<システム>の一部"として
受け入れるしかないのである。新聞はこれを称して「構造汚職」というのだが、それはとりもなおさず、
現状の<システム>においては必要悪なのだと、暗に認めているわけだ。

//////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///




177: ◆JeacknUANQ
11/09/11 19:46:48.20 bNO+lgBI

/// アドミニストレーター  59 ///////////////

 もし、このような状況を日本人みなが甘んじて認めているのだとすれば、首相を辞任すべきだ
といって、なぜ田中の金の取引があれだけ大騒ぎになったのか?また、なぜロッキード事件が
いつまでも騒がれたのか?ロッキード事件がまずアメリカで露顕したから、敷物の下に掃き込んで
しまうのが難しかったことは、たしかである。だが、それにしても、なぜ、田中は一九七六年以来
ずっとさらし者にされて来たのだろう。田中逮捕の三年後に、別の航空機製造会社、マクダネル・
ダグラス社が防衛庁長官に、田中がロッキードから受け取ったと同じぐらいの金額(五億円)を
払ったのが判明した。だが、この収賄事件は火花のようにぱっと光ったあと、たちまちにして
かき消されてしまった。そして今や、この事件をおぼえている人さえほとんどいない。
なぜ、田中だけが―?

/////////////////////// 945円(税込) ///



178: ◆JeacknUANQ
11/09/12 21:59:55.92 J0Pl0oBl

/// アドミニストレーター 60 ////////////////

 田中があの地位まで昇り、自分の派閥を強化し、新潟の人々のためにあれだけのことをし、
日本のためになると信じた計画を官僚に実行に移させるには、並々ならぬ金がかかったことは、
みんな知っている。その金はどこからか出たはずだ。日本の政治家は、身銭だけではやっていけない。
このことは、派閥のりリーダーで、高名な実業家であり外務大臣も務めた藤山愛一郎が、自分の
金だけで首相になろうとして破産寸前までいった例を見ても、よく判る。池田勇人は、政治資金が
どこから入るかにはまったくこだわらず、身内の政治家に、金は自分のポケットや自分の経営する
事業から出すものでぱなく、「カネはもらって使え」といったという。

/////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



179: ◆JeacknUANQ
11/09/13 22:00:47.65 VBTg3g0v

/// 早川書房 ////////////////////////

 カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel Van Wolferen) (著)、篠原 勝 (翻訳)、
 原著1989年発行、邦訳 早川書房1990年発行
 「日本/権力構造の謎」 The Enigma of Japanese Power
 日本 権力構造の謎〈上〉 ハヤカワ文庫NF、945円(税込)
 ISBN-10: 4150501777  ISBN-13: 978-4150501778

 URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
 URLリンク(www.7andy.jp)
 URLリンク(www.amazon.co.jp)
 URLリンク(www.bk1.jp)
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 URLリンク(www.junkudo.co.jp)
 URLリンク(www.7netshopping.jp)

////////////////// 絶賛発売中!///



180: ◆JeacknUANQ
11/09/14 20:44:45.26 7Spj7lFo

/// アドミニストレーター  61 ///////////////

   脅威的アウトサイダーヘの罰

 田中が他の政治家と違うのは、政治資金の大部分をビジネス取引を通して作ったということだ。
一時は、新潟県には建設業以外のビジネスはないと思えるほどの状態だった。田中は政府の開発事業に
ついての内部情報を持っていたから、リスクなしに不動産投機ができた。彼はまた、土地の売買だけを
する一連のダミー会社を多数所有していた。
 田中は秘書の早坂茂三に、他の政治家が持っている背景がないから、彼らのやり方を真似るわけには
いかなかった、と説明したことがある。東大出でなかったため、<システム>の他の部分とつながりが
なかったのである。田中は、池田勇人や福田赳夫や大平正芳のように、大蔵省に勤めたことがなかったから、
銀行や保険会社、鉄鋼などの基幹産業との強力な資金的つながりも作れなかった。三木武夫のように、
化学肥料で財産を築いた資産家の娘と結婚したわけでもないし、電力会社のバックがあったわけでもない。

//////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



181: ◆JeacknUANQ
11/09/15 20:32:20.74 87FzBCrE

/// アドミニストレーター  62 /////////////

 田中がみんなに寄ってたかってたたかれた理由の一部は、おそらくここにあるのではないか。
彼は、どちらかというと独立独歩型だった。<システム>の経済界メンバーも、結局は田中を支配下に
入れるにはいたらなかった。一人の首相がひじょうな金持ちでもないかぎり、彼らは、その選任も、
留任も、拒否できるだけの力があるのだ。結局、田中は局外者であった。このことは、一九八三年に
ロッキード事件の判決が出た後、彼が悔恨のジェスチャーを少しも見せなかったことで、いやというほど
知らされた。そして、この点については、彼に同情する者の多くも敵対者だちと同じく、あれは
ひどすぎる、"日本人らしかぬ"態度だと言って非難したのである。みなが期待していたのは、田中が
形だけでも悔悛の情を示すことだった。もし彼がさらに一歩進めて、国会議員を辞め、すぐ次の
選挙で国民の裁断をあおいでおれば、大勝利をおさめ最大限の政治的自由を手にすることができたかも
しれない。しかし、田中は激怒していた。そして、この国のエリートに挑戦するほうを選んだのである。

///////////////////// 原書1989年刊 ///



182: ◆JeacknUANQ
11/09/16 20:37:00.58 6qi5xSUP

/// アドミニストレーター  63 ///////////////////

 だが、おそらく、反田中騒ぎのいちばんの理由は、これまでにこの章で検討してきた〈システム〉にとって、
ありがたくない状況に発展する気配があったことがある。この無教育の政治的異才は、すべての障壁を
突き破って東大のお墨付きの管理者たちが支配する世界の中心にまでも入り込み、草の根レベルと中央との
両方で見事な操作技術を駆使して、無敵の存在になりつつあった。田中軍団の優勢によって、自民党内の
派閥バランスも大きく崩れてきていた。これは、関係者にとっては恐るべきことだった。日本の"民主主義"の
本質は<システム>内および自民党の小システム内の構成員間のバランスを保つことにあると見ている者が
多かったからである。

//////////////////////////// 早川書房 ///



183: ◆JeacknUANQ
11/09/17 17:14:39.09 ooOWN0xT

/// アドミニストレーター  64 ////////////////

 他を圧する田中の存在に対して、時として狂乱に達するほどの怒りが管理者のあいだに慢性的に
充満していた。雄将田中にとって大きな皮肉だったのは新聞の編集者である。彼らは、分析者よりも
悪魔払いの役を選んだのである。この戦後の日本政治における最も興味深い状況は、合理的な思考
ではなく倫理的な怒りをさそったのだった。田中が最大権力、つまり実際にみずから日本の首相を
何人も随意に選べるような権力をふるえるようになったのは、彼が首相の座から転落した後であり、
ロッキード事件で逮捕された後のことである。この九年間に、田中の権力は増大する一方だったが、
新聞はほぼ全紙声をそろえて、田中の失墜近しとの観測を一定の間隔をおいてくりかえした。

///////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



184: ◆JeacknUANQ
11/09/18 18:24:32.30 LyzTpZ7u

/// アドミニストレーター  65 ////////////////

新聞のこのような予測は、一部、自己目的への願いをこめた予言であった。田中の力は衰退しつつある
と報道することによって、日本の倫理の守護役として新聞が田中を追い払おうとしたのである。
田中ほどの人物でなければ、効き目があったであろう。日本の新聞の編集者たちは、一貫して田中を
みくびり過ぎていたのである。しかも、田中は新聞に鼻もひっかけなかったから、彼らの声は
なおいっそうきつくなりヒステリー症状をつのらせていった。"ヤミ将軍"の身体が神経麻痺に冒され
言葉もまともに話せなくなり、日本の人脈組織にかつてない強大な支配力をついに失いはじめたことが
明らかになって、やっと、新聞は田中追い落とし運動を止めたのであった。

////////////////////////// 945円(税込) ///




185: ◆JeacknUANQ
11/09/19 17:40:17.69 JWKotX2l

/// アドミニストレーター  66 ////////////

  自民党内の争い、官僚と族議員

 日本の政治がかかえる大問題のひとつは、自民党が、一般の納得を得られる総裁選出方法を開発
できないでいることにある。ある期間は、経済界の勧めと支持のもとに、首相みすがら後継者を
指名するという方法でこの問題は解決されていた。岸は池田に首相職を譲り、その池田は佐藤に
引き継がせた。ところが、退陣に追いやられた佐藤が後継者を指名しなかったので、権力争いが
始まった。それ以来十何年、政治ニュースや議論の中心はもっぱらこの問題だった。

////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



186: ◆JeacknUANQ
11/09/20 21:48:19.07 4R3Dt1bv

/// アドミニストレーター  67 ///////////////

   "派閥"政治

 日本の新聞の政治論評は、どの派閥のリーダーが自派閥の力を維持し他派閥をおさえるため、
なにをしているかに集中する。一九八七年の春、ついに、竹下登が田中軍団を割って、みずから
自民党総裁選に出馬を宣言した時点から、中曾根康弘の後継者をめぐって、報告メディアの
予想論議が半年間続いた。だが、総裁候補四人の中で、だれが一番いい首相になりそうかは、
どの社説も一度も論じたことがない。日本の政治論評は、もっぱら、政治家のだれがだれに
どんな働きかけをしたかなどの密室の権謀術数のごく狭い話題に限られ、憶測ゲームをはてしなく
続けるばかりである。政策案への言及は皆無である。言及しようにも政策の違いがないのだから、
しようがないのである。

