14/01/17 15:03:48.18 wq2trRKC
煩悩即菩提とは何か?
この単語自体は大乗仏教が勃興してから言われるものなので
釈尊の教説には直接登場してこない
釈尊の教えでは「煩悩の火を吹き消せ」と煩悩から離れる・捉われない事を教える
しかし、教えでも言う通り、煩悩とは対象が有って生じる念なので
一度生じてしまったら対象が消えうせない限り消せる可能性は無きに等しく
例え対象が消えうせたとしても、記憶の念には対象が残っているかもなので
やはりここでも煩悩は消えない事になる、では吹き消すとはどう言う事なのか?
煩悩を火と例え、それを吹き消す訳だから火には種・芯・燃料なるものが必須である筈である
時代的になぞれば、煩悩の火とは「松明や灯明の火」の事で、吹き消しても芯や燃料は残る
その、火は消して冷めて運べる状態を他へ使え、と解せる訳である
例えが下手糞で恐縮だが
煩悩が有る時は心が穏やかではない、その火種は火が有ろうが無かろうが火種として存在は続ける
だから一先ず火(穏やかざる心)を落ち着かせて、同じ火種のパワーを善業に起こせと言う事なのである
これが煩悩即菩提の概要になる
してみれば、あらゆる煩悩は菩提となり得るので、煩悩のまま行えば悪行だが
菩提に転じて行えば善業と成しえる、と言うのが釈尊の真意の教えであろうと解せるのである