14/01/20 16:32:36.99 GVu/1UQd
輪廻が有ると信じるものを、仏法の目で見るならそれは惑である
輪廻が惑である以上、それは迷いなので苦が生じる、これは逃れようが無い
ならば、惑の空であり概念に過ぎないのだから破壊してしまえば良い
しかし、行が進めば輪廻の惑も容易く破壊できるが、その道は易行ではなく中々険しい
それでは仏法は行次第となり差別を克服できず、無力と同義となる
行が進んだ者だけが惑を破壊でき、行が進んだ者だけが煩悩を克服できる、これは差別である
仏の教えは円教であり綻びなど一つも無い
故に、輪廻を信じ離れられないなら、輪廻の惑を踏み台にして良く使役し善業を行えば良い
それも仏法のなせる無上の利益である