//////////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



187: ◆JeacknUANQ
11/09/22 00:19:49.63 y2kM1HYK

/// アドミニストレーター  68 ////////////////

 自民党の派閥は、政治的決定への影響力をかけて互いに張り合う事実上の政党だとみなす
便宜的な理論があるが、これは間違いだ。派閥は、首相の座を得るためと、選挙区民に約束した
地方開発事業用補助金を、官僚に直談判する力を得るため、競い合う。そこには、権力はどう
行使されるべきかについての配慮も原則も入る余地はない。派閥政治は、どのような多元主義の
名にも該当しない。意味のある政治的な討議はまったく忘れ去られたパワーゲームであり、
これには選挙民の力がいっさい関与できないのである。
 派閥の数は、分裂・合併でつねに変動する。一九七〇年代および八〇年代には、どの時点でも、
五つから七つの主要派閥があった。派閥には、その領袖で、自民党総裁になる有力候補、したがって
首相の座につく可能性のある人物の名が冠せられる。かくして派閥は、自民党内で永遠に続く
衝突の源泉となる。時として、衝突が激化して緊張感が高まりすぎ、自民党が分裂寸前と
思わせることもある。

//////////////////////// 原書1989年刊 ///


188: ◆JeacknUANQ
11/09/22 23:43:46.50 y2kM1HYK

/// アドミニストレーター  69 ////////////////

閣僚のポストは、それぞれ派閥の大きさにしたがって割り当てられる。どれかの派閥が大臣の
ポストをひとつでも取り過ぎとみなされた時には、ただちに、"微妙で""ひじょうにデリケートな"
状況をめぐり、論争が開始される。派閥は、政治的な利権配分を統制し、資金の支出を決める上で
決定的に重要な機能を果たす。複数定員選挙区では、自民党も複数の候補を立てるので、派閥の
幹部が自派の候補支援のため、他派の候補に対抗して選挙運動をすることになる。このように
共倒れの可能性のある選挙戦の時には、地方の自民党支部があったとしても、無意味な存在になり、
むしろ敵対視される。

/////////////////////////// 早川書房 ///



189: ◆JeacknUANQ
11/09/25 23:29:03.92 sWt2i68B

/// アドミニストレーター  70 ////////////

 首相の座を獲得するためには、派閥間の連合も必要になる。成功した派閥連合は、一般に政府を
支える"主流派"とみなされるようになる。それに対抗する"反主流派"でも大臣のポストを得る
ことはでぎるが、現識者の座をおびやかすような動きが出てこないよう、反主流派大臣たちは
十分に監視されることになる。最近は、対抗する派閥のメンバーの一部が派閥から離脱したり、
派閥の枠を超えた"研究会心で新しくつながり合ったりするので、"主流派"と"反主流派"を
見分けるのがますます難しくなってきた。

/////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



190: ◆JeacknUANQ
11/09/26 22:49:48.00 gOYPT/vl

/// アドミニストレーター  71 ///////////////

   角・福戦争

 一九八五年以来、派閥の作戦活動も、表面的な派閥連合も、次期首相の予想(日本の政治の
本質そのもの)もつきにくくなってきた。もはや田中が重要な決定をしなくなったからである。
一九七〇年代後半に田中がこうして権力を握る前でも、かなり容易に予測できるパターンが
決まっていた。自民党内の抗争は、他のすべてに優先する一大闘争に集約されて制度化されていた。
この戦後の日本の政界の抗争の長々しいエピソードは、一般に田中角栄の角と福田赳夫の福をとって、
角・福戦争と呼ばれていた。
 この抗争は、一九七二年に田中が自民党総裁の座を金で買った特に表面化し、福田がほぼ完敗した
一九七〇年代後半に終結した。すでにこれまでに数カ所で見てきたように、自民党の政治家は、
主に国家予算の守護人と地方の利益の間に立つブローカーとして機能し、日本の予算の分配を
統制する。

////////////////////// 945円(税込) ///



191: ◆JeacknUANQ
11/09/27 23:16:44.93 iexQQ6mX

/// アドミニストレーター  72 ////////////

佐藤政権が傾きかけた時に、河野一郎が亡くなると、福田と田中という二人の政治家だけが官界に
十分な人脈を持っていた。人脈すなわち、行政機関全体を動かせるだけの恩義を売ってあり、
利権ブローカーのボスになれるだけの才能とスタミナがあるのは、この二人だけになったのである。
両大物には、共通点が多かった。どちらも、毎日の朝一番のしごとは、自宅で多数の陳情者に
会うことだった。どちらも、次々といろんな大臣のポストに就き、官僚を勤かす力を椎持しつづけた
点で、閣僚の中でも例外的な存在だった。どちらも、省庁内の重要人事で官僚を昇進させたことがあり、
それぞれに、個人的に忠誠をつくす官僚の一派を擁していた。だが、学歴と社会的背景に根ざす
二人の違いのほうが、共通性よりはるかに重要なことだった。佐藤栄作が首相の座から退いた時、
どちらも互いに、相手が最高の地位につくことは許せないと強く思っていた。たしかに首相の地位は
大きな誘惑だったが、二人の対抗を激化させた要因は首相職だけではなかった。その後の数年間に
しだいに明らかになったように、単なる首相職よりはるかに大きな広がりを持つ、日本の政治
そのものを管理する権利をかけての戦いだったのだ。

////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



192: ◆JeacknUANQ
11/09/28 21:44:33.84 0+XuDQFj

/// アドミニストレーター  73 /////////////

 田中が首相の座にある間、敗けたとはいえ、福田は自分の実権までは放棄しなかった。福田は、
政治学者キャンベルが「日本の公共財政はじまって以来最大のポークバレル」とよんだ予算を
管理可能な状態に修復するため、田中の任命によって大蔵大臣に就任したが、三本武夫首相の
下でも同じポストで大きな実権かふるいつづけた。この時点で、もし田中が地下にもぐらされて
いなくても、おそらく福田のほうが田中を支配するようになっていたであろう。福田は、田中の
"金権政治"を非難する騒ぎをかきたてるうえで重要な役割を果たした。その結果、田中は退陣する
ことになったのだが、その後、福田は、今度は大平正芳と競わねばならなかった。大平は福田と
同じ大蔵官僚出身で、それまでの派閥争いでは田中の古くからの盟友だった。そして福田と大平の
力がほぼ互角であることが原因で対立は硬直化した。この行きづまりの打開を党長老・椎名悦三郎が
依頼され、弱小派閥のボス、三木武夫を総理大臣に就任させて解決したのである。その年の
自民党にとっては、例外的によ"清潔な"政治家三木の評判が役に立ったのである。

/////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



193: ◆JeacknUANQ
11/09/29 21:29:38.50 IqLiAw7y

/// アドミニストレーター  74 ////////////

 妥協の産物として三木が首相の座におさまると、政治家による選挙区への利益誘導も減少する
だろうと見る者があらわれた。三木自身、日本の政治旧来のやり方を強く嫌悪しており、明らかに
本格的な議会政治の実施を日本に導入したがっていた。その大望を果たそうにも三木には強大な
力の基盤もなく、とても達成できそうもないことだったが、"清潔な政治"の語り口は新聞から
熱情をこめて迎えられ、あたかも、日本もいよいよパワー・ブローカー制の放棄へ向かって
いるかのような幻想がつくり上げられた。
 幻想が定着していたとしても、福田が大平と手を握ったためそれは破られ、現実の政局は、
一九七六年末には三本下ろしと福田の首相就任に発展した。その後、かねて両者の約束どおり、
大平が福田の後を引き継いだ。だが、福田は、優雅にその座を渡したのではなかった。そしてこの
抗争は、福田と大平の両人が首相候補として張り合った一九七九年の四〇日にわたる国会内の
闘いをもって、自民党の歴史においても恐らくはもっともドラマチックなクライマックスに達した。
田中は大平が勝つよう尽力した。

/////////////////// 原書1989年刊 ///



194: ◆JeacknUANQ
11/09/30 20:45:57.72 RT7zPcbG

/// アドミニストレーター 75 ///////////////

だが、一九八○年には、野党が発議したおきまりの不信任案の票決がおこなわれている聞、福田と三木が、
それぞれの派閥のメンバーを国会に出席させないようにし、大平の政権に背を向けたのである。この
裏切り行為が総選挙の一〇日前に大平が心臓発作で死ぬ原因になったと、一般には考えられている。
大平が死んで多くの同情票が集まり、自民党の議席は一段と増えたのだが、その分だけ田中の勢力が
さらに強くなって、田中はなんの気兼ねもなく鈴木善幸を次期首相に選べるようになった。
 ふり返ってみれば、舞台裏では自民党のどの派閥が最強の力を持つことになるかという疑問の答えは、
一九七八年に出ていたようだ。大平にも鈴木にも、パワー・ブローカーたちを牛耳るだけの野望が
なかったから、官僚と利益団体との特別な関係の維持にあたったのは、主に田中軍団だった。この
状況は、一九八〇年代後期においてもそのままで変わっていなかった。田中自身は病床にあり、政治の
舞台に登場しなくなったのだが、田中に反乱を起こした元家来、竹下登が首相の座につき、田中"機構"の
ベテランの小ボスで、竹下と姻戚関係にある金丸信を自民党の王座の影の勢力としてすえ、竹下が
正式に田中軍団の責任者をつとめていた。

