仏教議論スレッド86at PSY
仏教議論スレッド86 - 暇つぶし2ch233:神も仏も名無しさん
14/01/21 10:46:25.27 ZYa84DVY
石原元都知事 が 霊友会

民主党 が 立正佼成会

自民党 が 創価学会

何処を見ても 政治の世界は日蓮宗が

阿部さん 麻生さん は キリスト教系か

234:神も仏も名無しさん
14/01/21 10:48:33.77 okt/5AlQ
セラピストって名前の人がいるように、間違った楽しみの追求で参った人ならその楽しみから離れたいかもしれない。でも通常の範囲で楽しんでる人は別に問題ないからあまり必要ない。そんで、その人達にそれは地獄に堕ちる等の理由でイカンと言ったら、なんか違うような。
という浅い解釈で、色々な宗教が批判されることはよくあると思うんですけどw

235:神も仏も名無しさん
14/01/21 10:50:04.74 okt/5AlQ
>>233
それって内部や周囲にその人達がいるだけじゃないの?
自民は別のとこって聞くし、歴代首相にはまた別の噂があったような。

236:神も仏も名無しさん
14/01/21 10:54:58.47 ZYa84DVY
これだけ 日蓮宗 が 政治に関わっていれば

日蓮さんが唱えた 立正安国論 が 機能して

みんなが幸せになってくる 筈なんだが?

237:神も仏も名無しさん
14/01/21 10:56:18.86 yUsNZRLC
>>228
石飛道子は、コテコテの釈迦カルトだから、中論には真正面から向き合わず、
向き合いたくなく、専ら、大智度論、因縁心論などから、釈迦に近い思想を
必死に捜し求めているだけ。

238:神も仏も名無しさん
14/01/21 10:56:29.37 qjMqH17T
>>220
おじゃる、それをこっちに持ってくるってのはそれに迷ってるって事か?
意味が解らないのか?

>1.恒常である。2.無常である。3.恒常でもあり無常でもある。4.恒常でもなく無常でもない

釈尊がこれのどれも執らないのは、主体たる者の念一つで全てが変わるからだよ
釈尊は形而上の事と形而下の事を建て分けずに教えを説く、それは主体が人間中心だからだ
人間は一切の事象を六根でしか受け取れないし認識できない、それを以って法だと教えてる
肉体に依存した六根は恒常ではない、寿命が来ればそれは終わるのは誰でも解る
しかし、釈尊の教える理法は出世間の法なので、そもそも自他の分別を持たない
となれば、個人の寿命も関係なくなり、全人類の寿命が尽きるまでが自分の寿命となる
しかし人は色んな所で縁有って生じてるので中々死に絶えない
更に出世間の法は有機物無機物の区別も取っ払う教えなので、寿命は永遠となる
しかし、単体個人での寿命はご存知の通り、なので上記のどれにも属さない見解となる

239:神も仏も名無しさん
14/01/21 10:57:57.00 okt/5AlQ
>>236
そもそも政治は政治家がやってるわけじゃなくて官僚政治なんじゃないの?

240:神も仏も名無しさん
14/01/21 10:58:05.45 ZYa84DVY
>>235
結構おおざっぱに書いてあるかも

241:おじゃる
14/01/21 11:03:33.02 sS5JOZjW
 
>>220>>228 の続き

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
URLリンク(homepage3.nifty.com)
878
(世の学者たちは)
めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い
(みずから真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる
「このように知る人は真理を知っている
これを非難する人はまだ不完全な人である」と
879
かれらはこのように異なった執見をいだいて論争し
「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う
これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが
これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?
880
もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって
低級な者であって、智慧の劣った者であるならば
これらの人々はすべて(各自の)偏見を固執しているのであるから
かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる
881
またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって
真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば
かれらのうちには知性のない者はだれもいないことになる
かれらの見解は(その点で)等しく完全であるから

242:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:05:07.08 se3nhtOi
現自民だと二階、麻生あたりが、ゼネコン企業と関連で国土交通省と癒着しているだろうなあ、
むろん、公明党も、
民主党が叩かれたのはゼネコン予算減らしたからだろうw
田原総一郎は「鳩山不況」連呼していたからなあ、
マスコミもオリンピック万歳で都知事候補の細川を叩くネタだし、ゼネコン関与深い原発産業と
知らぬのは癒着しているマスコミに踊らされる無知な国民w

243:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:06:33.03 6Caj5XRc
>>238
(仏の教えは)ただ行ってこそ知るべきである。
(頭の中、本の中、机の上、理論の上だけで)あれこれ考え、知ろうとしてはならない。

244:売国利権
14/01/21 11:08:39.34 fIfO0VKY
>>239
>政治は政治家がやってるわけじゃなくて官僚政治なんじゃないの?

『「その結果、国交省幹部は、『中国関係の重要案件を大臣に上げると、すぐにアチラへ筒抜けになるリスクがあります』と説明したというのです。
 アチラとは、東京・六本木にある中国大使館のことです。

 程永華大使は、創価大学の第1期中国人留学生三人のうちの一人で、非公式の場で『池田大作先生が私を育ててくれた』と漏らすような人物です。
 当然ながら、太田大臣とは、心置きなく話せるポン友です」』
URLリンク(blog.livedoor.jp)

245:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:10:43.23 se3nhtOi
中国インフラ整備援助以来のゼネコン利権があるからだろうw
安倍のアフリカ訪問もある意味ゼネコンインフラ事業の御為だろうw

246:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:17:07.72 yUsNZRLC
そんなことより、どうやら今上天皇・皇后が「売国左翼」のようだ。皇后の
キリスト教が原因だと推測する。

前代未聞のこと。日本オワタ。

247:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:18:30.51 qjMqH17T
>>243
それは思考停止に過ぎない
瞑想は確かに行だが、人の行い一切が行になる
統率が取れない行いと言う名の行を統率して見解を纏めるのが仏教の瞑想の行だ
禅定は浅くても智慧を湧かせる効果を持つ、浅くても回数で量を稼げる
浅かろうが深かろうが度合いに応じてその智慧は余韻を残す、鐘の音の如し
考えても妄想しか起こらないのは雑念が多すぎるからだ
雑念は瞑想で少なく減らしていける
頭のノイズリダクションが進んだ時に空を体感する

だから何だ?って話

248:おじゃる
14/01/21 11:24:43.88 sS5JOZjW
 
> おじゃる、それをこっちに持ってくるってのはそれに迷ってるって事か?
> 意味が解らないのか?

>>220>>228>>241

前世は一在家さん、に対しての説明です

例えば、もし仮に
前世は一在家さんが
「自性・常住・無常ではない」と掴み捉えようとしている心の働きが現れているのなら
それは
何かに対して「ある・ない・肯定・否定」と掴み捉えようとしている心の働きに依存して現れている
(これに対して)
苦集滅道に依存して
何かに対して「ある・ない・肯定・否定」と掴み捉えようとしている心の働きを滅させる

(↑実践した事はないけど「教学としては、こんな感じである」)と、前世は一在家さん、に対しての説明です

249:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:25:23.97 6Caj5XRc
>>247
でも考えれば考えるほど変な方向行くでしょ
で、その思考で導き出した結論に執著する。
そこで他の意見と争いが生じ、悟りから遠のく。

250:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:25:34.09 ZYa84DVY
文殊菩薩「世諦の中に第一義諦有りと為すや不や 」

お釈迦様「世諦とは第一義諦なり」

二諦の論議が 南北朝期中国で論議のまととなった

251:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:30:30.89 qjMqH17T
>>248
>心の働きを滅させる

そろそろ疑問に思え>どうやって?
滅すれば良いのは解ってんだからそろそろどうするのか考えようず

>>249
その見解も考えだろ
そして執着してるだろ
だから思考停止だと言ってるんだよ
結局は頭をどう使うか。それが仏法なんだよ
悟るのも頭であり瞑想での智慧であり、それも考えだ

252:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:47:51.15 ZYa84DVY
上座部の二諦は 苦諦 は 滅諦 で 集諦 は 道諦 で無くすらしい

253:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:50:07.17 okt/5AlQ
>>249
或る人には正解でも経験上棄却する。棄却のための議論で、進むための議論でもある。

254:おじゃる
14/01/21 11:50:42.02 sS5JOZjW
 
> 心の働きを滅させる
> 滅すれば良いのは解ってんだからそろそろどうするのか考えようず

龍樹の中論
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
URLリンク(home.att.ne.jp)
渇愛に依存して(何かに対して)掴み捉えようとする心の働きが現れている
(これに対して)
無知(無明)が止まると
行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は
止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである
  _  _  _

 ↓ これは、どのように瞑想するのか?についてです、聞いてみて下さい
URLリンク(www.onedhamma.com)
13/10/06 「仏教3.0」丸、最終ご乗船案内
投稿日時: 2013年10月6日
2013(平成25)年 日曜ワンダルマ坐禅会法話 山下良道(スダンマチャーラ比丘) 法話

255:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:55:43.94 okt/5AlQ
あることが真であるときに、そのれが偽となる解釈もある。
真理はどちらかのはず。ただしその真理を偽とする解釈もある。

別の学問で、科学法則はその有効性が確かめられているが、その法則が効かない現象が発見されたりしている。
だからといって、その法則が偽というわけではない。永遠普遍の真理かと言われれば偽であるが、有効性や妥当性は変わらないから。

256:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:56:11.68 qjMqH17T
>>254
ああ、その人は俺の先生だ

で、無知を止める具体的方法は何だって教えてくれてたっけ?w

257:神も仏も名無しさん
14/01/21 11:58:42.05 ZYa84DVY
心のものが ぼろぼろ落ちると言われる 身心脱落とは

258:神も仏も名無しさん
14/01/21 12:01:02.33 qjMqH17T
結局な、サマタで禅定を深めて、ワンダルマ流だと経行もやるんだよ
経行は一呼吸ずつ歩く瞑想なんだが、禅宗じゃお馴染みだよな
おれが教わったのは更に行動全てをも経行を基底に行う瞑想ってのもあって
そりゃ結局行い全部が瞑想なんじゃねって事になるわけよ
勿論坐禅も総括で行うんだけどな

259:神も仏も名無しさん
14/01/21 12:08:14.13 jEk/Hcw8
ア、それオナマルニューキングダムだ

260:おじゃる
14/01/21 12:08:42.80 sS5JOZjW
 
> で、無知を止める具体的方法は何だって教えてくれてたっけ?

これから↓これ聴いてみます
URLリンク(www.onedhamma.com)
14/1/19 活動再開のごあいさつ(冒頭のみ)
投稿日時: 2014年1月20日
2014(平成26)年 日曜ワンダルマ坐禅会法話 山下良道(スダンマチャーラ比丘) 法話

 ↑ これを聴いてから「無知を止める具体的方法は何か?」を考えたいと思います

261:神も仏も名無しさん
14/01/21 12:16:14.18 qjMqH17T
ニミッタ出て来るんで覚悟しとくと良いよ
アーナパーナじゃ基本だから

262:神も仏も名無しさん
14/01/21 12:31:11.11 ZYa84DVY
オナマルニューキングダム これ何?

263:神も仏も名無しさん
14/01/21 12:39:18.25 ZYa84DVY
経験知
一 順観とは、縁起を表に観ること
二 逆観とは、縁起を裏に観ること
三 因が現われると、果も現われる
四 因が失われると、果も失われる
五 転生とは、生と死に分れること
六 解脱とは、生と死を越えること
七 縁起とは、因縁が生起すること
八 条件が変わると、因果も変わる
九 縁起を順観して、転生に向かう
十 縁起を逆観して、解脱に向かう

覚醒の書
順観 … 因が現れると、果も現れると、観る
逆観 … 因が消えると、果も消えると、観る

羯磨の書
転生 … 縁起に拠って、無明に塗れていく
解脱 … 縁起に依って、無明を越えていく

264:おじゃる
14/01/21 13:12:17.67 sS5JOZjW
 
 ↓ これですね

ニミッタの出現
集中力が出てくると、ある、黄色やその他の色がが見えてきます
継続的に30分も呼吸に集中していると、顔の前に、明るい光が見えてきます
それはさまざまで、異なった色が見えたりしますが、目を開けて、「これは何だ」と見てはいけません
あくまでも呼吸に集中し続けます
この時点で光の方に注意を向けると、集中力は途切れてしまいます

265:おじゃる
14/01/21 13:19:56.74 sS5JOZjW
 
 ↓ これですね

漢訳 第一義空經
URLリンク(www28.atwiki.jp)
此の陰滅し已らば異陰相續す
俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き
俗數法をば除く

俗數法とは

謂ゆる
此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く

又復た
此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す

266:神も仏も名無しさん
14/01/21 15:15:25.57 yYXEbhCm
>>265
>俗數法をば除く

ここがわからない。
ここの目とは眼識のことだろう?
ここの陰とは五蘊のことだろう?
五蘊の一つか、厳密には?

