14/01/21 10:56:29.37 qjMqH17T
>>220
おじゃる、それをこっちに持ってくるってのはそれに迷ってるって事か?
意味が解らないのか?
>1.恒常である。2.無常である。3.恒常でもあり無常でもある。4.恒常でもなく無常でもない
釈尊がこれのどれも執らないのは、主体たる者の念一つで全てが変わるからだよ
釈尊は形而上の事と形而下の事を建て分けずに教えを説く、それは主体が人間中心だからだ
人間は一切の事象を六根でしか受け取れないし認識できない、それを以って法だと教えてる
肉体に依存した六根は恒常ではない、寿命が来ればそれは終わるのは誰でも解る
しかし、釈尊の教える理法は出世間の法なので、そもそも自他の分別を持たない
となれば、個人の寿命も関係なくなり、全人類の寿命が尽きるまでが自分の寿命となる
しかし人は色んな所で縁有って生じてるので中々死に絶えない
更に出世間の法は有機物無機物の区別も取っ払う教えなので、寿命は永遠となる
しかし、単体個人での寿命はご存知の通り、なので上記のどれにも属さない見解となる