14/01/16 23:59:32.14 BFY3PaZY
>>553 (つづき)
>こういう過程を経て、子供は現実と馴れ合って生きることを学習するのですが、
>この訓練を経ていませんと、いつまでも精神は子供のまんまです。
遊んでいない、遊び足りない ということですね。
>つまり現実と空想がいつも表裏な状態ですね。
>これは人格障害に見られる所見と類似してます。
遊び足りないと、現実と空想の暗黙了解が未発達となる。
人格障害と類似しているのですね。
そうですか。
ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』
ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』 では、子供時代の遊びの重要性に
留まらず、人間=遊び までいっています。
>>552
>遊びと言えば、ゲームとかネットとかバーチャル世界です。
完成度の高い玩具には想像力が限定されますから、君がここで言っている
ゲームやネット、バーチャルは遊びの持つ広がり可動をうんと狭めているという訳ですね。
>実は仏教教義が問題ではなく、これは「見捨てられ不安」の示現と私は見ています。
>仏教はそのアイテム・ツールですね。
>これが私の精神分析です。
なるほど、仏教教義が問題ではなくとは、仏教という対象に問題があるのではなく、
閉じた遊びは遊びではないのだが、それしか知らないと、対象を閉じたアイテムとしての使い方をしてしまう。