14/01/17 16:18:51.59 Pa65tsvl
>>705
喫茶去!!
708:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:20:21.52 Knp22Stf
>>705
わかってること言ったり書くのって自身の解釈を強める作用があるんだと。俗っぽく言えば。
709:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:20:30.17 wq2trRKC
>>706
真理は本には書いてない
行によって得たものにしか本質がわからない
君が否定しようがしまいが、得たとしか言い様は無く
君から良き助言を得ることも無い
君の行は本に書いてある事を並べるだけであろう?
誰もそれは求めていない
710:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:21:55.98 wq2trRKC
>>707
他人にお茶を勧める前に、君はニミッタの扱いを熟知したほうが良い
711:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:22:25.04 Knp22Stf
そもそも悟りは対極の愚や無知蒙昧が無ければ良しとすることすら意味の無いことになる。
712:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:31:26.75 Pa65tsvl
>>710
>行によって得たものにしか本質がわからない
>得たとしか言い様は無く
心不可得
>君が否定しようがしまいが
愚かだといっている。
>>710
>他人にお茶を勧める前に
愚か。
お茶など勧めてはいない。→「去」
713:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:41:01.45 wq2trRKC
>>712
ニミッタを魔境と断じて半眼で禅を行ってるうちは君は否定を続けるのだろう
その断じているものこそが行の行たる主体であり、一切智への入り口なのだよ
714:神も仏も名無しさん
14/01/17 16:54:34.91 Pa65tsvl
>>713
>ニミッタを魔境と断じて
マヒカリに教えてやれw
変性意識などの自己催眠暗示妄想に興味はない。
内乱れず、外相を離れるだけだ。
知不契
休憩終了。
715:神も仏も名無しさん
14/01/17 17:45:11.21 1DWKvrv1
誰でもいいから礼拝して去れよw
(セブンさんはここらができていて永平寺の流れのようなものを感じました)
716:神も仏も名無しさん
14/01/17 18:36:16.69 1DWKvrv1
>>667
失礼ながらあなたの事をただの勝義馬鹿とおもってました。
改めさせてもらいますね
勝義なんて語るだけなら半文銭にもなりゃしないから
717:神も仏も名無しさん
14/01/17 18:45:21.96 QLlDmIbj
無明が止まると諸行は生じなくなるだろう
無明の停止は瞑想と智慧=智を通して生じる
by龍樹
718:神も仏も名無しさん
14/01/17 18:51:20.89 QLlDmIbj
>>714
ヴィパッサナー瞑想を変性意識と思ってる時点で禅門は終わってる
719:神も仏も名無しさん
14/01/17 18:54:49.44 1DWKvrv1
観察主体の問題だと思うんだけど
上座ではどのようにこれを養うのかな?
妄想まるけだと、だいおうさんのいうとおりただのキチガイに成り果てる
720:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:09:13.39 1DWKvrv1
>>655
>そうだ、一句から三句間違いw
>臨済みたいな、基地外、素人相手しちゃいかんw
同じ現象に対して3つの切り口、すなわち照用の機なんだけど
照らすほうが自我の内から出ていないと照らすことなんて無理ですわな
721:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:10:02.46 QLlDmIbj
>>719
先ず、良く言われるのが止行と観行の関係性
前者が奢摩他瞑想で後者が毘鉢舎那瞑想
釈尊の悟りに至れた瞑想は後者の事で、釈尊は
所謂奢摩他瞑想はされていなかった等の誤解が多い
しかし、経典のそこかしこには大体「禅定」と出てくる訳で
この禅定が定まる方法は唯一奢摩他瞑想しか無いので
奢摩他と毘鉢舎那は連結していて境目を持たない瞑想の個別名称に過ぎない
と教わる(遅れてる派では奢摩他を毘鉢舎那として教えてる=例:呼吸を観察しなさい等)
この奢摩他瞑想を日本で習うと目を開けて瞑想を行う、故に禅定は定まるのだが
禅門ではニミッタと言う光を見る現象を魔境と称して徹底排除している為、結論としては
空を体感するまでで瞑想はそれ以上深まらない
身体や意識の観察を始めて初めて毘鉢舎那瞑想へ突入出来、無類の智慧はここから生じる
とは言っても、毘鉢舎那瞑想には強烈に集中した禅定が必須で
道元師が悟れたのは、先の禅定が深かった故に、坐禅を終わっても禅定の意識状態が保てる程の深さを持っていたと推測できる
毘鉢舎那瞑想は瞑想と名を打って居ても、それは座禅に限らない智慧の瞑想状態の為
道元師は頭が冴えた状態を座禅のお陰とは感じていても、それが毘鉢舎那状態であったとは認識していなかったのだろう
例えば坐禅後に一服お茶を啜りながら真理の閃きを得た、みたいな
上座部の教えではニミッタが見え出したらそれに意識を乗せて体の各部の観察から毘鉢舎那へ移行する
722:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:15:56.43 1DWKvrv1
>>719
なるほど、禅定力、技術とパワーで走りきれれみたいな感じですかな?
ありがとうございました。
723:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:18:36.81 QLlDmIbj
因みに、奢摩他と毘鉢舎那は、場合によってでは有るが一度の瞑想タイムで
止観を行き来する、出たり入ったりて言うべきか
例えば体の各部をニミッタに意識を乗せて見渡し終わったら、一端奢摩他で初禅へ戻り
自分は在家なので初禅しか時間が取れないが、234禅とまた上がって次は心の観察とかに移る
これを必要回繰り返すのが仏教の瞑想修行の本来と経文に書いてある
瞑想自体は簡単なんだが、如何せん時間がかかるのと行き来が非常に面倒なのと
在俗の垢に塗れた凡夫の禅定はそんなに深くなれないので、行き来してる内に禅定が解けてしまい
気分が乗らなくなる(非常に疲れる為)
724:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:36:18.01 QLlDmIbj
道元師の教えでは「心身脱落」とか教えてるその状態を得た時に
それが本物の状態なら目を瞑ると多分光が見える、それがニミッタ
上記の心身脱落の時が空を体感してる時なので、禅定は深い方だと言える
ここまで来ればニミッタが見えて体中を見渡す事が可能となる
禅門では北伝経由でちゃんと観行が伝わっていない為
このニミッタ光の扱い方が不可解だったので魔境として禁止した
故に北伝系の禅は阿字観も唱題行も念仏も坐禅も踊念仏もみんな基本目を開けて行う
725:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:46:00.69 fdhBCSxR
観の瞑想をやれば、自然に集中力が深まっていくと考える流派もあるけど
基本的に上座部系も、初歩はまずサマタから入るんじゃ?
726:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:46:12.32 1DWKvrv1
まあ釈尊も道元様もその境涯は私などでははかり知ることはできませんが
道元様の法を文献に忠実に再現しようとされるかたもいらっしゃるようです
ご参考までに
URLリンク(seesaawiki.jp)
727:神も仏も名無しさん
14/01/17 19:56:22.63 QLlDmIbj
ニミッタを用いて様々な事物を観察して知恵を得る訳だが
目を開ければニミッタは見えない(焦点が定まってる限りは)
しかし、普通の状態でもみんな、物思いに耽ってる時には
焦点が定まらない状態でどこか一点を注視してる事は無いだろうか?
あれはどこを何のために見てるんだろう? とは普通考えないよね
ニミッタもそう言う曖昧な存在で、とにかく禅定が定まると見える不思議な光
実際自分もオカルト風味が匂ったので抵抗あったが、禅門はとっくにその存在には気づけてて
魔境と断じて禁止してしまったけど、実際に有る事は逆説的に証明されている
>>725
サマタとヴィパッサナーは境界線が本来は無いんだそうだ
禅定を定めるにはサマタは必須なのはどこの流派でもやってる
スーハースーハーの呼吸を鼻の下に意識を定めて感じろ観察しろも実はサマタ
おなかの膨らみを意識して観察しろもサマタ
みんな最初はサマタなんだと
因みに阿字観も唱題も称名念仏も坐禅も踊念仏も全部サマタ
728:神儒仏
14/01/17 22:29:17.70 v1LnOTnZ
止観についてはいろいろ議論があるようだが、
観から止が正しい。観→止ね。
なぜなら坐禅をスタートして最初の禅定、非想非非想に入った時に
あれこれ考えたら禅定がゆるみ、坐禅が終了してしまう。
それに、観のレベルが止のレベルを決めるから、観の方が重要だ。
観のために坐禅はやらない。苦労すれば自然に、生きている意味だとか、
人間とは何かを考える。それが観だよ。
729:神儒仏
14/01/17 22:48:09.62 v1LnOTnZ
自分がやった坐禅は呼吸を数える数息観だった。
その時の意識は、基本は丹田に置き、眠くなったら額の中央に置く。
そうすると眠気が消える。
最初から最後まで、鼻に意識を置く方法よりベターだと思うよ。
730:神も仏も名無しさん
14/01/17 23:31:56.09 QLlDmIbj
>>728
それは何の経を根拠に言ってる?