//////////////////////// 早川書房 ///



195: ◆JeacknUANQ
11/10/02 12:34:48.66 rZsAXujS

/// アドミニストレーター  76 //////////////

   自民党内の官僚派

 角・福戦争は、ある意味で、官僚出身の政治家と党人政治家との昔からある闘いでもあった。
少数ながら支配力は強い官僚出身派から、支配権を奪い取ろうとした田中の試みは、党人派の
それとしては二度目のものであった。自民党誕生後一〇年を持たず、河野一郎が一度試み、
不成功に終わっているのだ。昔は、この二つのグループの政治的境界線は今よりはっきりしていたが、
その区分けは今も続いていて、時として議員は官僚出身の"官僚派"と党の下部からのし上がった
"党人派"とに類別される。だが、前者は"官僚派"と呼ばれるのを好まない。つまり、自分たちも
選挙で国民によって選ばれたのだと強調したいからだ。

//////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



196: ◆JeacknUANQ
11/10/03 21:40:38.56 soy4h6nZ

/// アドミニストレーター  77 ///////////////

 一九五〇年代と六〇年代には、自民党の党人派と官僚派の役割分担がはっきりと決まっていた。
前者の役割は主に、再選されることによって、議会での自民党の数の力を維持することであった。
官僚派のほうは、いかにもその名にふさわしい管理者として、法運用と、官界のもとの仲間と財界に
つながる人脈とを駆使して、日本の経済発展に役立つ政策を推進した。大野伴睦が一九六四年に、
河野一郎が一九六五年に亡くなった後は、官僚出身政治家に挑戦できる強力な党人政治家は
いなかったが、田中が、官僚出身の佐藤栄作の派閥に身を落ち着け(金づくりの才能が買われ、
佐藤の派閥にとって不可欠な存在になり)だれよりも上にのし上がったのである。

////////////////////////// 945円(税込) ///



197: ◆JeacknUANQ
11/10/04 21:55:46.88 F/hdC0XO

/// アドミニストレーター  78 ///////////////

 官僚出の議員と他の自民党議員との間に、越せない階層の隔壁があるわけではない。両グループとも、
派閥内で混じり合っている。現に、大平派はとくに官僚色の濃い派閥として知られていたのだが、
田中はそんな違いなど関係なしに大平派と同盟を結んでいた。この両派の間で共生関係ができていて、
"官僚派"は"党人派"に官僚攻略のテクニックを教え、後者は前者に選挙運動の秘伝を伝授する。
現在は、官僚派が、岸や池田や佐藤の時のようには早く大臣の地位に昇進できなくなっている。
これで、たたきあげた党人政治家の不満のひとつが消えたことになる。

/////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///




198: ◆JeacknUANQ
11/10/06 21:10:43.94 O1kc9MdI

/// アドミニストレーター  79 ///////////////////

 とはいえ、自民党にとっては、数の上では少数派の官僚OBが重要なことは疑う余地がない。
官僚出のほうが産業界から資金を集めやすいし、一方、党人政治家は、うさんくさい右翼団体や
裕福だがいかがわしい人物の手先となる危険がある。実力者として定評があり能力にも長けた
党人派の政治家は、一握りしかいない。元大蔵大臣の渡辺美智雄はその一人である。田中自身も、
注意深く官僚を手なずけ利用したが、年齢的にもまだ若く、ますます力を増しつつある渡辺が、
自民党の官僚出をみずから仕込み、自分の配下に置こうとしているのは、注目すべきことである。
一九八六年の衆院選では、全部で二五人という驚くべき多数の高級官僚出身新人候補が、自民党から
出馬した。派閥強化の手段として彼ら高級官僚出身者がいまだに高く評価されていることは、
(任期切れによる)首相交代前の最後の選挙で、中曾根の後釜を狙う四人の対抗者と渡辺美智雄が、
競って自派に彼らをとりこもうとしたのを見てもよく判る。さらに、官僚出身者が自民党内で
特権を与えられているもうひとつの証拠としては、一九八六年の参院選の全国区比例代表側で、
彼ら全員が当選順位登録名簿の上位に入ったという事実がある。

//////////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



199: ◆JeacknUANQ
11/10/07 22:47:01.31 mkELzjDR

/// アドミニストレーター 80 ////////////////

 自民党内の官僚出身議員は、少なくともある程度、それぞれ出身省庁の利益を代表することに
なっている。さもなければ、官界のもとの仲間との人脈も薄れ、自民党にとってあまり有益では
なくなるからだ。政治家と官僚のどちらの力が強いかについては、日本の学者とジャーナリストの
間で意見が割れているようだが、実際には、政治家と官僚とは、相互支援から本格的な共生関係まで、
さまざまな相互扶助の関係にある。河野一郎は農林・建設大臣として手当たりしだいに高級官僚を
解任、任命して官僚の反感を買ったが、これは例外である。自民党結成当時に大平正芳が書いた
「大臣は、官庁の一時的訪問者にすぎないということを考慮して、自分の省の役人に嫌われないよう、
できるだけの努力をすべきである」というのが、より一般的に認められている基準である。

////////////////////// 原書1989年刊 ///



200: ◆JeacknUANQ
11/10/08 19:06:56.46 Qg9dUaG4

/// アドミニストレーター 81 //////////////

    大臣と省庁

 大臣と省庁との関係について、簡単にこんなものだろうと憶測してはならない。別の省出身の
大臣のほうが、自分の古巣である省の大臣として戻ってくる官僚出身者より受けのいいことが多い。
また、党人派の大臣のほうが、官僚派の大臣より、自分の配下の官僚に代わって熱心に弁をふるう
こともある。というのは、たいがいの場合、自分の政治的目標の推進に官僚の支持を得ようとすれば、
政治家自身のほうがよけいに努力をしなければならないからだ。

///////////////////////// 早川書房 ///



201: ◆JeacknUANQ
11/10/09 23:37:04.56 h1wsfsqJ

/// アドミニストレーター  82 /////////////////

 相手が閣僚であろうとなかろうと、自民党内で高い地位にある同僚を動かす力にかけては、
党人派が官僚経験者より一枚うわてである。両者の力の違いは、官僚出身の宮沢喜一と大物政治家・
金丸信の場合を見ればよくわかる。宮沢には、主要大臣職の大半を歴任した経歴がある。しかし、
自分の派閥内で配下の中間的指導者ですら自分の考えに従わせるのはそう簡単ではなかった。一方、
金丸は、国会議員を操ることにかけては党内随一とみなされている。またこれとは別に、後藤田正晴は
官僚出身(元警察庁長官)だが、例外的な存在である。彼は、田中にも中曾根にも、官僚との
交渉にあたる右腕として重宝がられたが、同時に、政治的な操作においても多大な力をもっている。
竹下は、後藤田の独壇場になるのを恐れて彼を入閣させなかったが、新内閣発足から三週間後に、
竹下と後藤田と金丸が協議して三者で月例会議をもつことになった。一九八八年の自民党に重心が
あったとすれば、この三人組である。

/////////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



202: ◆JeacknUANQ
11/10/10 19:04:30.30 PTVaxNeO

/// アドミニストレーター  83 ////////////////

 各派閥に対する官僚の評判は、派閥によっていろいろ違う。たとえば、安倍晋太郎の派閥
(旧福田派)の政治家はひじょうに扱いにくいといわれ、一方、田中の派閥から出た大臣なら、
概して官僚も気楽でやりやすいという。野心のある自民党の政治家は、大蔵、建設、運輸、
農林水産省など有力な省に自分の勢力基盤を築こうとする。ひじょうに強力な政治家なら、
その省を自分の派閥のため"植民地"にすることもある。田中軍団が支配下においた郵政省が、
そのよい例である。同省では、一九七〇年代の後半以来、例外なく田中軍団の若手に政務次官の
席が与えられてきた。新しい電気通信の分野に参入するのなら、まず、田中軍団(一九八七年に
竹下派に衣替えした)のメンバーとの友好関係を確立することが前提条件となる。
 官僚のほうは、政治家にうまく対処するための材料や上手なテクニックをたくさん持っており、
派閥の連合パターンが変わるたびに、それに合わせて微妙な調整をするのにも、熟達している。
官僚自身が言う。「官僚は、昆虫のようなカンで、力の発せられる方向にアンテナを向けなければ
ならない」。

///////////////////////// 945円(税込) ///



203: ◆JeacknUANQ
11/10/12 21:39:59.95 AdfGc3CF

/// アドミニストレーター  84 ///////////////

 かりに自民党政権でなかった場合、官僚がどんな手を使ってその政府を転覆させようとするで
あろうか。この答えはあくまでも推測の域を出ないが、福田赳夫が大蔵省主計局長だった当時、
片山哲の内閣を倒す原動力になった前例がある(片山内閣は、一九四七年五月に発足した日本最初で
唯一の社会主義政権だが、わずか九ヵ月で倒れた)。片山は重要な政策計画を実施するための
金が必要だったのだが、福田は原資がないと断った。その福田が、次の保守系の芦田均の内閣の
ためには予算をつけたのである。
 日常業務では、官僚は大臣が機嫌をそこねないよう気を配る一方、自分の縄張りにあまり
立ち入って詮索させないよう、あれやこれやの常套手段で対処する。大臣の考えや意向をその時の
風向きに合わせて判断できる、中堅クラスの頭のきれる役人が一人、大臣の特別"秘書"として
当てがわれる。時には、同僚の役人たちが堅固な陣地に立てこもり、猛烈に反対してきても、彼は
大臣官房長(次官につぐ上から二番目の役職)と共に、大臣の味方だと見せかけなければならない。