≻此の陰滅し已らば異陰相續す

要するにここが解ってないんだな。

今の陰と相続する陰とは縁起しているのだ。
相続というと同じものを受け継ぐというのが世間の解釈だ。
しかし、ここでは異なるものを相続すると言っている。

どうして相続と言えるんだろう?

267:神も仏も名無しさん
14/01/21 16:08:22.04 2J0THS1y
無分別だから

268:神も仏も名無しさん
14/01/21 16:16:59.39 2J0THS1y
アレとかコレとか私とか貴方とかの分別無しに
形而上の事には自他の区別が無い
無我で空で無分別なのが出世間の法=仏法

俗數法とは世俗諦の事
つまり、人様が普通に考える輪廻転生はしないが
勝義としては輪廻の様に生滅を繰り返してるって事

269:神も仏も名無しさん
14/01/21 16:18:26.32 2J0THS1y
その生滅を繰り返す理が異陰相續の意味

270:神も仏も名無しさん
14/01/21 16:35:24.72 fIfO0VKY
>>268
>勝義としては輪廻の様に生滅を繰り返してるって事

このスレは、(おそらく)仏教猛者ばかりなんだから、
あんまりナンセンスは言わないほーがいいと思います。
「おじゃる」は第一義空経についての論議は各所で数多く
見聞しているんだから、おじゃるとどうぞw

271:神も仏も名無しさん
14/01/21 16:41:15.17 ZYa84DVY
第三に釈尊は迷える一般の人々には俗数法〔世俗諦〕の因果律を説かれ

俗數法 = 俗数法〔世俗諦〕

272:神も仏も名無しさん
14/01/21 16:43:12.14 Pf7S6Qlb
>>270
ナンセンス?

経に書いてあるのは十二因縁の理屈だが
そもそも十二因縁も縁によって要素が生滅を繰り返し周期する理の事
無明によりて行生じ・・で無明へのトリガで行が生じてるが、無明から行へ輪廻転生した訳ではない
無明にトリガがきたので行が生じた、これこそが異陰相続であり、縁によって生滅を繰り返す理のことである

273:神も仏も名無しさん
14/01/21 16:53:12.70 fIfO0VKY
>>272
>経に書いてあるのは十二因縁の理屈だが

そうですかw
このシリーズではいくども議論されてきたことです。
第一義空経は『除俗數法』の文言からもわかるように、十二支縁起論を批判的に検討しているのですよ。
それが中論との関係でいつも問題になりました。

おじゃるが好きで、詳しいはずですから、おじゃるとどうぞ。

274:神も仏も名無しさん
14/01/21 16:55:42.07 Pf7S6Qlb
我々人間は生まれる時に親の縁に因って和合し生じている
だから身体は親から受け継いだものであり、親から異陰相続したものである
心も、自我が芽生えるまでに居た環境、芽生えてから居た環境に縁起して形成されていて
これも異陰相続である

我々の自我の材料になったものは悉く、他者の言動や思想信条をそれと知らずに受け継いでいる

よって、輪廻転生は無いと信じれば無く、有ると信じれば有り、どちらでもないと思えばどちらでもないのである

275:神も仏も名無しさん
14/01/21 17:15:00.95 Pf7S6Qlb
>>273
>十二支縁起論を批判的に検討しているのですよ

そこで言う批判対象の十二支縁起は説一切有部の唱えたものを批判している
釈尊の理法は一切皆空と見做せる法なのだが、説一切有部の場合
三世実有法体恒有が是なので、言ってみれば一切が皆、法の集まりであり
その法それぞれは常住だとしている、十二支縁起も説一切有部のものは
形はそっくりだが無明も行も識も全部各々が法を備えていて、本来有り続けていて
縁によって動き出すと説く

龍樹はそれを否定し、一切皆空であると釈尊の代弁をしたのだ

276:神も仏も名無しさん
14/01/21 17:28:42.83 Pf7S6Qlb
三世に亘って各々が法を備えていると何が問題なのか?
例えばここにコップがあるとする
このコップは透明な法を備え、冷たい法を備え、硬い法を備えと
コップの性質全てに法が備わると説き、それが三世に常住していると言うのである
それでは割っても割れない事になるのである
透明・冷たい・硬い等のコップの性質も空なので縁によって変化し
縁滅に因って曇ったり解けたり割れたり出来るので有る
三世に亘って一性質毎に法が有ると、性質は固定されてしまうのである
そんなものはこの世界に一つも無いのである

277:神も仏も名無しさん
14/01/21 18:12:16.90 Pf7S6Qlb
>>265
>此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る

これを俗數法、つまり世俗諦だと龍樹が言っている理由は
これ”有る”の有を指して俗数法であると言っているのである
釈尊は”有る”と言われたが、これは有る無しの有るでは無く
空として仮に存在すると言う意味の”有る”ですよ、ってのが俗数法
これの第一義は空なので第一義空経なのである
釈尊の教えを下してる訳では無いので勘違いしないように

278:神も仏も名無しさん
14/01/21 18:36:40.38 Pf7S6Qlb
もう一つ、おじゃるトドメだ食らえw

コップを第一義空とした時、これをカチ割ったら破片になる
これはコップの残骸な訳だが、このコップの残骸は俗数法となる
その俗数法も、また新たに第一義空と設定する事が可能なので
コップの残骸(欠片)をすり潰して粉にすれば、それが欠片に対しての俗数法=粉となる
これをして真俗二諦の義と言う

279:神も仏も名無しさん
14/01/21 19:22:37.55 ZYa84DVY
真俗二諦
龍樹が『中論』で
仏は二諦によって、衆生のために法を説く。一には世俗諦、二つには第一義諦なり
URLリンク(www.wikidharma.org)

280:神も仏も名無しさん
14/01/21 19:35:25.75 4P1VrwEs
>>224
>「全宇宙」など、認識も出来ないことを妄想するな、の意味。
あんたの眼の前だろ、宇宙が分断されているというなら知らんがな

>「仏道とは。己に習うなり」
>「仏道とは。己に習うなり」
直後の「自己を習うとは自己をわすれるなり」は無視か
こともダマシにもほどがある

>道元は、中論の直系。「眼横鼻直」だけでも、小乗(釈迦)と大乗とは、本質的
に異なる思想であることは明らか。

くだらない思想に落とすな、単にあんたの前の現実だ

281:神も仏も名無しさん
14/01/21 19:41:08.76 okt/5AlQ
実例がないと中々説明にならないのは世の教科書も同じ。
当然そんな書き方は要求していないが。

282:神も仏も名無しさん
14/01/21 19:42:59.62 okt/5AlQ
ただ簡単にわかりやすく書きすぎたりするとガキや低脳が調子に乗り出すから、或る程度難しくかいたほうがいい。

283:神も仏も名無しさん
14/01/21 19:52:28.74 AD9YAkCj
>>280
>>「仏道とは。己に習うなり」
>直後の「自己を習うとは自己をわすれるなり」は無視か

己(生命)の指示に只管従って「我を忘れて生きる」という意味。生命とは、
生存本能のことである。

>くだらない思想に落とすな、単にあんたの前の現実だ

釈迦は「眼横鼻直」を悟れたと思うか?w釈迦には到底不可能。

284:神も仏も名無しさん
14/01/21 19:55:43.73 okt/5AlQ
>>283
下層だと犯罪や疾患や依存に結びつくから宗教や病院の出番になり易いと思うよ。

285:神も仏も名無しさん
14/01/21 19:59:19.81 4P1VrwEs
>>283
只管に何であっても付け加えるのは不可

>生存本能のことである。
動物は生存本能の概念なしにやってる
あんた本当の動物みてないだろ。
一日のほぼ9割9部のんびり過ごしている
生存本能なんて概念すらなしにな。それで十分楽しそうにやってる
くだらない概念に支配されてるぶんだけ動物にも劣る
生存本能に生存本能の概念は不要物

286:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:08:39.45 AD9YAkCj
>>284
生命には、下層も上層もない。「すべての人間は、生命において等価・至上」。
この世界を認識して「存在」たらしめるのも、人間の生命のみ。強いて言えば、
「無我」だの「非我」だの「無明」だのと、我(生命)を否定・軽視する者が、
「生物である人間」として最下層である。いや、寧ろ人間失格である。

287:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:10:00.95 okt/5AlQ
>>285
となりのワンちゃんは案外忙しそうに泣いてたけどうちのニャンコは神出鬼没だねえ

288:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:13:01.61 4P1VrwEs
>>286
概念だけでは米粒一つ食べられん
ちゃん目の前の箸に手をつけろ
横断歩道を渡ってるときに、釈迦だの生存本能などと、ぼうっと脳内世界にはまり込むと
あっという間にひかれてしまうぞ

289:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:20:33.56 4P1VrwEs
>>287
つながれてるわんちゃんは、本能をおさえられてるんでしょうね、
ニャンコは野生たっぷりで見てて愉快だ

290:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:26:24.97 okt/5AlQ
六根に従って鳴いてないから本能というかなんなんだろ。

291:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:26:49.22 AD9YAkCj
>>285
>一日のほぼ9割9部のんびり過ごしている

のんびり過ごしているように見えても、また眠っていても、肉体(生命)の全器官と
肉体から発する全精神は、一刻の休みもなく、肉体維持のためにフルに働いている
ことを忘れるな。眠っている者も、特に消化器官は覚醒時よりさかんに活動しているし、
肉体に危害をもたらす状況(火災など)が発生すれば、飛び起きるぞ。

イエスは「空の鳥や野の花は、労せずして生きている」などと言ったが、大間違い。

死ねばこれらの生命活動は一切停止し、肉体は腐敗して原子に分解し、自然に帰り、
循環するだけ。強いて言えば、これが唯一の「輪廻転生」である。

292:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:27:32.38 okt/5AlQ
オカルトの人はオカルト領域で意味の或る行為だって言うけど確かにそんな感じだしな。

人も。

293:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:29:02.14 okt/5AlQ
>>291
ワンちゃんじゃないけど鳴くより鳴きたいけど鳴かない方が大変だと思うんだよね。
忍耐で鍛えるのは人間くらいなもんだろう。

294:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:32:29.99 4P1VrwEs
>>291
>肉体維持のためにフルに働いている
>ことを忘れるな。
アホか、そんな事意識してる間に猫は小鳥を取り逃がしてしまうわ
自然をなめんなよ

>眠っている者も、特に消化器官は覚醒時よりさかんに活動しているし、
>肉体に危害をもたらす状況(火災など)が発生すれば、飛び起きるぞ。
自律神経系を意識する理由がわからない
意識しないでも動くから価値有るんだろが
意識しないとき心臓が動かなかったら大変だろが

295:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:34:40.53 AD9YAkCj
>>285
>動物は生存本能の概念なしにやってる

生命の指示に従い「我を忘れて」生きて見ているからだ。つまり「無我の境地」
「悟り」である。

「無我」だの「非我」だの「解脱」だの「我を意識し」「我を考えている」釈
迦は、無我や悟りの対極にある。それを「無明」「迷妄」と呼ぶ。

296:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:37:49.38 4P1VrwEs
>>295
何度も言われるが世俗諦だろが
目の前の現実はかくの如し

不生・不滅、不常・不断、不一・不異、不来・不出

以上、インキョとの生命漫談おわり、おさわがせしましたー

297:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:40:20.82 AD9YAkCj
>>294
>自律神経系を意識する理由がわからない
>意識しないでも動くから価値有るんだろが
>意識しないとき心臓が動かなかったら大変だろが

死ねば、それらは一切動かなくなりますがw。

298:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:44:08.71 4P1VrwEs
>>297
死んだら概念なんか消え去るだろが、どんだけボケたおすねん
くだらん冗談ばっかりやってないで、
ちょっとは自分の生命を支えてもらってる家族にありがとうの一言でも言ってやれや
これでほんとにしまい