大念住経によれば
5.比丘たちよ、このように比丘は、
長く出息すれば「私は長く出息する」と知り、長く入息すれば「私は長く入息する」と知る。
短く出息すれば「私は短く出息する」と知り、短く入息すれば「私は短く入息する」と知る。
「呼吸をしている全身に気づいて私は出息しよう」と努め、「呼吸をしている全身に気づいて私は入息しよう」と努める。
「呼吸全体を静めて私は出息しよう」と努め、「呼吸全体を静めて私は入息しよう」と努める。
と、所謂サマタから瞑想に入る事を言っている
協会の方針によってはこれをヴィパッサナーだと言ってるだけで
これ自体は集中力を整えるサマタの行法だ
ヴィパッサナーはサマタに因って得られる禅定の集中力が無ければ入れない
731:神も仏も名無しさん
14/01/17 23:42:15.52 QLlDmIbj
経に曰く、釈尊の教えではサマタ→ヴィパッサナーの流れで説かれてて
用語としてはサマタ・ヴィパッサナーの区分けはされていない
釈尊の瞑想自体がひっくるめてサマタ→ヴィパッサナーなのだ
そして見る対象毎にヴィパッサナーを抜け初禅に戻りまたサマタ→ヴィパッサナーと出入りを繰り返すのだ
ヴィパッサナーは智慧の行なので、一度答えを得たら二度同じ事は問わない
つまり、一度悟ったらヴィパッサナーは不要となり、あとの後生はサマタの四禅だけを行う
因みに本当の如理作意もヴィパッサナーで得る
故に一度知ったら二度は要らない、となる
732:神儒仏
14/01/18 00:17:44.76 2P2nhOjw
>>730
数息観のやり方は天台小止観の流布本を参考にした。
自分の話は、実際の体験であり、観→止の理屈はその体験に基づいている。
体証 > 理証 > 文証(経証) の順序だと思うが?
733:神も仏も名無しさん
14/01/18 00:38:25.01 L/bOGSe1
>>732
アーナパーナサティ(安那般那念)は全仏教会派基本の修行法だよ
その所作自体が止行、つまりサマタ行の事だよ
そして智顗すらちゃんと用語からして「止観」だと教えてるでしょ
観行からでいいとか観行だけでいいとかならわざわざ「摩訶止観」にはならず
「摩訶観止」なんて聞いた事も無いw
いいかい?瞑想の目的は正しいサティを得る為なんだよ?
サティは気付きの事だが、気付くには「調えられた呼吸と、正しい姿勢と、正しい念」が必要で
これを得る方法が禅定となる、そこからサティを引き出す行に入る
サティを引き出すにはサマディ(三昧)に入らなきゃダメなのよ
三昧に入る方法も禅定な訳
我流は否定しないけど、
麺を食っちゃってからカップにお湯を注いでもカップラーメンは食えないと思うよ
734:神も仏も名無しさん
14/01/18 00:56:13.44 L/bOGSe1
>>732
序に余計なアドバイスしとくけど
禅定は絶対大事だからね、だから俺は禅門の連中と意見が打つかっても叩き潰さない訳
それなりに敬意は持ってるからね、禅定に入る事に関しちゃ彼らの方が専門で十八番だから
でね、その禅定には深さが有って、初禅だろうが四禅だろうが間だろうがそれぞれに深さが無尽蔵な位あるのよ
俺ら在家の身では初禅以上に進むには日常の生活から離れないと無理なので、初禅で我慢な訳
それ以上やりたきゃ禅寺か道場に通うか、出家しかない
で、その初禅でもちゃんと無尽蔵とも言える深さを持ってる訳
この深さを追求できればヴィパッサナー智も可能とされてるのね
その理由は、調えられた呼吸と整理された雑念の少なさから
いつもはモヤってる考え事が調うから
でもこれは座禅中には得られなくて、深い深い初禅を得たら得られる
禅定は鐘の音の様な物で、パッと止めたからと言っても禅定自体が
余韻で残ってるものなんだよ、自覚は無いけどね
だから禅門の連中は頭がキレッキレで冴えてる訳w
悟ったかどうかは別の話ねこの場合
735:神も仏も名無しさん
14/01/18 01:20:29.02 L/bOGSe1
一つだけ、残念なお知らせがある
こんだけ苦労して資料集めて自分なりに調えた行法なのにだ
実はここまでで雑念を極限までリダクションさせて頭脳明晰に出来る方法が
創価学会員の”お題目”でも可能という事実w
曹洞宗や臨済宗のお寺やらに禅のレクチャーを受けに行っても得られるのは同じ
在家には非想非非想処定とか絶対無理っすからw
先ず日常では愛別離苦と怨憎会苦は絶対離れられないし(向こうから来る)
自宅警備員だからそれは無いとか言っても、職や飯の心配ややれケータイの支払いや
スマホが調子悪いとか、親がとか近所がとか将来がとか色々有るっしょ
これらを一切捨てるのが出家であり、ウンコ色の衣集団の製造元への出家が
微妙に流行ってるのも、本当の具足戒を得る為
曹洞宗や臨済宗へ出家する人も居るらしいけど、修行が一段落付くとウンコ色の衣を考え出すそうな
実際大変なんだなと思うよ
736:神も仏も名無しさん
14/01/18 04:46:12.97 LAUckWf5
>因みに阿字観も唱題も称名念仏も坐禅も踊念仏も全部サマタ
727 :神も仏も名無しさん:2014/01/17(金) 19:56:22.63 ID:QLlDmIbj
知ったかクンw爆笑w
>曹洞宗や臨済宗へ出家する人も居るらしいけど、修行が一段落付くとウンコ色の衣を考え出すそうな
またあwデタラメをw臨済宗はありえないwそういう知ったかは信用なくすよw
曹洞宗宗門主流派はユルいから、そういう場合ありうるw
737:神も仏も名無しさん
14/01/18 04:48:43.24 LAUckWf5
知りもせん、空想知識を平然と垂れ流せる輩は、基本、人格、修行、知識に欠陥ありと
みなした方がよさそうだなw
738: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:3)
14/01/18 04:59:37.12 iNDlUqIU
寧ろ逆に満足だろ
他に別に満点だろ
当然正反対に満腹だろ
739:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:06:12.80 xvPKsETd
臨済宗マンセーも結構だがある日気付く人も確かに居るんだよ
臨済禅が空やら大意やらを悟れても滅尽定までは至れて居ないってね
その教えが臨済宗に無い以上限界だ罠
740:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:06:47.06 LAUckWf5
>それなりに敬意は持ってるからね
知らない事は知らないという態度をとれよwソクラテスもいうてるやろw
俺は南方仏教の禅定の味をわずかに知るが、知らん知識を垂れ流す勇気はないなw
627 :神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 21:29:36.48 ID:FWCR3rbv
は能天気に三句を自信もって垂れ流すのだがw
三句、三玄、四料ケンは曹洞宗道元禅では拒絶されるシロモノw
臨済宗の教外別伝、不立文字過ぎるというスタンスだからね、道元は、ま、説明を許すという立場、
これを知らずに、全くカスリもせんデタラメ説明を箇条書きw
やはり、説明不要w言語道断W?の意味ポイwバイオレンス趣味な臨済宗系なんか首を突っ込まん方がよかろうw
ハッタリ禅のえんま、せらぴすとは首を突っ込みたいらしいが・・・w
741:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:09:12.44 LAUckWf5
>臨済宗マンセーも結構
>滅尽定までは至れて居ないってね
この言葉自体で、既にまともな認識が欠落しているw
知らぬ事を豪語wまったくw
マンせーなんか言ったら絞殺される世界なんだがなあw
742:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:13:09.63 LAUckWf5
知らぬ事を豪語のできる仏教を信じる奴がいるのだからなあw
如実如実の無視する仏教及び仏教知識があるらしいw
743:神も仏も名無しさん
14/01/18 05:17:58.37 xvPKsETd
他門も認められんようじゃ何も悟ってないってこったなw
744:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 06:09:25.64 hmV45uPb
>>699
>無我は我に執着するなという教え。
そうですね、自己を離れて仏法はないとある僧から伺いました。
(ご参考)
法は世尊によってよく説かれたもの、自ら見るべきもの、時間を隔ててないもの、
「来たれ、見よ」というに相応しいもの、導くべきもの、賢者たちによって各自に
知られるべきものである。
「法句経」
己こそ己の主である。他にいかなる主があろうか。自己のよく調えせられたる時、
人は真に得難い主を得るのである。
上の仏説は閻魔氏がよく引用されてましたが「自ら」とか「各自」とか「己」とか
「無我」と異なる語が多いですね。
それから「智慧」と「慈悲」も主体が無ければ、誰の「智慧」と「慈悲」でしょうか。
よって現象界で観察されるすべての物は「我に非ず(アナッタン)」だから「執着するな」という教えでしょう。
745:神も仏も名無しさん
14/01/18 06:21:21.21 cBqGtMsp
>>744
考えてみろ
一在家の細胞に我執は有ると思うか?
仏の教えはそうしろと言っている
欲界で効率良く生きる為には大きい程に多量な程に力が有った方が良い
しかし物理的な力など減れば気が病み亡くなれば破滅を生む
故に智慧は破滅を選ばない為に、慈悲は破滅を生まないために必要なのだよ
746:神も仏も名無しさん
14/01/18 06:33:22.93 7Kf542gb
>>730
>ヴィパッサナーはサマタに因って得られる禅定の集中力が無ければ入れない
コレのことかな?
(パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想より)
『「定経」(*2)においてブッダは、ありのままに事物を見られるよう、サマーディ(集中) を育てるよう比丘たちに薦めています。
「比丘たちよ、心のサマーディ(集中)を育てなさい。
サマーディを育てた比丘は、物事 (四聖諦)のありのままを、明瞭に正しく見ることができます。」』
747:神も仏も名無しさん
14/01/18 06:34:46.84 7Kf542gb
(つづき)
『経験からすれば、瞑想対象に 1 時間あるいはそれ以上継続的に心を集中できたとしても、
少なくとも近行定(upacârâ samâdhi)まで達していなければ、究極の真実は言うまでもなく、
体の内側の器官の一部でさえ見通す事はできないでしょう。
瞑想者が実際に近行定あるい はより高度の禅定にまで達したとき、
身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し、さらに究極の真実を見抜くことができます。
そうして洞察瞑想(ヴィパッ サナー)に適切に取り組むことができます。』
748:神も仏も名無しさん
14/01/18 06:35:31.99 7Kf542gb
URLリンク(translation-buddhisttext.jimdo.com)
749:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 07:16:05.95 hmV45uPb
>>744
長部経典第十六経「大般涅槃経」『法の鏡』門 対告衆:アーナンダ尊者
尊師がみごとに説かれた法は、
現にありありと見られるものであり、
直ちにききめのあるものであり、
実際に確かめられるものであり、
理想の境地へ導くものであり、
諸々の智者が各自みずから証するものである。
尊師の弟子達のつどいは、
よく実践してる、
真っ直ぐに実践している、
正しい道理に従って実践している、
和敬して実践している、
四双八輩を敬い尊びもてなし合掌すべきであり、世間の最上の福田である。
ものであり、
以上、『法の鏡』門を具現したら、地獄・畜生・餓鬼は消滅し、必ず悟りを究める者とのことです。
750:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 07:20:58.68 hmV45uPb
>>749 一部修正
長部経典第十六経「大般涅槃経」『法の鏡』門
対告衆:アーナンダ尊者
尊師がみごとに説かれた法は、
現にありありと見られるものであり、
直ちにききめのあるものであり、
実際に確かめられるものであり、
理想の境地へ導くものであり、
諸々の智者が各自みずから証するものである。
尊師の弟子達のつどいは、
よく実践してる、
真っ直ぐに実践している、
正しい道理に従って実践している、
和敬して実践している、
四双八輩を敬い尊びもてなし合掌すべきであり、世間の最上の福田である。
以上、『法の鏡』門を具現したら、地獄・畜生・餓鬼は消滅し、必ず悟りを究める者とのことです。
751:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 07:26:41.12 hmV45uPb
>>750
長部経典第十六経「大般涅槃経」でも『法の鏡』門の直前の段落で「輪廻」が詳しく説かれております。
主に地獄行きでなく、涅槃入りの複数の事例です。
752:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 07:42:21.20 hmV45uPb
>>745
>一在家の細胞に我執は有ると思うか?
顕微鏡で単細胞を見ましたら、生きようという生存欲だけですね。
753:神も仏も名無しさん
14/01/18 08:41:55.35 cBqGtMsp
>>752
ID:hmV45uPb
単純に考えてだ
多寡が人力如きで地獄畜生餓鬼が消滅出来て輪廻が止められると思うか?
どこに地獄が有るのかも定かじゃ無いのにだよ?
輪廻だってどこで動いてんだか回ってんだか解らないのにだよ?
754:神も仏も名無しさん
14/01/18 08:46:04.31 cBqGtMsp
鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり
755:神も仏も名無しさん
14/01/18 09:20:13.12 hmV45uPb
>>750
>以上、『法の鏡』門を具現したら、地獄・畜生・餓鬼は消滅し、必ず悟りを究める者とのことです。
>>754 多分、閻魔氏以外
>鏡は悟りの具ならず、迷いの具なり
閻魔氏がよく引用されたこの法門も嘘かよくて誘引方便ということですか?
756:神も仏も名無しさん
14/01/18 09:47:56.65 MBA/GUf1
しるべし、心を識得するとき、蓋天撲落し、そう地裂破す。
あるいは心を識得すれば、大地さらにあつさ三寸をます。
古徳云く、作麼生ならんか是れ妙淨明心。山河大地、日月星辰。
あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。
しかあれども、この道取するところ、すすめば不足あり、しりぞくればあまれり。
山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。
日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし。
生死去來心は生死去來のみなり。さらに迷なし、悟なし。
牆壁瓦礫心は牆壁瓦礫のみなり。さらに泥なし、水なし。
四大五蘊心は四大五蘊のみなり。さらに馬なし、猿なし。
椅子拂子心は椅子拂子のみなり。さらに竹なし、木なし。
かくのごとくなるがゆゑに、心是佛、不染汚心是佛なり。
佛、不染汚佛なり。
しかあればすなはち、心是佛とは、發心、修行、菩提、涅槃の佛なり。
いまだ發心修行菩提涅槃せざるは、即心是佛にあらず。
たとひ一刹那に發心修證するも即心是佛なり、たとひ一極微中に發心修證するも心是佛なり、
たとひ無量劫に發心修證するも即心是佛なり、たとひ一念中に發心修證するも心是佛なり、
たとひ半拳裏に發心修證するも即心是佛なり。
しかあるを、長劫に修行作佛するは即心是佛にあらずといふは、即心是佛をいまだみざるなり、
いまだしらざるなり、いまだ學せざるなり。
即心是佛を開演する正師を見ざるなり。
いはゆる佛とは釋牟尼佛なり。釋牟尼佛これ即心是佛なり。
過去現在未來の佛、ともにほとけとなるときは、かならず釋牟尼佛となるなり。
これ即心是佛なり。
正法眼藏即心是佛第五
757:セラピスト
14/01/18 10:08:17.84 i/jG9iqd
>>724
>道元師の教えでは「心身脱落」とか教えてるその状態を得た時に
> それが本物の状態なら目を瞑ると多分光が見える、それがニミッタ
道元の心身脱落は、「その状態を得た」ではなくて、「その状態が崩壊した瞬間」のことだね。
集団で禅定している時に、何かのドサクサがあって、そのドサクサ紛れに心身脱落した。
いわゆる頓悟だから、予期せぬ時に頓悟がある。
心身脱落以前は、ある程度の世界観が出来上がっていて、その世界観が瞬間に崩壊する。
だから「光りが見える」とか変性意識は全くない。
つまり禅門というのは変性意識は通過している訳で、その意識が悟りでないのは充分に解ってる。
758:セラピスト
14/01/18 10:23:57.20 i/jG9iqd
>>684
>煩悩即菩提とは何か?
煩悩というのは個人差があって、煩悩を殆ど気にならない人もいれば、
煩悩で苦しくて我慢できない人もいる。
①神経症の人は、煩悩出まくり。
②精神が健康な人は煩悩があったとしても、あまり気にならない。
煩悩即菩提は、神経症か、もしくはそれ相当な人には意味がある。
つまりね、
人生で地獄を見てきた人間は、「煩悩即菩提」を悟ることがあっても、
普通の人間はそこまで悟っても殆ど意味はない。
(つづく)
759:セラピスト
14/01/18 10:24:50.57 i/jG9iqd
(つづき)
煩悩があるからこそ、菩提がある訳だから。
煩悩がなければ、菩提もない。
煩悩即菩提の意。
煩悩が、あまりにも激しくて、もう耐えきれん。
となった時に、菩提を悟るだろう。
>>716
>勝義なんて語るだけなら半文銭にもなりゃしないか
まあ、そうですね。
760:神も仏も名無しさん
14/01/18 10:33:07.17 7Kf542gb
>>757
>心身脱落以前は、ある程度の世界観が出来上がっていて、その世界観が瞬間に崩壊する。
この人の悟り体験に似てる。
(Wikipedia エックハルト・トール)
『私は、もうそれ以上自分自身と生きることが出来なかった。
そして、答えのない疑問が生じた。
自分と生きることが出来ないこの「私」は、一体誰なんだ?自分とは何だ?
私は虚空へと吸い込まれるように感じた。
その時は、一体何が起こったのか知らなかったが、満たされない過去と恐ろしい未来との間に生きている、
思考が作り出した自我が、その重苦しさ、その抱える問題と共に、崩壊したのだ。
翌朝、目が覚めてみると、すべてが実に穏やかだった。
この平安は、自我がそこに無かったために現れたのだ。ただ存在の感覚のみ、
あるいは「在ること」、ただ観察し見守っているだけだ。』
761:神も仏も名無しさん
14/01/18 10:40:46.04 7Kf542gb
>>757
>いわゆる頓悟だから、予期せぬ時に頓悟がある。
禅は光を使わずに一気に空を見て悟ると言われてますね。
対して、テーラワーダは光を使って段階的に徐々に智慧を得て行き
最後に空の体験をする漸悟と言われてます。
その違いかな?
762:神も仏も名無しさん
14/01/18 10:59:19.13 7Kf542gb
頓悟でも漸悟でも、どちらも深い禅定状態が必要なことには
変わりはないと思うけど。
763:サマタ妄想?
14/01/18 11:04:52.85 +XvgKdZ/
>>747
>身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し
2,000年前と違って、サマタ瞑想なんかやらなくとも、まったくの世俗凡人でも
レントゲン→CTスキャン→PET-CTのほうが、はるかに正確に見通せます。
ホントに神通力とかサマタ瞑想で見通せるなら、現代医学以上の医術力があってしかるべきです。
ブッダの死因となった直腸がんか食中毒ぐらい治せて当然だったはずです。
寡聞にして、2,000年前のインドの聖者に臓器移植や脳神経外科の手術力があることを聞いたことがない。
>さらに究極の真実を見抜くことができます。
これはウソで過剰。
相対真実は時空事実(因果)関係の正確な如理作意(中部15)による。
相対である以上、『究極』など不可知であって、妄想に他ならない。
実践仏道は「捨てる!」ことなのに、バカ妄想を「得る!」ことばかりををいうw
764:セラピスト
14/01/18 11:13:07.00 i/jG9iqd
>>760
>思考が作り出した自我が、その重苦しさ、その抱える問題と共に、崩壊したのだ。
禅門と似てますね。
変性意識があっても、それをどう消化したら分からない。という悶々とした気分。
頭が常に重い感じ。
それらの観念が一気に崩壊した。
これが道元の心身脱落かと思います。
>翌朝、目が覚めてみると、すべてが実に穏やかだった。
そうそう、実に爽やか、実に穏やか。
この感覚を道元は「心身が脱落した」。という表現を用いたんでしょうね?