///////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



204: ◆JeacknUANQ
11/10/13 22:31:31.61 t9urST68

/// アドミニストレーター 85 ///////////////////

 官僚は、政界のリーダーに対しあからさまに挑戦することはもとより、公然と批判することもしない。
政治家のほうは、人前で官僚をやりこめたり、叱りつけたりすることがある。時には、単に自分たちの
威信を示すためそんな振る舞いを見せるのだが、このような優位性も実はほとんど幻想にすぎない。
官僚は国会も批判することはない(ほとんどの官僚が、政治家は無知で無能だと思っている。
だが、暗黙の了解かおるから、それは活字にならない)。ただ国会議員は、官僚が必要だと
みなした範囲の情報をもらうだけである。

////////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



205: ◆JeacknUANQ
11/10/14 21:10:49.42 8yZWXuNF

/// アドミニストレーター 86 ///////////////////

 だが、官僚のほうにも、自民党政治家の間で評判を良くしようとするところがある。そうすれば
行政能力も高く評価してもらえて、上の地位へ抜擢されるチャンスにもつながるからだ。大臣には、
自分の邪魔になる高級官僚を任意に解任できる権限があり、これが大きな武器になる。しかし、
この権限をふりまわそうものなら、将来、その省から援助してもらうチャンスを永遠に失って
しまうかも知れない。省内の人事は官僚の聖域に属することであり、大臣であれ、その聖域に
立ち入っては無事には済まされない。露骨に口出しすれば人脈も築けない。するのなら事務次官
経験者の連中にそれとなくはのめかし、動かすのがコツである。たとえば、通産省では、事務次官
経験者が同省の上層部人事において強大な影響力をもっている。通産大臣は、退官していく
事務次官が指名する者を後任に任命するケースが九割以上になる。

///////////////////////// 原書1989年刊 ///



206: ◆JeacknUANQ
11/10/15 16:16:30.72 bQmIB3Hi

/// アドミニストレーター   87 ///////////////

 残された力をフルに行使しても、大臣は、現実問題としてはっきりわかるほど、政策の方向を
変えることはできない。大臣になっても、使える力といえば官僚の昇進や解任にかかわったり自分の
支持者や選挙区に国庫から金をまわさせるぐらいのものである。しかし、これとても官僚機構を
ふりまわすだけの強力な政治力を振るうという意味ではない。たとえば教育問題について政府が
支配力を確立しようとしてきたような、長期の懸案事項を除いては、"政策決定"の面で、大臣の
決定権はその名に値しない。

///////////////////////////// 早川書房 ///




207: ◆JeacknUANQ
11/10/16 18:45:36.02 D1gBSkW5

/// アドミニストレーター  88 ///////////////

   分業の政治的意味

 利益団体に妨げられたり、国会でうるさく反対されそうな案件への政策調整を、率先しておこなう
のも官僚である。予想される反対を回避するための先制手段として多くの審議会が利用される。
審議会の委員は高名な学者やジャーナリスト、財界人や関連の利益団体の有名な代表に委嘱される。
このような審議会の委員になるのはひとつの名誉とされ、審議会の"コンセンサス"だとされる意見は、
大いに尊重される。その会の答申は、諮問した官僚も委員に加わっているから、官僚の意向を
反映するよう誘導されるのが普通である。つまり、審議会は、官僚の計画に対して予想される
反対をぼかしたり、骨技きにしたりするのに役に立つのだ。

/////////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



208: ◆JeacknUANQ
11/10/17 21:48:14.98 jiPwOSn1

/// アドミニストレーター  89 ///////////////

 実際の法律作成の作業は通常、国会に議案が提出される頃には、すでに完了している。
ほとんどの場合、国民が選んだ議員たちは官僚が彼らの鼻先につきつけた法案に、ただ
機械的に判を押すだけである。法案をめぐっての実際のかけひきは、あるとすれば自民党内部の
議員間でおこなわれる。結果は、省庁間の意見の差がどのくらいかと、財界や有力陳情団との
交渉結果によって決まってくる。いったん法案が国会に提出されると、自民党はあらゆる
手段を使って承認されるようにもっていく。国会の場でもし法案を修正されたら関係省庁は
面目を失うからである。

////////////////////// 945円(税込) ///



209: ◆JeacknUANQ
11/10/18 21:48:34.25 A5W8bdSY

/// アドミニストレーター 90 ///////////////

 官僚の助けなしには、自民党議員は国会で途方にくれてしまうだろう。議会制度をとっている
たいていの国では、政治的な討議が議員問で展開される。しかし日本ではこういった場面はきわめて
少ない。"討議"がおこなわれる場合でも、野党議員はわなをかけるような質問をし、基本的には
ベテランが答弁するだけである。国会の委員会に出席する大臣には、十分な準備をしてきた局長や
課長級の官僚が同行し、大臣のそっ気ない説明を官僚特有の無難な答弁で"補足"する役目をする。
公式の責任者である大臣は、管轄下にある政務全般について十分に掌握していないことが多い。
政府の政策に関する資料を通して、自民党の議員を誘導するのが高級官僚の重要な仕事の一部に
なっている。通産省の場合、課長級は勤務時間の約半分、局長級は約三分の一をこれに費やすという。

////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



210: ◆JeacknUANQ
11/10/20 22:51:55.10 Nq8AU3Mv

/// アドミニストレーター  91 /////////////////

 国会議員にとって最悪なことは、自分の選挙区の住民から"無関心"、"誠意"不足と思われることだ。
そう思われないように平均的自民党議員は、多大な時間を費やしてせっせと選挙区をまわり、地元への
関心度を態度で示す。彼らは中央で高い地位にある人びとに通ずる"パイプ"を本当に持っていることも
示さなければならない。だから、選挙が近づくと、地元住民を地域の中心の体育館や公民館に集めて、
生きた"パイプ"の証拠として、できれば大臣をしている派閥の幹部を披露する。
 いざ大臣になると、自民党の政治家は、その省が保護下に集めた支持団体に特別な注意を払わなければ
ならない。彼らに"誠意"を示すためには、さまざまの儀礼行為にかかわらなければならなくなる。
予算編成が大詰めを迎える時期になると、同僚である大蔵大臣を訪れることも、そんな配慮のひとつ
である。実際には、最終折衝は下のレベルの官僚どうして決着されるのだが、蔵相の部屋から出てくる
大臣は激しい交渉ぶりを見せるのがつねである。ある大臣が「とったぞ、とったぞ」と叫んだので、
新聞記者がなんの予算をとったのかとたずねると、その大臣は「その件は次官に聞いてくれ。次官に
頓まれてオレは蔵相にアイサツに来たんだ」と答えたという。

////////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



211: ◆JeacknUANQ
11/10/22 01:01:13.40 MFi/AHAN

/// 早川書房 //////////////////////

 カレル・ヴァン・ウォルフレン(Karel Van Wolferen) (著)、篠原 勝 (翻訳)、
 原著1989年発行、邦訳 早川書房1990年発行
 「日本/権力構造の謎」 The Enigma of Japanese Power  日本 権力構造の謎〈上〉

単行本: ¥ 2,447(税込) ISBN-10: 4152034475 ISBN-13: 978-4152034472
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ハヤカワ文庫NF、945円(税込) ISBN-10: 4150501777  ISBN-13: 978-4150501778
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212:名無しさんの主張
11/10/22 21:10:14.92
★長妻厚労相更迭が突きつけるリアリティー (抜粋)    1
 WEB RONZA 鈴木亘 2010年10月07日

◇長妻厚労大臣が更迭された理由◇
一言でいえば、厚労省の官僚、とくに厚労省の幹部たちとの政治力勝負に長妻氏が負けたということである。
情報戦・マスコミ操作力においても、与野党政治家や業界への根回しにおいても、人海戦術的マンパワー
においても、すべてにおいて厚労官僚に力負けし、長妻氏は土俵から寄り切られたのである。ついでに、
長妻氏同様に国民の期待の大きかった山井、足立両政務官もうっちゃられてしまった。

しかし、こういった政治的な環境変化がなくても、長妻氏はいずれどこかの時点で、やはり負けるべくして
負けたように思う。厚労省というまさに巨大な組織とその政治力に真っ向から対峙するには、長妻氏は
あまりに準備不足であったし、能力・資質も残念ながら不足していた。

また、何よりも副大臣、政務官を含めて5人という三役のマンパワー(それも一枚岩とはいえない)では、
巨大な組織を前にして如何にも非力であった。ランボー並みの破壊力をもった大臣とはいえ、5人の
傭兵部隊が、正規軍の一個師団に対峙するような趣では負け戦は必至であった。

◇長妻元大臣から呼び出されて◇
長妻氏が内閣を去って、もはや迷惑がかからないと思うので書くが、じつは昨年末のある日、わたしは
ある学者とともに、長妻大臣に個人的に呼びだされ、じっくりと官僚対策について話し合う機会があった。
当初、秘書から「ご意見を伺いたい」とだけしか聞かされていなかったため、わたしはてっきり年金の
話でご下問があるのか、それとも医療、介護、はたまた保育、生活保護、ホームレス対策という可能性も
あるだろうかなどと考えていろいろ用意して行った。

だが、いざ大臣室に入ってみると、相談内容というのは「厚生労働省の官僚たちの抵抗が非常に
激しくて困っている。自分の政策方針に合うように、官僚たちに言うことを聞かせるにはどうしたら
良いだろうか」というものであった。

