14/01/25 23:18:21.01 dCL1YL2n
>>523
ルルの歌唱力、フラッシュダンス躍動感があってとてもよろしいですね。
ありがとう。
>>615
健康で何不自由していなければ、死について考えないとは、
よく「苦労していなければ、楽や幸が分らない」とへたをすると苦労バンザーイみたいな事を仰る方がいますが
それと似ている話でしょうか。
楽や幸であれば、苦は分らないので、釈迦はまれであると。
そうでしょうか。
社会構造でもたらされた底辺に押し込まれた差別などの所謂人災は、その時、苦だとだけ感じていても、構造理解により
邪であると見抜ければ、それまでは自分の苦に埋没していたとしても、
客観性の幅広い識の中で昇華し別の視力を獲得し、個人の問題ではなかったことが分りますね。
何を苦労と感じるかが、差異があるのではと言われますのも、
客観性の欠けからくる苦に全霊が乗っ取られているから苦であるのでしょう。
釈迦が楽に、あったとすれば、乗っ取られない客観力かもしれません。
苦を上回っているからであり、苦がないと楽がわからないという世俗の
噂話におられなかったと考えます。
客観力とは感性のクオリティ度と関係しているように思います。
(王族のほうが、生まれた時から細かく大変かもしれませんし、そういった
苦労比べは、あまり意味がないと思いますが、
たまたま、偶然のなにか必然で個に優れた遺伝が現れたであろうとは思います)
闇は光を理解しなかった。
光>闇
楽>苦
釈迦は、楽。