(つづく)
765:セラピスト
14/01/18 11:13:50.46 i/jG9iqd
(つづき)
>禅は光を使わずに一気に空を見て悟ると言われてますね。
この脱落した状態は、いわゆる無の状態ですから、
これを禅門では「空」となづく。
つまり禅門は、いったん世界観を構築して、
そして一気にそれを崩壊させる。
世界観は、崩壊させる為の手段
766:神も仏も名無しさん
14/01/18 11:27:06.69 FKiaeHSg
>>763
テレビで崖下を見るのと、その場で見下ろすことが同じ「体験」だと思ってるなら、
愚昧としか言いようがない。
馬鹿じゃねーか?
767:セラピスト
14/01/18 11:28:21.88 i/jG9iqd
>>762
永平寺には、転座(食を司る役僧)がいて、
この役僧の方が、一般修行僧よりランクは上と見なされている。
これも立派な動中禅になる。
頓修禅の特徴。
768:サマタ妄想?
14/01/18 11:32:08.17 +XvgKdZ/
>>766
で、→『2,000年前のインドの聖者に臓器移植や脳神経外科の手術力があることを聞いたことがない。』
769:神も仏も名無しさん
14/01/18 11:38:29.59 FKiaeHSg
へぇ・・
仏教ってのは外科手術の教えだったのかw >>768
知らなかった(´・ω・`)
2chハベンキョウニナルナー
770:サマタ妄想?
14/01/18 11:46:22.44 +XvgKdZ/
>>769
⇒『(サマタ)瞑想者が実際に近行定あるい はより高度の禅定にまで達したとき、
身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し、さらに究極の真実を見抜くことができます。』
(パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想より) (>>747)
仏教ってのは外科手術の教えだったのかw
知らなかった(´・ω・`)
ほんと、2chハベンキョウニナルナー
パオ・セヤドーさんとかに聞いてねw
(パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想より)
771:大智度論、作者はやっぱり龍樹だった
14/01/18 12:07:42.41 hmV45uPb
>中論、龍樹、原始仏典の愛読各位
昨日、1月17日に石飛先生が論文「『大智度論』研究--大智度論、作者はやっぱり龍樹だった」を開示されました。
21頁の論文はPDFで読めます。
//homepage1.nifty.com/manikana/prajna/prajna1.pdf
尚、本スレでも度々紹介しました四悉壇が詳説されております。
772:神も仏も名無しさん
14/01/18 12:35:10.81 FKiaeHSg
へぇ・・
外科手術ってのは見るだけでいいんだ >>770
知らなかった(´・ω・`)
2chハベンキョウニナルナー
773:神も仏も名無しさん
14/01/18 12:38:23.74 +XvgKdZ/
>>771
著者が誰かは二次的問題で、学者に勝手にやらせておけばいい。
問題は広義の仮説戯論の内容。
権威信仰指向のお方以外は、どっちでもいいはず。
どうせ学僧坊主の気質から見て加筆訂正増改は必然なんだからw
774:神も仏も名無しさん
14/01/18 12:42:31.62 +XvgKdZ/
>>772
パオ・セヤドーさんとかに聞いてねw
775:神も仏も名無しさん
14/01/18 13:00:10.38 FG9R5WVu
テレビとかって何かを解説する人はどこどこ大学の教授とかが多い。
逆に、出川哲朗が小難しいこと言ってもキャラ的にツッコミしか入らない。
てことは坊主の身分でしかガチ仏教の修行はやりにくい。
もっと言うと、人によってはカラオケで盛り上がらないといけないし、コミケに突撃しないといけない。
別にそうしないといけないわけじゃないけど、枠内にいれば記号的に通じる側面があるからでは?
776:神も仏も名無しさん
14/01/18 13:04:32.49 7Kf542gb
「パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想」
> URLリンク(translation-buddhisttext.jimdo.com)
ご参考までに。
777:神も仏も名無しさん
14/01/18 13:22:11.31 FKiaeHSg
┐(´ー`)┌
最近、こういう読解力ゼロ人間が増えたな・・・
>>774
そういう問題じゃないだろw
そのパオさんとやらは、
「医学的に(術式可能な形で)臓器を見ること」を言ってるのかい?
ならば、確かに君の言う通り、本人に聞かねばなるまい。
君は、
>>身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し
*(それは、沙門果経、大念処経等各所に説かれる禅定の描写としてありふれているわけだが・・。)
に対して
>サマタ瞑想なんかやらなくとも、
>レントゲン→CTスキャン→PET-CTのほうが、はるかに正確に見通せ
とレスを返しているわけだが、
>>身体内部の、肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓などの 器官を見通し
とは、 「医学的観察、視線、術式用の視線として」のものなのか?
沙門果経等に説かれているのは、そういうことなのか?
そして、そもそもの指摘は、
モニターで「見る」だけなら、患者も医師も同じものを同じように(リアルタイムで)
見ているわけだが、同じ体験か?ということだよ。
禅定に於いて自身の身心を観察することは、
モニターや銀幕のスクリーンに映る「画像」を視覚的に感受することと同じと見做せるのか?
ということだ。
778:神も仏も名無しさん
14/01/18 13:25:34.18 FKiaeHSg
一言説明が抜けた
>>777
>モニターで「見る」だけなら、患者も医師も同じものを同じように(リアルタイムで)
>見ているわけだが、
自身の体感として「みる」という意味で(それはまさに経に説かれる形でということだが)
>同じ体験か?ということだよ。
779:神も仏も名無しさん
14/01/18 14:39:48.54 3ruo/Q8k
瞑想、瞑想ってw
八正道のひとつ(正定)に過ぎないでしょうにw
まるで、瞑想さえすりゃOKみたいなのは仏陀の教えを理解しているとは思えない。
780:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/01/18 15:25:50.23 c3wCvg7b
>自身の体感として「みる」という意味で(それはまさに経に説かれる形でということだが)
素朴な疑問だがw
「経に書かれて言える『観る』」とは、一般的な観察とどのように違うわけ?
肉、腱(けん)、骨、肝臓、心臓・・・・というように各部位を識別してるわけだから
そこには差異があるのだろう? それは何かな?
構成成分? 構成形式(分子構造)? もしくは(全体的な)形態? どのようにして、
「これは肉、これは骨」・・・と見分けているのだろうか?
781:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:29:51.00 FG9R5WVu
同じ体験か?ということならアマゾンのレビューとかを見てみると色々な意見がある。
んで、あるトップレビューアーは自分の言いたいことを書いたら参考になったボタンを沢山押してもらえないというある意味そうだよなと思うことを書いていた。
例えば、八正道の本があってそれに対するレビューに、
「正思惟って言うけどあんたらセックスから産まれてきたんでしょ?」
って書いたら参考にならなかったボタンが結構押されるとおもうんだよね。
だから、作り込んで
「タイトル:少子化時代にこそ読みたい本
本文:世俗欲にとらわれたら危険であるという示唆は、八正道に詳しい。
しからば、産めよ増やせよという時代に性欲なるものが推奨された反面、
その時代には環境破壊や人権問題などが急浮上した時代であったことも納得できる。
世俗的な欲求というものは限りが無く、その箍を外してしまえばその他を軽んじ不都合となるという教えがこの本では平易かつ示唆にとんだ実例を踏まえて記述されているのである。
ならばこそ、これを2000年以上前に説き後世に残した釈尊の教えは現在にこそ尊いと言うべきだろう。
そして、少子化時代を懸念し、多大な人口を有する国々の今後の発展と勢いを憂慮したうえで、前時代的な産めよ増やせ論が垣間みられる昨今にこそ、これらの教えをもう一度読み直していただきたいと思う。」
参考になった108 参考にならなかった7
782:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:33:19.06 FG9R5WVu
>>763
仏陀の死因が食中毒ってのは証拠が無いので捨てる馬鹿妄想じゃないですか?
それとも話のタネとして保持するんですか?
783:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:39:22.36 3ruo/Q8k
>>782
大パリニッバーナにチュンダの食事で中毒したとか、血の下痢便が出たとか仏典に書いてあるから
そのように言っているだけでしょう。
784:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/01/18 15:40:26.23 c3wCvg7b
>仏陀の死因が食中毒ってのは証拠が無いので捨てる馬鹿妄想じゃないですか?
大涅槃経の記述でしょ?
内容自体は、突拍子もない話でもないし、ありうることだと思うので特にそれを
妄想とする理由が見当たらないがw
ただし、腹部疾患が「食中毒」によるものかどうかは? 当然、不明w
でも、それも有りうる可能性としては高いのでは?
785:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:43:56.68 FG9R5WVu
確証がなく迷信である可能性があるので、
捨てることと断じ、馬鹿妄想という概念を打ち出した彼にそれの考えをそのまま当てただけ
786:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:44:16.92 hmV45uPb
>>779
>瞑想、瞑想ってw八正道のひとつ(正定)に過ぎないでしょうにw
>まるで、瞑想さえすりゃOKみたいなのは仏陀の教えを理解しているとは思えない。
舎利弗「七つの禅定に付随するものがある。正しい見解、正しい思考、正しい言葉、
正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい注意力である。」
長部経典第三十三経「等誦経」
舎利弗が釈尊の教えを比丘達に説いた後に釈尊が是認され、比丘達は歓喜して信受した。
787:神も仏も名無しさん
14/01/18 15:50:10.65 PXaV2JbF
日本の座禅って、丹田とかいったり明らかに道教
白隠の著書みても、道教の影響でかいし
それが悪いとはいわないが、なぜ仏教の瞑想に異物を入れようとするんだ・・・
788:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:01:03.48 FG9R5WVu
中国で道教が仏教に影響を与えて禅宗ができたとか。
異なる宗派や宗教でも根本的に同じこと言ってることあると思うので、丹田=第○チャクラと介せばちょっと源流に当たる地域に近づくという方便を構築してみたけど。
789:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:14:08.25 hmV45uPb
>仏陀の死因が食中毒ってのは証拠が無いので捨てる馬鹿妄想じゃないですか?
長部経典第十六経「大般涅槃経」に明記されているのが証拠でしょう。
鍛冶工の子のチュンダの食物を食べられた後、激しい病いが起り、赤い血が出て死に至る激しい苦痛が生じたとのこと。
この事件の直前に釈尊はチュンダに以下の奇妙なことを指示されました。
・あなたの用意したきのこの料理を私に下さい。
・用意した他の料理は修行僧らにあげて下さい。
・残ったきのこの料理は穴に埋めて下さい。
さて、それよりは何日か前、有名な「自燈明、法燈明」の説法をされた翌日に釈尊はアーナンダに
「如来は望めば寿命よりも長い間この世に留まることができるであろう。」と説かれましたが、
アーナンダには悪魔が憑依していて「どうか留まって下さい。」と懇願しなかったそうです。
以上、「大般涅槃経」の文脈では、悪魔がアーナンダに憑依→アーナンダは釈尊の長生きを懇請せず
→釈尊は別れを決意→チュンダのきのこ料理を独占して食した、となります。
釈尊が食中毒という<不都合な真実>は後世の弟子達が追加、改竄したのではないだろうと担保されます。
790:セラピスト
14/01/18 16:20:42.90 i/jG9iqd
道教というのは、精神疾患の治療にも役立ってる。
初期の神経症なら、薬物より道教の方が良い。
その方法については、詳しくは書けないけど。
要望があれば書いても良い。
またアナウンス養成の発声練習も、実は道教の影響もある。
発声練習は、精神疾患には極めて有効なり。
791:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:24:18.52 FG9R5WVu
>>789
釈尊を絶対化しない仕掛けと捉えたら、どうだろうか?
>>790
過去のアニミズム的な儀式にもそちら方面の治療的ものがあったと習ったことが
792:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:25:27.98 FKiaeHSg
>>780
ワシは(聞き齧ってるだけでwww)そこまで見えてないからね。
それこそdaio-に聞くべき内容だと思うが?
マジな答えを望むなら
少し前の ID:7Kf542gb(= ID:L/bOGSe1) に聞くのがいいとオモ。
793:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/01/18 16:28:38.33 c3wCvg7b
>以上、「大般涅槃経」の文脈では、悪魔がアーナンダに憑依→アーナンダは釈尊の長生きを懇請せず
>→釈尊は別れを決意→チュンダのきのこ料理を独占して食した、となります。
なるほどww
釈迦は、悪魔がアーナンダに憑依しているのを見抜けないほど馬鹿だったわけか?ww
そして、まんまと悪魔の意図どおりの選択をしたとwww
794:パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
14/01/18 16:31:07.84 c3wCvg7b
>>792 wwwwwwwwwwwwwww
確かにww
>このスレの「覚者」さん 及び 禅マスター または 「観」の出来る人
>>780 に答えてちょーだいww
795:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:42:40.90 FG9R5WVu
>>790
読みのがしてました。
「歌う」「独り言を言う」という状態が特異な疾患がありますが、発声練習的な側面で見たら治癒的な効果がありますね。
前から、精神疾患の人が自然と取ってしまうそういった行動には自己治癒的な側面もあると思ってはいたのですが。
796:セラピスト
14/01/18 16:54:08.31 i/jG9iqd
>>795
>発声練習的な側面で見たら治癒的な効果がありますね。
母音(あいうえお)だけ明瞭に発言するのは精神的安定に良いらしい。
それに度胸というか、不動心をつけるのに効果あり。
例えば、スピーチの前に発声練習するとか。これは丹田呼吸法と併用すると効果も高くなる。
>精神疾患の人が自然と取ってしまうそういった行動には自己治癒的な側面もあると思ってはいたのですが。
精神疾患は、頭が混乱して自分でも収束がつかなくなる。
そういう場合は、混乱している原因をメモとかすると、それだけでも楽になる。
こういうことは自然発生的に取る行動で、
後にその行動が、メモとか日記が精神疾患には有効とされた。
797:神も仏も名無しさん
14/01/18 16:59:53.59 FG9R5WVu
>>796
仏教スレでスレチの話題申し訳ないですが、さらに自然に取る行動を一つの方法論としたときに有効でない人も出てくるかもしれないと思い、個別に治癒の道があるのではとも思ってました。
798:セラピスト
14/01/18 17:10:02.42 i/jG9iqd
>>797
>個別に治癒の道があるのではとも思ってました。
方法論というのは多数あるのですよ。
複合的にやるのですが、自分に合ったのが1つとか2つあれば充分なんじゃないですかね?
一番簡単なのが正座することなんですが、
これだけでも寛解に向かう人もいる。
正座というのは精神も「正(まさ)に座」してる訳ですから、
精神疾患患者には良い訳です。
心身不二ですね。
799:神も仏も名無しさん
14/01/18 17:22:03.90 FG9R5WVu
正座!
800:神も仏も名無しさん
14/01/18 17:31:17.24 LAUckWf5
バービーが空虚煽りカスに見えるの観ができるかもなw
>中国で道教が仏教に影響を与えて禅宗ができたとか。
小乗仏教寺院で修行だよ達磨はw
>道元の心身脱落は、「その状態を得た」ではなくて、「その状態が崩壊した瞬間」のことだね。
ハッタリせらぴすとのデタラメw、物事が明瞭になるんだよw
801:神も仏も名無しさん
14/01/18 17:39:15.21 LAUckWf5
>禅は光を使わずに一気に空を見て悟ると言われてますね。
でたらめwひでえなw臨済宗なら、ぶっ壊し(バービーは理解できぬwワンフレーズ罵倒らしいw)
曹洞宗禅は「ただ」「只管」
802:神も仏も名無しさん
14/01/18 18:02:52.31 FG9R5WVu
やけにズバズバとハッタリかまして豪語すると思ったら関西人かよ。
803:仏教関西人派
14/01/18 18:37:05.68 yhn8z90L
>>802
> やけにズバズバとハッタリかまして豪語すると思ったら関西人かよ。
関西がそんなのばかりと思っとったらあかんで(笑)
豪語するだけで説得力ないのはたこ焼きやお好み焼きに紅ショウガの入れ方知らんヤツと同じや(笑)
関西人なめとったら笑い死にさせたるで(笑)、関西人言うからにはあんさんどこの出身か言うてもらいまひょか。
今から茶しばいて喫茶去や。
804:神も仏も名無しさん
14/01/18 18:54:38.16 3ruo/Q8k
中村元氏によれば、インド人は歴史を書き残す意義とかをあまり重視しない民族で
起こった事柄を過去の偉人が予言した~とかの形式をとる。
だから予言は予言ではなく単に起こった事を予言した事にしてしまおうというw
仏典に釈迦の予言があるかないか知らないけど、超常現象などは一つこういう傾向もある、
と言う点は認識しておく方が良いと思います。
何でも全て書いてあるとおりと鵜呑みにするのは賢明ではないと思います。
805:神智学の本質はレイシズム
14/01/18 19:00:31.42 uiVLgsqh
宝珠には汗の匂いを感じない。
どうしてなのだろう? キミは働いたことがないね?
キミはたぶん在日コリアンだろう?
神智学は、モンゴロイドを滅び行く人々として決めつける。
キミはモンゴロイドなのに神智学を奉じるが、自分自身を差別してどうする?