当時、三役が官僚たちに洗脳されることを恐れて、官僚たちのご進講(レクチャー漬け)を避け、
ひとつずつの内容を確認してからしか決済を行わないために、通常業務が完全に立ち往生している
ことが伝えられていた。

213:名無しさんの主張
11/10/22 21:15:20.91
★長妻厚労相更迭が突きつけるリアリティー (抜粋)    2

また、これまで官僚たちが審議会を使って積み上げてきた規定路線の政策をしばしば覆したり、
官僚を怒鳴りつけたりするので、官僚からは「独裁者だ」とか「魔王だ」などという陰口も
叩かれていた。そのせいもあってか、野党時代に掲げていた年金改革などの諸改革もまったく
手が付いていない。

したがって、わたしはこのまったく専門外の質問に驚きつつも、「ああやっぱり、かなり困って
いるのだな」と思ったことを覚えている。しかし、それにしてもこの時点に至って、これまで面識の
ない外部の人間に、このあまりに基本的な戦術を尋ねるようでは、この人たちは本当に大丈夫なの
だろうかと、長妻厚労大臣の行く末を案じる思いがした。官僚に対峙するためには、相当事前に
周到な戦略を練っておかなければ、勝負になるはずがない。

◇官僚をコントロールするための4つのアドバイス◇
結局、急ごしらえであったが、わたしのアドバイスは、以下の4つであった。

第一は、厚労省独自の「事業仕分け」を行うことである(これは同席したもう一人の学者も提案した)。
第一次の事業仕分け同様、傍聴者やマスコミを入れ、インターネットの動画配信を行って賑々しく
実行する。

第二は、人事権に介入することである。大臣は厚労省内の人事に不介入ということが伝統的な
原則であるが、本来的には人事権を行使することは可能であり、幹部人事の前には候補者を面接して、
長妻氏の政策方針を支持するかどうか踏み絵を踏ませてはどうか。はじめは人事権に介入することは
なかなか難しくても、少なくとも影響力があることをみせつけることが重要である。

第三は、社会保障審議会の各部会など、すべての厚労省審議会、委員会、検討会をインターネット
動画配信する。もちろん、記者クラブ以外のマスコミ、傍聴者も入れる。国民がみている場では、
業界団体や御用学者も露骨な利益誘導を行いにくくなり、それを利用している官僚たちの思惑通りには
行かなくなる。また、こうした審議会をいわば隠れ蓑の承認機関に使っている官僚たちの顔も
公衆の面前にさらされる。


214:名無しさんの主張
11/10/22 21:20:08.67
★長妻厚労相更迭が突きつけるリアリティー (抜粋)    3

さらに、審議会の答申・報告書は最終的な決定とするのではなく、マスコミ、インターネット動画を
入れた上で、最後の山場として、審議会の座長に、長妻氏ら閣僚の前で答申を説明させ、おかしな
ところはどんどんやりあうところを国民にみせる。最後に答申を拒否することがあってよい。
そうすれば、事務局主導のおかしな結論を座長が無責任にスルーするようなことはなくなるし、
説明力の乏しい御用学者に座長が務まらなくなる。つまりは、審議会を利用する官僚主導の力を
大幅に弱めることができる。

第四は、政治家の三役側に各分野の専門家によるブレーンチームをつくることである。チームは、
学者や有識者のほか、志をもって辞めた官僚OB、地方自治体の関係部局からの出向者(敵の敵は
味方である)、民間からの出向者から構成する。官僚と政治家のあいだの圧倒的な情報格差と
マンパワー格差があるかぎり、まず官僚を統御することは不可能であり、政治家のバーゲニング力を
強めるために、専門家集団を政治の側に付けることが不可欠である。


◇政治主導と改革の困難◇
さて、その後の経緯をみると、たとえば厚労省独自の事業仕分け実施や、厚労省管轄化の独立行政法人
における幹部人事の公募導入など、一部はわたしたちの意見を取り入れてもらったのかもしれないと思う。
また、人事評価基準の改革や、各種の改革プロジェクトチームもようやく軌道に乗り始め、長妻色が
出はじめたところであった。

厚労省官僚の天下り先の公表や、非現実的な年金積立金の運用目標を拒否するなど、目立たないながらも
長妻氏のファインプレーがちらほらとはみえはじめていた。しかしながら、如何せん、当初の準備不足と
戦略不足、多勢に無勢が響いて捗捗しい成果が出ず、厚労省の政治力とマンパワーの前に屈したと
いうところであろう。


215:名無しさんの主張
11/10/22 21:59:37.00
★長妻厚労相更迭が突きつけるリアリティー (抜粋)    4

人事についてはわたしの想像をはるかに超える乱暴なこともやったようであるが、そのやり方は
ともかくとして、長妻氏の目指した方向性自体は、わたしは間違っていなかったように思う。

日本の社会保障制度を取り巻く環境変化の激しさを考えると、もはや既得権益業界の利益を代弁し、
財政膨張をすることでしか調整できない旧態依然とした厚労省幹部たちに政策を任せることはできず、
官僚組織と真っ向から対決するよりほか、日本の社会保障制度に活路は見出せないように思われる。
現在の官僚融和・丸投げ路線などもってのほかであり、官僚任せでは永遠に真の改革は不可能である。

しかし、長妻氏や、同じく今回更迭された山井氏、足立氏ほどの専門性(政治家にしては相当の
専門家であった)をもってしても、準備不足と戦略不足、多勢に無勢では、所詮、厚労省の官僚組織の
敵ではなかったのである。

正規軍に対するには、それなりの人数の専門チームを作り、官僚の抵抗を完全にシミュレート
した上で、周到な準備の上で戦略的にどんどん手を打っていく必要がある。長妻氏達の更迭によって、
政治主導の難しさ、改革の難しさのリアリティーを、国民は改めて実感すべきである。

 WEB RONZA 鈴木亘 2010年10月07日
 URLリンク(webronza.asahi.com)


216:名無しさんの主張
11/10/22 23:47:07.85
★厚労省とマスコミが結託、長妻厚労相つぶしの陰湿 

長妻厚労相が示した人事案に対し、役人が「猛反発」している。
子ども手当を担当した伊岐典子雇用均等・児童家庭局長を独立行政法人労働政策研究・研修機構に
出向させる人事案をめぐり、「左遷だ」「更迭だ」などとヒステリックに騒いでいるのである。
民間でも結果を出せなければクビが飛ぶ。国民の血税でメシを食い、国民代表の政治家を支えるのが
官僚の役目なのだから、人事も「国民の意思」と同じ。イチャモンつけるなど言語道断である。
ワケが分からないのは、メディアの報道だ。この人事が発表されるとすぐ、読売は<責任を官僚に
押しつけているといった不満も漏れる>(23日)と書き、朝日も<担当局長として申し分ない
働きという評価だ。長妻氏の過剰反応とも言える>(23日)と官僚擁護記事のオンパレード。
共同通信もきのう(26日)、<民主党の公約の不備の責任を事務方に押し付けないでほしい
との声も>とダメ押しだ。
陰でコソコソ愚痴る官僚の“泣き言リーク”を競う合うように垂れ流しているのである。
元NHK政治部記者で評論家の川崎泰資氏はこう言う。
「官僚は情報操作のために記者を飼いならす。記者も、記者クラブが同じ役所内にあるため、
役人と一体感を持ちやすく、役所の雰囲気に流されて記事を書くことになる。今回の件は、
長妻大臣が閣内で求心力を失ったとみた記者たちが官僚の意向を汲んだのでしょう」
厚労省は長妻を大臣に迎える際に拍手ひとつしなかった陰湿集団だ。就任後はレクチャー攻めにし、
揚げ句、「ミスター検討中」なんてあだ名を付けてあざ笑った。省を挙げて、仕事そっちのけで
長妻潰しを画策していた連中である。それをメディアは大喜びでせっせと書いてきた。
長妻はそんな腐臭役人や役所のご機嫌取りに走り回る御用ポチ記者に遠慮することはない。
バカ役人のクビをどんどん切り、ついでに役所の広報部署と化した記者クラブも解体した方がいい。

(日刊ゲンダイ 2010/07/27 掲載)
URLリンク(www.asyura2.com)

217: ◆JeacknUANQ
11/10/23 11:43:22.90 j4shZChe

/// アドミニストレーター  92 //////////////

   日本の総理大臣

 日本の首相に与えられている実権は、西欧のどの国の首長に比べても、たいていのアジア諸国の
首長に比べても弱い。ごく表面しか見ない外国人は、日本の首相には相当な力があるだろうと
想定するのだが、実際には、それよりかなり小さな力しかない。一九六四年の秋、佐藤栄作の
首相当時、総理府を強化し中央政府の官僚統制力を増大させようとする働きがあった。先の
池田内閣から引き継いだアイデアにもとづぎ、首相の助言役として特別秘書を数名置く内閣補佐官
制度の設立を目指すものであった。しかし計画は、自民党と官僚双方からの強い反対にあって
つぶされた。自民党の政治家は、そのような機関が自分だちと省庁の聞に入ってくれば、政治資金の
主要供給源が断たれると恐れ、官僚は、その特権の一部が取り上げられると危惧したからである。

//////////////////// 原書1989年刊 ///



218: ◆JeacknUANQ
11/10/24 21:03:46.93 ARFSeMLb

/// アドミニストレーター  93 /////////////

 最終的には、歴代の首相たちが、恒久的な内聞補佐官の一団に囲まれては統制がさらにきかなくなる
危険にみずから気づいたのである。通常、時の特別問題に関する助言役として官界から出向派遣される
補佐官は、本省のスパイも兼ねている。だから首相の考えが本省に重大な影響を与える危険がある時は、
官庁側としても対策を講じられるのである。それが、恒久的な内閣補佐官制度となれば、首相としては
彼らを監視するための機関がまた別に必要になろう。