299:おじゃる
14/01/21 20:53:07.49 sS5JOZjW
 
俗数法 ↓ 知りませんでした

URLリンク(www.wikidharma.org)

「世俗」(loka)と「出世間」(loka-uttara)、「第一義空」と「俗数法」、「世俗常数」と「第一之義」などがある
これらは言葉は整ってはいないが、二諦説とみてよいが
二諦説は世間と出世間という形で世間的相対の真理と出世間的絶対の真理という区別を示している
しかも、このように真理を二様の立場から説くというやり方は
たとえば仏陀の次第説法といわれる説法形式にみられるように、仏教の教えを理解せしめるために
まず世間的な教えとして施論戒諦生天諦などのような因果の道理を説くものを相対世間の真理として説き
後に仏教自身の教えとしての四諦を説いて
これを出世間絶対の真理であると理解せしめるという教化の必要からなされたと思われる
当時のインド人にとって全く新しい仏教を理解せしめるためには世間的な真理を一応認めて
さらにその理解のうえで
仏教自身が自信をもって説く仏教の真理を人々に理解せしめるというやり方がとられねばならなかった
龍樹が『中論』で
仏は二諦によって、衆生のために法を説く。一には世俗諦、二つには第一義諦なり
といったのは、この趣旨をうけたものである

300:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:53:12.58 okt/5AlQ
>>295
○○のみこと、というみことの部分を尊とも書くし命とも書く
神の名に命の字を当てるところが一つ面白いと思ってた。

301:神も仏も名無しさん
14/01/21 20:59:26.93 AD9YAkCj
>>298
>死んだら概念なんか消え去るだろが

死んだ後のことを、生時の生命を以って一生懸命考えたのが釈迦やイエスw。

釈迦の生命を支えてくれた両親が泣いて頼むのを振り切って家出したし、
イエスは、「永遠の生命」とか、「俺を信じるためには、親も子も捨てよ」
などとほざいた。

冗談ばかり言っているのが、君ら宗教者。このスレだけでも明らか。すべて
現実上の根拠は皆無な「冗談」じゃないかw。

302:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:03:08.69 okt/5AlQ
>>299
世間の人が知らない、気付いてない、もしくは気付かない方がいい、関わらない方がいいことがあって、世間に属さぬ状態、いわゆる精神疾患のような状態も含めてそこで色々と気付くことができると思います。
ただし、そこは通常の世間の意味合いも変わってしまいまして、例えば仏教で言う自他の区別の無いような状態って、通常の世間では境界例とか言う人もいるんじゃないでしょうか?
逸脱し易い状態だと思うので、修行僧の方はそのへんを上手に段階を踏んで進んでいるのだと思いました。

>>301
他のスレでも書いたんですが、科学的に生命を検証する手段がまだないと思うんです。同時に神や霊なども実証する装置がないと思います。
ヒッグス粒子も検出装置が整ってやっとこさ検証されたと。

303:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:03:20.04 4P1VrwEs
>301
昔の人のことばっかいってないで
今の自分ををちゃんとしろ
だらしなし

304:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:05:09.96 okt/5AlQ
昔の人の言ってたことを棄却してもあと検証されちゃうかもしれないw
だからと言って現代で有効に扱えるかというとなんか人によるとしか・・

305:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:14:17.22 okt/5AlQ
じゃあ俺が数ヶ月前に書いた書き込みをもう一度書くわ

「命に遅れをとるな」

306:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:14:28.17 AD9YAkCj
>>302
>科学的に生命を検証する手段がまだないと思うんです。

君のその書き込みで、君の生命は科学的に完全に証明されたw。君が死ねば
2chに書き込めないw。

神や霊の原義も、「生命」。現代の宗教者とは異なり、古代人の生命の把握は
的確であった。

「生命」とは、「生命現象を現す肉体」と定義してもよい。生命現象は、肉体
の隅々にまで現れているからだ。

307:もし一切皆空ならば
14/01/21 21:20:24.95 gxhEianV
>>275
>龍樹はそれを否定し、一切皆空であると釈尊の代弁をしたのだ

大智度論の四悉壇で見ますと、もし「一切皆空」が第一義悉壇であれば、
「一切皆苦」、「無常」、「無我」は悩める衆生の誘引方便の「対治悉壇」となるようです。
理由は「一切皆楽」、「常住」、「有我」の他辺にあるからです。

308:大智度論の作者
14/01/21 21:22:59.64 gxhEianV
>>307
大智度論と中論の該当箇所は219回になりますが(三枝先生の研究より)、同じ意味が
全て異なる言葉で記載されており、これが当時できたのは中論の著者のみとの論理です。

確か本スレでも「空」であれば、「一切皆苦」、「無常」、「無我」は論理矛盾すると
言ってた方々がおられたと記憶します。

309:おじゃる
14/01/21 21:24:21.42 sS5JOZjW
 
>>299 の続き

当時のインド人にとって全く新しい仏教を理解せしめるためには世間的な真理を一応認めて
さらにその理解のうえで
仏教自身が自信をもって説く仏教の真理を人々に理解せしめるというやり方がとられねばならなかった

般若経の解説
URLリンク(www.dia.janis.or.jp)
その当時のインドの人々は
善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない

「輪廻している」と掴み捉えようとしている心の働きを滅させる為に
苦集滅道
止(サマタ禅定)観(ヴィパッサナー智慧)
無我・縁起・空の観察に依存して、そして、最終的には

ウダーナヴァルガのギルギット写本
URLリンク(archives.bukkyo-u.ac.jp)

縁起したものを離れることがある

迷妄を性質として壊滅するもの、その〔ようなもの〕は楽しむに適さない
その〔ようなもの〕を離れることは、思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり、形成作用の寂滅であり、安楽である

310:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:37:24.27 ZYa84DVY
1.見所断の煩悩:

四諦の真理を理知的に理解することで断ち切ることが可能な煩悩、理知的に理解できれば断ち切ることができる比較的克服し易い煩悩。

2.修所断の煩悩:

情、意の面での煩悩。禅定三昧を修行して真理の観知を繰り返し行わないと断ち切ることができない。この煩悩は単なる理知では滅尽不可能な根深い煩悩である。主として、貧、瞋、痴、慢の4つの煩悩。

311:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:40:11.16 4P1VrwEs
>>302
そこのドラクエで僧侶ばっかりのパーティ作ってそうなおっさん、
今夜は冷えるから暖かくして寝るんだぞ
寒いときにトイレでぽっくり脳卒中でいかないように気をつけて
長生きするんだぞ

312:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:41:00.79 4P1VrwEs
ごめん,↑はインキョあて

313:神も仏も名無しさん
14/01/21 21:55:39.84 ZYa84DVY
八顚倒 = (誤った見解)


楽顚倒(快楽主義)

常顚倒(世の中は何も変わらない ずっと同じだよね )

我顚倒(我 わたしがわたしが)

浄顚倒(いつまでも 美しく)

= 中 道 =

無常顚倒(修行しても無駄 無気力)

無楽顚倒(やりすぎ DrSTOP)

無我顚倒(修行を途中で投げ出す)

無浄顚倒(肉体はやがて朽ちる 不浄こそが悟りの道と勘違いする事)

314:神も仏も名無しさん
14/01/21 22:00:35.53 g8A4YO41
Westerns - 104本の動画
URLリンク(www.youtube.com)
Westerns (Full Movies) - 189本の動画
URLリンク(www.youtube.com)

315:おじゃる
14/01/21 22:09:10.89 sS5JOZjW
 
> 見所断の煩悩・修所断の煩悩

 ↓ これですね?

URLリンク(rokkonshojo.blog98.fc2.com)

見所断とは真理(仏法)を理解することによって断ち切ることのできる煩悩
修所断とは修行(瞑想)を実践することによって断ち切ることのできる煩悩です

見所断は見苦所断(けんくしょだん)・見集所断(けんじゅしょだん)
・見滅所断(けんめつしょだん)・見道所断(けんどうしょだん)の四つに分けられます
仏法の基本は四聖諦(ししょうたい)、すなわち四つの聖なる真理とされますが
その四つの真理に対応して見所断を分類するわけです

苦諦(くたい)…この世は苦である
(縁起による諸行無常・諸法無我の世界であって、思い通りにはならない)という真理
集諦(じったい)…苦の原因(苦を集め起こすもの)は煩悩であるという真理
滅諦(めったい)…苦の滅した状態は理想の境地であるという真理
道諦(どうたい)…八正道こそが苦を滅する道であるという真理

316:もし一切皆空ならば
14/01/21 23:12:20.14 gxhEianV
>>315 おじゃる氏
>仏法の基本は四聖諦(ししょうたい)、すなわち四つの聖なる真理とされますが

もし「一切皆苦」が対治悉壇ならば、「四聖諦」は第一義悉壇という論理は成り立ちますか?

>苦諦(くたい)…この世は苦である

入口から成り立たないようですが、四悉壇を使い分けた釈尊も、それを見抜いた龍樹もおそるべし。

317:神も仏も名無しさん
14/01/21 23:37:24.49 okt/5AlQ
>>306
ああ、俺は肉体の無い生命を想定してたので

318:神も仏も名無しさん
14/01/21 23:39:00.08 okt/5AlQ
583 :シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/28(月) 22:44:47.26 ID:CHKqe/0S \    \
  ヽ\、  ^\   はあ~~ 有るものくう!無いものくう!
\  \\ヽ、   ^\、   生成消滅いっさいくう! 
 \  \\ヽ \    |\    初めもくう!終わりもくう!
  \  \  \ \    λ\、   それでも腹へりゃご飯はくう!
   \  \  \ \      \、   いこ去らず!未去去らず!
    \  \   \ \      ^ー)\     去りつつあるもの去るわけねえ!
     \  \   ´⌒ヽ,⌒ヽ,_       ^)\、   形はくう!五蘊もくう!
      \  \    人  λ\ ____   ^)\λ   そう言う俺さもいっさいくう!
       \  「\    、  ヽ/ _ノ ヽ、\    |
        \ \ \    ヽ / ( ○)}liil{( ○)   て
         \  \ \  /    (__人__)  \   (
          \  \ ^ |      |!il|!|!l|    |  r'"
            Z_   ヽ、_\     |ェェェェ|   /  て
             Z_    \______ /   (
               Z_               r'"
                 Z、、   竜樹       (

319:神も仏も名無しさん
14/01/21 23:44:00.34 okt/5AlQ
楽の肯定は堕落。苦の肯定はブラック。
されば程よい苦と程よい楽は理想ではないか?
しかし俺の見た猛者はその極を取っている。
両方の極。

金持ちが出家して苦行して最後は極を捨てようとした。
まるでドラマじゃないか!

まず釈尊は極楽の法を知り反抗期に地獄へと身を投じて開眼しました。
最強の中ですね。
では以前に私がかいた言葉をもう一度書きたいと思います。

「中二という本質」

320:おじゃる
14/01/21 23:45:10.08 sS5JOZjW
 
苦諦(くたい)…この世は苦である
(因と縁の依存によって、思い通りにはならない)という真理

対機説法に依存して
世界悉檀に依存して
各々為人悉檀に依存して
対治悉檀に依存して

このように段階的なものに依存して
そして最終的には、第一義悉檀に依存して

みたいな感じである、とか?

対機説法(たいきせっぽう)
相手の素質・能力に従って法を説くこと
相手の宗教的能力に応じてわかるように法を説くこと

四悉檀(ししつだん)
〔悉檀は 梵 siddhānta の音訳で,教説の立て方の意〕
仏が人々を教え導く四種の方法
世界悉檀(人々の心に合わせて説く)
各々為人悉檀(各人の宗教的能力を考えて説く)
対治悉檀(煩悩(ぼんのう)を打ち砕く)
第一義悉檀(真理に直接導こうとする)の四つ

321:おじゃる
14/01/22 00:06:40.23 LjF49ycs
 
>>320 の続き

人は、戯論を生じて慧眼を破っているので
対機説法に依存して
段階的な方法に依存して
そして最終的には、第一義悉檀に依存して

と言う感じである、みたいな?