自分に突き刺さるブーメランではないかw
ああそうか(^^) ブーメランはコリアンの得意技だったかw
806:神も仏も名無しさん
14/01/18 19:06:06.68 FG9R5WVu
>>803
めんどくさいから2chにありふれたレイシズムで対応しちゃったw
807:神も仏も名無しさん
14/01/18 19:26:59.63 zeVuetZ5
最高の徳を積んだ仏陀ですら、死を逃れられなかった
それぐらい死は必定なんだから、生きてる間に心を清めなさい精進しないさい、という論法は聞いたことがあるけど
808:神も仏も名無しさん
14/01/18 19:38:43.96 Y8x/VL8R
一在家よ
仏教では煩悩があるから断ち切れない惑として輪廻転生が起こるんだよ
輪廻転生は概念で、つまり念、一在家のグループが言う想念の事で
思考の中に属して我執に因って保護・維持される
我執がその外枠の本体なので、輪廻惑は我執並みに強い
だから消え難く離れがたい(我執に包摂されてるから)
この我執の惑を生きてるうちに悟って出来るだけ表に出さない様な所作を行わなければ
それが業となって今世の他人にも伝播し、輪廻惑の因(業)をばら撒いて今世を去る事になる
去れば自分は終わった筈なのだが、業は残っている(他者に伝播している=思想とか)
故に、次生は赤の他人として生まれた筈なのに、先の輪廻惑を巡り巡って受け取る事になる(報)
結果、自分は輪廻転生してきた、と言う思いがまた始まる
釈尊の教えでは煩悩を滅し尽くして行けば最後は四諦をありのまま観て本当の事を悟る、とされてる
釈尊が輪廻を否定せず、寧ろ教説に盛り込んでいたのは、方便の意味も有るが
釈尊の思考は自他や三界の区別を取っ払った無分別の境涯なので
人の思いが作す輪廻惑と物理現象である断滅とを区別しない
次生に他人が思いから出た言葉を受け取れば、それが念に焼きついて
輪廻転生惑として復活すると観れるから否定しなかったのだ
物理的には輪廻転生は無い
しかし思いから発する言説が人々に伝播し、次生に引き継がれる意味ではこの限りとは言い切れ無くなるのだ
故に、有るとも無いとも言い切れないので無記となる
疑う無かれ一在家、輪廻転生や業報輪廻転生の言葉を誰から聞いたか思い出せ
それがお主の輪廻惑の出発点である
809:神も仏も名無しさん
14/01/18 20:13:44.35 FKiaeHSg
>>795
あとは、2ch内でということなら
マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.11
スレリンク(psy板)
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践9
スレリンク(psy板)
とか。
810:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 20:15:18.23 hmV45uPb
>>808
>輪廻転生は概念で、つまり念、一在家のグループが言う想念の事で
どなたか存じませんが、真面目に調べていただいて有難うございます。
>疑う無かれ一在家、輪廻転生や業報輪廻転生の言葉を誰から聞いたか思い出せ
>それがお主の輪廻惑の出発点である
子供の頃に浄土宗の母から聞いた記憶があります。
高校の頃には浄土真宗の祖母からも聞きました。
その頃に「仏縁」という言葉も聞きましたよ。
811:神も仏も名無しさん
14/01/18 20:24:31.14 FKiaeHSg
あ、一個アンカーずれた。 すまんなw >>809は>>794へ
>>804
だから、
少なくとも、(輪廻(…宿命通)という一部だけでなく)全否定するなら、
自分で確認するか、同様に、(今流行の健康系でもいいし)ヨガを修めた人の見解を引用するとかしたら?w
少なくとも、今、上の方で書き込んだ人は、
指導者(及び参考著者)の言辞と自身の実体験を元に、『事実』を述べていると思われるが、
君の発言は、君の「実体験という検証」を経たものなのかい?
或るいは、実体験に基づくレポートが参照されているのかい?
これまで色々レスが交わされているが、畢竟そういうことなわけ。
だから自分は、(時々踏み込み過ぎてdaio-が野次入れるがw)、
テキスト以上の断定は(一応気持ち的にはw)遠慮してるよ。
812:前世は一在家 ◆2o6x38TRbE
14/01/18 20:28:04.82 hmV45uPb
>>793 :パーピマン氏
>なるほどww
>釈迦は、悪魔がアーナンダに憑依しているのを見抜けないほど馬鹿だったわけか?ww
>そして、まんまと悪魔の意図どおりの選択をしたとwww
流石、悪魔のコテを持つかた、悪魔の肩を持ちますね。
・釈尊は寿命が来ていることをよく知っていた
・当然、悪魔の憑依もお見通しだった
・アーナンダ(多分「大般涅槃経」伝承者)は自分の未熟さを深く悔い、釈尊入滅後に悟った
以上は私の読みですが、もしかしたらアーナンダやその他弟子達の修行完成の為に入滅を早められたのかも。
なおジャータカでは火の中に投身したウサギがおりましたが、その行為は馬鹿ではなく、慈悲だったのでしょう。
813:神も仏も名無しさん
14/01/18 20:33:07.39 3ruo/Q8k
>>811
何が「だから」なのか理解不能w
全否定って私がなにを「全」否定したのでしょうか?
私が否定したのは業報輪廻転生と瞑想が仏陀の悟りの方法であるとする見解、仏典の超常現象を一字一句鵜呑みにする事。
否定した本人がなんで瞑想で得がたいものを得る努力をせねばならんのか?
私の主張はそんなものを志向する事こそ間違いというもの。
上の3点については否定しました。
で?w
814:神も仏も名無しさん
14/01/18 21:01:02.26 Y8x/VL8R
>>810
>子供の頃に浄土宗の母から聞いた記憶があります。
>高校の頃には浄土真宗の祖母からも聞きました。
つまり、最低でもその人達がお主の輪廻惑の原因となる
その人達はまた別の人から輪廻惑を概念として受け継いでいるのだ
そうして輪廻転生は実在し続ける事になり、縁によって釈尊の教えを完遂した暁には
真実を知って輪廻に終止符が打てるのだ
815:神も仏も名無しさん
14/01/18 21:42:39.47 Z2fLj4ES
観ずるか 六根
816:神も仏も名無しさん
14/01/18 22:45:10.31 3ruo/Q8k
>君の発言は、君の「実体験という検証」を経たものなのかい?
実体験以外(読書により同意した事など)は書き込むなかれとでも言うのでしょうか?
実体験か実体験に基づく文献かを差し出さねば書き込むなかれ。
仏典にある事以外は書き込むなかれ。
個人の読書による同意事項など書き込むなかれ。
ふ~んw
で、誰が上座部の瞑想に同意するんだww
同意する人間もいれば私みたいに却下の人間もいる。
瞑想というものがあるとすれば流派やメソッドに縛られない単に自己を見るという行為。
ナニナニ瞑想が素晴らしいとか、ナニナニ瞑想でなければ駄目とか全く賛同できませんw
817:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:16:57.69 Y8x/VL8R
仏弟子なら全ての門に敬意を持つべき
同門なのに敵対するのは増上満以外の何ものでもなく悪害有っても一利の徳無し
外道の徒なら悪業の報いを知るべし
818:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:17:18.94 FKiaeHSg
>>816
42.195kmを走ったことのない人間は、
走り終えたときの息苦しさを知らない・知り得ない、ということだよ。
こんな単純なこともわからんか?
819:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:20:32.97 3ruo/Q8k
言いだしっぺはセブンで私ではない。
売られた喧嘩は買うべし~とw
そもそも私は仏教徒ではない。しかも無宗教で、私が仏教と関わるのは
人間仏陀の想像と八正道の実践。なぜなら、人間仏陀を尊敬するから。
似非の仏教徒など論外なのですよw
820:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:21:44.39 FKiaeHSg
>>816
誰が「 >書き込むなかれ 」と言ったんだ?w
稀勢ノ里が現在二敗。
横綱挑戦を全国から期待されているプレッシャーを理解できる人間は、
同じように横綱挑戦の場所を経験したことのある者だけだ。
そうでない人間の評や同情、苦言は、“それ”と比較すれば野次と変わらんよ。
821:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:22:23.00 3ruo/Q8k
>>818
無論、個々人の経験など共有できるものではない。
で、仏教を語るには仏陀そのものの人生を経験しなければ論外とでも言うのですかな?w
822:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:23:15.60 FKiaeHSg
>>819
その意味(>>818>>820)で、
まさに、君こそが、『似非仏教徒』だろ?w
823:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:24:55.13 FKiaeHSg
>>821
だからw
君が否定する領域は、実際に師資相承で伝えられてきたものなの。
だから、
君のソレはどうなの?といつも聞いているだろ?
君のソレは、伝統に依存していないのか?とw
824:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:25:13.56 3ruo/Q8k
>>820
>>811の中断にはその「 >書き込むなかれ 」が十分に感じられるのだが
私の読解力が無いためでしょうかねえw
いやあ、読解力の天才で比喩の天才が仰るのだからきっとそうでしょうねえww
825:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:27:01.70 FKiaeHSg
ああ、この辺の『伝達』『伝承』『伝統』ってのは、
道場とまでいかずとも、大学高校の体育会系でも実感できることなんだけどね・・・。
826:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:27:52.05 3ruo/Q8k
私は仏陀を想像するのに伝統やら伝承やらに縛られるのはマイナスであろうと思いますよ。
なぜなら、伝統伝承は業報輪廻転生を承認するオカルトだからです。
師資相承で師から承認されなければ価値が無いなどという人間に仏教は無理でしょう。
827:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:28:41.05 FKiaeHSg
ああ、紐君は伝統工芸や職人世界、老舗の伝承・伝統にも否定的でしたっけね・・。
さもありなんですなw
828:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:30:13.96 3ruo/Q8k
>>827
私がどこで伝統工芸やら職人世界やら老舗の伝統伝承を否定しましたか?w
私が否定するのは業報輪廻転生を承認する伝統・伝承仏教だけですよw
829:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:35:09.65 3ruo/Q8k
>>822
読解力のセブンさんw
私は仏教徒ではないのですよ。
似非仏教徒ではなく非仏教徒w
830:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:45:20.90 hmV45uPb
>>814
>真実を知って輪廻に終止符が打てるのだ
そうですね。
輪廻の真実を知って輪廻に終止符が打てるのだと私も思います。
譬えますと、自動車は無いと信じて疑わない人は車道に飛び出して犬や狸のように轢かれます。
自動車の真実を知って交通事故に終止符が打てるのだと私も思います。
831:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:46:35.24 hmV45uPb
>>829
>似非仏教徒ではなく非仏教徒w
私もそう認識しておりました。
832:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:48:13.62 3ruo/Q8k
>>830
その比喩は要注意ですね。
>自動車は無いと信じて疑わない人→輪廻転生を信じる人
>自動車の真実を知って→輪廻転生無記の人
ならば、同意します。
833:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:52:27.05 FKiaeHSg
>>827
「倣う・習う」=「縛られる」
という発想が貧困だとは思いませんか?w
>>828
三歩歩いたら忘れる鳥頭かw 隠居みたいだな。
834:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:56:10.98 3ruo/Q8k
習う=縛られるではなく、師からの承認に縛られるw
伝統文化で師に習うのは当たり前。それを縛る等と誰が言いましたか?