/////////////////////// 早川書房 ///



219: ◆JeacknUANQ
11/10/25 20:55:42.31 j0ugj6Fu

/// アドミニストレーター   94 //////////////

 日本の首相は、国内問題に関する新しい優先事項を打ち出すこともできず、日本の国際的な
立場から考えて、決定的に重要だと考える対策も実行できないとはいえ、首相によっては
かなりのことができる。いうまでもなく、そんな首相の例として、すぐに思い出すのは田中である。
もっとも彼が、日本の政治の歴史において重要な役割を演じたのは首相を辞めた後のことであった。
しかし、首相による違いをだれよりも劇的に見せてくれたのは、田中が最後に選んだ二人の首相、
鈴木善幸と中曾根康弘である。

//////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///




220:名無しさんの主張
11/10/26 21:21:25.40
★BBC記者の目に晒された「官僚支配」   1
  笈野泉2009/01/20

Japan's political revolving door

 これは2008年9月27日付BBCのwebnewsに掲載されたBBC日本特派員
クリス・ホッグ(Chris Hogg)記者の記事の表題である。「日本の政治的回転ドア」と
仮に訳しておく。この記事は日本では2人の首相が1年経たぬうちにギヴ・アップして
政権を投げ出し、自民党が今週新たな首相(麻生首相)を選んだ、という書き出しで
始まっている。記者はこのような日本の政治を「カラオケ政治の時代」(era of karaoke
politics)と表現する。次々とマイク(政権)の持ち手が変わるからである。ホッグ記者が
日本に着任したのは2006年だが、それから僅かの期間に首相が今度で4人目。
くるくる首相が変わる様子は「回転ドア」のようである。

 言われて記憶を辿れば、回転ドアの客は「小泉」、その次は「安倍」、「安倍」の次は
「福田」で、今度は誰だ? と注目すると次は「麻生」であった。「あ、そうか」と洒落る
余裕もないほどの目まぐるしさである。日本の首相は任期が短すぎるので「外国の
リーダーが前任者の名前を覚える前に、次の首相が任命されている」。記者は
「不真面目に聞こえてほしくない」が、日本の首相の在任期間はアメリカの大統領に
ようやく会って、孫に印象づけるための写真を撮る程度の期間しかないのが現実だ、
と言う。このようにホッグ記者にかかると、我が国の首相評はさんざんである
(しかし、事実である)。

BBC記者の目に晒された「官僚支配」

 しかし、そのことは日本に多くのダメージを与えていないようだ。「日本株式会社」は
力強く進んでいる。日本は世界第2の経済大国だ、と続く。注意を要するのは、
その次のフレーズである。首相が変わっても日本がダメージを受けないその理由は、
実は「政治家は日本では問題ではない」。日本は「官僚によって動かされている」
からだ。

221:名無しさんの主張
11/10/26 21:30:08.10
★BBC記者の目に晒された「官僚支配」   2

 ホッグ記者は当初、「日本は官僚によって動かされている」というような言説に
懐疑的だったが、あることをきっかけに確信するに至った。それは福田前首相に
インタビューを申し込んだときである。官僚は首相が「ヘマをやらかす」ことを恐れ、
インタビューを避けようとしたが、数日かかってなんとか実現した。当日は部屋に入ると
官僚が多数待ち構えていた。福田首相とのインタビューのテーマは「環境問題」であったが、
官僚は、インタビューが「台本通りに運ばぬこと」を心配し、ある細工をしたのである。
その細工とは福田首相に言わせたい科白を「テレプロンプター」で映し出すことであった。
官僚は「言わせたいこと」を書き出し、それを「テレプロンプター」という文字を1行ずつ
拡大する装置に置いた、と記者は書いている。ホッグ記者は慇懃に不自然さを
指摘したものの、官僚は相手にしなかった。

"Three, two、one, cue PM."

 福田首相が入室しインタビューが始まる。補助者(官僚)がホッグ記者の背後から
身振りを始め、そしてこう叫んだ。「3,2,1、さあ、首相」(Three, two、one, cue PM.)。
そうすると、その哀れな男はテレプロンプターから読み始めたのである。「その哀れな男」
(The poor man)とは、我らが福田前首相のことである。
 ホッグ記者にはこの日の「哀れな男」が「かいらい」(puppet)のように見えたのだが、
眼の前にいるのは知的で有能な政治家であり、それらのことがその日の体験を一層
憂鬱にさせたと書いている。記事は、福田前首相の「置き換え」(replacement)である
麻生首相も、「あまり長くないかもしれない」と結んで終わっている。



222:名無しさんの主張
11/10/26 21:34:41.30
★BBC記者の目に晒された「官僚支配」   3

 私はこの記事を読んでガッカリしました。官僚が首相を意のままに操ろうとする模様が
リアルに手に取るように描写されており、実態を知ったという意味では大変勉強に
なったというものの、世界中がこの事実を知るところとなったからです。日本人の
私ですらびっくり仰天する内容―政治の舞台裏が、政治家と官僚との力関係が、
2008年9月27日付で、BBCのwebnewsに掲載され、世界中の人々の目に晒される
こととなりました。これは日本の「恥」であり、日本の首相の「権威」は地に墜ちた
というべきではないでしょうか。

 これまでも「官僚支配」については、カレル・ヴァン・ウォルフレンなどによって書かれて
きたと思いますが、この度の影響の大きさはまったく出版物の比ではありません。
日本の首相がこの報道を知らない、あるいは国際社会でこの事実に頬被りをして
行動することは、「裸の王様」に等しいものと危惧します。首相 (政治家)の「質」が
問われています。

 以上がアメリカと余りにも違う我が国の真実であり、前途には重いものがあります。
しかし、悪いことばかりではありません。為政者にとっては「不都合な真実」でも、
立場を変えれば有益な情報になるからです。では、「今後どうすれば良いのか?」
ということですが、それを「市民記者」の一人として考えていきたいと思っています。

  笈野泉2009/01/20
URLリンク(janjan.voicejapan.org)


223:名無しさんの主張
11/10/26 22:09:39.82
★福田康夫前首相  「いかに官僚使いこなすの大変かが分かった」

24日に首相官邸を去った福田康夫前首相は退任直前、1年間にわたり務めた首相としての悔悟と誇りを
関係者に語った。
悔やまれるのは、首相就任までに経験した閣僚が官房長官だけだったこと。誇りとするのは、
「ポピュリズムに迎合しない政治を通した」ことだという。
官房長官としては歴代最長となる1289日の在任日数を務め、中央省庁に強い影響力を示し、「陰の外相」
「陰の防衛庁長官」ともいわれた。
官僚には「お役人」と呼ぶほど大きな信頼を寄せていた。
だが、年金記録紛失問題や後期高齢者医療制度への対応など「お役人」の相次ぐ不手際や怠慢に足を引っ張られた。
9月1日の辞任表明後も、事故米不正転売をめぐる不手際から農水省のトップ2人の更迭を余儀なくされた。
「官僚組織というものが官房長官では分からなかった。
官僚を使いこなすのがいかに大変かが分かった。
どこかの役所の大臣を経験した方がよかった」そう振り返った福田氏は内閣総辞職の談話で「国民目線」を
重ねて強調し「これまでの政治や行政を根本から見直さなければならない」と訴えた。
ただ、福田氏自らが「国民目線」を実践したかどうかは評価が分かれる。
各報道機関の世論調査結果ではことごとく、福田氏の指導力・発信力不足が指摘されていた。
24日の離任時も、官邸職員から花束を受け取るや、カメラを無視するように足早に官邸を去り、最後まで
パフォーマンスを封印した。
だが、社会保障担当の首相補佐官だった伊藤達也元金融担当相は、「福田氏は厚労省改革で強い指導力を
みせた」と評価する。その上で「手柄を全部われわれに与えようとする。
『首相が前面に出られたらどうですか』と促しても『いいんだよ』としか言わない。
目立とうとしない政治家は珍しい」と証言する。
「国民目線の行政」の象徴と位置づけている公務員制度改革や消費者庁設置などが今後、実を結ぶかは不透明だ。
ただ、パフォーマンスをことさら嫌わず、国民に直接語りかける場面がもっとあれば、別の「福田康夫像」が
世論から作りあげられ、政権も持続させられたのではないだろうか。

2008年9月25日 URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)

224: ◆JeacknUANQ
11/10/27 21:15:21.20 w2PnrOfq

/// アドミニストレーター   95 /////////////////

    指導者不在の好例

 鈴木善幸は、戦後の日本の首相の中でも前例のないほど、決定回避という日本的な技倆に
磨きのかかった人物だった。田中が首相だった当時、鈴木は透明人間に近い目につかない存在だった
のだが、自民党の幹部間の秩序を保つのに一役果たしたので、田中は彼を首相に選んだ。党内の
秩序を保つには派閥間および派閥内部の力関係の変化をきわめて敏感にとらえ、間に入って
巧妙にとりなす技倆が必要となる。日本の政治評論家が一致して見るとおり、鈴木はこの技倆に
たしかに長けていたのだが、それに反比例して、彼には物事を決定するという人間的な衡動が
欠けていた。彼の徹底した政治的な受け身の姿勢も、記録破りだった。