中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二
如来は、戯論を過ぎるが、而し
人は、戯論を生ずる!戯論は、慧眼を破る

中論觀四諦品第二十四
衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である
但だ、衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた

322:神も仏も名無しさん
14/01/22 00:22:15.54 pnoehy/u
西部劇映画 - 23本の動画
URLリンク(www.youtube.com)
オールディーズThe good oldies - 200件の動画
URLリンク(www.youtube.com)

323:ポータ
14/01/22 01:32:21.87 pHe46pOh
>>201 セラピスト氏

>これはですね、真理真実のワード自体に既に矛盾を内包している訳です。
>説明すれば説明する程に、それは矛盾の無限ループに陥るのであります。

>この矛盾は覚者なら既に信解了承している訳で、この了解位相を空なる。と言うておるんです。
>空が説明不可なのは、このような理由からです。

>ですから空が真理真実ではないのです。
>空はこの矛盾のない円相の位相を言うのです。

>>となり、それにしても幼稚すぎませんか。

>おそれいります、
>先ず、何が矛盾なのか?ここから入らねば戯論の域を脱しきれません。
>それより、このスレッドの書き込みそのものは戯論なのですよ。
>空は戯論を通してしか説示し得ない。

おじゃる氏のいうところの対機説法とも受け止められますが、
つまり、仏教も神秘主義(オカルト)だということでしょうか。
(このスレでは勘違いする方はおられないと思いますが、オカルトとカルトは違います)

一般で言うところのセラピストの立ち位置は、やはり各セラピストさんで違うでしょう。
しかし基盤としている心理学というのは、心理分析であり宗教と大いに重なってしまいます。、

そして神秘に突っ込んでいくと、ある分析手法が危くなりかねないし、
心理分析学手法に突っ込んでいくと、膨大な精神領域に目を閉じているのではないかといった
膨大なこぼれに対する良心の呵責的な疼きは免れない等。

ですから、科学分野と申しましても、精神領域を扱うという事で、高度であると察します。

324:神も仏も名無しさん
14/01/22 01:43:55.29 oyul2Bd8
>>318
わろたww

325:神も仏も名無しさん
14/01/22 03:07:05.29 QLln9WFZ
>>307
>>308
>「一切皆苦」、「無常」、「無我」は悩める衆生の誘引方便の「対治悉壇」となるようです。
>理由は「一切皆楽」、「常住」、「有我」の他辺にあるからです。

なりません
第一義はあくまでも四諦です
三法印も四諦に含まれます
そもそも苦も空だから滅する事が可能なのであり
外道を行う人にはこの部分が逆立ちをしても理解出来ない難所の一つかと

326:神も仏も名無しさん
14/01/22 03:09:03.97 QLln9WFZ
>>318
わろたw

327:神も仏も名無しさん
14/01/22 03:22:01.53 QLln9WFZ
龍樹の思想は釈尊の理法の代弁にあたり
それをして中観となる訳で、一時空を否定するかの論になるのは
龍樹の論では
仮観も空観も両極端の見解であり、中道を是とした釈尊に倣うなら
仮もあり空もある中間を行え、と教える訳です
それが中観です

328:もし一切皆空ならば
14/01/22 05:57:52.37 IIUVKA2b
>>325
>なりません
>第一義はあくまでも四諦です

>>327
>仮観も空観も両極端の見解であり、中道を是とした釈尊に倣うなら
>仮もあり空もある中間を行え、と教える訳です それが中観です

お二方ともコメントを有難うございます。もし『一切皆空』ならばの前提条件が間違いのようですね。

329:一切皆空と言うな
14/01/22 06:00:07.05 IIUVKA2b
>>328
(ご参考)石飛先生コメント
「『一切皆空』ということが第一義悉檀であれば」、それは説かれることはないですよね。 説かれてしまえば、(そして、それが消えずに残れば)第一義悉檀とは言えないです。
「空性とは、一切の見解からの出離である」と説かれます。 「一切皆空」は、口に出したらパラドックスに陥ります。
(中略)
三法印で、涅槃寂静と言われるのはなぜか、納得できました。涅槃は安楽であるとも言われますが、それは、三法印の中にはないです。

330:おじゃる
14/01/22 06:52:20.62 LjF49ycs
 
> 「『一切皆空』ということが第一義悉檀であれば」、それは説かれることはないですよね
> 説かれてしまえば、(そして、それが消えずに残れば)第一義悉檀とは言えないです
> 「空性とは、一切の見解からの出離である」と説かれます
> 「一切皆空」は、口に出したらパラドックスに陥ります

URLリンク(www.wikidharma.org)
当時のインド人にとって全く新しい仏教を理解せしめるためには世間的な真理を一応認めて
さらにその理解のうえで
仏教自身が自信をもって説く仏教の真理を人々に理解せしめるというやり方がとられねばならなかった

龍樹が『中論』で
仏は二諦によって、衆生のために法を説く
一には世俗諦、二つには第一義諦なり
といったのは、この趣旨をうけたものである

この二諦を教理や教学の体系として説いたのが部派仏教教学の中では大衆部の末派の説仮部の真仮分別であり
真を真諦、仮(け)を俗諦というのである
このような傾向の中で
大衆部と逆に保守的な立場の上座部でも苦集滅道の四諦の組織付けという形の二諦説が説かれた
それが『大毘娑沙論』に説かれる真俗二諦であり
苦集二諦を俗諦、滅道二諦を真諦、苦集滅は俗諦、道諦は真諦などと
四種に四諦を配当して二諦説をなすのである。さらに、このような方向で
因縁和合の現象法を等諦、五薀の法を第一義諦
とする法救(ほっく)の『雑阿毘曇心論』があり、世親は『倶舎論』で次のように二諦説を説明している

331:神も仏も名無しさん
14/01/22 07:08:51.42 BA9Qup8Q
>>323
> つまり、仏教も神秘主義(オカルト)だということでしょうか。
> (このスレでは勘違いする方はおられないと思いますが、オカルトとカルトは違います)

> 一般で言うところのセラピストの立ち位置は、やはり各セラピストさんで違うでしょう。
> しかし基盤としている心理学というのは、心理分析であり宗教と大いに重なってしまいます。、
> そして神秘に突っ込んでいくと、ある分析手法が危くなりかねないし、
> 心理分析学手法に突っ込んでいくと、膨大な精神領域に目を閉じているのではないかといった
> 膨大なこぼれに対する良心の呵責的な疼きは免れない等。

> ですから、科学分野と申しましても、精神領域を扱うという事で、高度であると察します。

なるほど。

332:神も仏も名無しさん
14/01/22 07:18:01.59 jZThAcvn
>>329
アホか
一切皆苦は四諦に包摂されとるだろ
何が「一切皆苦と言うな」だよw

苦ってのは解脱の境地から見た真理の事で苦しみだけの意味じゃないんだよ
だから法印に含まれ三法印でも四法印でも言われるんだよ
手かざしインチキ宗教の奴みたいな勝手論言うなよ

333:一切皆空と言うな
14/01/22 07:22:39.78 IIUVKA2b
>329 :一切皆空と言うな:2014/01/22(水) 06:00:07.05 ID:IIUVKA2b

>>332
>一切皆苦は四諦に包摂されとるだろ 何が「一切皆苦と言うな」だよw

334:神も仏も名無しさん
14/01/22 07:23:12.83 3ejJ6gOL
神秘的な体験を修養の中で通る人がいるというのは仏僧の方の本に書いてありました。

335:神も仏も名無しさん
14/01/22 07:24:40.38 jZThAcvn
>>329
お前の論理だと

諸行は無常だから諸法は無我なのに苦にはならない
だから涅槃が寂静なこともどうしても理解出来ない事になる

336:おじゃる
14/01/22 07:26:56.61 LjF49ycs
 
>>330 の続き

龍樹の中論
URLリンク(home.att.ne.jp)
第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察
9.
世俗諦(せぞくたい)勝義諦(しょうぎたい)
この二つの真実の間に引かれた区分を
理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも
理解しないであろう
10.
現象的真実の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性をすることなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない
18.
依存的にともに生じたものは何であれ
それが空として説明されるものである
依存的な名称であるというそのことが
それ自体が中観なのである
40.
依存的に生じること(縁起)を理解する者は誰であれ
苦しみ(苦諦)をも理解し
そして、それが生じるということ(集諦)を理解し
そしてその方法(道諦)とともに
それが消滅するということ(滅諦)を理解するのである

337:神も仏も名無しさん
14/01/22 07:28:14.32 jZThAcvn
>>333
一切皆空は龍樹の見解だろ
一切皆空がそんなに気に入らないのか?
諸行無常ゆえに諸法無我だから一切皆空になるんだぞ?
全ての事象は空故に変化できる、空じゃなかったら変化できない

いいか?有無の上位概念が空なんであって、こんなのは龍樹じゃなくとも
仏教をちゃんと学んでるやつはみんな知ってるし疑問にも思わないんだよ

338:神も仏も名無しさん
14/01/22 07:33:01.08 jZThAcvn
手かざしは空が理解出来ないのかな
手から出ると思ってるビームが実体とか思ってるんだろうか

339:おじゃる
14/01/22 07:52:09.75 LjF49ycs
 
>>330>>336 の続き

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
URLリンク(homepage3.nifty.com)
12、学生ジャトゥカンニンの質問
1100
バラモンよ
(想受を滅させる因と縁に依存して)
名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には
諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない

18、一六学生の質問の結語
師(ブッダ)は、マガダ国のパーサーカ霊地にとどまっておられたとき、以上のことを説かれ、
(バーヴァリの)門弟である一六人のバラモンに請われ問われる度ごとに、質問に対して解答をのべた。
もしもこれらの質問の一つ一つの意義をしり、理法を知り、
理法にしたがって実践したならば、老衰と死との彼岸に達するであろう。
これらの教えは彼岸に達せしめるものであるから、それ故にこの法門は「彼岸にいたる道」と名づけられている
1129
一つ一つの質問に対して<目ざめた人>が説かれたように
そのように実践する人は、此岸から彼岸におもむくことであろう
1130
最上の道を修める人は、此岸から彼岸におもむくであろう
それは彼岸に至るための道である。それ故に<彼岸にいたる道>と名づけられる

340:神も仏も名無しさん
14/01/22 08:01:54.47 Que7C0XJ
『正法は唯修して到るべし』

「佛を礼すれば佛魔頂上より入る。経を誦ずれば法魔口門より現ず。
一法を見ざるは木頭頑石。萬象の主となるは転変の妄識。正法は唯修して到るべし。
知解のつくすべきにあらず」

訳: 仏を礼拝すれば、仏魔が頭頂から入る。経典を読誦すれば、法魔が口より現れる。
ただ一つでも法の(真実なる)ありようを見ることがなければ、
(人間であるといっても)木偶人形の頭や路傍の石ころと、何ら変わることはない。
(現前に展開している)森羅万象を作り出しているのは、
転変(てんぺん)する妄識である。
仏の教えは、ただそれを行ってのみ理解し、体得するべきである。
(実行することなく、)ただ知識として理解し尽くされるようなものではない。

URLリンク(www.horakuji.hello-net.info)

341:神も仏も名無しさん
14/01/22 08:05:13.60 jZThAcvn
>>340
真言宗ではそうでも釈尊はそんな事言って無い

342:神も仏も名無しさん
14/01/22 08:11:11.31 25HknGqW
釈尊の言う行とは正見を得る為の清浄行の事であり
そこから正しい智慧が生ずるので教えられたのである
思考停止のまま行じて良い等とは教えていない

343:神も仏も名無しさん
14/01/22 08:16:10.06 Que7C0XJ
>>341
ちなみに、おじゃる氏が紹介していた山下良道氏も、
しきりに、「Thinking Mindを離れなさい」とおっしゃってます。

「教えとしては Thinking Mind を落としあるがままのものに直接触れるという事で、
メソッドとしてはアーナパーナ・サティ(呼吸を観る瞑想)と
経行(きんひん、歩く瞑想)を用いています。
Thinking Mind とは思考のことで、これがあると気づき(サティ)は生じない、
思考を落とすことによって気づきが生じるというものです。」
URLリンク(cyberbaba.blog57.fc2.com)

344:おじゃる
14/01/22 08:20:15.40 LjF49ycs
 
>>330>>336>>339 の続き

因と縁の依存によって
五蘊の仮和合の
仮に現れている状態であるからこそ

段階的な方法に依存して、そして、最終的には
「真理に直接導こうとする第一義悉檀と言う方法に依存して」
と言う事を理解する事が出来ない

と言う心の働きが現れている、みたいな?