読解力を発揮してくださいよw なんせ読解力の天才なんでしょ?w
835:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:56:20.31 FKiaeHSg
>>829
w
君は、伝統ではなく釈尊その人(の言葉)を追う者
という自身の座標をイメージしている筈だ。
その意味でも、似非だという意味だよ。
836:神も仏も名無しさん
14/01/18 23:57:19.01 3ruo/Q8k
世の中似非ばかりで面白いですねえww
837:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:00:22.33 VswT+fxA
>>834
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>伝統文化で師に習うのは当たり前
その >伝統文化で師に習う ことを全否定してきたのが、一連の君のレスじゃないかw
(容量や投稿規制もあるが、数日数ヶ月かけて該当箇所を拾って来ようか?w)
「自分にできないことは、人類全てにとってもできないこと」だという感性は貧し過ぎると思うよ。
838:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:00:50.54 4MQgY63q
しかも「座標」ってww
面白いですねえ。
立ち居地とかの意味でしょうか?
まあ、上座部の立ち居地より遥かにマシと思いますが。
伝統や伝承で比較されると勝負にならないのは当然です。
なんせ2500年の伝統と伝承対個人の立ち居地ですからねえw
839:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:02:37.96 4MQgY63q
>>837
>(容量や投稿規制もあるが、数日数ヶ月かけて該当箇所を拾って来ようか?w)
私が仏教以外の分野で伝統・伝承を否定したのがあるのなら是非拾って来て下さい。
840:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:09:10.99 4MQgY63q
>>837
>「自分にできないことは、人類全てにとってもできないこと」だという感性は貧し過ぎると思うよ。
私はこう見えても超常現象には肯定的な人間ですよ。
しかし、それは限られた人間にだけありうるだろうとも同時に思っている訳です。
まあそれでもせいぜい、虫の知らせとか、何か予知夢を見たとかその程度までです。
だから宝珠さんが言うようなものは全部却下です。
で、瞑想で光を見てなんたらかんたらも有るでしょう。
しかし、そんなものに何の価値も無いと想像するだけです。
そこに価値を認めて焦点を当てるのが阿呆というだけ。
841:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:20:14.84 VswT+fxA
>>840
>そこに価値を認めて焦点を当てるのが
焦点を当てるのは、それが、道程の一過程だからでしょう?
習熟、学習の過程に於いて、どんな分野でも幾つかのポイントってのはあるでしょう?
それに注目することがなぜいけないのでしょう?
習熟度の見究めに資する案件が、なぜ阿呆なのでしょう?
私も普段ならこういう絡み方はしませんが、
貴方のレスは、狂犬が見境なく噛み付くが如きものだから、反応しているのですよ。
842:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:25:21.85 VswT+fxA
>>841補
>>840>そんなものに何の価値も無いと
「同じ漢字が一部分として幾つもの漢字の中にある!」と子供が発見したとき、教わったとき、
それを、 >そんなことに何の価値も無い と言いますか?
843:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:28:19.37 4MQgY63q
私が狂犬ですか。
しかし噛み付いたのはアナタですよw
八正道の正思惟には欲を無くすという側面もあるようですが、正しい思考が第一義でしょう。
で、瞑想の光などを志向するのが正しい方向と考えるか否か?で分かれるだけでしょう。
輪廻転生と同じ。これを正しいと思考するか否か?
思考の選択の枝葉で別れ別れして幹に行くようには心がけているつもりです。
私が捨てたものにしがみついているのを見れば阿呆とでも言いたくなりますね。
もちろん、私が阿呆の可能性も半々ですがw
それと私がどこで見境も無く噛み付きましたかねえw
それこそ箇所を提示して欲しいものです。(アナタが最初に噛み付いたより前でお願いしますw)
844:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:35:34.22 VswT+fxA
>>842補(>>843)
貴方が「伝統・伝承」に否定的発言をするときには、
常にその全てを否定しているのですよ。
もし、輪廻或いは輪廻業報のみであるならば、
上の禅定の過程に於ける話に首を突っ込む筋合いはなかった筈です。
が、貴方は
>>779に於いて>瞑想、瞑想ってw
とレスを入れた。 明らかに、輪廻以外の伝承にも否定的だという証でしょう?w
そのときの流れは、重要な要素として瞑想(禅定)が仏教内で位置づけられている
ということであって、【それが仏教の全てだなどと『誰も言っていない』】のに・・。
その意味で>>827・>>833と言ったのですよ。
845:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:36:34.30 VswT+fxA
>>843
輪廻以外の伝承にも否定的だからですよw
846:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:43:51.83 4MQgY63q
>>844
>【それが仏教の全てだなどと『誰も言っていない』】
ならば私は何も言いません。
私の読解力では○○瞑想云々こそ悟りへの道~というように見えましたのでね。
しかし、輪廻転生やら瞑想やら私には的外れとしか言いようがないのでw
上座部のセブンさんには心外に映ったのかもしれません。
私は率直にあらゆる権威イデオロギーの外に居たいので、一点に焦点を当ててあたかも
それが悟りの道~のように言われれば断固反対意見を書き込みます。
847:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:47:56.48 VswT+fxA
>>846
何種類もあってもいいが、(現に大乗仏教はまさにそれだ)、
貴方のは、まだおおいに検証が必要な新説・珍説の域を出ていない、ということなのです。
オーソドクスな側から異論が出て当然でしょう?
848:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:49:44.55 VswT+fxA
>>847補
>何種類も というのは、在家的に言えば『悟りへの登山ルート』の意味な。
849:神も仏も名無しさん
14/01/19 00:56:26.45 4MQgY63q
>>847
私が少数派であると?w
多数派(オーソドックス)が言いたい事を言うのは当然であるが、少数派が言いたい事を言うのはけしからん、
とでも言いたいのですか?
新説・珍説でもなく普通に中村元氏の本やその他禅語録やその他本を読んだり、音楽を聴いたり、人の話を聞いたり
で考え方が固まるのだと思いますが?
私の主張は新説でも珍説でもなく現代社会人としては当たり前の事で、上座部のアナタの主張(輪廻転生、瞑想で悟り)
の方が実は少数派かもしれませんよww
850:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:12:20.98 VswT+fxA
>>849
あのさ・・・ ┐(´ー`;)┌
なぜ、しつこく『老舗』だとか『伝統工芸』だとかの語を出すと思ってんだよ。
多数かどうかじゃないだろ?
そこでオーソドクスと言ったのは「縦糸として継続してきたことかどうか」の側面でだよ。
(読書による)単なる知識でなく、体温を伴う(―この言い方は譬喩的なものだからなw
決して、実際に抱き合って肌を合わせるという意味じゃないからなw
君には、こういう断り書きが必要だから面倒くさいwww―)
指導・教導・伝達を経ているかどうか、だよ。
そしてそれが、実際に試みた者たちによって都度検証認証されてきた系譜にある、という意味での
オーソドクスだよ。
天動説が地動説に取って代わられた如く、そういうことが起きてもいい。
が、現時点では、ガリレオが示したレベルにさえ達してない、ということさ。
ちなみに、三世に跨る輪廻はともかくw、
瞑想(→禅定)無き悟りはあり得ないと思うよ。
もし(理屈での理解のみで)可能なら、ワシはとっくに到達してるわwww
851:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:12:36.76 4MQgY63q
少数派ではあるが正統派で言いたい事を言う。
多数派であっても正統派以外の者が口を出すべからず~
まさに阿呆ww
852:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:13:44.99 bgaGqj2r
>>830
物理的現象界に於いては心相続する接点を単身以外には持たないので
輪廻の思想は、外部に語った以外の心の内のものは概念なので、脳が死亡すれば終わるのだ
しかし仏教では瞑想を以って精神的世界に自他などの分別を離れて”一切は空”と知る
瞑想修行が進めば、実は自他と言う分別観も概念だったことが解り自我の呪縛が解けるのだ
自我の呪縛が解けた精神世界では自他の区別を持たなくなるので
その時点まで輪廻転生を信じて居たなら、それは他者から相続した概念
他者から受け継いだ因習、他者から聞き伝わった迷信だったと気付くのだ
この時にザックリと輪廻転生や業報輪廻転生などの迷信から開放される
仏法を行じなければこれに気付けないので、聞き伝わった輪廻の惑に
そのまま捉われ、自分は輪廻転生して来たのだ、と信じて疑わない人となる
死してのち、新たに人間として生じた時に、上記の迷信を聞いて心に根付き
そのまま信じれば、それが輪廻転生の完成となる
この世界は多くの概念が聞法知遇なので輪廻転生も多聞に漏れないのだ
853:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:15:26.08 SlZwESc8
>>833
守・破・離
先の話がありまして
854:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:17:18.44 4MQgY63q
>>850
>瞑想(→禅定)無き悟りはあり得ないと思うよ。
そもそも悟りを志向しないものにとり、悟りだ悟りだ~という餌は意味が無い。
瞑想に意味があるのは姿勢を正し呼吸を整え心を落ち着け自己を見る、という事だけ。
○○瞑想じゃなきゃ駄目だとか、○○メソッドの瞑想でなきゃ駄目だとか、言う方が阿呆でしょうw
855:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:19:24.68 VswT+fxA
>>851
だからw
そうじゃなくてw
豊島屋の鳩サブレは豊島屋の鳩サブレで、
福沙屋のカステラは福沙屋のカステラだってこと。
『同じ』サブレ、『同じ』カステラだからと言って
コンビニで買ってきたものに中身入れ替えて、豊島屋の~福沙屋の~と言えるかどうか
ってこと。
なんでわからないかな・・・・。
856:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:21:30.00 VswT+fxA
>>854
>そもそも悟りを志向しないものにとり
そりゃそうだw
何当たり前のこと言ってんだよ・・・ orz
うどん屋がうどんの製法にこだわって何が悪いのか?ってことだ、馬鹿垂れ。
スパゲッティが作りたいんです!とうどん屋に弟子入りするか?っつーの。
857:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:23:15.11 4MQgY63q
>>855
人間仏陀を想像する人間にとりどの鳩サブレ、カステラが実像に近いのかを見るので
老舗だろうがコンビニだろうが無関係。
イデオロギーの枠内の人間は外から見れば小さいですよ。
858:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:23:47.92 VswT+fxA
>>854
>瞑想に意味があるのは姿勢を正し呼吸を整え心を落ち着け自己を見る、という事だけ
必要なんじゃねーかよwww
それ、無くてもいいのか?