////////////////////////// 945円(税込) ///




225: ◆JeacknUANQ
11/10/28 22:19:21.44 fldIINWP

/// アドミニストレーター  96 ///////////////

 鈴木が首相の座に就くとは、だれも予想しなかった。なにしろほとんどの人が、彼の存在すら
知らなかったのである。まもなく、だれの目にも明らかになったのは、彼には経済や外交についての
知識がないということだった。鈴木にとってなによりも大事なことは、だれの怒りも買わないように
することであった。それには、いっさいなにもしないのがよい。たくさんある例の一つは、
中学教科書中の日本の植民地と戦時中の歴史の記述の書き直しをめぐって、韓国と中国との
外交関係が危機に発展した時のことである。危機がもっとも高まった時、首相鈴木善幸はおもむろに
彼流の解決を下した。つまり文部省と外務省が話し合って問題を解決するようにと指示したのであった。
文部省は一貫して、象徴的な謝罪のジェスチャーを示すべぎだとする外務省の要求を、強固に
拒みつづけていたのである。

///////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



226: ◆JeacknUANQ
11/10/29 19:50:08.69 Ga3mI2yX

/// アドミニストレーター   97 //////////////

 官僚は、鈴木を軽蔑していた。大臣たちも、戦後の日本で他に例がないほど徹底して鈴木首相を
無視した。内部の者もその間の事情をもらしている。鈴木は、短時間の閣議でも敬意を払われず、
なんとか首相らしい待遇を受けたのは外国訪問旅行中がはじめてだったという。日本の内閣は、
体裁だけでも閣内がまとまっているように外部へ見せかけるのが普通だが、当時経済企画庁長官
(国務大臣)たった河本敏夫は、勝手に経済刺激対策をとり入れたのに対して、大蔵省は政府政策の
一貫として処理されねばならないと否認した。

/////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///




227: ◆JeacknUANQ
11/10/30 11:28:52.16 WpnVu8Mu

/// アドミニストレーター  98 ///////////////

 以上書いたことはすべて、誇張ではない。鈴木首相につけられたあだ名の一つに「テープレコーダー」
というのがある。どうしても出席しなければならない会合があると、それに先立ち、用意した答えを
まちがいなく言えるよう、官僚の指導の下に丸暗記したからだ。そのうちに、訪日する外国の高官や
報道関係者に鈴木をできるだけ会わせないように官僚は工夫をこらすようになった。鈴木の欧州訪問に
際しては、誤解を減らすことが目的であると発表した以上、欧州の特派員との記者会見に出席せざるを
えなかった。その記者会見の約三週間前に、筆者のもとに外務省から電話が入り、鈴木首相に質問
したいか、その場合なにをききたいかとたずねられた。しばらく後、「混乱を避けるため」ある
ジャーナリストの質問に首相が答えたすぐ後に著者が質問するよう指示された。ところが、その後
さらに、記者会見までに二度、質問者として選ばれた七人の特派員の質問順変更の通知がきた。
記者会見当日、鈴木はゆったりと腰をかけ、なかば目を閉じたまま大暗記した答えを暗唱したのだが、
中に意地悪く質問を変えた特派員には、とんちんかんな答えが返ってきた。

///////////////////// 原書1989年刊 ///



228: ◆JeacknUANQ
11/10/31 22:11:59.58 vLhDOn/d

/// アドミニストレーター  99 ///////////////

 "記者会見"のやま場は、最後の場面だった。ドイツ入の記者がごくていねいな言葉づかいで、
首相にこうたずねると場内に静かな賛同のどよめきが起こった。今日のこの記者会見は自然な
質疑応答らしく見せかけてはいるか、その実、事前にお膳立てされたものである、集まった
約五〇人のヨーロッパの新聞・テレビ記者は、各々質問できると思って来た、このことを首相は
ご存じであろうか。訪欧の目的は相互理解を深めるためなのに残念だと思わないか。質問の通訳は
完璧だったが、首相は、その記者が外務省に前もって提出させられたもとの質問に答えたのだった。

///////////////////////// 早川書房 ///



229: ◆JeacknUANQ
11/11/01 22:18:06.62 avNISFke

/// アドミニストレーター 100 /////////////////

 鈴木が日本の国際関係にとってお荷物になることが明らかになったのは、彼がレーガン大統領と
ともに署名した共同声明文の一部を否認した時である。その後、一九八二年の主要先進国サミット
首脳会議では、アメリカの大統領の態度に鈴木とはなにも話し合いたくないという意向が、ありありと
出ていた。次の一九八二年の七カ国首脳会議の準備をするにあたり、官僚は、特別の頭痛に悩まされる
ことになった。というのは、不快な不意打ちを避けるため、まずアメリカの大統領と日本の首相間で
予備首脳会談がもたれるのが慣例化していたのだが、辛辣なことにレーガン大統領が鈴木に会う時間が
ないと言ってきたのである。こうなると、首脳会議での日本の成否は、他の首長がどれだけ鈴木を
無視しおおせるかにかかってきた。日本の新聞は鈴木には首脳会議の討議についていく知力が
備わっていない、とあからさまに書いたのである。

///////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



230: ◆JeacknUANQ
11/11/02 21:58:14.77 ds/k8X+b

/// アドミニストレーター 101 /////////////////

 ある意味では、鈴木は理想的な日本の首相だった。ただし、よくいわれる日本的理想像を
判断の規準にすれば、である。彼は、つねに控え目ででしゃばらずなによりも"コンセンサス"を
大事にした。だが、マスコミは、鈴木首相はこのような理想に従うあまり忠実なだけでなんの
役にも立たず、最低限の職務も果たしていないとほとんど一致して書きたてたのである。

//////////////////////// 945円(税込) ///



231: ◆JeacknUANQ
11/11/05 20:19:24.92 JO9w4Iv2

/// アドミニストレーター 102 /////////////////

   救援裏工作

 強力な黒幕が差し迫った危機を回避させることがある。一九八二年、アメリカ大統領と日本の
首相の関係が深刻化するのは、岸信介が巧妙に鈴木善幸の総裁再任を妨げたことによって食い止められた。
その年の初夏、田中角栄は、数回にわたって年老いた官僚出の政治家、岸を田舎の避暑地に訪れた。
実は二人はそれまで天敵と考えられていた。岸は、田中にとってはいちばんの敵手である福田の
政治的後援者であり、岸の婿にあたる安倍晋太郎が福田派の継承者とされていたのである。
だが、この岸・田中会談について両者の側近が一部のジャーナリストに語ったところによれば、自民党の
影の大物二人は、下界の政治的な騒ぎを共に和やかに見守るオリンポス山上の神々のようにふるまった
という。二人がどのような合意に達したがはともかく、結論は、岸が二期目の総裁候補として鈴木を
支援できないとの意向を本人に伝えるということであった。鈴木はただちに、二期目の総裁選に
立つ気はないと発表した。この発表に驚いた日本の政界のほとんどの者は、これは、はじめて
鈴木がみすがら決定したことだろうと誤ってきめつけたものだ。

/////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///



232: ◆JeacknUANQ
11/11/06 11:12:41.85 ZtKSQ7YY

/// アドミニストレーター 103 //////////////////

 岸がなぜこのような手を打ったかは明らかにはされていないが、推察するのは難しくない。岸は、
長年アメリカの"朋友"とみなされていて、たしかに日米の"特別な関係"についてもよく知っていた。
A級戦犯として収監されながら、一度も裁判にかけられることなく、アメリカの計らいのおかげで
政界に返り咲いたのである。彼は、とくに日米安全保障条約の改訂に尽力した人物とみなされ、
他の面でも、アメリカとの戦略上の関係を強化するのに一役買ってきた。鈴木の影響で、この関係が
ひどく損なわれることを岸は敏感に知っていたにちがいない。
 田中と岸が、一九八二年一一月に首相に選んだ派閥の長は、中曾根康弘だった。彼に要請されたのは、
こじれた日米関係の修復だった。こうして中曾根は、首相に就任する前に出した最初の声明文で、
この課題にかける熱意を表明したのである。追いかけるように、岸が慣例を破って、公然と中曾根外交を
賞賛した。さらに岸は、派閥間の争いでボスの福田赳夫の意に反しても、婿の安倍晋太郎に、
中曾根政権を支持させたのである。

//////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



233: ◆JeacknUANQ
11/11/07 20:50:43.78 N7jy7ufU

/// アドミニストレーター 104 ////////////////////

   統治したいと欲した男

 一九七〇年代にすでに政治評論家たちは、中曾根康弘は、あまり特徴のない首相が多いなかで、
例外的な首相になるのではないかと推測していた。中曾根は彼らの期待を裏切らなかった。それどころか、
それまではずっと、中曾根は首相には向かないとも考えられていたのである。理由はまさに彼の
際立つ特徴そのものであった。すなわち、はっきりした考え方、記者などが引用したくなる発言、
ナショナリズムヘの偏向など。防衛庁長官をつとめた時はめったにないほど注目され、同庁の本格的な
活性化を試みたのだが、その効果はそれほど長続きしなかった。それよりずっと昔一九五一年一月には、
新人議員だった中曾根は、大胆不敵にも、"日本人の考えているところ"を要約したという「マッカーサ
元帥に対する建白書」を元帥に提出し、アメリカ人の間で急進的なナショナリストとしてはやくから
評判になっていた。この文書の中で、彼は、日本がアメリカに屈従する状態が続けば、日本の主権が
脅かされると述べている。中曾根はまた、憲法改正を公然と主張する数少ない自民党議員の一人であった。