URLリンク(ja.wikipedia.org)
『中論』の原義から言えば
「空」(空性)も
「仮」(仮名・仮説・仮設)も
「中」(中道・中観)も、全て
「縁起」「無自性」の言い換えであり
同じ内容を違う言葉・表現で
「同義語」として使用している

345:おじゃる
14/01/22 08:39:28.47 LjF49ycs
 
>>343 ID:Que7C0XJ さんへ
> Thinking Mind とは思考のことで、これがあると気づき(サティ)は生じない
> 思考を落とすことによって気づきが生じるというものです

ご教示ありがとうございます

次は ↓ これを聴いてみます

URLリンク(www.onedhamma.com)
13/11/16 コペルニクスのように、天と地がひっくり返る
投稿日時: 2013年11月17日
2013(平成25)年 名古屋接心法話 山下良道(スダンマチャーラ比丘) 法話

礼拝帰依 - ブッダン・サラナン・ガッチャーミ  屮(_ ._)屮

346:神も仏も名無しさん
14/01/22 08:55:03.59 3842sOwE
>>329
>(ご参考)石飛先生コメント
>「『一切皆空』ということが第一義悉檀であれば」

『一切皆空』→四諦は還滅された世俗諦だから、第一義ではない。
従って、石飛道子は誤っている。

347:おじゃる
14/01/22 09:02:08.26 LjF49ycs
 
>>345 の続き

URLリンク(www.horakuji.hello-net.info)
妄識(もうしき)
唯識(ゆいしき)で説かれる深層意識
唯識では、我々が一般に言うところの意識は、「心(しん)・意(い)・識(しき)」の三階層からなっていると説く
「心」とは、いわゆる五感と意識とを指し
「意」とはその奥にある、潜在的自我意識で、これを「第七末那識(まなしき)」という
「識」とは、さらに下に展開する、ほとんど意識できない深層意識で、この意識が「私が見ている世界」を作り出しているという
これは「第八阿羅耶識(あらやしき)」という
唯識学派によれば、自分の深層意識が作り出した幻想の世界を、五感と意識を通して自我意識が認識
そこに自分という実体、物事という実体があると錯覚している

URLリンク(ja.wikipedia.org)
末那識(まなしき、Skt:Manas-vijnaana)
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

URLリンク(ja.wikipedia.org)
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)の
二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)

348:セラピスト
14/01/22 09:28:55.14 lopvPPzJ
>>323ボータ氏
>そして神秘に突っ込んでいくと、ある分析手法が危くなりかねないし、
> 心理分析学手法に突っ込んでいくと、膨大な精神領域に目を閉じているのではないかといった
>膨大なこぼれに対する良心の呵責的な疼きは免れない等。

私は禅宗系ですので、書き込みは中論がベースになりますね。
勝義世俗二諦において、世俗の観点で心理分析しているに過ぎません。
しかしながら仏教における勝義諦に論点が成されれば、それはそのように書き込みしています。

中論というのは人間の思考に関する分析をしているのですよ。
だから、勝義世俗の二諦に成る訳です。

そもそもボータ氏は仏教に関心があるのですか?
貴方の書き込みを拝するに、そのようには見受けられないですけど。
というか・・・・
仏教でも他宗派(日蓮系など)なら、私の書き込みは理解不能かと思います。

349:神も仏も名無しさん
14/01/22 10:47:54.75 H76ROQ76
三科
切一切有部の世界の構成要素は 五蘊 十二処 十八界 三種のカテゴリーで構成される

ここで注目されるのは 五蘊の 識 が → 十二処では 意 となり →

→ 十八界では 六根の意界と六識の意識界 となるのと

五蘊の 受 想 行 が 十二処では 法 となり → 十八界 六境の法界に繋がる事であろう

350:神も仏も名無しさん
14/01/22 11:06:50.16 UeSjF72O
俺はゴータマの「生まれによってバラモンになるのではない」という趣旨の
現代的に言えば機会の平等とも受け止められる発言は
むしろ自意識の肥大化につながるんじゃないのという疑問を抱いているが
これに対する宗門レベルでの回答をご存知の人いる?

351:セラピスト
14/01/22 12:41:09.19 lopvPPzJ
>>350
仏教では、例えば健常者に生まれてこようと障碍者に生まれてこようと、等しく平等。
ということで、
これはキリスト教でいう「全ては神の子」と同じだよ。

子供は「授かりもの」だから、
①神から委託されて育てる。
②仏から委託されて育てる。
共に、同じ。

>むしろ自意識の肥大化につながるんじゃないのという疑問を抱いているが

自意識の肥大。というのは子供のことか?よく分かりません。

352:神も仏も名無しさん
14/01/22 14:47:56.45 0DgqflNB
>>346
第一義やら勝義やらも、言い出せば世俗諦だ

353:神も仏も名無しさん
14/01/22 14:49:17.97 H76ROQ76
五位 の 心 → 意 → 心不相応(心と相伴わないもの)→五蘊の 行 と 識 となるらしい

行 からは 心不相応 の他 心相応(心の相伴なうもの)と繋がっていて

識からは → 六識 → 五位 の 心 に つながっているらしい。

354:神も仏も名無しさん
14/01/22 15:09:44.00 QBKiIR5f
>>343
釈尊を勝義諦と観れば山下良道氏は世俗諦だ
間違ってはいないがそれが総てではない
山下氏のもとに行って見れば解るが、何をどう瞑想するのか
の道順やその意味を詳しくちゃんと教える
ただ闇雲に坐って呼吸を観る訳ではない
それでは車輪に鞭を入れてるだけになるのだ
自分を拠所として他を拠所とせざれ、法を拠所として他を拠所とせざれ
つまり、人が言っても経に書いてあっても鵜呑みにするな
とは釈尊の教えである

それと、山下氏が言う”Thinking Mind”とは雑念の事である

355:神も仏も名無しさん
14/01/22 15:29:36.82 QBKiIR5f
>自分を拠所として他を拠所とせざれ、法を拠所として他を拠所とせざれ

これな、マヒカリ一在家が勘違いしてたみたいだから説明しとく

”自分を拠所として他を拠所とせざれ”
これは自分こそ仏たる当体なので他のものを当体とするなって意味だ
例えば御み霊とか文字曼荼羅とか仏像とかな、これらは全部「他を拠所」だからダメだと

”法を拠所として他を拠所とせざれ”
こっちはこの世界の道理こそ仏の法の実態なので他のものを法と見做すなって事
釈尊の理法はこの世の道理を解明しているに過ぎない
その世の道理を我等が受け取る元は六根に過ぎない
釈尊はこの六根と六根に受ける情報と六根が受けとるメカニズムとが一切法だと教える
法を拠所とはその一切法たる内側に照らせと言う事だ
つまり、瞑想修行に尋ねろって事を言っている

手かざしに尋ねても迷いが晴れない理由もこれである

356:神も仏も名無しさん
14/01/22 15:35:33.24 TtOpWXvt
ここでは、というか多くのところでは共通認識にアプローチする方が相手に通じる。
仏教の人にはその人たちの共通認識、他の分野の人たちにはその人達の共通認識、これが議論の限界。
「何処何処のソーセージが美味い」とは、多くの人がソーセージを同じように捉えているから。
各個がソーセージを同じように捉えているかどうかは絵を描かせてみたり、ソーセージについて記述させてみればよいだろう。
記述の場合は個人差が出てきそうだが、このソーセージに当たるのが仏教方面にまとめられている知識で、高度な概念は記述がむずかしいものもあるとか。

357:神も仏も名無しさん
14/01/22 15:41:14.71 QBKiIR5f
>>356
ソーセージの話題の時に、ハムだとこういう旨いのが有るとか、干し肉だとこうだとか
比較するのは構わんと思う、禅宗の連中は激怒するかも知れんがな
しかしだ、

ここのマヒカリ信者などはソーセージの旨みを蒲焼さん太郎で再現させようと必死だから言われるんだ
姑息な法盗人だとね

358:神も仏も名無しさん
14/01/22 15:47:00.87 TtOpWXvt
自分をすみかとして法を住処とせざれというなら、ここで法を議論する必要もないけどここに何かを書く場合は共通認識されている法などで議論した方がいいですねと。

359:神も仏も名無しさん
14/01/22 15:57:58.82 6hx8fdnr
>>358
どれが共通認識なの?

360:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:01:06.07 6hx8fdnr
>>358
例えば御み霊の効力を仏教経典は証明してくれない
手かざしは一般的な行ではない
って事?

361:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:06:56.97 3ejJ6gOL
>>359
仏教用語や仏教理論じゃないの?
自分を住処にするなら、方も仏教用語もいらないし、自分を住処とするという理論もいらないはずなんだけど、議論するならそれがいるねという話。

362:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:12:38.70 vm7vw6Ko
えんまの餌やり教祖養殖こりないねえw

363:セラピスト
14/01/22 16:18:34.93 lopvPPzJ
>>358
「自分をすみか」にする。というのは、まず「自分とは何か?」を知らねば先に進みませんよね。
だったら中論が良いかと思います。

仏教というのは、元々は人間への洞察ですから。
この洞察を論書で体系付けたのが中論です。

自分のことが解れば、輪廻とか諸問題は全てがその派生問題になります。
つまり、それら一切が解決される。

またこのスレには、メンヘルで行き場のなくなった人が最後の救いとしてロムしてる。
「自分とは何か?」を知るには仏教が良い。
苦集滅道。苦の解放こそ仏教の奥底なり。

364:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:20:25.69 6hx8fdnr
>>361
>自分を住処にするなら、方も仏教用語もいらないし

自分が拠りどころなのは何故か?を説明してやる必要は有るでしょ
その為に経典も仏教用語も必要になるでしょ

>自分を住処とするという理論もいらないはずなんだけど、

仏になるのは自分だし、それを行うのも自分だし
仏になる為の力みたいのが有るとするならそれも自分の中だし
それを説明するのが経典だし、行う方法が仏教の行法なんだし

君は何を言ってるんだw

365:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:25:02.62 6hx8fdnr
>>363
>この洞察を論書で体系付けたのが中論です。

はい、大間違いです
中論は説一切有部等の邪義を破する為に説かれた論書であり
そこに言われる論の根幹はあくまでも釈尊の教説であり
釈尊の教説を龍樹の時代の最新に説明しなおしては居ても
釈尊の教説を乗っ取る論述はされていません

そしてそんな龍樹の考えを勘違いしたのが中観派です

366:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:27:53.62 vm7vw6Ko
で、365は、中論のどこが、どのようにおかしいのか詳しく教えてちょうだい。

367:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:32:57.65 6hx8fdnr
>>366
中論はおかしくない
おかしいのは中論を読んで龍樹を教主と見てしまう心の方
龍樹は偉大な諸仏の一人だけど、釈尊の説あっての龍樹の説なので
中論を理解したなら釈尊の教説に戻らなければ、論書である意味が無い
論とは経を説明する参考である
経とは釈尊の説を記述したものである
つまり、いつでも教主の説が最重要となる

368:セラピスト
14/01/22 16:35:30.27 lopvPPzJ
>>366
中論というのは、人間の思考がそもそも狂ってる。ということが書いてある。
簡単に言うとだね。

だから、狂ってない状態を勝義諦
狂ってる状態を世俗諦と二諦に分類している。

つまり狂ってる頭だと、全てが狂っている思考しかできない。
ってことだよ。

>どのようにおかしいのか詳しく教えてちょうだい。

それを気づくのが禅宗における「気づき」というもんだよ。

369:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:45:57.34 vm7vw6Ko
>中論を理解したなら釈尊の教説に戻らなければ、論書である意味が無い

半分同意。ありがとう。

368ハッタリせらぴすとw何いっていやがるw

370:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:46:38.28 XsqiGEfN
>>366
解った?中観派やその後の大乗仏教の多くは中論を土台としてる教学体系をなしてるのよ
その結果何が起きたかって言えば、爾前迹門って邪義がまかり通っちゃったって事
古い教義を現代的に訳したからって、古い方を捨てちゃうのは大間違いでしょって話
それだと今時の経典翻訳者はみんな仏陀って事になっちまう
でも、中観派やその類の連中はバカじゃなかったからちゃんと「如是我聞」や「爾時世尊」を入れて
形だけは釈尊の説を装った訳、でも実態は爾前迹門であり始成正覚として釈尊の説は二番手とされた
釈尊の説では悟れないとか仏になれないとまで言う宗派も居る訳だ
それは釈尊の理念に反する行為なのでダメだろって話

371:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:46:47.60 vm7vw6Ko
>だから、狂ってない状態を勝義諦
狂ってる状態を世俗諦と二諦に分類している。


こういう禅は無いw
ハッタリがw

372:神も仏も名無しさん
14/01/22 16:52:22.98 vm7vw6Ko
爾前迹門は日蓮だろう?大乗仏教と固定するのも無理がある、
当時の日蓮時代の中古天台から、日蓮の、その思想がでたのであって。

>始成正覚
神話的問題ね、でも、これは中論というよりも、歴史的には中国天台、中国華厳、密教
の傾向では?

