14/01/23 05:29:17.36 o0oGZVgB
道元「仏法には修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の弁道すなはち本証の全体なり」
「一分の妙修を単伝する初心の弁道、すなはち一分の本証を無為の地にうるなり」
初心=ただの風景=本証 を無為の地に得るなりです
得るも得ないもない、汚すことのでいない、初心=風景、不染汚の修証です
正師は「これ」といい、邪師は「あれ」といいます、一目瞭然です
キチガイは「これ」を汚すんです
「自ら運びて万法を証する」
脳内妄想でもって世界をはかるんです、脳内世界で世界を覆う=迷盲、修羅地獄畜生の風景です
そうではない、万法を証するその手を休めるんです
すると「万法進みて自己を修証する」ということがおきます
「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、
これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。」