//////////////////////// 原書1989年刊 ///



234: ◆JeacknUANQ
11/11/08 20:29:05.30 yIWII7lf

/// アドミニストレーター 105 //////////////////

 中曾根が首相になった瞬間から、最高指揮官として本気で統治するつもりのあることは、疑う余地が
なかった。一九八三年初めには、日韓関係が論議の的になっていたのに、独自に決めた韓国訪問を
既成事実として外務省に伝えたことはその証拠である。この事実によって、彼の指導カヘの野心は
ますます疑いえないものとなった。閣僚の選び方にも、彼の野望が歴然とあらわれていた。それまで
閣僚の選択は、派閣間の力の均衡を主眼におこなわれ、大臣候補の能力そのものはほとんど考慮
されなかった。ところが数次の中曾根内閣はすべて、異常に多くの"強い"大臣を配し、従来どおり
頻繁に内閣改造をおこなったにもかかわらず主要大臣については再任を認めるという点で、他の
内閣とは顕著に異なっていた。

/////////////////////////// 早川書房 ///




235: ◆JeacknUANQ
11/11/09 21:26:12.09 eRvcrbXu

/// アドミニストレーター 106 //////////////////

そして一九九五年、同窓会の席で、彼が目指しているのはサッチャー首相のように強い態度で
政策遂行にあたる、大統領型の実権ある首相になることだと、その胸中を吐露したのである。
一九八六年七月二五日、第三次中曾根内閣組閣直後に、大臣一一人と個別に会合し、重要な
懸案事項の処理にあたっては、官庁の抵抗を克服して強行するよう指示した。その前日の火曜日の
組閣後初めての閣議では、大臣は各省庁のスポークスマンになるべきではない、国家的な問題を
包括的に理解すべきであると訓示している。国会でも、答弁を大臣や関係省庁の官僚まかせにせず、
彼みすがらおこなうことが多かった。このような彼の答弁は(日本の基準からいえば)明確で
ストレートだったから注目を浴びた。

////////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



236: ◆JeacknUANQ
11/11/10 20:35:51.18 9gssQ8mv

/// アドミニストレーター 107 //////////////////

 断固とした態度と実行を目指す強い姿勢は、管理者には嫌われる。どのレベルでも、重要な
決定は集団的な合意にもとづく場合にのみ許されるのであり、そうでなければだれにも
気づかれぬように内々に実行してしまうのが一般的である。よくとられる第三の方法は、
特に国際的な交渉に見られる手段であるが、問題の原因が自然解消するよう期待しながら、
決定を回避することである―それにここれはうまくゆくことが多い。こういった状況に
さからうような中曾根の勇猛果敢さは周囲の者を驚かせ、同僚の自民党議員の間でも不評を買った。

///////////////////////// 945円(税込) ///




237: ◆JeacknUANQ
11/11/11 21:55:57.18 Z/1GKyLm

/// アドミニストレーター 108 /////////////////

 日本の新聞は彼の第一次内閣に対して批判的な反応を示し、閣僚の大半が田中軍団のメンバー
だったことから「田中曾根政権」とあだ名した。だが、新聞編集者たちは、この第一次中曾根内閣の
重要な意味を見過ごし、日本の政策展開が新しい局面に入ったという事実を完全に見落としていた。
つまり、この政治的展開によって、日本一才能のあるパワー・ブローカーと、みずから統治したい
という野望を持つ近代日本はじまって以来の果敢な首相との、(田中=中曾根)協力体制が
出現したのである。

///////////////////// K.V.ウォルフレン著 ///




238: ◆JeacknUANQ
11/11/12 21:03:22.83 61cD9FEU

/// アドミニストレーター 109 /////////////////

 田中が政府補助金を通してその帝国の維持に専念する間に、中曾根は経済成長に直接関係のある
事柄や地元への予算還元も一時忘れ、最高の地位の保全に心配することもなく、それ以外の問題に
専念できた。彼は「戦後政治の総決算」を標榜して、各種禁止事項やタブーなどの占領時代の
名残りを処理する必要があるとしたのである。この線に沿って、教育問題や国際的責任など、
なんらかの意味で日本の主権に関わる問題に対して、なみなみならぬ自分の決意を示した。
彼はまた、国家としての自尊心に訴えて、国会で堂々と防衛問題を議論するよう誘導し、国防を
政治の中心課題のひとつに据えようとした。中曾根がこのように振る舞えたのも、田中が後ろで
面倒を見ており、両者がたもとを分かたないかぎり首相の任期は保証されていたからだった。
田中のマシーンは、自民党内でうむを言わせぬ力があったのみならず、この進取的な首相が官界との
関係を処理するにもなによりの援軍であった。

/////////////// 「日本権力構造の謎」<上> ///



239: ◆JeacknUANQ
11/11/14 22:32:18.13 yA25d4RJ

/// アドミニストレーター 110 //////////////////

 数次の中曾根内閣を通し、官僚との折衝で主力になったのは、国務大臣で重要な調整役を
ひきうける内閣官房長官、後藤田正晴であった。従来、官房長官のポストは首相の派閥に
与えられるのがつねだったので、後藤田起用は中曾根の異例の快挙だと考えられた。もともと
後藤田に目をつけたのは田中で、田中軍団の中でもっとも能力のある政治家の一人とみなされ、
時には、田中の「頭脳」とまで言われる人物だった。田中は、急いで事を運ぶ際、結束を固め
頑として応じない官僚を攻略するのに後藤田をよく使った。後藤田は警察庁長官を務めたことがあり、
彼独自の人脈から得られる力をどう活用すればよいか熟知していた。そして中曾根の右腕として、
中曾根内閣の中核的人物となった。中曾根は、緊急事態が発生した際にすばやく対処できるようにと、
総務庁を新設しその初代長官に後藤田を任命した。

///////////////////////// 原書1989年刊 ///



240: ◆JeacknUANQ
11/11/16 20:58:14.18 +A0ekZOy

/// アドミニストレーター 111 //////////////////

 一〇年ぶりに、日本の首相が三年以上その座に留まったことは、国際的にも大きな意味があった。
かねてより中曾根は、日本がその経済力にふさわしい世界的な役割を担うよう努力すると公言
していたのだが、その目的に重要な象徴的ジェスチャーを見せた。日本はまぎれもなく西側同盟国の
一員としての責任を積極的に果たす国として、米大統領との交渉にあたって個人的な直接外交を
展開したのである。
 レーガン大統領は初めて訪問してきた中曾根を見て、ソ連に対して自分と同じ見方をしているらしい
日本の指導者と対面し、喜びかつ驚いたものである。レーガンは「ロン」と呼んでくれと言い、
中曾根も「ヤス」で応じた。日本では相当親密な男の友人どうしでもファースト・ネームで
呼び合うことはめったにないから、この象徴的な親密さが日本では大きな意味をもった。
この"ロン・ヤス"関係のおかけで、その後数年間は、それまで貿易と防衛問題に関連して日本が
さまざまな罪を犯しているとうるさく言っていたアメリカ政府も、静まった。日本側は、この関係を
巧妙に活用した。解決すべき重要な諸問題を敷物の下に隠せたし、日本にも、ついに本格的な
指導者が登場したというアメリカの幻想をさらに強化できた。

////////////////////////// 早川書房 ///



241: ◆JeacknUANQ
11/11/19 17:01:33.02 Zn0hzRpC

/// アドミニストレーター 112 /////////////////

 日本の世論調査においても、中曾祝の支持率は新記録を樹立した。田中の支持率も組閣一年目は
同様に高かったのだが、その後、記録的な低さにまで沈下している。中曽根内閣の支持率は
落ちなかった。それまでの通説に反し、国民は、回確な答弁をし国の内外で強い印象を与える
首相を高く評価したのである。
 このような国民感情と、自民党議員の大半が中曽根に対し抱いていた嫌悪感とは、対照的だった。
合理的に問題を処理し、政治目標達成を急ぎすぎるのは、人間的なあたたかさに欠けると非難
されたのである。一九九五年に田中が病いに倒れると、派閥抗争が再燃し中曽根の指導者としての
地位が危うくなってきた。一九八六年の総選挙で自民党が記録的に圧勝したおかけで、中曾根は
もう一年だけ首相の座にとどまることができた。だが、国民に支持されたからといって、必ずしも
保持できないのが日本の首相の座である。そして一九九七年の秋、中曽根は後継者として竹下を
選ばなければならなかった。

////////////////////// 篠原 勝 (翻訳) ///



242: ◆JeacknUANQ
11/11/20 22:04:44.76 +2hdZZ+i

/// アドミニストレーター 113 //////////////////

   政治的潤滑剤としての審議会

 みずから統治し政策を打ち出すべく大奮闘した中曾根であるが、結果的には、政策や政府計画に
これといって意義のある変化をもたらすことはできなかった。しかし、彼がもたらした変化、
すなわちスタイルと象徴性、政治の雰囲気の変化それ自体に、十分、大きな意義がある。
彼の大きな業績は、日韓関係に突破口を開いたことである。これによって、日本はアジアの
同盟国に対しもっと思いをかげろべきだとのアメリカの願いに応えた。またこれと同様に重要な
成果は、日本の堂々たる存在を毎年の先進国首脳会議で示したことであろう。一九八六年には
彼自身が議長を務め、各国首脳の尊敬を得ることとなった。国鉄の民営化も彼の首相在職中に
おこなわれたことである。また、日本の過去の戦争にまつわる数多くのタブーにも、彼は挑戦した。

//////////////////////// 945円(税込) ///




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