14/01/23 01:15:13.43 SCLLcVXJ
>>348 セラピスト氏
>だから、狂ってない状態を勝義諦
>狂ってる状態を世俗諦と二諦に分類している。
>つまり狂ってる頭だと、【全てが狂っている】思考しかできない。
>ってことだよ。
二諦に分類するだけではなく、狂っている状態を世俗諦であると喝破でしょうか。
いくら段階を用いても、導きのほとんどはカルト性を内面に保持する者に対して(カルトは外部に先にあるだけではない)無駄であるばかりでなく、
その説法をして、その説法を拠り所としてカルトが生じせしめ、
世俗締が、カルトの土壌をつくりバックアップしているとも云えるでしょう。
狂っている者を慰めるという慈悲心があったとしても、段階的に導くということが理解できなければ、カルトは肥え太るだけであります。
空しいものとなるのは、狂っておればたとえ慈悲心を持ってこようが、【全てが狂っており】通用しない。
なぜなら、狂っていない者なら、例えば学校の勉強も純粋に勉学が楽しくて少しづつステップアップしていき、普通に効するでしょう。
しかし、勉強をする動機が違うと解答用紙に記憶訓練の成果は書き込めましても、
その内面はますます病むでしょう。
親が、出世だ、金だ、世間体だと、まだ柔らかい子供の行為の一つ一つから自由な動機を奪い、
親の動機と目的に差し替える様なことをし続けるのは洗脳状態であり、
何をするのも動機がすべて狂ってしまうでしょう。
親がカルト宗教にはまっておれば、子育てに同じような影響があると考えます。
自分で判断しなければならない年齢に達した時、洗脳を求めて彷徨するかもしれませんし、あるいは自己を探すあまりに、ベクトルが変質的な自己愛(執着)に向けられ、ことごとくの動機が狂ってしまうかもしれませんね。
君が行き場を失った方々も、ここを最後の拠り所として(>>363)
ロムっていると言ったのは、その彷徨の事もあるのかな、思いました。