んと、在家に次ぐ姑息さだな・・・ ( ゚⊿゚)、
859:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:25:02.48 SlZwESc8
あの・・・ラットの実験で親世代の恐怖体験が遺伝子を通じて子に継承されるという結果が・・・・
遺伝子構造だけでなく他の何かを継承している可能性も・・・・
860:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:25:51.36 4MQgY63q
>>858
あたりまえ、八正道の一つだからねえ。
誰が瞑想不要論を説いたんだ?w
しかし、瞑想オンリー論を否定しているんだよ。
読解力のセブンの名が泣くぜw
861:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:27:05.34 VswT+fxA
>>857
だからぁ・・w
土俵でなくリングで行なって相撲と言えるか?ってことだ。
んと疲れる奴だな・・・ orz
862:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:27:59.57 bgaGqj2r
>>854
>瞑想に意味があるのは姿勢を正し呼吸を整え心を落ち着け自己を見る
ただやれば良いならそんな楽な事は無い
各派が必死になってるのは釈尊の瞑想法に近づきたいからだよ
経典も特別な宗教的作法も無しで木の下で悟ったとされるその行法は
仏陀の瞑想を研究してるならだれでも知りたがるでしょう
仏典を鵜呑みには出来なくても、仏典に載って無い事より載ってる方を試すのは人情かと思う
違うのかねぇ
863:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:29:43.19 4MQgY63q
格闘家仏陀ならばリングだろうが土俵だろうが無関係ww
相撲に執着するのは何故?
864:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:29:45.50 SlZwESc8
液晶大きくしてタッチ操作を採用したらケータイじゃなくてスマホと呼ぶようになった。
865:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:31:25.44 bgaGqj2r
>>860
>しかし、瞑想オンリー論を否定しているんだよ。
創価とかは良くそれを言いたがるね
でも釈尊は色々試してみたけど結局は菩提樹下で瞑想オンリーで悟ったんでしょう
題目でも念仏でも真言でもその他の呪文でも無くさ
866:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:32:50.03 VswT+fxA
>>860
だからw
どこの誰が >瞑想オンリー論 を展開したんだ、とw
>>863
じゃ、バットを使って卓球でも、ティッシュを使って紙飛行機でも、
プールでサッカーでも何でもいいわw
867:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:34:24.92 4MQgY63q
>>862
>ただやれば良いならそんな楽な事は無い
不苦不楽の中道が仏教。楽すぎても駄目でしょうが在家には十分。
瞑想に執着して得がたいものを得よう~とする嫌らしい根性こそ非仏教的でしょう。
伝統・伝承というのはそういう意味では嫌らしい世界。
イデオロギーの枠に嵌って安心を得ようとするのも嫌らしい。
安心はそんなところにはない。
外に出て自由になって初めて得られるもの。
868:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:35:49.40 SlZwESc8
関西の人はコンビニをローソンと呼ぶらしいが、俺は目の前の鉛筆までをもペンとは呼ばない。
言葉による物事の伝達には共有しているコンテキストが重要となるから、関西ではローソンで通じてもこっちだとそうはいかない。
869:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:38:28.45 VswT+fxA
>>867
>瞑想に執着して得がたいものを得よう~とする嫌らしい根性
少なくとも、このスレでそんな奴いたか?
ワシも仮想敵を設定してレスすることはあるが、
お前も大概だなw
(ま、このスレには、カラスというシャドウボクシングの師範がいるが・・・w)
870:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:39:34.54 bgaGqj2r
>>867
何か教団とかに属さなきゃダメだとか言われたのか?
独覚を認めない教団も居るだろうが、釈尊は基本独覚の人だ
胸張って独学でやっていいと思うよ、得られる得られないは別としてね
間違ったまま行ってもそれは個人の勝手だが、こういう場では
相当調べて学んでおかないと、師についてやってる人からはチャンチャラおかしな我流と見られて
恥かくのは自分だから、それをどう思うかも勝手な話だ、自由だけどね
喧嘩吹っかける真似はしない方がいい
独学はセオリーを師伝されてる人よりは品質が下がるのは否めないんだから
871:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:40:21.42 SlZwESc8
>>869
相手がドキッとしそうなことを書いてレスの反応見て顔真っ赤って言うのよくあるだろう。
真っ青だったらどうすんだと。
872:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:42:49.53 4MQgY63q
>>866
○○瞑想~云々のレスはこの瞑想こそ悟りへの道で他は駄目~という論調のようでしたが?
バットでもティッシュでも要は仏陀の正しい想像ではないと言いたいのでしょうが、私から見れば
輪廻転生、瞑想こそ悟りの道という上座部の方が正しい想像ではないですね。
2500年の伝統と伝承を水戸黄門の印籠のごとく出しても通用しない時代のなのですよww
873:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:44:09.58 VswT+fxA
>>867
>安心はそんなところにはない。
>外に出て自由になって初めて得られるもの。
慧可さんも無駄な血を流したわけか・・w
(或る意味、評としては秀逸だが・・・(^^;))
>>871
これまで何人か、頭の下がる奴には出会ってるが、
その中に君が居ないことだけは確かだw
つか、
居もしない相手を想定して発言したわけねw
シャドウボクシング
874:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:46:41.29 VswT+fxA
>>872
だからw
そういう姿勢は『“前世は一在家”の何でもあり』と同じなの。
宝珠の神智学をお釈迦さんが説いていたというのと同じなの。
そういう意味での縦の系譜なの。
何でわからないかなぁ・・・。 orz
875:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:46:47.99 SlZwESc8
>>872
教科書だけで受験wに受かった奴を参考書を駆使した俺は想像できないがいるとかいないとか。
>>871
そうそう、そいつが想像した顔が真っ赤な奴はいない。
876:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:48:22.33 bgaGqj2r
>>872
アーナパーナ瞑想の事かな?
それは安那般那念と言う教えで安般念経と言う
お経に説かれている正式な瞑想呼吸法なんだよ
ちったぁ調べた方がいいよ、管を巻く前にさ
877:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:49:41.82 4MQgY63q
>>870
>喧嘩吹っかける真似はしない方がいい
何度も言いますが私から喧嘩を売ったのではなく、セブンから売られたら買うしかないとww
878:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:51:16.65 VswT+fxA
>>877
売った覚えは無いなwww
きっかけは、いつも君の伝統否定だよ。
しかも、輪廻と関係ない話でね。
879:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:51:17.17 SlZwESc8
>>876
継承されてきた方法は成功を含んでて失敗を排除してると思うんだよね。
ただそれが複数あったときにどれを選択するかって選択の仕方は言われているの?
880:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:53:50.34 SlZwESc8
格闘技なんかだと最強はどの格闘技かって話題がよくあがるけど、とある漫画によれば「最強の格闘技はまだ決まってない」だとさ。
伝統から最新の奴まで色々あるみたいだけど、有名なものはそれぞれ教えてることが有効かつ違うんだろうねと。
881: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:3)
14/01/19 01:56:59.87 yEl8dAu+
寧ろ逆に天国だろ
他に別に極楽だろ
当然正反対に理想郷だろ
882:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:57:00.87 4MQgY63q
>>811がセブンが喧嘩を売ったレスで、それ以前の>>779を私の喧嘩の吹っかけと言いますが、
瞑想は八正道の一つに過ぎず瞑想オンリーの主張を批判しているに過ぎない。
これで、私が喧嘩を売ったのなら、即買えという話ですw
何で>>811まで引き伸ばす?
訳が分かりませんw
883:神も仏も名無しさん
14/01/19 01:59:06.32 bgaGqj2r
>>879
説明は難しいが、天台の摩訶止観に言う止行を遡ってもアーナパーナサティにたどり着く
止行の基本形として説かれてるのが呼吸法であるアーナパーナサティなので
お経なので実践して真偽を問うしかなく、読んだだけの先入観で否定すると釈尊の教えに反する事になる
他の、弟子が書いた、例えば先の摩訶止観やら中論やらは、一端閉じても別に構わんかも知れんが
アーナパーナサティはパーリ三蔵の中部に属す列記としたお経なんで、否定は難しいと思うよ