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あの世は誰がなんといおうと厳然と存在するのです。
船井幸雄のいま知らせたいことより 熊野の百姓地球を耕す 2012年1月30日
人間は大霊である神から分かれた分霊で、資質としては神と同じものである
。そして人間はみなその同じ資質でできているのである。人間には肉体にまつ
わる業(ごう)があるので、業という塵芥(じんかい)で霊の光を遮っている
が、空(くう)になりそれが抜け落ちれば、神と一体になるのである。人間の
本質は霊であり、永遠不滅のものである。
肉体はこの三次元世界で生きるための乗り物にすぎない。死とはこの世から霊
界に引っ越しすることで、生命が終わることではない。霊と魂はどうちがうか
といえば、霊は本質であり、魂は現象である。つまり霊に業の乗っかったもの
が魂である。その時その時の霊の姿を魂という。そう私は理解している。
肉体がなくなってから行く世界は色々あるが、魂は各々個有の震動数の波動
があり、その波動と同調する世界に行くのである。霊性が高い程、震動数が高
いとされる。 金や権力といったものはこの世というローカル世界だけで通用
するもので、いかなる世界でも通用するパスポートは、愛とか調和といったも
のである。
こういうことが世の中の常識になれば、意味のない争いはなくなる。平和運
動同士が対立したり、宗教同士が喧嘩するというようなことは回避される。と
いうより宗教そのものがなくなる。今述べたことが、科学に包摂(ほうせつ)
され、一般常識になるであろうから。
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