373:セラピスト
14/01/22 16:54:35.22 lopvPPzJ
>>371
>こういう禅は無いw

私は中論に関しては詳しくは書かないんだよ。
書いたとしても「机上空論」とか煽りが入るのが解っているからねw

だけど、私の書き込みで意味の通じる人間はいくらでもいる。

374:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:00:09.41 6hx8fdnr
智顗の説ではあるが摩訶止観にこうある
「境について法身となし、智について報身となし、起用について応身となす」

境ってのは瞑想中のあの空間全部の事を言い、それは現実世界と不可分なので現象界も含めて言い
智とは智慧の事で気付きの事で悟りそのものの事を言い
起用とは瞑想を行ってる姿、それを行う自分そのままを言う

つまり?修証一如になるのが悔しいねw
っても、道元師自体は釈尊の本当の教えマニアの人だったから間違ってないと思うよ
時代的に北伝仏教しか得られなかったからあの辺が限界だったんだろうし

375:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:07:52.67 vm7vw6Ko
>つまり?修証一如になるのが悔しいねw

どこが、おかしい?教えてちょうだい。
セラピストはアタマ悪いから、これを提示して批判したのに理解できぬw

376:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:09:09.08 6hx8fdnr
>>372
日蓮宗などが始成正覚を言うね
でも他の宗でも例えば捨閉閣抛や教主大日や語録重視やで似た様なもんでしょ

377:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:12:10.85 3842sOwE
>>367
>論とは経を説明する参考である
>経とは釈尊の説を記述したものである
>つまり、いつでも教主の説が最重要となる

アホか、
完全に妄想だw
いずれも筏でしかない。
なんの為の「如理作意」(中部15)だ。

378:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:14:21.74 vm7vw6Ko
>智顗の説ではあるが摩訶止観にこうある
「境について法身となし、智について報身となし、起用について応身となす」

と修証一如につながるのは理解できぬな。

一如故に、

天台だと三昧状態の上記を統合される。
修証一如は、対象と自己が不可分であるのみ。
意味が違う。

379:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:15:29.67 6hx8fdnr
>>377
アホかw
筏も妄想に過ぎない
如理作意は悟れた時の事であり
経を読んで理解出来ず行えもしないものを済度する為に論がある

お前は自意識過剰すぎて法を曲げてるに過ぎない

380:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:16:34.10 vm7vw6Ko
>でも他の宗でも例えば捨閉閣抛や教主大日や語録重視やで似た様なもんでしょ

強引過ぎw
密教、天台、禅は
捨閉閣抛は選択していない。
しているのは真宗と日蓮宗、しいて言えば浄土宗。

381:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:18:49.29 6hx8fdnr
>>378
法報応の三身とは釈尊のことであり、
そうしなさいと教えた釈尊の教えを正直に行う凡夫の我が身そのままの事だよ
つまり、身は三つなれど一体って事

382:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:18:58.06 vm7vw6Ko
>教主大日や語録重視

空海の著作は当時の手に入る諸仏教を把握して総合した論書があります。

383:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:21:10.12 6hx8fdnr
>>382
左道タントラ?

384:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:25:36.91 vm7vw6Ko
やっぱり、381の内容だと修証一如の意味解ってないじゃんw

383の回答、知識無し丸出しやんw

きちんと調べて書き込もうw
仏教議論スレなんだから、正確な知識を。

385:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:31:45.02 6hx8fdnr
>>384
いや、君が修証一如を理解出来てないと思うよ
で、君みたいな生半可が横浜の総持寺みたいに密教取り入れちゃう訳で

386:神も仏も名無しさん
14/01/22 17:36:40.71 6hx8fdnr
仏の道、仏の悟りを求めんが為に坐禅を行う、これ即ち修なり
修を行うそのままの姿こそが、これ即ち悟りであり証なり
修証一如とは是なり

387:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:01:32.51 3842sOwE
>>379
>如理作意は悟れた時の事であり

正確に経典を読もう。
悟りそのものなるものがあるわけがないw

如理作意は、縁起の知覚事実=時空事実(因果)関係を正確に見て妄想を排除することであって、
般若智直覚ではない。

トンチンカンな理解しかできていない奴だ。
質問箱へ行け!

388:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:06:17.59 6hx8fdnr
>>387
馬鹿者w
如理作意は理の如く作意するであり、理に適ってそれ以上の疑義は無い事を言うんだよ
おめーは教科書通りにしか書けないのかアホンダラ

389:セラピスト
14/01/22 18:08:09.75 lopvPPzJ
>>323ボータ氏
>おじゃる氏のいうところの対機説法とも受け止められますが、
>つまり、仏教も神秘主義(オカルト)だということでしょうか。
> (このスレでは勘違いする方はおられないと思いますが、オカルトとカルトは違います)

おそれ入ります。
私はオカルトでもカルトでもありません。
この違いについては、即刻承知しております。というか、
ジョークにしては、なかなかウイットに飛んでいるかと思います。

>一般で言うところのセラピストの立ち位置は、やはり各セラピストさんで違うでしょう。

ええ、勿論違います。私は主に自己愛性人格障害とかの人格障害が専門です。

>しかし基盤としている心理学というのは、心理分析であり宗教と大いに重なってしまいます。

ええそうです。私の得意分野は宗教をベースとした心理分析です。、

390:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:09:05.57 3842sOwE
>>388

じゃ、あんたはそれでゆくがいいw

391:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:12:31.18 6hx8fdnr
>>387
あのなぁ、仏教で言う作意ってのは瞑想で得る智慧によって悟る直覚の事なんだよ
考えて出した答えの様で実は考えた訳じゃ無い真理の答え
と、説明し出した時点でこれも世俗諦になる

392:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:27:46.95 3842sOwE
パーリ仏典 一切煩悩経を正確に読もう。

393:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:28:20.06 6hx8fdnr
>>390
ああそうするよw
序に悟りも書いとくぞ
悟りとは


                 ↑
              ←これだ→
                 ↓



空気中で空気を見せても空気は見えない
水中で水を見せても水は見えない
点は本物なら目に見えない
線も本物なら目に見えない
仏も世間では見えない

394:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:32:27.91 Que7C0XJ
>>354
>それと、山下氏が言う”Thinking Mind”とは雑念の事である

雑念も含むんだけど、Thinking Mindというのは、
普段我々が私の主体だと思い込んでる"心"のことだと思う。
つまり、普段の思考状態全般。エゴとか雑念に満ちている普段の心のことね。

395:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:33:34.85 6hx8fdnr
>>394
それも雑念、捨てろ

396:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:33:54.22 3842sOwE
お気の毒に、がんばってください。

397:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:43:23.29 6hx8fdnr
経を読んでても答えは得られんぞw
得られるのは修行した気分だけだ

398:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:49:43.86 3842sOwE
>>393>>395>>397

法に悖り、全面却下

399:神も仏も名無しさん
14/01/22 18:55:52.57 H76ROQ76
>>393
・空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処 の
・非想非非想処を表現したいのかな?

400:神も仏も名無しさん
14/01/22 22:53:50.63 IIUVKA2b
>>328 
>(ご参考)石飛先生コメント
>「『一切皆空』ということが第一義悉檀であれば」、それは説かれることはないですよね。 説かれてしまえば、(そして、それが消えずに残れば)第一義悉檀とは言えないです。
>>346 Aさん
>『一切皆空』→四諦は還滅された世俗諦だから、第一義ではない。 従って、石飛道子は誤っている。

>>352 Bさん
>第一義やら勝義やらも、言い出せば世俗諦だ

Aさんは石飛先生と違ってないのに、先生は間違っているとおっしゃってます。
Bさんは石飛先生のコメントをよく咀嚼しているように思います。

『一切皆空』と主張すれば空観に偏り、空観と仮観の両極に偏らないのが中観だとある住人が宣言しておりましたね。

401:神も仏も名無しさん
14/01/22 22:55:35.83 IIUVKA2b
『一切行苦』と『諸行無常』も第一義悉壇ではないでしょう。
『一切』も『諸行』も有為の範囲であり、無為(涅槃、如来)は含まれないからです。
ただし『一切智』という場合の『一切』には無為も含まれるのは、『一切』という言葉が空性だからかと考えます。

402:おじゃる
14/01/22 23:15:58.91 LjF49ycs
 
> 『一切皆空』と主張すれば空観に偏り、空観と仮観の両極に偏らないのが中観だとある住人が宣言しておりましたね

とりあえず、仮に(仮設として)
動(うご)き・働(はたら)き・変化しているもの
これが空性である
と言う意味であると言う事にして下さい

(そうしないと話しが先に進まないので…)

因と縁の依存によって
五蘊の仮和合の
仮に現れている状態であるからこそ

段階的な方法に依存して、そして、最終的には
「真理に直接導こうとする第一義悉檀と言う方法に依存して」
と言う事を理解する事が出来ない

と言う心の働きが現れている、みたいな?

URLリンク(ja.wikipedia.org)
『中論』の原義から言えば
「空」(空性)も
「仮」(仮名・仮説・仮設)も
「中」(中道・中観)も、全て
「縁起」「無自性」の言い換えであり
同じ内容を違う言葉・表現で
「同義語」として使用している

403:神も仏も名無しさん
14/01/23 00:02:34.30 P/2RhIyU
>>400
そもそも、
自分のそうした観察の仕方(観察用眼鏡のかけ方)から、
そもそも顛倒してるんだがな・・・。

お前の最悪な所は、
すべて解った上で、その上でそれを無視して、あの手この手で、押し通そうとするトコだなw

404:ポータ
14/01/23 01:15:13.43 SCLLcVXJ
>>348 セラピスト氏

>だから、狂ってない状態を勝義諦
>狂ってる状態を世俗諦と二諦に分類している。

>つまり狂ってる頭だと、【全てが狂っている】思考しかできない。
>ってことだよ。

二諦に分類するだけではなく、狂っている状態を世俗諦であると喝破でしょうか。

いくら段階を用いても、導きのほとんどはカルト性を内面に保持する者に対して(カルトは外部に先にあるだけではない)無駄であるばかりでなく、
その説法をして、その説法を拠り所としてカルトが生じせしめ、
世俗締が、カルトの土壌をつくりバックアップしているとも云えるでしょう。

狂っている者を慰めるという慈悲心があったとしても、段階的に導くということが理解できなければ、カルトは肥え太るだけであります。

空しいものとなるのは、狂っておればたとえ慈悲心を持ってこようが、【全てが狂っており】通用しない。

なぜなら、狂っていない者なら、例えば学校の勉強も純粋に勉学が楽しくて少しづつステップアップしていき、普通に効するでしょう。
しかし、勉強をする動機が違うと解答用紙に記憶訓練の成果は書き込めましても、
その内面はますます病むでしょう。

親が、出世だ、金だ、世間体だと、まだ柔らかい子供の行為の一つ一つから自由な動機を奪い、
親の動機と目的に差し替える様なことをし続けるのは洗脳状態であり、
何をするのも動機がすべて狂ってしまうでしょう。

親がカルト宗教にはまっておれば、子育てに同じような影響があると考えます。

自分で判断しなければならない年齢に達した時、洗脳を求めて彷徨するかもしれませんし、あるいは自己を探すあまりに、ベクトルが変質的な自己愛(執着)に向けられ、ことごとくの動機が狂ってしまうかもしれませんね。
君が行き場を失った方々も、ここを最後の拠り所として(>>363)
ロムっていると言ったのは、その彷徨の事もあるのかな、思いました。

405:ポータ
14/01/23 01:31:48.24 SCLLcVXJ
>>348>>368でしたね、一度に読んで前後してしまい失礼しました。

>>348
>そもそもボータ氏は仏教に関心があるのですか?

