14/01/26 15:30:35.50 8OdO2eSQ
>>758(オカルト宝珠)
>そんなことウダーナの何処に書かれてるの?
ウダーナ8-3に明確に書かれている。
オカルト外道のは、分別・無分別と言語表記の問題を正確に掴んでいない縁起撥無の誤謬見解だ。
仏法の基盤はあくまで『縁起の直接現実(あるがまま)』であり、これの直覚を「縁起の現観」(悟り)と名づける。
(1)世俗に於ける勝義示唆⇒(空・中道)は無分別(無矛盾)だから、言語表記(分別)できない。
世俗(分別)で表すなら不<(非)〇 不(非)△>と言う両極否定間接形式(四句第4)が限度である(中論18-6・8・11)。
それが上記ウダーナ8-3の<生じたのではないもの><(滅したものでないもの)>=不生不滅←中道だ。
(2)一方、世俗の一切内では二項相対分別で、【生じたもの⇔生じたものでないもの】【滅するもの⇔滅したものでないもの】と分別表現できる。
★勝義示唆の<生じたものでないもの>(無分別示唆)と、世俗の【生じたものでないもの】(分別)は相が異なる。★
この如理作意のゆえに、>>732の趣旨となる。
ハエ頭隠居と同様、オカルト宝珠にも「無理」だw