私は、そもそも仏教に関心があるのですか?(笑)

少し笑いましょうか。
URLリンク(www.youtube.com)

もう一発笑いましょう。
仏教の有無(あるない)輪廻転生(幼虫)を
クリスマス、復活を舞台に融合させて、爆笑です。
URLリンク(www.youtube.com)

406:神も仏も名無しさん
14/01/23 03:56:55.85 qkT1krlm
>だから、狂ってない状態を勝義諦
>狂ってる状態を世俗諦と二諦に分類している。

病気とは、不特定多数人の平均からの有意な偏倚で、本人又は他者に害を
及ぼす状態。

狂っているのは、勝義諦(宗教信者)であることは明らか。圧倒的多数の
生活者(不特定多数人)は、宗教などには興味はない。

407:神も仏も名無しさん
14/01/23 05:29:17.36 o0oGZVgB
道元「仏法には修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の弁道すなはち本証の全体なり」
「一分の妙修を単伝する初心の弁道、すなはち一分の本証を無為の地にうるなり」

初心=ただの風景=本証 を無為の地に得るなりです
得るも得ないもない、汚すことのでいない、初心=風景、不染汚の修証です
正師は「これ」といい、邪師は「あれ」といいます、一目瞭然です

キチガイは「これ」を汚すんです
「自ら運びて万法を証する」
脳内妄想でもって世界をはかるんです、脳内世界で世界を覆う=迷盲、修羅地獄畜生の風景です

そうではない、万法を証するその手を休めるんです
すると「万法進みて自己を修証する」ということがおきます

「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、
これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。」

408:神も仏も名無しさん
14/01/23 05:45:13.43 rWJJwzJ+
それにしちゃ総持寺は密教もやるよね
只管打坐の道元の教え守ってないじゃん

409:神も仏も名無しさん
14/01/23 05:47:49.02 o0oGZVgB
寺がどうとか俗事にはまったく興味がないのであしからず

410:神も仏も名無しさん
14/01/23 05:50:00.91 o0oGZVgB
妙修妙証と本証妙修
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

411:神も仏も名無しさん
14/01/23 06:02:47.83 VvhHuvFO
> 二諦に分類するだけではなく、狂っている状態を世俗諦であると喝破でしょうか。

>転倒するのが衆生の姿とは言われるよね。本性から考えると世俗諦はその転倒した姿に合わせた教え。

412:セラピスト
14/01/23 08:59:31.92 00f0z4wC
>>404 ボータ氏
> 狂っている者を慰めるという慈悲心があったとしても、段階的に導くということが理解できなければ、カルトは肥え太るだけであります。

如何にもその通りであります。
私はセラピストであると共に、長年カルトとも戦ってきました。
主に統一教会が専門であります。

統一教会のバイブルであります原理講論も長年研究して参りましたが、
カルトと対峙した場合、講論の矛盾点を指摘するくらいでは全く刃が立たないんですよ。
それは洗脳されてる人間は、理屈ではどうにもなりません。
(つづく)

413:セラピスト
14/01/23 09:00:30.83 00f0z4wC
(つづき)
やはりそういう人間には、精神分析が必要です。
カルトの内部にいる人間は、洗脳されてる自覚がないですから、これは「導く」ということは完全に拒否しちまうんですね。
ですから、まず彼等の精神を理解することから始めなければなりません。
この理解なくして、到底カルトに立ち向かうことは出来ないのであります。

私が先ず彼等の内心世界に飛び込むのであります。
こうして彼等の信任を受けるのが初歩の段階です。
そこからですね、私の本領が発揮されるのは。

彼等の内心に飛び込むのは、どうしたって彼等の教義を研究しなければなりません。
こうして研究されたデータは、
私が「獅子身中の虫」になりまして、カルトを喰い潰すのです。
これはかなりのスキルを要します。
並大抵のことでは出来ません。

いずれまた、暇な時にでも続きを書きます。

414:神も仏も名無しさん
14/01/23 09:42:06.25 ojkeAOo+
先日のニュースで分かったことだが、イチセンダイ=不可触民のことだ。
インドでは今もこれがいるという。
何のことはない、職業とそれに従事する人のことなのだ。
どんな職業かというと、人間の排せつ物を処理する職業とそれに従事する
人のことなのだ。そしてそれはその家の代々の職業だという。

こういう職業についている人は、近づくこともできない。汚いし、臭いはする、
市場への出入りもさせられない。

415:神も仏も名無しさん
14/01/23 09:51:03.27 ojkeAOo+
>>414続き
これが不可触民という。
インドでは今でもこういう人が数百万人いるという。

インド中東では、普通の人でも排泄を終えると、左の手で処分するのだ。
後は傍にある水道で手を洗浄する。紙は用いないし、水洗も本流ではないのだろう。

こういう仕事上のことで、人格が否定されるのは全然認められないね。

人は行為によって清くもなれば不浄にもなる、というのは、心におけるもので、
外観ではないだろう。

釈尊は人に使われるな、と教えている。だとすると、どんな職業も、人に従属するものではないか。
バラモンも、クシャトリアもだ、スードラだけが、人に使われる仕事ではあるまい。
バラモンは人の要請に応じて祭儀を執り行うのだろう?だから、報酬を得るようになり、欲が生じたのだ。

416:神も仏も名無しさん
14/01/23 10:33:33.93 rrXHzJy/
>>400
>Aさんは石飛先生と違ってないのに、先生は間違っているとおっしゃってます。

では、『 石飛道子は誤っている。』部分を撤回する。

417:セラピスト
14/01/23 10:48:08.24 00f0z4wC
>>404ボーダ氏
>君が行き場を失った方々も、ここを最後の拠り所として(>>363)
>ロムっていると言ったのは、その彷徨の事もあるのかな、思いました。

そうですね。
メンヘラーは現実逃避したいですから、自殺を考えるとかは普通にある。
そういう行き場のない人は、このスレで現実逃避として空想に耽るんですね。
だからこのスレッドは輪廻転生の話題が尽きないのであります。

実は仏教の本懐とうのが、現実逃避の真逆でありまして、現実そのものに人間苦の根源がる。
と説いているんですよ。
(つづく)

418:セラピスト
14/01/23 10:48:39.46 00f0z4wC
(つづき)
現実とは何か?って改めて考えると、これはあまりにも抽象的な概念なんですね。
人間というのは、分かっているつもりでも、突き詰めていくと、全く分かってない。
哲学の分野においても、これは結論は出ない。

そこで考えるのは一端中止する。これが禅定(止行)です。
現実とは何か?これを論理的に体系付けたのが中論です。

禅師が悟る瞬間というのがあるのですが、
これは「現実とは何か?」の解った瞬間なんですね。
この解答を得れば、あらゆる迷いから解脱できる。

それは死んだ先の彼の世ではなく、まさに今ここの現実にあり。

419:神も仏も名無しさん
14/01/23 11:38:50.65 2Ao6MOhu
>>418
>これは「現実とは何か?」の解った瞬間なんですね。
具体的な解答を想像するのは不可ですね。あえて言えば解らないのが解ったというもの。
ソクラテスの無知の知のようなものかもしれません。

420:セラピスト
14/01/23 11:57:52.36 00f0z4wC
>>419
>ソクラテスの無知の知のようなものかもしれません。

そうですね。
私達は、概念では「現実」というものがどういうものかは分かってる。つもり。
だからこそ対人とのっコミュニケーションが出来る訳ですね。
共通認識、という前提がありますから。

このように共通認識を前提としてコミュニケーションを取るのを世俗諦という。

しかしながら「現実」ってのは、そもそもアルのか?ってなったら別の話ですね。
もしも「現実」ってものが無い。と知ってしまったら・・・
そんな事を世間に対して主張しても、世間では相手にしてくれません。

こういった矛盾が出来てしまうので、仏教では勝義諦と世俗諦の二諦に分けている。

421:神も仏も名無しさん
14/01/23 13:16:55.40 rrXHzJy/
>>414
>イチセンダイ=不可触民

錬金術師空海は真言密教なるものがヒンドゥ教のパクリであることを隠しもせず、
密教は人種差別思想であることを『承和遺誡』で明確にしている。

『我及び仏の弟子に非ざるは所謂施陀羅悪人なり。仏法と国家の大賊なり。
 大賊は則ち現世には自他の利無く、後生には即ち無間の獄に入る。
 無間重罪の人は諸仏の大慈も覆蔭すること能はざる所、菩薩の大悲も救護すること能はざる所なり」。

「旃陀羅悪人[せんだらあくにん]」(行いの卑しい、救いがたい悪人)は無間地獄に落ちると述べているのだ。
こんなカースト制度全面肯定の人種差別主義者が『弟子に非ざる』ことは当然であって、
空海自身が「旃陀羅悪人[せんだらあくにん]」(行いの卑しい、救いがたい悪人)である、と天に唾しているのである。

真言坊主などは「単なる悪人ぐらいの軽い意味だ」などと苦しい弁解をしているが、
明確に旃陀羅悪人=caṇdāla[チャンダーラ]という専門用語を意識して使っていたのであるから、
ヒンドゥ教の生まれによる人種差別(Sn.136・142)思想が明確に念頭にあったことが確実である。

422:ポータ
14/01/23 14:23:56.07 SCLLcVXJ
>>414-415 このニュースですね。

汚物を素手で清掃=カースト呪縛、130万世帯―禁止法にも抜け道・インド

時事通信 1月19日(日)15時30分配信

ラジュ・ラジョリアさん(45)は「私の手は汚れている」とつぶやいた。インド古来の身分制度カースト制の底辺「不可触民」出身で、父も祖父も代々、くみ取り式トイレや下水管を素手で清掃する仕事が生業だった。1日の稼ぎは200ルピー(約320円)程度。
ヒンズー教の神々の像に手を触れることすら許されず、貧困と差別にまみれて生きてきた。

カースト制のどの階級からもはじき出された不可触民はインドの全人口12億人のうち約2億人とされる。
身分差別廃止を定めた憲法施行から64年が過ぎた今も、その大半が過去の呪縛に縛られている。
 
  ◇「地獄」の悪臭
「この地獄から抜け出したい」。午前7時、首都ニューデリー南部にある高級住宅地の大家から仕事の依頼が入る。ラジョリアさんの仕事道具は長さ約1.5メートルの鉄製の棒だけ。下水管の中で四つんばいになり、詰まりの原因になった汚物を取り除く。
体に染みついた悪臭をぬぐい去ることはできず、仕事後は食事も喉を通らない。25年間、非衛生的な環境で働き続けたせいか「慢性的に体調が優れず、せきが止まらない」。仕事を終えてもコップ1杯の水すらもらえず、追い払われるように次の仕事場へ向かう。
生活は苦しい。
4人の子供には「公務員になってほしい」と願っていたが、次女(16)と次男(14)は、家計を助けるために同じ仕事を始めた。
「これ以外ならどんな仕事でもしたいが、『汚れた者』にそんな機会はほとんどない」。ラジョリアさんは肩を落とす。
 

423:ポータ
14/01/23 14:27:25.09 SCLLcVXJ
  ◇「写真撮らないで」
インド国会は2013年9月、手作業によるトイレ・下水管清掃業の禁止と、それによって失業する職人の社会復帰を定めた法律を成立させた。
同法はこうした職業を「非人道的」と断じ、「個人が尊厳を持って生活できるよう保証する」と規定した。
ただ、「『防護装備』を提供した場合は規制の対象外」とも記している。

専門家は「マスクや手袋など簡易装備を与えるだけで合法と認められる恐れがある」と批判する。
11年の国勢調査によれば、代々手作業でトイレなどの清掃をしてきた職人の家庭は75万世帯。
市民団体は、実際にはその数はもっと多く、130万世帯に上るとみている。
ラジョリアさんは法律施行後もマスクや手袋なしで排せつ物を処理し続ける。
「写真だけは撮らないでほしい」。自らを恥じるように丸めた背に、いまだ解けぬカーストの呪縛が見えた。 

424:神も仏も名無しさん
14/01/23 14:34:34.00 ojkeAOo+
>>421
君よ、大分誤解があると思うぞ。

≻我及び仏の弟子に非ざるは所謂施陀羅悪人なり。

この意味は、空海は仏の弟子であり、空海の弟子は仏の弟子であるが、
空海の弟子でないもの、これは仏の弟子ではないことになり、このような
仏に繋がっていないものは、センダラ悪人である。と言っているんだ。

インドのカースト制度のセンダラが悪人だと言っているのではないだろう?
インドのセンダラは、あくまでも、職業上のものである。
彼らは、そのような誰も嫌がる職業をしていても、仏の弟子であることは可能であろう。
また反対に、バラモンであろうとも、仏の弟子でないものは、センダラであると、空海は言っているのだ。

こう解するのが正しいと思うよ。

425:ポータ
14/01/23 14:49:55.36 SCLLcVXJ
>>414-415

>インド中東では、普通の人でも排泄を終えると、左の手で処分するのだ。
>後は傍にある水道で手を洗浄する。紙は用いないし、水洗も本流ではないのだろう。

後で左手を洗うというより、水で陰部洗浄するのです。紙を使うより清潔だと、
他国でも現在のウォシュレットに繋がっているようです。

それはともかく、ここでは身分制度により仕事の固定化が続いているという事です。
素手で仕事し、作業に道具や機械が導入されないのも、身分による切り離しから来ています。

日本も、身分制度が固定的に導入された時期もあり、人の嫌がる仕事を荷うということが
現在でも残っておりますね。

そしてID:ojkeAOo+の話しは、ここですね。
>釈尊は人に使われるな、と教えている。だとすると、どんな職業も、人に従属するものではないか。
>バラモンも、クシャトリアもだ、スードラだけが、人に使われる仕事ではあるまい。
>バラモンは人の要請に応じて祭儀を執り行うのだろう?だから、報酬を得るようになり、欲が生じたのだ。

426:神も仏も名無しさん
14/01/23 15:09:44.70 heMBWDds
旃陀羅悪人[せんだらあくにん]
『……さて、ここで空海は、その様な「生まれながらの賤民」などと言った意味では用いていないであろう。
つづけて悪人の語を付し、「(なすべきことをなさず、してはならぬことをなす)行いの賤しい、
救いがたい悪人」というほどの意味で使っていると思われる。
なんとなれば、まず日本にカースト制などというものは無いからである。
(中略)
しばしば、空海が「旃陀羅悪人」という言葉をその著で使用している点を、
「空海はけしからん差別主義者であった」などと、人権という現代的概念でもって断じ、
非難する左巻きの輩があるが、まったく的はずれである。』
(真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺より)

URLリンク(www.horakuji.hello-net.info)

427:おじゃる
14/01/23 15:17:36.40 gsqZKXOi
 
>>402 の続き

般若経の解説
URLリンク(www.dia.janis.or.jp)
その当時のインドの人々は
善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない、それ故に

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
URLリンク(homepage3.nifty.com)
1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ
そうすれば死を乗り越えることができるであろう
このように世界を観ずる人を、<死の王>は見ることがない

段階的な方法に依存して
無我・縁起・空の観察に依存して
そして最終的には
真理に直接導こうとする第一義悉檀と言う方法に依存して
「解脱すれば仏だ」と言う事に
気づくまでは、気づくことは難しい

428:神も仏も名無しさん
14/01/23 15:27:57.72 vOKZp9Aq
自分の内部かなにかに因が生成される、もしくは因と捉えられるものが生じてくる
など、解釈のしかたはいくらでもあるが或る枠組みが周囲に形成され劇場のようなものが展開されていると捉えることができる。

経験上これらは特に家にいるだけではなかった10年以上前の生活でも起こっており、現在は非常に不自然な出現頻度でパターンを形成する音などが周囲に生じる。

この共時性、同調現象を捉えることでなにがしかこのスレで話題になる教義的な内容に納得することがある。
同調現象の法則とさらにその意味等を捉えると一つの解釈は枠組みの中での行動を促進すること、もう一つは枠組みから外れたものに破戒、抑制、阻害、批難等を当てること、
これを周囲に出没する人間が行なっている。
これを全てそれら人間が自らの意思で行なっていると捉えることは著しく逸脱した考え方であり、また交通事故等の出現も含めると、望んでやっていることではないだろうという側面も見える。
ということは人間は機械的になにか動かされていることになる。

俺は同期現象をそう捉えたので、実は非常に簡単なことなのに結果をだせない人は超常的な物事の関わりでそれを行なうことが阻害されている可能性があると考えた。
これは単に、努力すれば出来るという言葉の説明不足を補うために考えたこと。
枠組みの中で否定される方向へ向かう、もしくは否定される行いを内面的にも取るということに逆方向の力がかかりそれがストレスや衝撃となるから。

ある枠内から逸脱するものへの批判はその枠内では厳しいものがある。
とも言えるが、自分の場合は一人でいるだけなのでこれが人為的なではなく超常的なものとして起こってくる。
しかしながらこれが激しく起こるようになる条件はわからない。

429:神も仏も名無しさん
14/01/23 15:28:26.69 rrXHzJy/
>>424
>インドのカースト制度のセンダラが悪人だと言っているのではないだろう?
>インドのセンダラは、あくまでも、職業上のものである。

背後にある形而上的イデオロギーが、悪業による業報輪廻転生論であることはいうまでもない。
このイデオロギー戦略でアーリア人による階級的インド支配を洗脳したのだ。
★こんな苦しい人生は、“お前”の過去世に積んできた悪業(カルマ)によると
強権支配を業報輪廻転生論で洗脳合理化したのだ。
常に権力におもねる日本仏教が、権力支配の合理化のために業報論を唱えるのも無理はない体質だ。

空海は、権力の犬となってパトロンのために調伏護摩を焚く。
空海は、経典のチャンダーラ差別の言を真に受けて差別発言をする。
空海は、無間地獄を持ち出して反対者を誹謗する。
空海は、パトロンの敵(蝦夷)を人面獣心と罵る。
空海は、「即身成仏義」を執筆するが本人は成仏していない。

錬金術師空海は頭のいい権力志向の俗物でしかない。

430:神も仏も名無しさん
14/01/23 15:44:33.45 rrXHzJy/
>>426
>空海は、その様な「生まれながらの賤民」などと言った意味では用いていないであろう。
>つづけて悪人の語を付し、「(なすべきことをなさず、してはならぬことをなす)行いの賤しい、
>救いがたい悪人」というほどの意味で使っていると思われる。
>なんとなれば、まず日本にカースト制などというものは無いからである

平安時代には身分差別制度がなかったとでも言いたいのか、このアホ坊主はw
ヒンドゥ教の業報論イデオロギー直輸入で身分差別を「合理化」したのが錬金術師空海さ。

431:神も仏も名無しさん
14/01/23 15:52:22.79 Go0RuC9h
>>407
木の葉さん
そもそも 禅の人間は 六道輪廻が無いと公言しているのだろう?

何故に修羅地獄畜生の風景を出すのです これは 六道輪廻を信じてるんですよね?

432:神も仏も名無しさん
14/01/23 16:03:42.95 vOKZp9Aq
同期現象に、決まっている物事、例えばラジオの放送やそこらへんにあるものへの着目等、に自分が一致してしまうというものがあるのだが自身が周囲に同期しているだけかと言うと、そうとは言えない。
なぜなら、自転車のブレーキ音などは出現回数も出現する時期の偏りも異常だから。
まったくそれらが起こらないときと、それらが集中的に起こる時期がある。
そして、頻繁に出現する音は決まっていて、なんらかの自分の状態の変化とそれらがよく一致するのである。
そしてある種の状態は、神経質というレベルを超えて機械的に抑制される。
雑念があったらバチンと叩く瞑想の修行と同じような状態である。
そしてこれを書いている途中で女性が咳払いをする音が外から聞こえたが、自分を否定的な音や出来事で抑制するという行動の出現頻度が感覚的にも偶然の中に収まらぬほどに決まったパターンや偏った頻度で出現することが多い。
家にいるだけの自分の周囲には偶然とは捉えられぬほどに機械的なパターンで同じ音が出現するのである。これには人や子供の話し声から鳥の鳴き声等も含む。

これらにはある種の範囲の外は認めないという意味合いが明確にあるのだが、現在はこれらの範囲が複数あり、
(ここまで書いて先ほどから子供が非常に激しい嫌悪感を示す咳払いをした。こういったことは範囲外のものを推し進めることで現れてきて、最終的にはほとんど狂った状態の人間や事故、災難等が自分の行く先や周囲に現れてくるのである。)
その範囲に応じて方向性や抑制するものが変わってくると考えている。
さらには自分の行き先に精神状態だか心理だかこだわりだか何かに関わる物事が出現してくるのである。
これが不変なのか、一部に起こることなのかはよくわからないが、超常的な檻や枷が存在することがあるというのが感想である。
一部の人は人為的には起こしようがないと思われるこの現象をも集団ストーカーと言っているほどに激しくなることがあると。

夜は出歩くな、昔は人食いオオカミを祀っていた、地域によっては存在できるものとできないものがある。これら迷信も含めて共時性、同調現象で説明できると思っている。
そして森を開発してオオカミ等の野獣を征服する、夜を征服するなど人が超えてきたものは、それに対する畏怖を迷信として切り捨ててきたのではないだろうか?

433:神も仏も名無しさん
14/01/23 16:07:19.52 vOKZp9Aq
>>429
過去の先祖の恐怖が遺伝子に刻まれて継承されるという実験結果が報道された。
つまり、業を何かの意図に即した方便として用いることもあるだろうけど、一方で何か本質的な部分を言っていることもあるかもしれない。
というのは、集合無意識や業、霊視?、遺伝子研究などで記憶や感情等の継承が示唆されてるから。

434:神も仏も名無しさん
14/01/23 16:16:43.89 MiQilHMk
日本で初めて庶民でも勉強出来る学校「綜芸種智院」を作ったのが空海です。
この時点で彼が差別主義者というのは言葉尻を論った的外れでしょう。

ただ一方で、反論者に対して「左巻き」などという語を使う真言宗の
住職がいることは、好ましいことではありません。
ちなみにその寺のHPでは「フリーチベット」などと言っているようです。
端的に言って、反共思想に取り憑かれているのでしょう。

この住職は果たして、極論に走らない中道思想を理解しているのでしょうか。

中国政府の共産主義は元はと言えばヨーロッパから持ち込まれたものです。
一方、チベット解放をアメリカが支援していることも歴史的事実です。
いわゆる左右対立は、じつは欧米各国がアジアや中東諸国を
内部から混乱させるための常套手段なのです。

権威・伝統を祭り上げる極端な保守派と、極端な改革派がいがみ合う。
いずれはその憎しみが権威・伝統を破壊するのです。
まさしく執着が苦しみを作り出すのです。

435:セラピスト
14/01/23 17:48:53.05 00f0z4wC
>>428
>とも言えるが、自分の場合は一人でいるだけなのでこれが人為的なではなく超常的なものとして起こってくる。
>しかしながらこれが激しく起こるようになる条件はわからない。

これはよくある事なんですね。

ある人は「心に猛獣が住んでいる」。とか比喩することもある。
この猛獣は普段はスリープしている状態なんですが、突如として暴れだす。
この時は奈落の底にでも突き落とされたような気分になるらしい。

この場合は心因性の問題である訳です。
過去のトラウマとかが原因と考えられます。

催眠術でなんとかなります。
貴方の場合は自己催眠を研究した方が良さげです。

436:ポータ
14/01/23 19:34:21.30 SCLLcVXJ
>>428 >>432

なるほど。
セラピスト氏の話しは、どうであれ今現在の社会に適合しなければ
苦しいままだろうからといった、処世術と自信回復へのアドバイス的な
ものです。

慌てないで余裕を持って、眺めて下さればと思います。
なかなか、観察されていると思いました。

超常現象と一口にいいましても、それがすべて妄想だとは云い切れませんよ。
ある民族はシャケを銛で瞬時に突くタイミングを外さない、視力は2.0とかではなくはるかに超えている。

私の知人も川魚をその辺に落ちていた
棒と蔓と曲がった枝で、次々に釣り上げます。
我々のように、不必要になればそのような能力は落ちていくことから
逆に推測されることは、どれほどの知られざる能力を潜在的に持っているのか
分らないのです。

必要、不必要が我々の集合的とも言える意識から我々の現実生活、社会を規定しているだけであり、
だからといいまして、潜在能力をないとするのは、知力の浅はかさ、傲慢であるといえます。

ただ、そのような潜在能力は、現在の一般の社会生活にほぼ不必要だとすれば
発揮する場を失い、うまく脱落しないと抑圧されて何か悩みのような場所にだけ追い込まれ易いと思います。

今の社会に不必要に見える、その能力に対してマイナスの気持ちを抱えれば、
本当の病人になってしまいます。


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